16 仕上げを御覧じろ:前
どうにか間に合った。ギリギリではあるが、帰って来ることができた。
バレルトリ辺境伯の登城は朝一番であることが多いが、さすがに城門の開く前に来ることはない。
とにかくこれで一安心だ。
街門を抜け、城下へと入る。
ゾンビ討伐は問題なく完了した。バスキ村村民の避難が迅速であったため、村がゾンビによる被害を受けることはなかった。もしそのまま村民がゾンビに気付かずに生活していたなら、やがてゾンビに見つかり、襲われていただろう。
ゾンビは生者に引き寄せられる。生きているモノがいなければ、ゾンビは寄ってはこない。
だが、村よりやや離れた場所にあった農場は別であった。
恐らく、この農場が真っ先に被害に遭ったのだろう。農場に住んでいた一家と、雇われていた農夫たち全員がゾンビ化していた。
年数が経ち、腐敗が進んでいるゾンビであれば、討伐することになんら躊躇することはない。まぁ、あの腐臭は慣れるものではないし、それなりに対策しておかねば、嘔吐いてまともに戦えやしないが。
だが農場の者たちは、ゾンビ化して数日しか経っていない。見た目は普通の人間のままだ。正直、彼らを斬り伏せねばならないというのは辛い作業だ。特に、四、五歳程度の子供を斬らねばならないのならば、なおさらだ。例えそれが聖剣のおかげで、一刺しすれば済むとしてもだ。
早朝の城下を進む。人通りはまばらで、馬で進むのも非常に楽だ。
広場を抜け、城へと続く林の中の道へと入る。
だが林に入ってすぐに隊が止まった。
「ん? どうしたんだ?」
「わからん。お、オメロが来たぞ」
オメロ。隊の先頭を進んでいた騎士だ。
「オメロ、なにがあった」
レナートが訊ねる。するとオメロは真っ青な顔で、こう答えた。
「じ、城門前に、幽霊が!」
オメロの言葉に、私とレナートは顔を見合わせた。
幽霊。一応、不死の怪物の一種に類されているが、なんらかの害を及ぼしたという記録は殆どない。とはいえ、現世に未練を持ち、生きている者たちを恨めしそうに見る姿は気分の良いものではない。だが、幽霊が出るということは、なんらかの凶兆である徴だ。
城門前。そこに少女の幽霊が佇んでいた。佇み、城を睨んでいるようだ。
背筋を冷たいものが走る。彼女はなにか恨みをもっているのだろうか?
馬を降り、警戒しつつゆっくりと近づく。
それは髪をツインテールに結った少女の幽霊。
それは見覚えのある少女の姿。
私は立ちすくんだ。
私は、彼女を知っていた。知っていた筈だ。
そうだ。召喚された者は三人いたのだ!
なのに、なぜ今の今まで忘れていたのか!
「サヴィーノ、いったいどうした」
突然立ち止まった私に、レナートが気遣うような声で問う。
恐らく、私の顔はいま青褪めている筈だ。
これが本当にあの少女の幽霊であるならば、既にあの少女は……。
ゆっくりと幽霊に歩み寄り、その肩に手を伸ばそうとした時、青白い半透明な姿をした幽霊は忽然と消えてしまった。
冷汗が噴き出す。
なにか異常なことが起こっている。そんな予感をひしひしと感じる。
私はすっかり眠りこけている門衛を殴りつけると、城門を開いた。たかが一撃で眠りから気絶するとは器用な男だ。しかし、まさか私が自分で城門を開くことになるとは思いもしなかった。
「こいつはクビだな。あー、お前もクビだから安心しろ」
レナートが今更ながらに起きてきたもうひとりの門衛に、素晴らしい言葉を投げかける。
そして城門を開けている私の姿を見た門衛は跪くと、頭を抱え項垂れた。
今更嘆いてももう遅い。仕事をしない兵士など不要だ。
それよりもだ、早く城内の状況を確認しなければ。そして少女、ユーヤ嬢の安否を確認しなくてはならない。
だが事態は想像以上に酷いものだった。
まず、城内で私たちを真っ先に出迎えたのは、慌てふためいていた馬丁たちだ。厩に血しぶきの痕があり、地面にも小さいながらも血溜まりの痕があったというのだ。既にこの時点で異常である。
城内にはいると、中の空気が明らかにおかしい。張りつめているのがわかる。
「……なんだこりゃ? 賊でも入ったのか?」
レナートが顔を顰める。
「お帰りなさいませ、殿下。ご無事でなによりです」
急に背後から声を掛けられ、私は飛び上がりそうになった。
悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
そこにいたのは侍女のヴァンナだった。
相変わらず一切の気配を感じさせない技術は素晴らしい。
だが私を驚かせるのはやめてくれ。
「おま、どっから出てきたんだよ」
「失礼な。西翼から戻ってきただけよ。
殿下、現在城内は少々混乱を起こしています。まずこちらをご覧ください」
そう云ってヴァンナは一枚の羊皮紙を差し出した。
受け取り、それを読む。
それは血文字で記された簡単な文章。
『私、ユーヤ。ずっとあなたの後ろにいるの』
血の気が引いた。
「これはどこにあった?」
「いろいろな場所に。これは殿下の執務室の扉に、ナイフで留められていたものです。今のところ五枚ほど見つかっています」
ヴァンナの答えに、羊皮紙を覗いていたレナートが鼻を鳴らす。
「ハッ! 誰の悪戯だ? だいたいユーヤって誰だよ」
「陛下が主導し、我々が攫ってきた十三歳の少女だ」
間髪入れずに私がそう答えると、レナートとヴァンナが目を見開いた。
「お、おい、サヴィーノ、なんの冗談だ?」
「殿下?」
「冗談なら良かったんだがな。陛下の所へ行く。確認せねばならないことがある」
「陛下なら執務室です」
ヴァンナの言葉に私は目を瞬いた。
執務室? 陛下が? この時間に?
そんな馬鹿な。と云いかけたが、この城内の異常な状況。
なるほど、陛下の行動も異常というわけだ。
投げやりな笑みを浮かべると、私は執務室に向かって歩き始めた。
「殿下、まだ報告することがあります」
「このまま云ってくれ」
「昨晩、幽霊騒ぎが二件ありました。いずれも巡回中の騎士が遭遇、それを攻撃、撃退しています」
その報告に思わず舌打ちする。
「幽霊なら俺たちも見たぞ。城門を睨みつける少女の……」
レナートの言葉が途切れた。
「おい、サヴィーノ、まさか……」
「あれがユーヤ嬢だ」
「嘘だろ……」
レナートの声が震える。
「ヴァンナ、他には?」
「メイドがひとり、昨夜より行方不明です」
ヨンサム殿の顔が頭に浮かぶ。
「それも、よりにもよってバレルトリ辺境伯令嬢であるヴィオレッタ嬢の姿が消えました」
ヴァンナの言葉に、私もレナートも足を止めた。
「確認はとれているのか?」
「はい、城内にはいないと思われます。また食料搬入に来た業者からの噂話ですが、血塗れのメイドが城下をうろついているとか。こちらはまだ確認がとれていません」
私とレナートは顔を見合わせた。
「ヴァンナ、厩の話は聞いたか?」
「厩ですか?」
「血溜まりがあったと馬丁が騒いでいたんだよ」
「ですが、それほどの出血であるなら相当の深手の筈、身動きできないのでは?」
消えたメイド=血塗れのメイド=辺境伯令嬢
必ずしもそうとは限らない。だが、このタイミングだ。繋がらないと思わない方がおかしい。
「ひとまずそっちは保留だ。捜索している時間がない。だが情報だけは集めておいてくれ」
「畏まりました」
そういうとヴァンナは、丁度すれ違ったメイドを捕まえ、なにかしら指示をしていた。
おかしい。ヴァンナが配下としているメイドが四、五名いるのは知っている。だが都合よくここを通りかかるとは思えない。いったいヴァンナはメイドたちの間でどういう立ち位置にいるのだ?
ちら、とヴァンナに目を向ける。
するとヴァンナは、ニコリとした笑みを浮かべた。
うむ、詮索はやめておこう。わざわざ藪を突く必要はない。
執務室に到着し、中へと入ると陛下は青褪めた顔でこちらをみていた。
なんだこれは? いつも無駄に自信家で能天気な陛下ではないぞ。
「お、おぉ、サヴィーノか。よく戻った」
「……陛下、お顔の色が優れないようですが?」
「あぁ、大丈夫。問題ない。問題はない」
そういうが、どうみても問題があるようにしか見えない。
だが、陛下の状況などどうでもいい。それよりも必要なのは情報だ。
ユーヤ嬢が召喚以後、どうなったのかを訊きださなくては。
「陛下、お尋ねしたいことがあります。ユーヤ・フカヤマ嬢はどちらに? アレ以降、私はとんと彼女の姿を見ませんが、いまはどこにいるのです?」
執務机に両手をつき、陛下にぐいと迫るように問う。
陛下はうろたえたように顔を引き攣らせ、微かに震えていた。
暫しの沈黙。
私は一切目を逸さずに陛下の目を睨み続けた。
「……地下牢だ」
ややあって、諦めたように陛下が答えた。
「……なんですって?」
「地下牢だ。彼女は地下牢に幽閉した」
私は目を瞬いた。
「は? 地下牢に幽閉した!? あんな百年以上使われていない場所に?」
「そうだ、なんの役にも立ちそうになかったからな。かといって、城内を好きに歩かせるわけにもいかん。さすがに殺すのも憚られたからな」
「……殺さなかったのは、他のふたりに知れた場合、反乱を起こされかねないからでしょう? 本当に隷属できているのかもわかりませんし、なにより、我らが彼らをどう思っているのか、その答えになりますからね」
歯を食いしばるように云う。ギシギシと歯の軋む音が聞こえる。
「そしてこの様ですか。どんなご気分です? 陛下」
私は執務机の上にあるそれに気づき、陛下に問うた。
それは、さきほどヴァンナから渡された羊皮紙と同じもの。
血文字で短い一文が記されただけのもの。
陛下は俯いた。
ここにはもう用はない。地下牢に向かわねば。
私は踵を返すと、扉の所で待つレナートとヴァンナに目くばせする。
するとふたりは扉を開け、ヴァンナはまた近くのメイドを捕まえ、レナートは私の左後方につく。
「……なぁ、サヴィーノ」
「なんです、陛下」
足を止め、陛下に振り向く。
変わらず青い顔のまま、陛下が私に問うた。
「私の後ろには、誰もいないよな?」
ひとり怯える陛下を放置し、私とレナート、そしてヴァンナは地下牢へと向かった。
途中、メイドがひとりヴァンナを呼び止め、なにかしら話すと離れていった。
「殿下、確認が取れました。厨房では囚人用の食事をきちんと準備していたそうです。すくなくとも、厨房から独房管理官の手には囚人の食事は渡っています」
仕事が早い、というか早すぎるな! ヴァンナ、お前はいったいどういう情報網を作っているのだ? お前を筆頭とした私の専属のメイドたちは、もはや諜報部隊となってはいないか?
少々不安な気持ちになるが、敵ではないのだ。警戒し過ぎることもないだろう。
とにかく今はユーヤ嬢の安否の確認だ。
結論から云おう。結果は最悪だった。
彼女の食事は、いっさい彼女に届いてはいなかった。それらはすべて独房管理官たちの腹に納まっていた。彼女は召喚されてより十九日間。一切の食事も、水も、灯りもない状態で、地下牢に閉じ込められていた。
我々に出て行けと居丈高に命令する、身の程知らずのクズ共を殴り倒すと。私たちは地下牢へと足を踏み入れた。
連中はクビだ。
奴らの仕事は囚人の監視、管理であり、彼らを死に至らしめることではない。
身の程知らずが。増長しおって。
真っ暗な通路を進む。
南京錠を外し、分厚い木製の扉を開くと、少女は真正面の壁にもたれるように腰をおろし、うなだれていた。
ヴァンナの持つ、ゆらゆらと揺れる燭台の灯りの元、少女の影も揺れる。
無駄と思いつつも、少女の前に屈みこみ、その首筋に手を当てる。
冷たい……そして当然の如く、脈もない。
私は深くため息をついた。
あぁ、なんてことだ……。
「サヴィーノ、これを見ろ……」
いつも強気な顔のレナートの表情が、ひどく狼狽えているようにみえるのは、蝋燭の揺らめく灯りのせいだろうか?
レナートの指し示す先。
そこはユーヤ嬢の座り込んだ頭上の壁。
そこには、異様に整った文字で文章が刻まれていた。
それは、私たちを戦慄させるのに十分な一文であった。
『我が子を攫いて死に至らしめし者どもに呪いあれ』