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129 テスカセベルムの状況 2


「女神様に会った?」


 買い物から戻ったヴィオレッタの話を聞き、王太子専属筆頭侍女であるヴァンナは、懐疑的な視線を彼女に向けた。


「はい。私の命を救ってくださった方です。そして、王太子殿下の命を救ったあの薬を授けてくださった方でもあります」


 薬!


 サヴィーノ王太子の胸を刺し貫いた剣の一撃による致命傷を、たちどころに完治させてしまった、あの神薬ともいえる奇跡の薬液。


 ヴァンナはあの時の一部始終を思い出していた。


 名前はもはや記憶から消し去ってしまっていたが、あの近衛騎士の凶刃にサヴィーノ王太子殿下が倒れた様を見た時には、背筋の凍る思いをしたのだ。


 王太子殿下の命を救った薬を授けた者。それも、謁見の間で何が起きるのかを予見していたという話だ。

 もっとも、すべてその人物の仕込みであったのでは? と、ヴァンナは邪推もしたが、それならば薬を、それも一生遊んで暮らせるだろう程の価値ある薬を譲渡する理由がわからない。そもそも暗殺目的としては、計画として精度が悪すぎる。


「一度会って、お礼をせねばならないわね」


 現状、まだ王太子殿下の立場は微妙なのだ。不安要素は出来うる限り潰しておいたほうがよい。

 少なくとも、その人物に関しては見極めておかなくては。


 ……ヴィオレッタは心酔しているようだけれど。


 ヴァンナはため息をつきたくなった。


「いったい何の話だ?」


 厨房に入って来た茶髪の男が訊ねた。サヴィーノ王太子の護衛役であるレナートだ。サーコート姿のままであることから、まだ戻ったばかりなのだろう。深紅のサーコート姿は非常に目立つ。


 テスカセベルム王太子一行は、宿ではなく、一軒家を借り、ディルガエア王都に滞在している。

 芸術祭直前ということもあり、宿を手配することができなかったのだ。


 借り受けている屋敷は、投機に失敗し破産した豪商の屋敷だ。規模の大きな屋敷と云うこともあり、買い手も借り手もつかず、ここ数か月ほど空き家となっていた屋敷だ。

 貴族街のすぐそばということもあり、周囲の治安は非常に安定している。


「ヴィオの命の恩人の話よ。この街で会ったそうよ」

「命の恩人って……あの薬の?」

「えぇ。そういえば、名前を聞いていないわね。ヴィオ、聞いていないの?」

「あ……」


 レナートとヴァンナは顔を見合わせると、ため息をついた。


「い、いえ、大丈夫です。名前は聞いていませんけれど、聞いています」

「いや、どういうことだよ」


 レナートが胡散臭げにヴィオレッタを見つめた。


「立ち話もなんだということで、お店でお話をしたんです。そのお店が女神様と関係あるお店のようで、執事の方が紹介していました」

「……話が見えないわよ」

「お菓子の専門店だったのですけれど、そこの商品がすべて、基本が女神様のレシピだそうです。私も女神様のレシピをアレンジしたというお菓子を頂きましたが、とても美味しかったです。

 あ、名前ですが、キッカ、と紹介されていました」


 ヴァンナは探るようにヴィオレッタを見つめた。いまだに彼の命の恩人に関しては、完全に妄信しているように思える。きっと、今以て尚、その人物を女神アンララーと信じているのだろう。


「キッカ……ねぇ。確か、モンテーナの方に多い名前じゃなかったかしら?」


 モンテーナ、テスカセベルム南部地方の名称だ。山岳に囲まれた地域であり、牧畜が盛んだ。もっとも、十年前に発生した山津波……魔物の暴走事件の打撃より、いまだに立ち直ってはいないが。


「ヴァンナ、いまじゃ誰も名付けていないぞ。神の名をもじるのは畏れ多いって風潮になったみたいだ」


 水差しからマグカップに水を注ぎつつ、レナートが答えた。


「なんでそんなことに?」

「よくわからんが、枢機卿……カッポーネ殿の地元がモンテーナのどこだかだから、なにかやったんだろ。王都に来てからも、よくわからん主張をそこら中で宣ってたそうだからな」


 レナートの話を聞き、ヴァンナは、あのイカれた狂信者め、と、小さく吐き捨てた。


「しかし、キッカね……今日の会談でも、その名前が出たぞ」

「ディルガエア王が?」

「忠告というか警告というか、そんな感じではあったけれどな。表立ってはいないが、教会が後ろについているそうだ。正確には、勇神教を除いてだが」


 レナートの言葉に、ヴァンナが目を細めた。


「どういうこと? なぜ勇神教だけはずれているの?」

「カッポーネ殿がやらかしたらしいぞ。まぁ、そのせいで神罰を喰らって、あの有様になったらしいが。

 現状、勇神教はゴタゴタしていて、まともに機能していないこともあって、聾桟敷にされてる状態なんだと。

 つーかだ。あの髭親父はなにを血迷って【加護】持ちの人物に喧嘩売ったんだよ。馬鹿野郎にもほどがあるだろ」

「待って、そんなの聞いていないわよ!?」


 ヴァンナは声を上げた。【加護】持ち、即ち次期教皇。どこの教派かは知らないが、そんな御仁に喧嘩を売ると云うのは、宗教戦争につながりかねないことだ。


「そら勇神教としては吹聴なんぞできん事柄だからな。傍で聞いていて頭を抱えたくなったぞ。俺でさえこの有様だ。殿下はそれ以上だろうよ。もしあの髭親父がまともだったら、帰り次第、首を刎ねてやるところだ。まぁ、そんなことをするよりも、神罰に苦しむままにしておいたほうが罰になるだろうがな」

「あの。枢機卿はなにをやらかしたんですか?」


 妙に取り澄ました顔で、ヴィオレッタが訊ねた。


「ヴィオ、落ち着きなさい」

「大丈夫ですよ。殺さなければいいんですよね? さしたる傷をつけずに痛みを与える方法なら、いくらでもありますよ」


 あぁ、もう!


 ヴァンナは頭を抱えたくなった。


 まったく、ヴィオレッタの父であるジェレミア卿は、彼女にどういった教育を施したのか? 人畜無害そうに見えながら、ヴィオレッタは実用的な拷問知識の宝庫なのだ。


 彼女を殺そうとしたヨンサムからの保護名目で、王太子殿下付きの侍女へと配置転換をしたわけだが、その点については掘り出し物であったといえる。とはいえ、いささか物騒ではあるが。


「なんでも、そのキッカなる人物に対し、持っている技術を全て差し出せ。勇神教が持ってこそ価値がある、みたいなことを宣ったらしい。よりにもよって、他五教の重鎮のいる前で」

「馬鹿じゃないの!?」


 ヴァンナは思わず叫んだ。


「馬鹿としか言いようがないよ。そのせいで、我らのやったことがすべて露見した。おかげでテスカセベルムの評判は地に落ちているぞ」


 ヴァンナは顔を引き攣らせた。


 テスカセベルムがやったこと。戦争のための英雄召喚。そしてその英雄のひとりを、無能と断じて死に至らしめた事。それも未成年の少女をだ。


「それだけで済めばよかったんだが、どうもそれが、アレカンドラ様に多大な迷惑というか、問題を押し付けたらしい」

「……まだあるの? というか、これまでよりもっと酷そうなんだけれど。そろそろさすがに、私でも耐えられそうにないわよ」

「あの地下牢に記された文言があっただろ?」

「あの、異界の神の呪言ね」

「アレカンドラ様、異界の神との戦争回避に奔走していたらしい。世界が危うく滅びるところだったらしいぞ。さすがにアレカンドラ様と同等の異界の神三柱相手に、アレカンドラ様だけで勝つのは難しいだろうからな。いや、たとえ勝てたとしても、アムルロスは滅茶苦茶になっただろうな」

「なんでそんな詳しいことまで?」


 ヴァンナの問いに、レナートは苦笑して肩を竦めた。


「なぜかビシタシオン教皇猊下もいらしたんだよ。おかげで心労が過ぎて、サヴィーノはいま休んでいるよ。

 あぁ、会談の方は問題なく終わったぞ。あとは、サヴィーノがとっとと王位を継げば、問題なく条約は締結できる。暫くは安泰だ」


 そしてさらに言葉を続ける。


「だが、別の問題がでてきたよ」

「今度はなに?」

「魔法」


 ヴァンナは眉をひそめた。


「現状、テスカセベルムは非常に後れを取っているぞ。冗談じゃなしに異世界の英雄召喚を実行したことが及ぼした影響が洒落にならん。

 とにかく、そのせいでテスカセベルムは、新たにもたらされた魔法と薬、このふたつの恩恵から外されている。

 戦争の為だけに使われ兼ねんと、それをもたらした人物が危惧している為、テスカセベルムだけ外されている状態だ。

 他は、教会と冒険者組合が魔法の販売を開始しているらしい。

 信じられるか? 誰でも魔法を使えるそうだぞ。

 そして、これがあの髭がすべて寄越せと云った技術だ。実際、止められてよかったと思うぞ。もし手に入れていたら、嬉々として戦争をはじめただろうからな」


 そういってレナートはがっくりと肩を落とした。


 それはそうだろう。魔法、それがもたらす恩恵は計り知れない。なにより、不死の怪物に対抗する有効な手段を持つことができるのだから。


 だが、現状はそれが見合わされてしまったのだ。


 なにしろ、その技術の出どころであるキッカは、テスカセベルムに誘拐されて来たということなのだから。もとより、テスカセベルムに良い印象など持っていないだろう。


 会談での話を思い出すと、本当にあの髭親父を絞め殺してやりたい気分になる。


「魔法……それに加えて、あの薬。確かに、それらの技術が手に入れば、野心ある者であれば、ロクでもないことを実行するでしょうね」


 ヴィオレッタの言葉に、ふたりはため息をついた。


「謝罪をしなくてはならないんだよ。なにしろ、誘拐されてテスカセベルムに来たらしいからな。俺たちはそれを見過ごした立場になるからな。

 ただ、ビシタシオン猊下は、陛下たちが召喚した三人より先に召喚された者ではないかと、仰っておられたがな」


 ヴァンナは口元に手を当て俯くと、ヴィオレッタに問うた。


「ヴィオ、あなたの命の恩人の居場所はわかる?」

「イリアルテ家に滞在しているようです」

「イリアルテ……ダンジョン管理の始祖家か! あぁ、それで納得がいった。なんで冒険者組合が薬の販売をはじめているのか」

「どういうこと?」


 ヴァンナが問う。


「組合で、ダンジョン産の回復薬と同等の効力をもつ薬が販売されているんだよ。各組合で販売を始めるそうだ。今はまだ、ここ王都とサンレアンの街だけだそうだが」

「女神様のお薬が販売されているのですね! でも、なぜ二か所だけなのでしょう?」


 ヴィオレッタが首を傾いだ。


「単純な話だ。現状、素材が集まっていないんだと。量産が利くようになったら、値段も下がって、利用しやすくなるだろうな」


 現状、ダンジョン産回復薬の正規料金は金貨十枚。だが、産出は極稀であるため、実際にはその十倍以上の値段で取引されている代物だ。


 その為、探索者たちは、回復薬を手に入れても組合に流すことはしない。ただ、手に入れたという情報だけをながし、それを要している金持ちからの接触を待つのが普通だ。


 金貨百枚以上で売れるものを、なにを好き好んで金貨七、八枚で組合に流すというのか。


「問題は、テスカセベルムは制限されそうなことだが。

 冗談じゃなしに毛嫌いされてるみたいだからなぁ。まぁ、仕方ないっちゃ、仕方ないんだが」


 そういってレナートは乾いた笑い声をあげた。


「さてと、それじゃ俺はイリアルテ家に行ってくるよ。面会願えるかどうかは分からないが、先触れをしてくる。

 一応、俺もレアルディーニ侯爵家の人間だし、無下にはされないだろ」


 ゆらゆらと手を振り、厨房を出ていくレナートを、ヴァンナとヴィオレッタは見送った。


「はぁ。これで厄介な面倒事の大半が片付くと思っていたのに……」


 まさか、ディルガエアに来て、気が付かなかった問題を知ることになるとは。


「ジャコモ前軍事大臣はいまどうしているんです? なにか変なことを始めたりしていませんよね?」


 ヴィオレッタの質問に、ヴァンナは顔を引き攣らせた。


「だ、大丈夫。大丈夫なはずよ。失脚させて、権力の類は全部剥がしたもの。なにもできやしないわ。できたとしてもたかが知れてるはずよ」

「でもあの御仁、人脈だけは無駄にもっていましたから、監視していないと、事が発覚した時には手遅れなんてことにも……」


 大丈夫、監視だけは一応、つけてはあるのだ。おかしな動きがあれば、情報がこちらに上がってくるはずだ。

 とはいえだ――


「……やっぱり首を刎ねておけば――いえ、毒でも飲ませて、自殺したことにしておけば良かったかしらね?」

「余計な労力を消費することになってますしねぇ」


 ヴィオレッタの言葉に、ヴァンナは苦笑した。


 確かに、無駄な労力と無駄な金を使っているといえる。だが、だからといって首を刎ねて回っては、単なる恐怖政治になってしまう。


「まぁ、現状は問題ないわ。それに、ここからじゃ、どうにもできないしね。

 さてと、お祭りも始まるのだし、少しは私たちも楽しみましょう」


 そこでヴァンナは、先ほどヴィオレッタが云っていたことを思い出した。


「そう云えば、菓子店に行ってきたのよね? お茶菓子用にいくらか買ってこようかしら」

「私が行った時にはもう、売り切れてました。私は新商品の試作品を頂いたみたいです。ですから、明日の朝にでもいかないと、すぐに売り切れてしまうのでは?」


 ヴィオレッタの言葉に、ヴァンナは目を瞬いた。


「え、そんなに売れてるの?」

「みたいです。というか、当然とも思えます。その、あんなに美味しいお菓子は初めて食べましたから」


 ヴィオレッタも貴族令嬢のひとりである。菓子の類はそれこそいろいろと食べてきたことだろう。その彼女がここまでいうのである。


 いったい、どれほどの菓子であったのだろうか?


「興味が出て来たわね。明日、一緒に買いに行きましょう」


 ヴァンナはそういうと、にっこりとほほ笑んだ。




誤字報告ありがとうございます。

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