132 天は自ら助くる者を助く
『―――――――――――』
絶対防御(?)の言音魔法【幽体化】。あらゆる物理、魔法攻撃が意味をなさなくなるという言音魔法だ。
当然、高いところから落ちても、まったくダメージを受けることはない。しかも、ゲームの時は地面に足が付いていないと発動しなかったけれど、リアルだと足が付いていなくても問題なく発動できる。
つまり、落下中でも使えると云うことだ。これで高いところから飛び降りても、途中で効果が切れるなんて心配はいりません。
ある程度の高度で唱えれば、魔法が発動するので怪我無く地面に叩きつけられることでしょう。
発動タイミングを見誤ったら、叩きつけられて死ぬだろうけど。
某漫画でいうところの『真っ赤なトマトになっちゃった』というやつだ。
あぁ、いや、多分そうなっても死なないや。ルナ姉様の【即死回避】と、回復魔法の【死の回避】があるから、文字通り死ぬほど痛い思いをするけれど、死なないハズ。
……し、衝撃で体が破裂して飛び散ったりしないのかな? いや、そうなっても【即死回避】で死ねないから、数分は生きていられるし、そうなったら【死の回避】で元通りに人の形にはなりそう。絶対、試してみようとは思わないけど。思わないけど!
まぁ、そんな高いところから飛び降りるような、怖い状況にならないようにするのが、一番だよ。
【幽体化】は、こういう絶対防御……いや、正確には絶対ダメージ回避というべきか。そういう効果なんだけれど、こっちが外部に影響を与える行動をすると、解除されてしまう。だから【幽体化】の状態のまま戦うとかはできない。
正しい使い方は、フルボッコされている状況からの脱出だろう。攻撃に使うのなら、【霊気】系の魔法、【炎の霊気】とか【雷の霊気】を使ってから【幽体化】を掛け、敵の周りを羽虫のごとくまつわりつく。もしくは、【幽体化】の状態で敵の密集地帯に突撃して、そこで達人級の攻撃魔法を使う。といったところだろう。
どっちも使い勝手は悪いんだよね。
前者は、どちらかというと、近接戦闘の際に、ついでに追加ダメージをくれてやろう的なもの。正直、【霊気】系の威力は低いのだ。
あぁ、でもそれはゲームでの話か。リアルだと、地味に役立つかな? 状況的には、火だるまになってる相手と斬り合いをしているような感じ?
相手にするの嫌だな、そんなの。
ん? 抱き着いちゃダメなのかって? いや、それをすると【幽体化】が解除されちゃうから。あ、そうなると斬り合いもダメだ。やっぱり対象の周りをうざったくまつわりつくしかないね。
さて、後者。こっちは下手すると大ピンチになる。達人魔法発動までは【幽体化】は効いているけれど、発動したら解除されちゃうからね。もし達人魔法で周囲にいる敵を、あるていど怯ませる、もしくは行動不能にできないと、あっさり殺されちゃうんじゃないかな。
そんなわけで、【幽体化】は基本、逃走、及び、高いところから飛び降りる時くらいにしか使わないと思う。
そもそも、私は正面切って戦うつもりはないんだよ。怖いもの。
とはいっても、クラリスとは正面切ってやり合うことになりそうなんだよねぇ。なにせ隠形バレたし。
目の前に広がる夜空を眺める。
えぇ、二階から飛び降りて、しっかりと転びましたよ。
【幽体化】のおかげで怪我ひとつないけど。
むくりと起き上がり、ついた汚れを払う。
恰好を今一度確認。頭の中でUIを展開。装備画面を開く。
うん。暗殺者のローブにバンデージ、靴。指輪は【不可視】を五つ。そして猫の仮面。
猫の仮面は半面で色は黒だ。アンララー様謹製で、これを被ると背丈が十センチくらい高くなって、胸が薄くなり、声が男性のものになる。
見た目は女性、声は男性、話し方は女性的、というのがリンクスだ。
狙って作ったキャラじゃないんだけど、濃ゆいな。
さてと、装備は問題なし。姿も問題なし。それじゃ、ちょっかいを掛けに行きましょう。
改めて【道標】を発動させ、私は霧のラインを追って走り始めた。
◆ ◇ ◆
ジョギングでもしてるような調子で霧のラインの後を進み、辿り着いた場所は幾度か訪れたことのある場所だった。
……教会?
慌ててもう一度【道標】を発動。
うん。【道標】さんはまちがっていない。
え? なんで教会?
よくある設定的に、不死の怪物は教会に入れない、なんてことはない。確かに、教会は神域とはなっているけれど、それは神様が半ば制限なしで顕現できる場所、というだけだからね。
とはいえ、吸血鬼だのなんだのは、こういった場所は避けるものだろう。
……あぁ、そういや、クラリスのいた世界って、不死の怪物で埋め尽くされたんだっけね。ってことは、教会なんぞ恐るるに足りず、ってことなのかな?
少しばかり顔を顰めつつ、私は大聖堂の扉をわずかに開け、その隙間から中へと入った。
音は立てない。
はたして、彼女はそこにいた。
白い簡素なワンピース。白い手袋。金色の髪。肌の露出を極力抑えている様だ。
明り取りの窓から入る月光の中。白い彼女の姿は幽霊のようにも思える。
吸血鬼クラリス。以前の名はクラリーヌ。
身を隠すために名を変えたのか、それとも、そもそも名前に執着もないのだろうか? 私は自分の名前をなにがあっても変えるつもりはないけれど。名付けについては色々と思うところはあるけれどね。
クラリスは跪き台の手前に立ち、祭神であるディルルルナ様の立像を見上げていた。
ゆるやかに両手を広げている女神ディルルルナの立像。その背後には、太陽を模した母神アレカンドラのレリーフが掲げられている。
そのレリーフのおかげで、立像はまるで後光を放っているように見える。
私は真っすぐに進み、左の前から四列目の席の中ほどに腰を下ろした。そして頬杖をついて、女神像を眺める……いや、睨みつける? クラリスの背中を見つめた。
【不可視】の指輪をインベントリへと収納し、【魔力回復速度上昇】の指輪と【変成魔法消費魔力軽減】の指輪を装備する。
今回は変成魔法を中心に使うつもりだ。
現状だと、倒したとしても、またどっかで復活しそうだからね。そうなると色々と面倒臭いこと請け合いだ。だから、今回はちょっかいをだして、適当なところで逃げる予定だ。
えぇ、食事の邪魔をしに来ただけだからね。
そして帰りに、屋台でなにか美味しそうな物を買っていくんだ!
……あれ? フラグ建てた?
「くだらない……」
クラリスの呟きが聴こえた。
「居もせぬ神に救いを求める愚か者共。救いが欲しくば、自らの力で手にすればよいのよ」
うん。それには同意するよ。だからこんな言葉もあるんだし。
『天は自ら助くる者を助く』ってね。
なんの努力もせぬ者に、救いはありませんよ。努力してさえ救われるかどうかも分からないのに、努力をしない者が救われるわけがないもの。
だから、癇癪を起こして、天に唾を吐いたところで意味は無いのよ。
……はっ! もしかして、これが『ネコと和解せよ』ということか! そして奇しくも私はいま猫面だ!
……いや、なにを考えているんだ、私。アホか。そもそもネコは神の文字を悪戯で削られたものだよ。
「現に、私はここにこうして立っている。神など居てたまるものか」
「それはそうでしょう。あなたはこの世界にいまだ属していないのだから。神罰が降る降らない以前の問題よ」
あ、つい反応しちゃった。
クラリスが慌てたように私の方を振り向いた。
その顔は仮面に覆われていた。
白い、目の部分だけ穴の開いた仮面。
あぁ、思い出した。どこかで見たような仮面だと思ったんだ。アレだ。某格ゲーのスペイン忍者の仮面だよ。
うん。疑問が氷解してスッキリですよ。
「……おまえは」
「ようこそ、クラリス。我らが七神の神域たる教会へ」
口元に笑みを浮かべる。
「それとも、クラリーヌと呼んだ方が良かったかしら?」
おぉう、ナチュラルにオネェ言葉になっていますよ。地味に気色悪いなこれ。
ヤバイ。なんだか楽しくなってきた。
「何を知っている?」
「質問はきちんとするべきよ、クラリス。それでは何を訊きたいのか分からないわ。
あぁ、忠告はしておくわよ。魔法は止めておきなさい。女神様はそこまで寛容ではないわよ」
「神など居るものか。散々信者共の妄想の中で慰み者にされるだけの存在に、なにができる!」
うわぁ。凄いこと云ったぞ、こいつ。
お?
不意に聖堂内が明るくなった。それこそ、昼間のように。それも、屋内ではなく、屋外であるかのように。
「なにごと!? っ!? 熱い、焼ける!?」
クラリスの全身から、まるで湯気が昇るように煙が沸きだしていた。
これあれか、日光に当たると吸血鬼は灰になるっていうやつ。
おぉう、まさか目の当たりにすることになるとは。
そういえば、私が祈りを捧げると立像が光るけれど、あの光にも同じような効果があるのかな?
目の前の光景にひとり感激(?)していると、クラリスは聖堂から走って飛び出していった。
ふむ、これでとりあえず、昼間は安心ってことかな。あの不死の怪物が昼間に活動していたから、ちょっと心配だったんだ。
多分、クラリスの配下だろうし。それとも、まったくの別件だったのかな? いや、私を連れて行くっていってたしなぁ。あの黒マント騎士も、私をぶちのめして連れて行くつもりだったんだろうし。
私は特に慌てず、テクテクと歩いて行き、聖堂から外へと出た。
クラリスは、聖堂前の広場の中ほどでへたり込んでいた。
大きく肩が上下に揺れている。
……吸血鬼って呼吸するんだ。それとも人間社会に溶け込むために、そうすることが普通の状態にまでしているのかな?
どうでもいいような事を考えつつも、私はクラリスに言葉を掛けた。
「あらあら、無様ね。女神様はそこまで寛容ではないと云ったでしょうに」
クラリスが顔を上げ、私に振り向いた。仮面で分からないが、きっと、私を睨みつけているのだろう。
彼女はゆっくりと立ち上がった。あの光は結構なダメージがあったのか、やや足元がおぼつかない様に見える。
頭の中に、昔、お兄ちゃんが出したクイズが思い出された。
『吸血鬼に対して、もっとも気を付けるべきことはなんでしょう?』
これは吸血鬼を相手に戦うことになった場合のことだ。
確か、映画を見ていた時に不意に出された問題だ。
吸血による隷属化? 魅了の瞳? 蝙蝠、もしくは狼への変化能力?
確かにどれも厄介だろう。いや、最後の変化は微妙だけれども。これに加えて魔法が入る。
でも、これ以上に厄介なものがある。戦い、という点においては、基本中の基本だろう。
答えは怪力。不死の怪物故の、リミッターの外れた怪力。例え、その威力で体が自壊しようとも、持ち前の再生能力で回復する。厄介どころじゃないな。
掴まれたらそれで終わると思っていいだろう。
吸血鬼と云えば紳士的でスマートな戦い方をすると思いがちだけれど、実際は単なる暴力を振り回すだけの存在だ。それだけ厄介だといえる。
物語に登場する連中は、基本的に『貴族』だもの。その礼儀正しさは、それ故のもの。単に自尊心に執着しているだけなのだと思う。
両腕をだらりと下げて、やや俯き加減の恰好のクラリスが私を見つめる。
なんだか、某映画の、井戸から這い出て来た幽霊を思い起こさせる。
私は右足をやや後ろに下げ、身構えた。
「……足りない」
ん?
「ふふ……足りない。まるで足りないのよ」
なんだ?
「だから……お前の血を寄越せぇぇぇっ!」
クラリスが叫んだ。
直後、それこそ目と鼻の先に、無機質な白い仮面が迫っていた。
感想、誤字報告ありがとうございます。
※アレクサンドラの愛称について。
えー、サンディではなく、アレックスであるのは、当人がそれ以外認めないからということを、書いたと思っていたのですが、書いてありませんでした(多分)。どうもその部分を保存し忘れたか、誤って削除したのだと思います。
126話に加筆しました。もし別個書に書いてあるのが判明したなら、その部分も含め、修正します。