134 それよりも食欲を満たすのが先です
「やぁ、ファウスト。お勤めご苦労様。騒がせてすまないね」
私がそういうと、ファウストさんは胡乱な視線を私に向けた。
「私の記憶に間違いが無ければ、君とは面識はないハズだが」
さぁ、どう答えよう。
審神教の【祝福】持ちがいると、嘘は看破されてしまうからね。
「リンクスよ。そう云えば解るのではなくて?」
リンクスの署名で、吸血鬼に対する警告というか、文書を前に置いてきたからね。聖堂騎士団……軍犬隊の隊長さんなんだもの、ファウストさんなら聞いている筈だ。
「粛清者のひとりか」
うん。ちゃんと伝わっていたみたいだね。ならば話は早いな。
「件の吸血鬼と一戦していたのよ。さすが本物の吸血鬼。強いどころじゃないわね。あの女、聖堂に入って暴言を吐いていたわよ。あぁ、まったく胸糞の悪い……」
「なんだと?」
「ファウスト、教皇猊下の警護は厳重に。奴は伯爵の計略によって負った傷が癒えていないわ。食事の為ではなく、それを癒すために狩りをしているみたいよ。そして獲物を、高位の聖職者へと変えた可能性があるわ。気を付けなさい」
多分、そうなるよね。私のせいなんだけど。多分、私の血じゃないとダメな気がするけれど、そんなの、クラリスは知り様もないだろうし。
血を啜られたからなぁ。しかも私、神の信徒としかとれないような言葉も吐いたし。それを鑑みるに、今後、聖職者を獲物にしそうなんだよね。
私みたいな面倒臭い戦い方をする敵対者がいるって知れたわけだし、早急に傷を癒そうとすると思うのよ。さすがに、今夜は引き籠るだろうけど。
「どういうことだ?」
「あの女は教会をものともしていない、ということよ。
聖堂にいるところを見つけ、神の怒りに触れた。その後、私とここで戦っていたのだけれど、逃げられてしまったわ。
さて、それじゃ私もこれでお暇するわ。縁があれば、また会うこともあるでしょう。では、よい夜を」
【透明変化】発動。
私は取り囲む軍犬隊の面々の目の前で姿を消した。さて、とっとと退散しましょう。詳しいお話を、なんていうのは嫌だからね。ボロは出さないようにするのではなく、出す機会を失くすのが一番です。
身を屈め、隠形モード。私が突如として消えたことで、うろたえている軍犬隊の皆さんの間を抜けて包囲から脱出。っていうか、こんなに簡単に浮き足立っちゃって、大丈夫なのかな? さすがにこういったことに対する訓練はしていないのかしら? ガッチガチに包囲を固めたら、私は逃げられなくなったのに。
やるとしたら、筋力アップ状態で、包囲の頭上を飛び越えるとか? 私にとっては、一気に難易度があがりますよ。
おっと、途中で、クラリスの投げ捨てた手袋は回収しないと。あれ、私の血が付いているからね。鑑定でもされて、私の名前でもでたら困ったことになるもの。
手袋回収。【透明変化】が解除されるも、すぐに再発動。隠形モードだから、解除された瞬間もバレてはいない。よしよし。
それじゃ、退散退散、と。
◆ ◇ ◆
「おぉ……」
そんなわけで、私は今、あのぼったくられた屋台のあった広場に来て居ますよ。もちろん、恰好は黒ワンピに仮面へと着替えてます。もう深夜だというのに、人がいっぱいです。屋台もいっぱいです。
簡易の舞台なんかも作られていて、みんな遊んでる。
うん。遊んでるんだ。とくに催し物があるというわけではなく、誰でも舞台に上がって、なにかしら芸事をしているらしい。
まぁ、大半が歌を唄ってる感じだけれど。
いまはドワーフの酔っ払い二人組が、肩を組んで調子っぱずれな歌をがなってた。
私? 私は唄わないよ。いくら日本語を忘れないために、毎日唄っていると云っても、人前で唄う度胸はありませんよ。
それよりも食欲を満たすのが先です。
本当、この体、とてつもなく燃費が悪いのよ。【魔力変換】で命を存えることはできるけれど、それだと、結構ガリガリに痩せるのよ。なので、毎日きちんと食事をしているわけだけれど、普通の食事量だと痩せる。
一週間くらいなら、そんなには分からないんだけれど、十日を過ぎると目に見えて痩せてきているのが分かるんだ。
実際、街から街への移動中は、ひとりで適当に食事をしていたわけだけれど、多分、一食で肉をキロ単位で食べてたと思うし。……平均、二キロくらい?
で、イリアルテ家に厄介になっている今は、さすがにそんなに大量には食べていないわけで。
イリアルテ家で厄介になって約一ヵ月。今の私、肋骨がすごい浮いて見えるからね。にも拘わらず、なぜか胸は痩せない。お尻は痩せて、椅子に座るとちょっと痛いのに。
多分、そういうスタイルの女性が好きな男性には、かなりそそられる体ではあると思う。まぁ、誰かを誑し込もうとか思わないから、まったくの持ち腐れだろうけど。
ん? 前、体重を気にしていただろうって? いや、甘いものを食べ過ぎるのは、なんというか、恐怖症みたいなものだよ。向こうにいた時の。
それじゃ、なにか美味しそうなものを探して買って帰ろう。
なにがあるかな?
料理関連の発展はかなり微妙とはいえ、屋台で出るくらいにはあるんだ、なにかしら当たりはあるだろう。
お、バレを売ってる。
バレ。バレ芋を擂ったものを小麦粉と練って焼いたもの。いわゆる芋餅。ディルガエアでの主食になっているものだ。ナンみたいなもの、といえばわかりやすいかな。
でもバレの屋台って、どうなんだろ? ちょっと興味あるな。
「おじさん、くださいな!」
「あいよ、嬢ちゃん。って、ひとりか? 連れは?」
「ひとりだよ。あぁ! 私、チビ助だけど、ちゃんと成人しているよ」
「お、おぉ、そうか。そいつは悪かったな。で、ジャムはなんにするんだ?」
「ジャム?」
私は首を傾いだ。
バレ。たまに、香草だのを入れて焼いたりもするけれど、ジャムを載せておやつ代わりにもするんだそうな。
……ディルガエアに結構いるのに、ちっとも知らなかったよ。まぁ、お菓子だのなんだのは、みんな自作してたからだけど。外食もしないし。
あはは。これは人嫌いの弊害だなぁ。
「ほいよ。リンゴと人参だ。銅貨二枚な」
「おぉ、思ったよりも安い」
「安いって、お前さんな。屋台料理なんざ、みんなそんなもんだぞ」
「私が前に買った串焼き肉は銅貨八枚だったんだよ」
あ、おじさんの顔が固まった。
「もしかして嬢ちゃん、この間の騒動の時の被害者か?」
「騒動?」
「腐れ兵士共と聖堂騎士団がやりあった騒動だよ。教皇様が指揮してらした」
「あぁ、うん。おかげさまで、私は綺麗な体のまま助かったよ」
「おぉ! そうか!」
いうや、今度は声を潜めて――
「すまん、嬢ちゃん。俺と握手してくんねぇか?」
「ほへ? いいけど……」
屋台越しに握手をする。
「おぉ。これで今年の祭りはばっちりだ」
「えぇっ!?」
いや、どういうことなの?
「いや、嬢ちゃん、神子様なんだろう? あの事件のあらましは噂に聞いてるぜ」
声を潜めておじさん。
「え、神子じゃないよ。ご加護は戴いてるけど」
「それで十分だ。女神様のご加護にあやかれたらめっけもんてもんさ!」
にやりと笑う。
「あぁ、安心しな。別に吹聴したりなんかしねぇさ。そんなことをしたら運が逃げちまうからな! そうだ、折角だ、こっちも持ってけ」
そんなことを云って、他の種類のジャムを載せたバレをおおぶりの葉っぱにくるんで渡してきた。
「え、そんなことをしたら大損じゃないの!?」
「それ以上に稼ぐから問題ない。気に入ったらまた来てくれ!」
お、おぅ。
あ、あれ? 珍しく運が良かったって感じかな? アレカンドラ様に感謝しよう。きっと加護のおかげ。
それじゃ、食べ歩きと行きましょう。
リンゴの以外はインベントリにしまってと。
さて、このジャムの載ったバレ。なんというか、分厚いクレープみたいな感じですよ。
……クレープ!?
そうだよ、材料、揃ってるじゃん。クレープなら作れる。よし、今度作ろう。
と、それはさておいて、今はこっちだ。
では、いただきます。
あ、リンゴジャム、美味しい。
実のところ、こっちのリンゴはかなり微妙だ。品種改良が進んでいない、というか、そんなことをしてもいないからだろうけど。
テスカセベルムで齧った時は、ちょっぴり後悔したからね。
だから大抵、リンゴを食べるときは焼くか、ジャムにするのが普通なのだそうな。
とりあえず、私が初めて食べて思ったことは――
ニュートンのリンゴって、こんな味なのかな?
だったりする。万有引力の逸話に登場するリンゴの木は原種にちかいらしく、その実の味は、有体に云ってもおいしくないんだそうな。
テクテクと広場を回り、串肉とか、塩漬けの野菜を串に刺したものとかを購入。焼きリンゴも売ってたよ。というか、この時期にもリンゴあるのか。保管していた物なのかな? それとも夏場になるリンゴでもあるのかしら? 夏の果物と云ったら、桃とかビワくらいしか思いつかないけど。あぁ、あとスイカ。他にもあるんだろうけど、あっちだとほとんど技術の進歩のせいで、季節感を無視して売ってるから、本来の旬の時期をよく知らないんだよね。
知ってるのはいまの三つくらいだ。桃とビワは家の庭にあったからだけど。
こっちの甘味は、やっぱり果物を加工したものが基本なんだね。干す、焼く、蜂蜜漬け、砂糖漬け、ジャム、といったところか。
砂糖漬けは高級品だけど。
屋台として出ているものは、肉とか野菜を中心にした食べ物が多いね。さっきのバレの屋台は珍しい方だと思う。どちらかというと甘味の部類にはいるだろうから、きっと昼間の方が忙しいんじゃないかな。
……なんでこんな時間にも開いているのかは不思議だけど。
あぁ、夜のお仕事のお姉さん方が、帰りに寄ったりするのかな? 隣の区域は繁華街だし。
えぇ、ベニートさんから、行っちゃダメと釘を刺されている場所ですよ。
こんな時間にそんなところへ行こうものなら、立君と間違われ兼ねませんからね。わざわざ無用なトラブルを引き起こす必要はないのです。
広場をぐるりと一回りして、帰路に。
思ったよりもたくさん買っちゃったよ。銀貨にして六枚ほど遣っちゃった。宿暮らし二日分の生活費だよ。
食べ比べよう、とか思って、各種お肉を買ったのが出費の原因。
だって、鹿の骨付き肉とかあるんだよ! 絶対に買うべきでしょう!
基本的に味付けは塩だけ。獣臭さを消すのには香草が使われている。使っている葉っぱによっては、ちょっと苦かったりもするけれど。
……胡椒、放出しようかな。こっちの気候で育つのかどうか分からないけど、温室でも使えば、多分大丈夫だろうし。そういや、温室栽培とかやってるのかな?
帰りの道中、お肉をもぐもぐと食べながら、そんなことをぼんやりと考える。
うーん。お肉系はやっぱりみんな似たような味になっちゃうよね。そこそこ工夫しているとはいえ。いかんせん、調味料がね。あと調理法も。
そういや、燻製関連はみないな。いや、ハムがあるんだから、燻製はあるはずなんだよ。腸詰とかベーコンとかってないのかな? 見ないけど。
いや、燻煙しなくてもハムは作れるか。よくよく考えたら、木材関連は入手量が固定なのか。人工林とか作っているわけだし。燻煙用のチップとかには回らないのかもしれない。
大抵は建材になるだろうし。枝葉がどうなってるのかは知らないけど。
うん、悩んでもしかたない。このあたりの事は、明日にでもナタンさんに訊いてみよう。
と、着いた。【不可視】の指輪と【筋力上昇】の指輪をはめてと。
塀を飛び越え、庭を突っ切り、開けっ放しの窓から帰宅。
リスリお嬢様は……うん、大丈夫、寝てる。
それじゃどうしようかな。うん、もう少し食べよう。酢塩漬けとかも買ったし。串に刺したキュウリの酢塩漬け。私としては、ふつうの浅漬けの方が好みなんだけれどね。いや、酢の風味が……。
お新香系の屋台があったのは面白かったな。人参とか、赤蕪とか、あぁ、それとししとうみたいなのもお新香になってた。そうとう辛いらしいけれど、好きな人は好きらしく、結構買ってた人がいたよ。
……もれなく片手には酒瓶が握られてたけど。お酒の友なのかな?
キュウリらしいパキっとした歯ごたえが無くなった、酢塩漬けを食べる。
正直、これだけで食べるものじゃないなぁ、って気分になる味。うーむ。酢塩漬けって、基本、ハンバーガーに入っているのしか知らないからなぁ。
昆布も手に入ったんだし、今度、漬物でも作ろうかな。
「あっ!」
そんなとりとめもないことを考えていた時、ふとあることを思い出した。
あぁ、そうだ。私、思いっきり死亡フラグ回収したんだ。
『そして帰りに、屋台でなにか美味しそうな物を買っていくんだ!』
くっ。まさかリアルに死亡フラグが存在してるなんて。
今更ながらに思い出し。私は思い切り顔を顰めたのです。
きっと、いまの私の表情を、苦虫を噛み潰したような顔というのに違いない。
誤字報告ありがとうございます。