158 我が下へ来たれ狂乱候
今日までにやっておくべきことはすべて終わった。宮廷画家のお兄さんのところへ顔を出さなくてはならないけれど、それは明日……夜が明けてから大丈夫だ。
装備は暗殺者装備一式。アクセは眩惑・変成魔法魔力消費軽減の指輪と首飾り。敏捷・技巧上昇の指輪のみっつを装備している。おっと、あともうひとつ。対クラリス用の鉄の短剣があった。魔力消費量軽減装備は、王宮から出たら回復・召喚魔法魔力消費軽減のものに変更する予定だ。
あぁ、もちろん、今の姿はレイヴンの恰好だよ。
時刻は九月の一日午後十時過ぎ。深夜と云うにはまだまだ早いけれど、今夜は雨は降っていない。クラリスが動く前に行動しないと。
王宮を……正確には王宮の別館? を進む。魔法は使わず、隠形のみで地下牢へと向かう。この建物は騎士の皆さんの宿舎も兼ねているのかな? いや、騎士の宿舎の地下に牢を拵えたのか。ま、どっちでもいいや。
目的の部屋の前に立ち、【開錠】の魔法で南京錠を外す。分厚く重い木の扉を開き、真っ暗な牢内へと足を踏み入れた。
「小僧か。報せはどっちだ?」
私が来たことを察知していたのだろう。部屋に入った途端、オルボーン伯爵が私に問うた。あぁ、いや、もう伯爵じゃないのか、でも面倒だから伯爵でいいや。
「クラリスを始末するために、手を借りたい」
「しくじったのか?」
「いや、一度やりあってはいるが、教会の介入があって物別れだ」
暗闇の中、衣擦れの音がする。
「共に行くのはやぶさかではないが、どうやって王宮から出るのだ?」
「なにも問題ない。堂々と歩いて出て行けばいいのさ」
私はそういうと、無造作に背を向け牢からでた。ほんの少し伯爵が逡巡したような気配がしたけれど、私の後を追うように牢から出て来た。
さて、遭遇する騎士さんや兵士さんには、片っ端から魔法をお見舞いしていきますよ。
使う魔法は【魅了】。魅了なんて名前だけれど、なんてことはない、周囲の認識を狂わせる魔法のひとつだ。認識操作の魔法は基本的に四種類。恐怖に陥れる。怒りに我を忘れさせる。友好的にする。気分を高揚させる。このよっつ。
恐怖は対象を逃走させる効果。下手すると腰を抜かすかもしれないけれど。
怒りは、見境なく周囲にいるものを攻撃させる効果。
そして友好的にする効果は、周囲の者すべてを好意的な仲間と誤認させる。
最後に高揚。これは戦意、士気を高める効果だ。決して逃走しなくなる。
私は伯爵を先導するように、堂々と薄暗い通路を歩いていく。まずは独房管理官ふたりに魅了の魔法を撃ちこむ。
「お疲れー」
「おう、お疲れさん」
「気をつけて帰れよ」
挨拶を交わし、階段を登る。幸い、階段を登った先の通路には誰もいなかった。【霊気視】で確かめるも、誰も見当たらない。次の関門は出入り口にたっている兵士ふたりだ。だが【魅了】は範囲型の射撃魔法だ。出入り口の真ん中に撃ち込めば、左右にたっているふたり共効果範囲に入るだろう。
歩哨……で、いいのかな? そのふたりとも挨拶を交わして、外へと出る。
あまりにも簡単なせいか、伯爵がなにか云いたそうにしているのが、背後から感じられる。
でも質問に答えている暇はない。あとひとつ。王宮の出入り口を護っている門番を躱せば王宮からの脱出は完了だ。
「随分と簡単に王宮を出られたな」
「この手のことが専門だからな。これからレブロン男爵邸に向かうぞ」
「そういえば、いま手を出すとただの殺人になると云っていたが、解決したのか?」
並んで橋を渡る。辺りを青白く照らすのは月明かりだけ。でもそれだけでも歩くには問題のない明るさだ。
「レブロンが勝手に蹴躓いた」
「ほう? あの若造、なにをやらかした?」
「クラリーヌの血を混ぜた酒の販売。女神を侮辱。教会の破壊。そして昨日、配下の騎士が不死の怪物化していたことが判明した」
……やべぇ。いま説明していて気が付いたことがひとつ。
私を殺そうとした騎士は、酔いどれて転んで死んだあと、どうなった!?
『私の方で教会に連絡しておくわねー』
おぉぅ、今日も女神様監視中。まぁ、この間やらかしたからね。戦闘における信用は失墜していますよ。心配されていることでもあるけれど。
そして連絡先は恐らく教皇猊下だろう。うん、頑張ってください。この間の反応を見る限り、教会にとって神託ってかなり大事みたいだし。
「ロクなことをしておらんな。いや、それ以前にどれだけ馬鹿なんだ?」
「頭が良ければ、王家に命令じみた要請などせんよ」
「度し難いな。なぜ陛下は黙っているのだ?」
「罰せるだけの材料がないからだ。せいぜい注意にとどめるしかできんよ。強権を振るえば、ただの暴君とされるからな。テスカセベルムとの戦争の話もあったことだし、余計な面倒事に関わりたくなかったんだろう。
実際、あのハゲは片っ端から無視されていたしな」
伯爵が鼻で笑う。
「クラリーヌはよほどの外れを引いたようだな。いや、それとも、だからこそ操り易いと思ったのか……」
「奴の町は神罰を受けて壊滅したからな。その際に、これまでにやらかした不正に関する資料も黒羊騎士に押収されている。あぁ、領邸の地下から大量の死体がでたとも聞いたな。もはや逃れることはできんよ」
伯爵が足を止めた。
「どうした?」
「神罰……だと?」
「教会を破壊したからな。ディルルルナ様はお怒りだ」
そういうと伯爵は考え込むように顎に手を当て、軽く俯いた。
……なんだろうね。すごい絵になるというか、恰好良いんだよ、伯爵。歳を取るならかくありたいと思うくらいに。
なんで道を踏み外しちゃったかなぁ。クラリスを殺すまではまともだったらしいのに。
「……なぜ、私はこうして生きている? いや、不死の怪物化してしまっている以上、生きているとは云えぬのだろうが」
「神罰のことか?」
「あぁ」
「神々は基本、人の諍いに介入することはないよ。今回の神罰は、あの馬鹿共が教会を破壊し、神像を破壊し、アレカンドラ様の象徴を踏みにじったからだ」
私は伯爵にしっかりと向き直る。
「それに――」
「それに?」
「バッソルーナの住人は、誰一人死んではいないよ。もっとも、今後は神の庇護よりはずれて生きることになるがな」
私がそう云うと、伯爵は微かに笑ったようだった。
男爵邸の前で足を止め、屋敷を見上げる。月明かりの元に見る男爵邸は、なんとも薄気味悪く見える。
まぁ、それを云ったら、ほかの貴族邸も似たようなものなんだけれどね。これはあれだ、ホラー映画とかの定番演出みたいに見えるからだよ、きっと。
なんだか、影が人を焼き殺していく某和製ホラー映画を思い出すな。
思わず苦笑いが浮かぶ。
クラリスは在宅中だ。ちゃんと【道標】さんで確認してある。
「ここがそうだ」
「ほぅ。男爵にしてはなかなか良い所に住んでいるではないか」
そんなことを話していると、門番の男が槍を手にしたままつかつかと歩いてきた。
「こんな時間になんの用だ。主様は――」
よし。とりあえず【太陽弾】を撃ってみよう。
私は近寄って来た門番に【太陽弾】を放った。光の球が門番の顔面に当たるや、門番は悲鳴をあげて苦しみ始めた。
両手で顔を覆い、ふらふらと後じさり、尻餅をつくよう座りこむ。
顔を覆う指の隙間から白煙があがっていた。
「あぁ、こいつはダメだな。手遅れだ」
「ほぅ、いまのが魔法か」
「対不死の怪物の魔法だ。たいした威力ではないがな」
答えながら、さらに【太陽弾】を連続で撃ち込んだ。消費魔力はゼロにしてあるから、撃ち放題だ。
うん。動かなくなった。【死体探知】。よし、ちゃんと死体になってる。敵性反応じゃないから、正真正銘の死体だ。
私は白煙を噴き上げる死体の襟首を掴むと、門の内側へと引きずり込んだ。道端にそのままにしておいたら、邪魔で仕方がないからね。
「さて、小僧、どうする? 屋敷に突入するか?」
「わざわざ狭いところで戦うこともないだろう。出てきてもらうとするさ」
【爆炎球】を容赦なく玄関扉に撃ち放った。
火の玉が炸裂し、豪華な作りの扉が轟音を上げて吹き飛んだ。
木造の建物というわけでもないし、この程度では火事にはならないだろう。何発も撃ちこんだら、骨組みとかの木材が燃えちゃうだろうけど。
いまは吹き飛び砕けた扉の破片が燃えている程度だ。
この騒音で、何事かと館の使用人が飛び出してきた。
「ふむ。救える者が残っているなら、救っておくか」
「む? いまだ人の身である者を選定できるのか?」
「先ほどの魔法をぶつけるだけだ。不死の怪物でなければ、なんの効果もない魔法だからな」
飛び出して消火を行っている者は十名。確か、男爵邸にいた使用人は全部で十二名だったはずだから、これで全員だ。ふたりほど欠員しているからね。ま、別邸だからこの程度の人数なのだろう。
そして【太陽弾】を受けて平気だったのは年若いメイドひとりだけ。
これは……多分、お酒が苦手で飲めなかったとかかな? でもまったく飲んでいない、というわけではないといったところか。とはいえ、人間に戻せることは確かだ。
それが彼女にとって良いか悪いかは別としてね。
彼女に【平静】を撃ち込む。これは範囲型ではなく、対個体用の、友好的にする魔法だ。素人級の魔法だから、対象が強い、ゲーム的にいえばレベルが高いと無効化されてしまうけれど、メイドさん相手なら大丈夫だろう。
緑色の魔法の球が、炎にオロオロしている彼女に当たり吸い込まれる。すると彼女は目を瞬き、キョロキョロとあたりを見回した。そして目の前に燃える炎を、冷静に踏みつけ消火する。魔法にかかる直前まで慌てていたのに。
うん。ちゃんとかかっているね。というか、こういう風にも使えるのか。存外、応用範囲は広いかもしれない。
「嬢ちゃん、ちょっと来てくれ」
私が声を掛けると、彼女は素直にパタパタとやってきた。
「なんでしょう? えーと……あれ? ごめんなさい。名前が――」
「あー、気にしなくていい。とりあえずこれとこれを飲め。このところ微妙に調子が悪いだろう?」
「え? あ、わかりますか? 昼間に外に出ると、なぜか凄くだるくなるんですよ」
彼女は云われるままに解毒薬と万病薬を飲んだ。魔法の効果とはいえ、ここまで警戒心がなくなるのは怖いな。
彼女の周囲を光が躍る。そして、見る間にその表情が変わっていく。
「ふむ。正気に戻ったようだな。自分が――」
私が云い終える間もなく、彼女は口元を抑えて蹲り――吐いた。
「いまの薬は?」
「解毒薬と万病薬だ。いかな毒も病も無効化する薬だ。先に話した血の酒は、クラリス……クラリーヌに従属させ、不死の怪物に変質させる効果があるらしいからな。それを薬で浄化したんだ」
「なるほど。魅了の効果で狂った倫理観が戻ったというところか。この様子から察するに、よほどロクでもないことをしていたようだな」
伯爵が無感情に云う。その言葉が聞こえたのか、メイドは口元を汚したまま、怯えたように私たちを泣きながら見つめていた。
「聞け。少なくともお前は人に戻ることができた。人外になりかけていた間に、お前がなにをしていたのかは知らないし、興味もない。それを悔い改め、懺悔でもしたいのなら教会で相談でもしろ。
これから俺たちはここで吸血鬼退治をする。お前は邪魔だ。ここから離れろ。ただ頼みがひとつある。教会へと行き、このことを知らせろ。そしてお前はそこで保護してもらえ。理解したか?」
彼女はコクコクと頷くと、よろけながらも立ち上がり、走って行った。門のところでビクッと跳ねていたけれど、多分、死体を見たからだろう。
屋敷に向き直る。どうやら消火作業終わったらしく、使用人たちが私たちを見ていた。
彼らを代表するように、執事の壮年男性が一歩進み出る。
「この狼藉、自らが何をしているのか、もちろん分かっておりましょうな?」
「神に仇成す愚か者共、貴様らは自分がなにをしているのか理解しているのか?」
使用人たちが懐から武器を抜いた。短剣とか、変な爪みたいな武器。いずれも暗器の類だ。えーと、ダークっていうんだっけ? ああいう短剣。爪の方は虎爪とかいうやつだよね。握り込んで指の隙間から爪の部分を出すんだっけ?
「ほう、やる気のようだぞ、小僧」
なんだか伯爵は楽しそうだ。とはいえ、人間を辞めてるってことは、面倒だよねぇ。しかも多勢だし。なにより、範囲系の対不死の怪物魔法が使えないというね。伯爵を巻き込みかねないから。
なるほど、それで魔人さんを連れて行けってことなのか。
まぁ、一度見てみたくもあったし、丁度いいけれど。ゲームだと箆棒に強かったけれど、リアルだとどうなんだろう?
「俺たちをどうにかできると思っているのか?」
「そちらこそ、わずか二名でどうにかなるとお思いで?」
執事の言葉に、思わずにやりと笑う。もっとも、レイヴンの朧気な仮面のせいで、そんな表情は見えないだろうけど。
「ふたり? いいや、三人さ」
私は右手を差し出すように伸ばす。すでに準備は完了している。魔力の充填も終わっている。あとは、召び出すだけだ。
「我が下へ来たれ狂乱候。己が責務を果たすのだ!」
達人級召喚魔法【魔人】
私のすぐ側の地面に、青紫色の円陣が現れる。その直径は百数十センチほど。そして同様のものがその真上に浮かび、燃える透明な青紫色の円柱を生みだした。
そしてその円柱の中に現れる人影。二メートル以上もある大柄な姿。
炎を模したような紋様のある黒い鎧。一種異様に見える背の大剣。黒褐色の肌に燃えるような赤い髪。そしてその黒い顔には紅い戦化粧。だがなによりも、その額から生える二本の角が目立っていた。
凶悪な魔剣を背負いし黒褐色の鬼。
魔人が私に向き直り、一礼する。
「なんなりとご命令を、我が主よ」
私は男爵の使用人たちを指し示すように右手を伸ばし、命じた。
「殺せ」
誤字報告ありがとうございます。