209 アンラの事情
アンラ王太子、リオネルは頭を抱えていた。
つい先ほど宰相代理であるアドリアンから渡された手紙。母であるアンラ女王モルガーナより、リオネル他諸々の面々に宛てた手紙だ。
内容を要約すると、この一言で済ませることができる。
いや、リオネル宛のものは、その一言だけだった。
『あとはよろしく』
この時期に陛下はなにを……。
貴族、教会へと、女神アンララー様が直々に行った大粛清の為に、王国内各所は色々と余裕の無い状態だ。
現場レベルでは問題ないが、それらを統括する者が激減したのだ。新たに人を充てるにしても、使えない人物を送ろうものなら、余計に仕事が増えると云うものだ。
娯楽代わりに陰謀詭計に精を出していた愚か者がそれだけ多かったいうことだが。
アンラらしいといえばらしいのだろうが、それが過ぎて女神様の不興を買うなど、本末転倒もいいところだろう。
そもそもだ、ディルガエア王国のバッソルーナの件を、連中は知っていた筈だ。まさか、我々はなにをしようとも、神より許されていると思い上がっていたわけではないだろうな?
いや、呆れ果てたことに、きっとそうなのだろう。故に、優しきアンララー様が遂に自らの手を下されたのだ。
結果、この有様だ。
このまま放置すれば、たちまちの内に王国運営に支障がでることだろう。
なにせ、上がって来る案件に対し、適切な判断、指示を出すべき者が軒並み粛清されたのだ。生き残っている者は、死ぬよりも酷い有様になっている。
特にドワイヤン公などは、痛い、痒い、助けて、殺してくれと、延々と昼も夜もなく呻き声を上げ続けているという話だ。あらゆる医療行為も意味をなさず、ポーションは効果を発揮しているようであるものの、傷や失われた手足の修復を行っているだけで、あらゆる痛痒を打ち消すことはできていない。
なによりも、粛清以降、公爵は一切睡眠も食事もとっていないというのに、一向に衰弱する気配を見せないとのことだ。
そう、一向に弱らず、延々と苦しみ続けているのである。
なんという恐ろしき呪いであるのか。
そして令息にも、このほど突然同じ症状が出たと、情報が上がってきている。
父親があのような有様に成り果てたというのに、セザールはいったいなにをやらかしたのか。これ以上、女神様を激怒させないで欲しいというのに!
教会で行われた粛清に関しては、速やかに対象者の命を絶つという形で行われたとのことだ。これは、粛清された者が皆、こともあろうに狂信的にアンララー様を信仰していた者たちであったからだろう。
これまでの事を鑑み、僅かながらに慈悲を掛けられただけにすぎない。
更には、教会に属すものでありながら神の存在を欠片も信じていない不実な者たちの姿が、ひとり残らず消えたとのことだ。
なにが起きたのかは不明ではあるが、少なくとも消えた彼らにとっては楽しいことではないハズだ。
なにしろ、会話している最中に忽然と目の前から消えた、などというのだ。このようなことができるのが、女神様以外に誰があろう。
リオネルの口元に笑みが浮かぶ。やけっぱちな笑みが。
あまりにも粛清された者が多すぎる。そしてその粛清内容も凄惨なものが殆どだ。
なにしろ、彼の元に上がって来たある報告を見た時、さすがのリオネルも背筋が凍りつき、その報告がなにかの間違いであると思いたかったのだから。
それは、この大粛清が行われる原因となった事案だ。
そしてある意味、最初の粛清の行われた案件だ。
ことは、よくある陰謀だったのだ。
現教皇を追い落とし、新たな傀儡とした教皇を仕立て上げ、教会の権力を掌握するというものだ。
無神論者共がそれを画策し、その傀儡として選んだのが、先ごろディルガエアから噂の流れて来る神子とされる少女だ。
実際、七神全てからの加護を得ているという少女。
もちろん、我らが女神アンララー様からの加護もあることより、教皇となる資格は有しているのだ。
だが、少女は教皇となることはあり得ない。なぜなら、アレカンドラ様からの加護も得ているのだ。である以上、属神である六神に仕える教皇となることはあり得ない。
だが、無神論者共にとっては、そんなことはどうでもよかったのだ。
ただ、教皇とすることのできる、容易く操れる人物でさえあれば。
その情報を察知した保守派の中でも最大派閥であるマリーズ派が、その少女の殺害を決行したのだ。
無神論者共を全て排除することが不可能であるのならば、彼らの望みとなる人物を排除してしまえばいい。
つまりはそういうことだ。実にアンラらしいともいえる。
だが、問題なのは、その少女がアレカンドラ様の庇護にあるということだ。
なぜマリーズ大主教はそのことを無視したのか? もしかしたら、あの老人こそ神の存在を信じていなかったのかもしれない。
かくして、実行された暗殺計画は成功し、そして失敗した。
暗殺者は少女を殺害した。だが女神ディルルルナの加護により、死を回避したということだ。
暗殺者は捕らえられ、少女による尋問を受けた。いや、尋問ではなく敵討ちと、少女はいっていたそうだ。
簡単に云うと、少女は暗殺者の首を八回切り落としたそうだ。
殺し、生き返らせ、また殺す。
死者を蘇生させる? 単になんらか理由で心の臓が止まってしまった者を、その胸を叩くなどをして蘇らせるというのであれば、いくつも事例がある。
だが、切り落とした首を繋げ、蘇らせるなど聞いたこともない。
それこそまさに奇蹟ではないか。
そのような奇蹟を、少女は報復のためだけに使ったのだ。それも八回も。
少女は生き返った暗殺者に訊いたそうだ。天国は見れたかと。
狂信者である暗殺者にとって、その質問は酷いものであっただろう。
これまでは、死後は女神の元で安息を得られると信じ、なかば使い捨ての暗殺者となっていた男。その男は、いまでは死を恐れ、怯えて暮らしているらしい。
死後の安息があるのか? そこに疑問を持ってしまったと云うことだ。
この報告書を読み、リオネルは頭を抱えた。
これは、こうして上に流すような情報ではない。本来ならば、現場でなかったことにするべきだ。
奇蹟をことさら簡単に行うような人物であるのだ。当然、暗殺者には口止めをしているはずだ。こうして訊き出しているからには、まっとうな手段を用いていて引き出した情報ではないのだろう。
どうあっても、すべてを聞きだすことは不能であったということから、この暗殺者が隠している事実はまだあるはずだ。
だが思うに、それを聞きだすべきではないし、聞いてならないことだろう。
情報が拡散したと知った少女が、どのような行動に出るか不明であるのだ。
この少女の情報は多分に集められている。世に魔法を広め、世に新たな料理を広め、世に新たなドレスを広め、そして、盾のみで武闘大会優勝者に打ち勝ち、噂に聞く殺人兎を生け捕った。
訳が分からない。いったい、どれだけ多才であるのか。
「我々は報復されたりはしないだろうか?」
「いったいなんの話ですか!?」
リオネルの呟きに、アドリアンが声を上げた。
「いや、気にしないでくれ。陛下を捕まえることは?」
「あの女王陛下ですよ。予め準備は徹底しておいででしょう。もしかすると、もう国境を越えているかもしれません」
「……まて、陛下がどこに消えたのか知っているのか?」
リオネルが問うた。
「オクタビア様から招待状が届いておりましたからね。ディルガエアへと向かっているのでしょう」
「ディルガエアへ!?」
「ディルガエアとの共同で、新たな産業を興そうという話があるのですよ」
「聞いていないぞ!?」
「ロクサーヌ様が陛下といろいろと話し合っておられましたが」
リオネルは絶句した、まさが自分を退けてそのような話が行われていたとは、露ほどにも思っていなかったのだ。
「ロクサーヌ様は次期女王。こういったことも良い経験となるでしょう」
「……まて、ロクサーヌはどこだ? 姿を見ていないぞ」
消えた母親。そして姿を見せない婚約者。
嫌な予感がし、リオネルはアドリアンに詰め寄った。
「陛下と一緒じゃないですかね。神子様に面通しするつもりだと思いますよ」
「なぜ私はここにいるんだ!?」
リオネルはついに叫んだ。
「殿下には、こちらの案件を全てどうにかして頂きませんと」
アドリアンがポンと、テーブルに積み上げらた書類を叩く。
それらはすべて、ドワイヤン公爵家を取り潰した結果、引き起った案件だ。取引先を突如として失った商会の救済だの、失職した使用人たちの再就職先だのいろいろだ。
王家と血縁である公爵家と関わりのある者たちだ。木っ端貴族を取り潰すように進める訳にはいかない。
それはそれは、とんでもなく面倒臭いのだ。
「くっ……これを分かっていて陛下は……」
「とにかく始めましょう。手を付けねば、終わるものも終わりません」
「そうだ! 宰相は!? デュドネはどうした!?」
「親父ですか? 俺にこんなものを残して消えましたよ! 恐らくは、女王陛下と行動を共にしていますよ!」
アドリアンがバン! と、執務机に羊皮紙を叩きつけた。
『あとはまかせた』
「……」
リオネルは絶句し、顔を手で覆った。
そしてそのまま首を上げる。天井を見上げるように。
「アドリアン……」
「なんですか? リオネル」
「すまない」
「……数か月後にはこれが日常になりますよ。あなたは婚姻と同時に王となり、それに合わせ、私は宰相となりますからね」
無情な友人の言葉に、リオネルは顔を引き攣らせた。
「なんということだ……」
「頑張りましょう……」
そして書類整理をしていくうちにふたりは気が付くのだ。
有能な人材は、女王陛下と次期女王陛下が軒並み確保し、新規産業へと組み込んでしまっていることに。
ふたりが絶望するまで、あと数時間。
★ ☆ ★
十三と十九は緊張した面持ちで、椅子に座っていた。
目の前のテーブルを挟んで、対面に座っているのは猫の面を被った……男?
彼の隣に座っているガブリエルも、やや緊張しているように見える。大主教にして暗部の取りまとめ役とはいえ、まだ二十代の女性であるのだ。女神直轄の暗殺者と同席ともなれば、緊張もすることだろう。
「なにもそんなにガチガチに緊張することもないわよ。今日はふたりに決めてもらうために私は来たのよ」
リンクスが十三と十九に云う。
「私たちが……ですか?」
「えぇ。あなたたちは【ブラッドハンド】に入団したわ。そこで、対外的に使う名前を決めないといけないのよ。
【レイヴン】【リンクス】のようなね。【レイヴン】はワタリガラス、【リンクス】は山猫のことよ」
あぁ、だから猫の面なのか。と、十九は納得し、ひとりうんうんと頷いている。
「それに合わせて、仮面も決めておきましょう。まぁ、仮面を被る必要なんてないのかもしれないけれど、レイヴンも私も被っているからね。合わせた方がいいでしょう?」
「仮面は既に用意されているのですか? それともこれから作るのでしょうか?」
十三が訊ねた。
「いくつかは準備してあるわよ」
リンクスがテーブルに仮面を並べる。いったいどこに隠し持っていたのか? 十三は目を瞬いていたが、十九は並べられた仮面に目を輝かせていた。
「動物を模した仮面が殆どですね」
「キッカちゃんが面白半分に作ったものだからね」
三人がいっせいにリンクスを見つめた。
「これらの仮面をキッカ様が?」
「えぇ、私のこれも含めてね。というか、装備もすべてそうよ」
「キッカ様は承知なのでしょうか?」
「えぇ、もちろん。ふたりとも、隠密行動を行う際の装備は、今私が身に付けている布製タイプのものか、レイヴンが身に付けている革鎧タイプのいずれかになるわ。その希望も教えて頂戴」
リンクスの言葉を聞き、ふたりは真剣に仮面を選び始めた。
ややあって――
「私はこの仮面にします」
十三が選んだのは狐の仮面。白地に、赤のアクセントの入った仮面だ。
「私はこれにします」
そして十九が選んだのは……。
「貴女は……兎? なんというか、また可愛らしいのを選んだわね。まぁ、私が持ってきたものでもあるんだけれど」
「諜報の者には見えないわね」
さっそく十九は仮面を被る。
「丸いわね」
「丸いですね」
「丸いって云わないでくださいよ!」
「お化け怖いって、引き籠って食っちゃ寝するから……」
「だ、だって怖いんですもん。きっと殴っても手がすり抜けちゃうんですよ!」
十九が十三に反論した。
「……この子、諜報の者よね?」
「どちらかというと、警護向きですね」
「あら、丁度いいじゃない。アンラから女王陛下が来るわ。その警護を行ってもらおうかしら。あぁ、もちろん、警備対象には気付かれないようにね」
「頑張ります!」
「……不安しかない」
「なんでそんなこというんですか、お姉ちゃん!」
「誰がお姉ちゃんか!」
スパン! と十三が十九の頭を叩いた。
「良いコンビね」
「まったく噛み合ってはいないんですけれどね」
ガブリエルの言葉に、リンクスが笑みを浮かべる。
「幽霊の類は気にしなくていいわよ。支給する武器なら問題なく殴れるから。防具も魔法の掛かったものだから、普通に殴っても問題ないわ」
「魔法の武具!?」
「あわわわ。そんな大層なものを……」
「安心なさい。絶対に失くすことはないようになっているから。あなたたちに支給された時点で、あなたたち専用の装備となるわよ。一種の女神様の祝福ね」
リンクスの言葉に対し、ふたりの反応は対照的だった。
十三は絶望したような顔をし、十九は目をキラキラとさせている。
「本当、いいコンビね」
リンクスの言葉に、ガブリエルは苦笑した。
後日、ふたりのコードネームが確定する。
名付けはキッカだ。
十三はハッコ。白狐、ということだ。
そして十九はヴォーパル。
そう、言わずもがなの、悪名高き首狩り兎である。
尚、この名づけが【ブラッドハンド】の新規メンバーの名づけであることを、キッカはまだ知らない。
感想、誤字報告ありがとうございます。