228 男爵!?
レースが始まりましたよ。
レースは全五レース。馬の頭数の関係上、この数となった。少ないと思ったけれど、これで十分というか、限界みたいだ。
一応、本式の時と同じ流れで、レースは行われている。問題の洗い出しも兼ねたレースだから、当然のことだけれど。
なので、賭けも行われている。馬券の販売、それらの集計、オッズの発表などを全て手作業で行っているわけだから、少々時間が掛かるのだ。
これはまぁ、現代日本とは違うからね。手計算だとやっぱり時間は掛かるよ。
まぁ、その分、のんびりとした感じで、参加者は歓談しつつ、軽食を口に楽しんでいるみたいだ。
やっぱりお金を賭けるとレースへの入れ込みも違うし、何より自分の馬がレースにでるとなれば、その思い入れたるや、考えるまでもない。
さて、私はというと、レースを見るのも楽しいんだけれど、それ以上に食い気だったりする。
いや、本当にこの体、やたら燃費が悪いんだよ。これ一度、アレカンドラ様に訊いた方がいいかなぁ。死ぬことはないけれど、一般的な女性の食事量だとガリガリにやせ細っていくんだよ。
まぁ、それは今はいいや。
さて、食事ですよ。競馬で軽食と云ったらこれでしょう。
サンドイッチ!
私の知識が正しいのかどうかは限りなく怪しいけれど、競馬(賭け事)の際に、サンドイッチ伯爵が軽食として摘まんでいたことから、『サンドイッチ』と呼ばれるようになった、という由緒正しいものですよ。
これはあれだ、鉄火巻きと同じような由来だね。鉄火巻きは、鉄火場で簡単に摘まめるように、ということで用意されていた巻物だ。そこから鉄火巻き、と呼ばれるようになったそうだよ。
あ、鉄火場っていうのは、正式には鍛冶場のことなんだけれど、隠語……になるのかな? だと、賭場のことだよ。だから賭場で食べられていたんだろうね。
と、鉄火巻きはさておいてサンドイッチ。
パンで肉だの野菜だのを挟んだものは、それ以前から存在していたみたいだけれど、貴族でそんな食べ方をしたのはサンドイッチ伯爵が最初。
マナー的にどうのっていうことから、それまでは貴族では食べていなかったのかしら? どこぞの漫画に登場する陶芸家が、ハンバーガーをこき下ろしていたみたいに。
手が汚れる……っていうのは関係ないよねぇ。骨付き肉なんかは手づかみだし、そのためにフィンガーボウルがあるわけだしね。
ええと、骨付き肉を食べきったら、骨を肩越しに放るんだっけ? テーブルの下には犬が控えていて、そういった物は処理してくれる仕組みだったはず。
時代背景はいつ頃かは忘れたけれど、確かそうだったはず。
いや、そんな蘊蓄はどうでもいいよ。
三レース目が終わったところで、マリサさんがお茶をだしてくれたので、それに合わせて私もバスケットを取り出した。
中に詰めてあるのは各種サンドイッチ。
ふふふ、今朝は早起きして、調理場のみんなと一緒に作って来ましたよ。
定番のBLTサンドに加えてカツサンドにタマゴサンド、もちろん、ホイップクリームを用いて作ったフルーツサンドも入っている。
今回は八月の時の反省を活かして、食パンの型をちゃんと持ってきましたからね。ちゃんとした食パンのサンドイッチですよ。
ん? 反省しているところがおかしい? ほっとけ。
あ、このサンドイッチはちゃんと侯爵様たちの分も作ってある。今頃はリリアナさんがお茶と一緒に出しているんじゃないかな。ただ、バレリオ様とダリオ様は食べられないだろうけれど。五レース目に出場するから、準備に入っている筈だ。
レースは公平性を期するために、普通の馬とバイコーンを分けたんだよ。
バイコーンのみで行われるレースは五レース目。侯爵様のところの二頭、王家とモルガーナ女王陛下に献上した番二組。そして私が乗って来た一頭とで、計七頭でのレースとなる。
見た目がみんな一緒だから、ゼッケンの色分けで確認することになる。
私が乗って来たのは牝のフリティラリア。ちゃんと名前を付けたよ。黒百合から名前を引っ張って来たよ。フリティラリアは黒百合の英名ってわけじゃないけれどね。
騎手はナナイさん。私は速く走らせるのは無理だからね。あとでなにかお礼をしておこう。侯爵家の二頭は、バレリオ様とダリオ様が騎手として参戦。バレリオ様だけではなく、ダリオ様も結構目立ちたがりなのね。
王家からはアキレス様と近衛からひとり騎手として出場している。アキレス様がでているのは、牡のバイコーンがアキレス様の騎馬となったからだ。
いや、なんかやたらと懐いたんだよね。なにか通ずるものがあったみたいだ。
アンラ王国の二頭は、女王陛下の護衛騎士から二名が騎手として出場している。
ちょっと楽しみなんだよ、五レース目は。知っている人が出ているからというのもあるけれど、それ以上にバイコーンの本気を見ることができそうだからね。
お昼も過ぎて、第四レースの出走となりました。
……なったけれど、その、えと、スタートしますよ?
王妃殿下と女王陛下、なんだか私のもってきたサンドイッチに夢中と云うか、いろいろ、あれやこれやと相談しているのですが。
「キッカちゃん!」
「な、なんでしょう? オクタビア様」
び、びっくりした。
「これのレシピとかはどうなっているの?」
「サンドイッチですか? 見ての通りのシンプルなものですからね。レシピも何も……。多分、帝国なら似たようなものがあると思いますよ。パンに挟むだけですし」
「違うわ! このパンのレシピの方!」
「えぇっ!? 普通に作っただけなんですけれど」
「ちっとも固くないわ!」
「そりゃ、そういうパンですし」
捏ねが足りないとか、発酵不足とかでもないかぎり、固くならない……あ。
もしかしてパンを発酵させる……寝かせるってことをしてないのかな、こっちのパンって。帝国のパンは酵母を使ってるって聞いたんだけれど、パン作りの細かいところは模索中なのかもしれない。
私、こっちにきて殆どパンは買っていないんだよね。バゲットは買ったことはあるけれど、食パンみたいなのはなかったし。
こっちの主食のバレが美味しかったから、あれを普通に食べてたしね。
バゲット……固かったけれど、こんなものだろうと思って食べてたんだけれど。そういえば、あのネタができそう、とか思ってたんだっけ。
『もしこれがカチカチのフランスパンだったら、ふたりとも死んでた』
武器にできるくらいに固くなるのかしら? さすがに試したことないけれど。一週間くらい放置すればワンチャン。
「えーっと、一応、エメリナ様に確認してみます」
「イリアルテ家が販売をしてくれるならそれで問題ないわ。王室にも卸して欲しいのよ」
「くっ、オクタビアはズルい。それでは私が食べられないじゃないの」
「姉さんは姉さんでどうにかして」
モルガーナ女王陛下に対して、オクタビア王妃殿下がにべもなく答える。
姉妹ならではの気安さなんだろうけれど、国家の重鎮同士の会話と考えると気が気じゃないよ。
「ミストラル商会の食堂経営の妨害さえなくなれば、アンラでも販売はされると思いますけれど。冒険者食堂でもこのパンは使われることになるでしょうし」
「どういうこと?」
「イリアルテ家傘下の食堂の食材は、ミストラル商会が一手に引き受けているんですよ。ミストラル商会はアンラに拠点を置く商会ですよ」
私がそういうと、モルガーナ女王陛下はうっすらとした笑みを浮かべた。
「良いことを聞いたわ。デュドネ」
「お任せを。すぐに調査させます」
モルガーナ女王陛下の言葉に応え、アンラの宰相閣下が一礼して席を外す。
こんな風に行動すると云うことは、そこらに配下の諜報系の部下がいるってことだよね? 女王陛下の側で控えている侍女さんも、侍女さんじゃないし。
いや、あの侍女の恰好をした人は、本職じゃないんだよ。挨拶をしたときに【看破】が発動してさ。嘘だって分かったんだよね。
何者なんだろ? 警護の人にしては華奢だし。立ち振る舞いが妙に優雅だったりするんだけれど、マリサさんも似たような感じだしなぁ。
まぁ、敵意はないから、気にしなくてもいいかな。
あ、四レース目が終わった。
勝ったのは青毛の馬だ。青毛といっても、黒色の毛並みではなく、文字通り青……というか、藍色の毛並みだ。バイコーンよりは大分青っぽいけれど。
本当に黒色の毛並みってでないみたいだね。大木さんも、突然変異でもなければ出ないっていってたけれど。
あ、馬場にバイコーンが入場してきた。バレリオ様、手を振って随分と余裕そうだ。
「おおおおおっ!? なんだあれは? なんだあれは!? 素晴らしい! 美しい! 実に美しい!!」
うわ、なんだかすごいはしゃいでいる貴族の方がいる。
「あぁ、やっぱりこうなったわねぇ」
オクタビア王妃殿下がため息をついた。
「オクタビア様、あちらの方は?」
「あれがナバスクエス伯爵よ。もう落ち着いてもいい年でしょうに……」
あぁ、あの御仁がUMA伯爵。UMAに片っ端から懸賞金を掛けている人だ。懸賞金も結構な額だから、かなり裕福な貴族ってことだよね。
「彼も酒造を持っていてね。王国で消費されるエール酒の殆どを賄っているわね」
「エールですか……」
よくファンタジー物だとエールって出て来るから、どういうお酒なの? って調べたことがあるんだよね。
結局はビールのことだったんだけれど。発酵の方法で、エールとラガーとで分かれるんだったかな? 確か、ラガーの方が大量生産に向いているとかなんとか。
いや、エールも発酵期間が短いから、大量生産はできそうだけれど。温度管理が難しいんだっけ? ラガーは温度管理が簡単な分、それ以上ってことなのかな?
昔はホップを使って発酵させているか否かで、エールとビールとを区別してたそうだよ。こっちだとホップは使わずに醸造しているみたいだ。
ホップか。持ち込んでみようかな。
まぁ、お酒に関しては後回しだ。私じゃ味とか分からないしね。
「あぁ、そうそう、キッカちゃん、勲章はどうしたの?」
「はい? 大事にしまってありますけど」
「こういう時には着けておいてね。あれは身分証明にもなるから」
「あ、はい。分かりました」
鞄から取り出す振りをしつつ、インベントリから以前もらった勲章を取り出す。
胸の所につけてと。
「男爵位相当の身分の証明でもあるから、貴族関連のことで巻き込まれることは減ると思うわよ。勲章持ちというのは、国にとって重要人物ってことになるから」
え、はじめて聞いたんですけど!?
「もともとは爵位と領地をって話にもなったんだけれど、さすがに教会のことも考えると、それはできなかったのよ。だから、それに相当する形ということで、勲章で落ち着いたのよ」
「でも、普段から付けて歩くものでもないですよね?」
そういうと、オクタビア王妃殿下は苦笑した。
「そうなのよねぇ。そこが問題なのよねぇ」
実際、トラブルあったしね。決闘騒ぎになったアレ。あの侯爵の名前は忘れたけど。
「バイコーンが七頭も並ぶと壮観ね」
「ここで私が『走るな!』とかいったら、レースにならなくなりますね」
「やめてね!」
オクタビア王妃殿下が私の肩を掴んだ。
「冗談ですよ。能力的にはみんなさして変わらないでしょうけれど、調教の関係から、勝つのはバレリオ様でしょうね」
「キッカちゃんのバイコーンは?」
「牝馬ですからねぇ。若干、力不足なんじゃないかと。ダートコースですし」
これが二世代目とかなら、かなり個体差がでているんだろうけれど、どれもダンジョンから捕まえて来たやつだからねぇ。
多少の個体差はあれど、誤差範囲程度の差だと思うんだよね。
各馬コースに並ぶ。現代の競馬とは違うから、スタートゲートなんてものはない。すっかり忘れていたから、あとで提案しておこう。
さぁ、私が一番楽しみにしていたレースが始まる。
個人的にはうちの子に勝ってほしい。
ナナイさん、頑張ってください。
感想、誤字報告ありがとうございます。