154 イルダとベレン
■イルダ
大変なことになりました。
昨晩、奥様は私を呼び止め、こう仰られたのです。
「明日の食堂のイベントの、司会進行をお願いできないかしら?」
司会進行役の打診です。伺う形ではありますが、これを断るなどとんでもないことです。
それがどう考えても自分では達成不可能なことであればともかく、司会進行です。極端な話、言葉を話せれば出来るお仕事です。断り様もありません。
そして一夜明け、本日がそのイベント、料理対決の日です。
……なぜ前日にそんな話を私に持ってきたのですか、奥様。
思わず恨み節が頭に浮かびますが、嘆いていても仕方ありません。やるしかないのです。
とはいえ、料理対決など私は見たことも聞いたこともありません。それの進行など、どうやればいいのでしょう?
分からないことはいくら悩んだところで分かりません。ならば、分かる方に訊けばよいのです。
このイベントの原案はキッカ様であるとのこと。畏れ多くはありますが、キッカ様にご教授願うとしましょう。
ただ、それにはひとつ問題があるのですが。
キッカ様がこの屋敷においでになられたときには、奇妙な仮面を着けておいででした。ですが、いまは屋敷内においては、キッカ様は素顔で生活をなさっておいでです。
……女神様ではないのですか?
毎週、地の日には教会に向かい、祈りを捧げるのが地神教信者の習慣です。そして私も同様に、地の日は早起きをし、仕事前に祈りを捧げに参ります。
礼拝堂正面に置かれている女神様の立像。目を瞑れば、私はその姿を寸分たがわず思い浮かべることができます。キッカ様はディルルルナ様に非常に似ておられるのです。或いは、妹神様であらせられるアンララー様でしょうか。
事実、先日、奥様がキッカ様の事をディルルルナ様とうりふたつであると話しておられました。なんでも英雄たちの物語の衣装のひとつである、ディルルルナ様の鬘を被っていただいたとか。
女神様と面と向かってお話をするなど、畏れ多いにもほどがあります。
一番最初に応対し、キッカ様が手土産に持参した草猪を受け取ったミアが、キッカ様の素顔を見た後に寝込みましたからね。あまりにもそっけなく、見下した態度を取ってしまったと。
彼女を擁護する気は一切ありませんけどね。現状、彼女の立ち位置は暴落していますから。奥様からあれほど注意を受けていたというのに。リスリお嬢様の命を救ってくださった方ですよ。女神様ではないと仰られていますが、七神より加護を頂いているという、尊きお方ですよ。
そもそも、たとえ相手が平民であろうとも、見下すようなことをしてはならないのです。それが私たちの仕事人としてのプライドというものでしょう。
だというのに、キッカ様は私たちと同じように雑事をこなそうとしてしまいます。お世話をする私たちとしては非常に困る事態です。いつの間にやら料理長と仲良くなって、一緒に料理をしていますし。
……その後、料理長が異様なやる気を発揮していましたが。
あぁ……キッカ様手作りのロールケーキのおいしさと云ったら……。
と、頂いたお菓子のことを思い出している場合ではありません。
キッカ様に料理対決での進行の在り方をお訊ねしないと。
◆ ◇ ◆
困りました。
キッカ様はイベント会場である食堂のほうへと行ってしまわれました。なんでも、本日使う食材の下準備の手伝いをするのだそうです。
なぜキッカ様がそんなことをと思ったのですが、なんでも、普段は処分されてしまう内臓部分をつかうとのことで、その下準備としてその内臓をしっかりと洗浄処理しなくてはならないのだそうで。当然ながら、私たちはそのあたりの知識はありませんからね。なにせ内臓肉は番犬の餌とするのが常ですから。
実際、キッカ様が持ち込んだ草猪の内臓も番犬の餌となりました。番犬と云えば、サンレアンの本邸宅では殺人兎を番犬代わりにしたとか。一度見てみたいものです。
一応、キッカ様より進行の仕方を聞くことはできました。多少は砕けた感じでやればいいと。あと、料理人が何を行っているのか、その作業を実況すればいいとのことでしたが……。
なんとも漠然としていて、却ってどうしたものかと悩んでいる次第です。
そんな中、あんたはこれから忙しいんだから今は休んでおきなさいと、同僚たちの気遣いもあって、今は自室で待機中です。
せっかくですし、少し休ませてもらうとしましょう。
「待っていたわよ。時間が無いから手早く進めるわ」
……は? え? あれ?
あたりを見回します。正面には一際高くなったところに、まるで祭壇のような机があり、左右には弧を描くような形で厨房施設が設えてあります。
え? どこですか? ここは――
「キッカちゃんが説明しあぐねていたから、彼女が見たことのある料理対決をあなたにも見せてあげようと思ってね」
聞こえて来た声の方を振り向くと、そこには黒いドレスを纏った女性。透き通った白い肌に、対照的な真っ黒な長い髪をなびかせた女性。
アンララー様……。
一瞬呆けたものの、すぐに正気に戻るや、私は平伏し――
「あ、そういうのはいいから。時間がないんでしょう? そんなことをする暇があるなら、きちんと見ていきなさい。キッカちゃんが見てきたものを、あなたにも見せてあげるから」
そう云って女神様がパチンと指を鳴らします。
すると真っ暗な天井から光が降り注ぎ、周囲が明るくなりました。
厨房に立つ料理人たち。その背が醸し出す雰囲気は、まさに歴戦の戦士の様。そんな彼らを見下ろすように、祭壇のような場所に豪奢な服に身を包んだ男性が現れました。
隠しきれない品格を漂わせた、ハンサムな男性。
彼は祭壇(?)を前に立つと、朗々と話し始めます。
「私の記憶が確かならば――」
◆ ◇ ◆
――」
――なよ!」
――もう出発する時間だよ、イルダ!」
はっ!?
目を開け、辺りを見回します。周囲にいるのは、いま私を起こしていた同僚のローレ。
「やっと起きた。早くしないと遅れるよ。もうすぐ奥様の準備も終わるからね」
「……鉄人は!?」
「は? なによ鉄人って。大丈夫? 目、覚めてる?」
ローレが私の目の前に翳した掌をひらひらとさせています。
どうやら私は眠っていたみたいです。
……寝ていた? いいえ、私ははっきり覚えています。調理が、まるで舞台芸術であるかのようであったあの光景を、あの迫力を。
今思い出しても、ゾクゾクとする感動。
あれは決して夢なんかじゃない。
「い、イルダ? 本当に大丈夫?」
ローレの心配そうな声。
あは。うん、確かに心配でしょう。多分、今私は満面の笑みを浮かべているでしょうから。
「大丈夫よ。起こしてくれてありがとう。それじゃ、行ってくるね」
私は立ち上がると、ローレに身だしなみを確認してもらい、部屋を出ました。
このイルダ、アンララー様より賜った料理対決を成功させるという使命を、見事果たして見せましょう!
◆ ◇ ◆
■ベレン
あぁ、どうしてこんなことになったんだろう?
冒険者食堂のふたり掛けのテーブルにつき、私は注文した料理を待っていた。
注文したものはカニクリームコロッケ。一日二十食限定の料理だ。このところ通い詰めている私は何度も食べている料理だけれど、いまだにその調理法がさっぱり分からない。
揚げる、という調理方法は分かった。この店で出している唐揚げも、とんかつだって再現は出来た。まぁ、その出来はまだまだ洗練させないことには、到底、追いつけているとはいえないけれど。
でも、このカニクリームコロッケだけはいまだにさっぱりだ。
こんな柔らかいものを、どうやってここまで形を整えた状態で揚げることができるのだろう?
その調理法を思案し、そして放棄する。現実から目を背けてはいけない。
失職してすでに半月を過ぎたのだ。蓄えにはまだ余裕があるが、だからといって就職活動をしないわけにはいかない。
最悪、屋台を開くという手は残されているが、問題となるのは食材の仕入れだ。料理系の屋台を行っている者は、大抵は自前で食材を用意している。串焼き肉を売っているものは、自身で獲物を狩り、捌き、そして調理している者が殆どだ。
理由は簡単で、業者などから仕入れるとなると、それが直接販売価格に響くからだ。私が仕入れを業者に任せて屋台を開くとなると、販売物の値段は同業の屋台のものよりも二割増しくらいにしないと、商売として成り立たないだろう。
はぁ……。旦那様の女癖の悪さは知っていたけれどさ。まさかその子供がならず者だなんて思わないわよ。
働いていたパチェコ子爵家の取り潰し。奥様は子供を連れて実家へと戻り、使用人は領主邸を維持するための最低限の者だけ残し解雇。当のパチェコ子爵……いやさ元子爵は現在路頭に迷っているとか。
そして私も解雇され、同じく路頭に迷ってる有様だ。
料理一筋でやって来たため、他の職に就く気にはなれない。十歳で下働きとして厨房に入り、現在十七歳。料理人としては一人前の腕にはなったと思っている。
とはいえ、貴族家で料理人を現状募集しているところは殆どなく、そして宿屋や酒場は、貴族家で働いていたものを毛嫌いする風潮があり、やっぱり門前払い。
まぁ、料理にしても、貴族家で出すようなお上品な料理は不要ってことで、なんというか、腕の振るい甲斐ないということもあって、いろいろと揉めることも多いのだ。そのために私のような元貴族家使用人なんかは毛嫌いされる。もしかしたら、嫉妬という面もあるかもしれないけれど。
羽振りのいい大商人とかなら大丈夫なんだろうけど、料理人を募集している大商人なんてそうはいない。いたとしても、私みたいな実績のない料理人は雇ってくれないだろう。
……あはは、人生詰んでないかな。
こうなったら、頑張って自分で狩りをするしかないか。やったことないけど。
し、死んじゃわないかな? 弓? 使えないよ。槍? 無理。私に使えるのは包丁だけよ!
そんなことを考えて青くなっていると、食堂の掲示板に張り出されていた告知に気が付いた。
料理対決参加者募集? なに? 料理対決って?
張り出されているその告知をじっくりと読んでいく。うん、文字の勉強をしておいてよかった。レシピを読めなきゃ話になんねえだろ! って、勉強に文句を云っていた私を小突きながら教えてくれた料理長に感謝だ。
募集人数は四名。応募者多数の場合は抽選。テーマに沿った料理を作り、審査。制限時間は一時間。優勝者には商業権と店舗、そして初期運転資金をイリアルテ家が出資。
……は?
私は目をごしごしと擦った。
いくらなんでも有り得ない。きっと見間違いだ。
もう一度よく読む。おかしい。目を擦ってもう一度。
……見間違いじゃない。
私は店員さんに問い合わせ、迷わず応募した。こんな破格の賞品だ。きっと応募する料理人は数多いるはずだ。どうせ当選なんかするわけがない。
でも、夢くらい見たっていいじゃない。
後日、私の泊っている宿に当選の通知を持った使いの者が来た。
私は倒れた。
◆ ◇ ◆
■イルダ
「さぁ、料理をはじめるがいい!」
料理対決の開始を宣言します。
私の記憶が確かならば――のフレーズを使ってみたかったですが、それは来年に持ち越しです。なにせ、云ったところで続く言葉がありませんし。
料理人たちが食材の置かれたテーブルに向かいます。
あれ? なんでキッカ様は動かないのでしょう。なんだか篭手を外して、丁寧にテーブルの端に置いていますが。
鉄人。
不意にその言葉が思い浮かびます。そして今のキッカ様の姿。
全身金属鎧を纏ったその姿はまさに文字通り鉄人!
いえ、あの場でみた鉄人は、べつに鎧を着こんだりはしていませんでしたが。
実際、今回の料理対決でもっとも美味しい肉料理は、キッカ様の料理でしょうし。
現状、カツレツを超える肉料理はないと私は思っていますからね。
あぁ、あのサクサクの衣。噛み締めた時の食感と、じわりと滲み出る肉汁。そしてキッカ様特製のソースと混然となったあの味わいを、筆舌するなど私には到底不可能です!
あ、キッカ様が動きました。なんだか広くお肉を取っていますね。色々な部位を。それと見慣れない野菜も。あのゴツゴツしたお芋とか、真っ赤な実とか。
毒々しいとかいう声が聞こえてきますが、あの赤い果実のような実は、それはそれは美味しいのですよ。塩をほんの少し掛けて食べると最高です。あれも農研に提供済みとのことですから、早ければ来年、遅くとも再来年には出回り始めるでしょう。
さて、それでは実況を始めましょう。ただ調理風景を眺めているだけでは、見ている側はなにをしているのかさっぱりですからね。
観客を飽きさせないのも、進行の役目、腕の見せ所です。
料理協会長さん、解説をお願いしますよ。
私たちは各調理ブースを回ります。
先ずは宿屋『大鳥亭』の次男坊のホスエさん。見ている限り、作っているのはオーソドックスなステーキのもよう。これは掛けるソースで差をつけるのでしょうか?
あ、リンゴが準備されていますね。
「リンゴソースを作るんじゃないかな。酸味の強いリンゴを使うと美味いんだよね」
協会長さんが唸るように云いながら顎をさすります。
次は酒場『呑んだくれドワーフ』のナッチョさん。ナッチョさんは肉を切り分け、既に焼きの準備を整えていますね。炭の上に金属網を載せての直火焼きのようです。
「脂の焼けた匂いが食欲をそそるんだよなぁ」と、協会長。いや、お酒を欲しがらがないでください。
軍団兵の胃袋番ともいえる、寮勤めのタデオさん。タデオさんはお肉を細かく切っていますね。立方体が沢山出来ています。一口で食べられる、というコンセプトでしょうか?
「早く食べられる料理って感じかなぁ。忙しい人用って感じにも思えるんだけれど、小さく切って焼くことで、味に変化がでるのかなぁ。でも火の通りは早いよね。うーん……」
どうやら協会長も、このちいさなステーキには首を捻っている模様。
さて。次は――
おおおっ!?
観客席がどよめきました。慌ててすべての調理ブースを見回します。
どよめきの原因。それはキッカ様。
え、えーと、キッカ様? その真っ白な塊はなんですか?
「あ、あれはなんなんだろうね? 僕も見当が付かないよ?」
協会長がお手上げです。あ、キッカ様が食堂にその白い塊を持って行きます。窯で焼くのでしょう。
それでは四人目のベレンさん。仕え先が潰れたために、現在失職中の料理人です。
ベレンさんは串焼きを作る模様。いまはお肉を串に刺していますね。
「野菜と一緒に差しているね。これは肉だけで食べるより食が進むんじゃないかな。
あぁ、リーキ、いいねぇ。グリルしたリーキは甘みがあってたまんないんだよね。もちろん、ステーキの付け合わせにも合うし。それを串焼きかぁ」
協会長の解説がさっきから雑なような気もしますが。お腹が空いているんですか?
ずどどどどどどどどどどどど!
うひゃあ!?
な、何事ですか!? え? キッカ様!?
見ると、周囲についたてを立てた調理台で、キッカ様が猛烈な勢いで両手にもった包丁を振っています。
え、包丁の二刀流? そんなの初めて見ましたよ!?
き、協会長?
隣の協会長に視線を向けます。あぁ、ダメです。協会長も唖然としています。キッカ様の行為が不明なのでしょう。
「時間が無くなりますよー」
キッカ様の言葉で、彼女に注目していた全員が再び調理に戻ります。
なんでしょう。ものすごく気になります。これまでキッカ様の調理しているところは見た事がありますが、ごく普通のものでした。ここまで派手(?)なものは、これが初めてです。
いったいどんな料理が出来上がるのか、まったくもってわかりません。
ですが、美味しくない訳がありません。それは断言できます。なにしろ、キッカ様が見えてから、目に見えて料理長の料理の質が跳ね上がりましたからね。料理の腕は一朝一夕で上がるものではないことは私にだってわかります。ならば、その原動力となったのは、キッカ様の料理の知識であることは火を見るよりも明らか。
今回も、私たちの知らない調理法を行っているのでしょう。先の白い塊も謎ですし。いまは後方のテーブルの上に置かれていますが。
あれはなんなんでしょうね?
と、ぼやっとしていないで、お仕事を続けましょう。
各料理人、焼きに入りましたね。
あたりに肉と、タレ、ソースの焼ける匂いが漂い始めます。
うぅ、この香りは食欲をそそりますね。協会長、審査員を外れた事の恨み節をブツブツ云わないでください。
かくして、制限時間となり、調理は終了。
これから審査です!
◆ ◇ ◆
■ベレン
あぁ、終わった。あとは審査の結果を待つのみだ。きっとみんな同じような料理になるならと思って、屋台を出す羽目になった時にと考えていた串焼きを作ってみたけれど、大丈夫なのかなぁ。
あの塩だれは結構な自信作だけれど、まだ味が尖ってて荒いから。
うん。どうせならしっかりとした感想が欲しい。ダメなところが分かれば、修正もしやすいし。
それにしても、あの子の料理はなんだろう?
あの白い塊と、綺麗に整った、赤っぽいソースの掛かったお肉。遠目にはどの辺りの部位かもわからない。
でも、あのカニクリームコロッケを考案した料理人ってことだだもの、不味いわけがないわね。
それに、食堂の新メニューのお披露目も兼ねているって聞いたし。
全身金属鎧に、縁がフリルになっている白いエプロン姿の料理人(?)。
……うん、訳が分からないわね。なんで鎧姿なの?
私は首を傾ぐ。
私たち選手の試食が終わり、そして注目すべき彼女の料理の番。
かと思ったら――
「お前ら、腹は減っているかーっ!」
えぇ……。
なんだか見物人を煽って、じゃんけん大会が始まったよ? しかも勝者には彼女の料理が食べられるなんて!
そして勝ち抜けたひとり、女性の傭兵(?)を設えた席に座らせる。
あぁ、羨ましい。あの一品を食べられるなんて。食べて見たかった。
そして彼女の料理の試食がはじまる。
金槌を振り上げ、白い塊を叩き割る。そこから出てきたのは程よく焼けた肉塊。
切り分けられた肉の断面はほんのりと赤く、生のようにも思えるけれど……。
あぁ、国王陛下を始め、皆が結構な勢いで切り分けられた肉を口に運んでいる。
審査の為に既に一人前以上の料理を食べているというのに、あの勢い。
ど、どれだけ美味しいんだろう?
興味は尽きない。
会話も皆に聞こえるようになっているから、あの白いものが塩であることは分かった。とはいえ、塩を焼いたところであんな風に固まったりはしない。なにを混ぜ込んだのか?
そして二品目。傍から見ているだけでも、その肉の柔らかさがわかる。
まさにヘラジカを丸ごと食べているようなもの、という説明を彼女がしている。
確かに、各部位を合わせてやれば、そうなるだろう。でも、そうなるとどんな味になるんだろう? もも、バラ、肩、背、同じ鹿でも、部位によって味わいは微妙に変わる。それらをひとつにまとめる。考えてみたら、そんなことやったことない。それはほかの参加者も同じようだ。
どこからそんな発想がでてきたのか? 食に対する貪欲さなのだろうか?
食べてみたい。そう思っていると――
「美味しーっ!」
選ばれた見物人の女性が叫んだ。
こんなの食べたことがないとか云ってる。本当にどんな味なの!?
私が悶々としていると、結果発表となった。私たちの料理それぞれの品評がはじまる。
全体として、非常に無難にまとめた料理、という評価というところか。全員が全員、そんな感じだ。唯一、酷評というか、いわゆるダメだしを受けたのがタデオさん。食べやすさを追求したのはよかったものの、やや焼き過ぎ。また、ひとつひとつが小さくなったことで、ソースの味が強すぎるとのことだった。
ホスエさんとナッチョさんは無難過ぎるとも受け取れる評価。でもソースは好評だった。
それに対し、私の料理はそっけない評価をされて終わってしまった。
あ、あれ?
だ、ダメだったらダメで、酷評を頂いたほうが助かるのですが。悪い点を修正する指標になりますし……。
うぅ……。
「それでは、優勝者の発表をお願いいたします、国王陛下」
「うむ。では、優勝者。第一回料理対決、最優秀料理人は――ベレン嬢! 君だ!」
おぉぉっ!
会場が沸いた。
「おめでとうございます。優勝ですよ、ベレンさん」
……は?
え? え? ど、どういうこと? 私、ぜんぜん褒められなかったよ?
ぐるぐるぐるぐる。
あ、あれ? なんだか目が回る。
私は倒れた。
■イルダ
はぁ。今日は疲れました。
ですが、イベントはつつがなく終わりました。なにせ司会進行役なんていう大役は初めてでしたからね。なにかしら失敗してしまうのではないかと、心配していたのです。
……最後にベレンさんが倒れるというハプニングはありましたが。
はぁ。上手くできてよかった。
……いえ、本当に上手くできていたのでしょうか?
キッカ様の、あの観客を操る……というと、少々語弊がありますが、あの手際には驚かされました。
ああいうやり方もあるのだと、きちんと覚えておきましょう。
恐らく奥様は来年もこのイベントを開催するはずです。そして進行役には、また私を指名することでしょう。今回のことで、経験者となってしまいましたからね。
ふふふ。次回こそは「私の記憶が確かならば――」のフレーズを使ってやりましょう。
イベント後は、なぜか食堂の厨房の一部を借りて、延々と料理を作っていましたが。
キッカ様の料理のレパートリーはどれほどあるのでしょうか?
あぁ、あのトマトのチーズ焼き。美味しかった。トマトのスライスにチーズを載せ、塩で味を調えてオーブンで焼くだけ。好みで香草を加えてもいい。たったそれだけなのにあの美味しさ。驚きです。
実はキッカ様よりトマトの種を頂きました。種を蒔く時期にはもう遅いそうですが、このあたりの気候ならば多分大丈夫、とのことでしたので、少しだけ植えてみました。
ふふ。厨房裏に置いた鉢に、しっかりと芽がでてすくすく育っていますよ。ある程度大きくなったら、花壇の隅に植え替えましょう。支柱が必要とのことですからね。
栽培法についてはメモを頂きましたので、しっかりと育てたいと思います。さしあたっての注意は、害虫でしょうか。しっかりとトマトを護らねば。
お屋敷に戻ってから、キッカ様特製のハンバーグステーキを頂きました。あぁ、美味しかった。いまも私の中では、カツレツとハンバーグステーキが一番の座を掛けて戦っています。
甲乙つけがたいです。本当にキッカ様は罪なお方です。
既にとっぷりと日も暮れ、時刻は午後の九時を回りました。
もう、皆さん就寝している時間です。
私は裏口からそっとでると、雨に濡れぬように軒下を進みながらある場所へと向かいます。
この天気であたりは真っ暗ですが、歩きなれた場所です。少々足元がぬかるんでいますが、それさえ気を付ければ転ぶことはありません。
庭の手入れに抜かりはありませんからね。
目指すはお屋敷のほぼ端。物置小屋のある近く。
窓には屋根が付いていますからね、そこに入れば雨はほぼ凌げます。
このことに気が付いたのは、今月の三日のことです。以来、私はこの時間になると、この場所に来るのが日課となりました。
――――♪
聴こえてくる歌声。キッカ様の歌声です。
キッカ様の母国の言葉なのか、歌詞はわかりません。
毎夜、ほぼこの時間にキッカ様は歌を唄っておいでなのです。
私がいま雨宿りをしているこの部屋の窓。換気の為に開けていたこの窓を閉め忘れていたことを思い出し、慌てて閉めに来た時にキッカ様の歌声に気が付いたのです。
楽し気な歌、寂し気な歌、激しい歌と、毎夜違う歌をキッカ様は唄っておいででした。
唄う歌はいつも一曲だけ。
ほんのひと時ですが、私にとってはかけがえのない時間です。
目を閉じ、キッカ様の歌声に聞きほれます。
あっというまに至福のひと時は終わりを告げました。
今日も素晴らしい歌声でした。
でも意外でした。
本日のイベントのこともあり、きっと楽し気な歌を唄われるだろうと思っていました。ですが、今日のキッカ様は、しっとりとした、寂しげな歌を唄っておいででした。
お祭りの後……ということなのでしょうか?
パタン、と、窓の閉まる音が聞こえてきました。
もう、聞こえるのは雨の落ちる音ばかり。
私は閉じられた窓、キッカ様のお部屋を見上げます。
本日はお疲れさまでした、キッカ様。
どうぞ、ごゆるりとおやすみなさいませ。
誤字報告ありがとうございます。