133 ここからが本当のゾンビアタックだ
※今回から数字の表記の仕方を変更しました。
視界が仮面で覆いつくされた! かと思った直後、一気に世界が暗転した。
たちまち視界にHUDが表示される。
HPのバーがグレイアウトしてる。本来の赤色の表示が消えている。
私、一回死んだ。
そんなことを思う間もなく、HPが全回復する。
【即死回避】から【死の回避】へのコンボ。私のHPは平均的な数値のままだろうから、いいとこ百ポイントくらい。【死の回避】の回復量は二五〇ポイント。死んだことをなかったことにするようなものだ。
とはいえ、回復魔法技能の【死の回避】は一日一回。日が変わるまでもう使えない。
そんなことを思っている間にも、私の体は勝手に状況を打破すべく動いている。
いつもの離人症の症状。PTSDが酷くなった結果、でてきた私の精神疾患だ。これが酷くなると、多重人格になるとかなんとか。
実際、自分の意思で動かしてるのか、誰かが勝手に動かしているのか、よくわからない感じだしね。
現状の私の症状は、BPDとかいうのだそうだ。なんの略称かは知らない。専門の精神科医に訊いたわけではないし、なにより当時も今も、私は基本的に人を信用していない。精神科に掛かるなんてもってのほかだ。
これはお父さんが生前に調べて、簡単に説明してくれたものだ。
病名が分かれば安心するものだけれど、精神的なモノは分かったところでどうにかなるものでもない。
なにせ、あの死にかけた誘拐事件の時の心的外傷が原因だもの。結局、私がどうにかして乗り越えるしかないのだ。お父さんにしろ、さして気にするな。自分の思う通りに生きてりゃいいんだよ。なんて、楽観的なことを云っていたし。
ぼんやりとしている間にも、状況は進む。
【敏捷上昇】【技巧上昇】【筋力上昇】の指輪を追加。【黒檀鋼の皮膚】【疾病退散】の魔法を立て続けに発動。
全身に激痛が走る。どうやらそこかしこ骨折していたみたいだ。
目を開ける。現状の確認。
私は俯せに倒れている。でも、石畳の冷たさとか、堅さとか、そういったものがまるで感じられない。
他人の体に乗り移ってるみたいな感覚。
正直、この状態は非常に楽だ。なにしろ、痛みやらなんやらが、とても鈍く感じられるから。
軽く首を動かし、周囲を確認する。どうやら私は、聖堂の大扉に叩きつけられたみたいだ。
でも、なんでクラリスは追撃してこないんだ?
……あぁ、いや。普通なら死んでるものね。というか、死んだし。
確認するまでもないのだろう。
そのクラリスはというと、血まみれた左手を舐めていた。
右手で仮面の縁を掴んで少しばかり顔から浮かせ、その隙間に左手を刺し込んでいる。
真っ赤に染まった白い手袋。もっとも、月明かりの下だから、赤くは見えないけれど。
……あれ、私の血か。かなりの量だよ。どこを貫かれた?
頭の中に装備画面が映し出される。
あぁ、胸を抜かれたのね。濡れて色が変わってる。ローブ、穴が開いた? これ一応付術されてる防具だよ。耐久度はイカれてるレベルなんだけど。でも、そうでもなければ、あんなに手が血塗れにならないよね。
あぁ、さっきの痛みは、胸骨とか肋骨とかが折れてたからか。場所からして、心臓を潰されたみたいだ。幸い、持って行かれた訳じゃないみたいだけど。
……あぁ、これヤバイ。
私自身は感情が失せたみたいに、異常に冷静なんだけれど、切り離された、体を動かしている方が激怒しているのがわかる。
口元が笑っているかのように歪んでいるのが分かる。
「あぁ、馴染む。馴染むわ。素晴らしい……」
クラリスの声が聞こえる。
……なんか、どこぞの吸血鬼みたいなこと云ってる。
クラリスが手袋を外す。手袋は仮面からはみ出したまま。きっと、手袋に染みた私の血を啜っているのだろう。
そして露わになった彼女の手。それは酷く痛ましいものだった。
焼け焦げ、ところどころ骨の露出した手。その手が、まるで脱皮でもしているかのように、黒く焦げた部分が剥がれ落ちていく。
露出した骨の周りを血管や肉が這い、皮膚で覆われていく。
……あれ? 一度、焼き尽くされて復活したんじゃないの? あの有様だと、黒焦げになった状態で逃げ延びたってことか。
でもそれって、二年以上も前の話よね? にも拘わらず、回復できずにいたってこと?
疑問は尽きない。
「ハハハハハ。神に仕えし者の血がこれほど馴染むなんて。フフ、これなら神子の血でなくても十分よ。さぁ、血だけと云わず、その臓腑も残さず頂くわよ」
銜えていた手袋を投げ捨て、クラリスがゆっくりと歩いてくる。
なるほど。これまではまともに再生できなかったってわけね。
世界を移動した弊害かしらね。魂の根幹が違うせいで、私たちはこの世界だと異物だから。
というか、私の体はどういう作りになっているんだろう? 常盤お兄さんとアレカンドラ様の特別製ってことらしいけれど。
多分、それがクラリスの不具合を起こしていた再生能力を助長しているんだろう。
……神の血とか入っていないよね? 確かあれって、石像なんかに注入すると血肉を得たようになった上に、神まがいの力まで得るっていうし。
そんなことを考えていると、クラリスが倒れている私のすぐ側にまでやってきた。膝をつき、手を伸ばしたその瞬間――
【神の霊気】発動。次いで【加重】を撃ち込む。
不死の怪物に対し打撃を与える【神の霊気】、突然、展開されたそれに伸ばしていた手を焼かれ、さらには、それにたじろいでいる隙にデバフ魔法を掛ける。
「なっ!?」
素早く起き上がり、言音魔法発動。
『―――――』
「っ!?」
恐らくは、全身に風を受けたような衝撃があったのだろう。クラリスが戸惑ったように声ならぬ声をあげ、跳び退いた。
その体には紫色の蜘蛛の巣のようなエフェクトが張り付いている。もっとも、このエフェクトは術者である私にしか見えないのだけれど。
でもこれで、防御力は時間経過とともに激減するはずだ。とはいえ、吸血鬼特有の再生能力もある。どの程度効果があるかはわからない。
「貴様!? なぜ生きている!?」
当然、私は答えず魔法を放つ。
【雷撃】!
私の手から放たれた雷を、クラリスはなんなく躱す。
デバフが効いている筈なのに、速い。
お兄ちゃんのクイズは大正解だ。吸血鬼でもっとも警戒すべきは、その恐るべき身体能力だ。
だが、クラリスは接近戦はしようとしない。それはそうだ、私の周囲は【神の霊気】で覆われている。下手に近寄れば体を焼かれるのだ。
代わりに、クラリスもまた雷撃を放ってくる。
教会前広場での雷撃の撃ちあい。クラリスは躱し、私は【魔法の盾】で受ける。
互いにダメージは無い。だが、【魔法の盾】は魔力を垂れ流しているも同然の魔法だ。いつまでも展開しているわけにはいかない。
とはいえ、私の運動能力がクラリスについて行けるわけもない。となると、クラリスを捉えるためには、手数を増やすしかない。
召喚【走狗】!
出現した青白い半透明の狼が、クラリスへと向かって走って行く。
【走狗】はクラリスに飛び掛かるも、払われて光と消えた。
街のチンピラ辺りなら制圧できるだろう【走狗】も、吸血鬼相手ではまるで役に立たない。
でも、それで構わない。
さらに【走狗】を召喚、けしかける。
装備も【召喚消費魔力軽減】の指輪とサークレットを追加。これで指輪は六枠すべて埋まった。だが、召喚魔法の消費魔力は、これで二分の一だ。
容易く倒せる【走狗】を何度もけしかける私に、クラリスが馬鹿にしたようなセリフを吐いている。
やっていることは、一種のゾンビアタックだ。けれど、そのすべてがダメージを与えることなく撃退されている。
脅威はない、そう思っているだろう。
召喚【爆炎走狗】!
炎に包まれた【走狗】がクラリスへと向かって行く。
燃える狼にクラリスは驚いたようだが、これまでと同じように払い退けた。燃える狼。軽い火傷程度、私を喰らえば簡単に回復できると踏んでいるのだろう。
でもね――
ボンッ!
【爆炎走狗】が爆発した。
【爆炎走狗】:炎に包まれた【走狗】。一定時間経過、もしくは一定のダメージを受けると爆発する。
さぁ、クラリス、ここからが本当のゾンビアタックだよ。
時間は掛かるけれど、ゲームにおいては、これでボス級の相手も完封することも可能だ。
連続で襲ってくる【爆炎走狗】の為に、クラリスの攻撃の手が止まった。雷撃を撃つためにはわずかなタメが必要であるらしく、雷撃で【爆炎走狗】を迎撃するのには間に合わないようだ。
潰されると同時に次の【爆炎走狗】をけしかける。見習級の魔法だ。その消費魔力などたかが知れている。さらには現状、二分の一にまで減らしている上に、こちらの魔力回復速度は二倍になっているのだ。
【爆炎走狗】を間断なく召喚し続けるだけならば、魔力は欠片も減らない。
そして効果の切れる頃合いを見計らって、【加重】の魔法も再び撃ち込む。動きをわずかでも鈍らせておかないと、【爆炎走狗】が喰らいつけない可能性がある。
というか、これはゾンビアタックと云っていいのかな? 実際にやっているのは【爆炎走狗】だし。
……まぁ、いいか。似たようなものだよ。きっと。
四体目の【爆炎走狗】が爆発したところで、クラリスのワンピースが燃え上がった。
慌ててクラリスは着ているワンピースを破り捨てた。
月光の下、その裸身が露わになる。
クラリスは美しかった。それこそ、私が羨ましく思えるくらいに。均整の取れた体、白い肌。
だが同時に醜くもあった。ところどころにある赤黒い穴。そこから覗く骨。爛れた皮膚。
再生ができていない。
恐らくは、その再生ができていない状況は、彼女にとって異常事態なのだろう。そこへきて、先ほど教会で再び体を焼かれたのだ。
自らを癒すための血への渇望は、想像に難くない。
四匹、五匹、【爆炎走狗】が潰される。だがその度に起こる爆発は、確実にクラリスへとダメージを与えている。
あの綺麗な金髪も炎で縮れ、酷い有様だ。
だが、止めない。
防戦に回っていたクラリスが、私に目を向けた。そして、一気に向かってくる。
うん。正解。私に接敵すれば、【爆炎走狗】の爆発に巻き込めるし、召喚を阻害することもできる。
でも、そんなのは分かり切ってることだよ。
私の所までわずか数歩。
『―――――――――――』
言音魔法発動。放たれた衝撃波が、クラリスを吹き飛ばした。
次は――ん?
ガチャガチャと騒がしい音が聞こえてくる。
クラリスもその音に気が付いたのか、起き上がると、近くの民家の屋根の上に飛び上がり、そのまま逃走した。
吹き飛ばしたのは失敗だったか。
「そこを動くな!」
「何者だ!!」
ガチャガチャと鎧を鳴らしてやって来たのは、軍犬隊の皆さんだ。バッソルーナへと向かわなかった、いわゆるお留守番組だろう。
さすがにこの人たちとやり合うわけにはいかない。
と、いつの間にか、あの他人事みたいな感覚がなくなってる。うん。ちゃんと自分を、自分だと感じられる。よかった。
さてと……。
私は取り囲んでいる鎧の集団を見回す。
そして、やや遅れて、ゆっくりと歩いてくる偉丈夫に目を向けた。
うん。見知ってる人がいたよ。
思わず口元に笑みが浮かぶ。
「やぁ、ファウスト。お勤めご苦労様。騒がせてすまないわね」
私がそういうと、いつも無表情なファウストさんの目元に、ピクリとした反応があった。
こうして、この日の戦いは終わりを告げたのです。
感想、誤字報告ありがとうございます。