127 テスカセベルムの状況
私を女神と呼び止めた者。それは数か月前に関わりをもった赤毛のメイドさん。
……いや、なんでここにいるの? ここ、ディルガエアだよ。
彼女は私の前にまで駆け寄ってくると、姿勢を正した。
「まずはお礼を。その節は、命を助けて戴き、本当にありがとうございました。
そして謝罪を。父の無礼な振る舞いを、私が成り代わり、ここに謝罪いたします。たいへん申し訳ございません」
ちょっ!? こんな道端で頭下げないでよ!
私がオロオロしていると、ベニートさんが助け舟を出してくれた。
「お嬢様、ここでは目立ちます。場所を変えましょう」
「あぁ、うん。あ、ベニートさん、こちらはテスカセベルム王国はバレルトリ辺境伯令嬢ヴィオレッタ様です」
「め、女神様!?」
私が紹介すると、ヴィオレッタが驚いたように声をあげた。
あぁ、大きな声で女神様呼びは止めて!
「ヴィオレッタ様、私はただの平民です。女神様であるなどとは、滅相もないことです」
そう答えたら、いまにも泣き出しそうな顔をされた。
あぁ、面倒臭いな。
私はヴィオレッタの手を引っ掴むと、ベニートさんに案内をお願いした。
【エマのお菓子屋さん】
着いたのはイリアルテ家の経営しているお菓子屋さん。そういえば店名を聞いていなかったけれど、こんな名前だったのか。
エメリナ様の愛称を使ったんだね。
「本当はお嬢様の名前を冠した店名にするとのことだったのですが、リスリお嬢様が反対なさいまして、奥様の名を冠した店名となりました」
「いや、なんで私の名前が候補になってたんですか?」
「何を仰います、お嬢様。この店の菓子のレシピは、お嬢様が伝えたものばかりですよ」
それが答えだと云わんばかりに胸を張ると、ベニートさんは店の扉を開け、優雅に私たちに入店を促した。
「いらっしゃい――ベニートさん!?」
店員さんがベニートさんを見て声を上げた。
うん。店内はこざっぱりとした作りのお店だ。
カウンターがあるだけで、そこに見本のお菓子が置いてあるだけのもの。
持ち帰りの販売専門だから、ここで飲食はできない。
というか、お客さんがひとりもいないね? どうしたんだろ?
「菓子はまだ残っていますか?」
「まだ売りに出していない、試作のものでしたら」
「問題はないのでしょう?」
「えぇ、奥様の許可が下りれば、すぐにでも商品に加えられます」
……あぁ、もう売切れちゃったのね。売れているようでなによりだ。
「ベニートさん、お疲れ様です」
お店の責任者の人かな? 白い調理服ではなく、ベニートさんと同じ執事服のおじさんが奥から出てきた。
見たところ、人当たりの良さそうなおじさんだ。
「少しの間、部屋をお借りしたい。構いませんか?」
「えぇ、もちろん。えぇと、そちらのお嬢様は?」
「こちらが、キッカ様です」
急に紹介され、私は慌てて会釈をした。途端、ざわっと、店員さんたちがどよめいた。
って、え? 何事なの?
うわ、なんかすごい注目されてる。え? どういうこと? なんだか、アイドルでも見るような目で見られてるんですけど!?
というか、ヴィオレッタは完全にメイド扱いだね。いや、確かにメイドの恰好をしているけれどさ。まぁ、テスカセベルムの貴族令嬢とか紹介したら、妙な雰囲気になりそうだけれどね。
かくして、私たちは個室へと案内された。
私とヴィオレッタがテーブルについて、ベニートさんは私の側で控えている。
うん。なんだろう。ヴィオレッタがエプロンドレス姿だから、絵面が微妙におかしなことになっているけれど。
やがて、お茶とお菓子が運ばれてきた。お菓子はショートケーキ。四角いけど。
まぁ、円形の型がないから、私が四角いパウンドケーキの型で作ったのを、忠実に再現しているのだろう。なんとかして円形の型を作るか。でも微妙に歪みそうなんだよねぇ。
そんなどうでもいいことを考えていると、ベニートさんが
「先ほどは失礼いたしました、ヴィオレッタ様。なにぶん、テスカセベルム王国のこととなると、皆、少々神経質になるものですから」
あぁ、戦争騒ぎがあったものね……。
「いえ、お気遣い、ありがとうございます。その辺りの事は、私も自覚していますので。却って助かりました」
ヴィオレッタが再び頭をさげた。
「お嬢様。折角ですので、こちらの菓子の出来栄えの批評を頂きたく存じます」
「批評ですか? 私の評価などでいいのでしょうか?」
「良いもなにも、こちらはお嬢様のレシピより起こされたもの。使われている果実が違っていますが」
レシピは確かにそうだけれど、作ることに関しては、私なんかより本職の皆さんのほうが上だと思うんだけれどなぁ。仕事の丁寧さ加減とか、私みたいに適当に妥協したりしないだろうし。
私、手の抜けるところは抜いてるからねぇ。
まぁ、せっかくだし、頂こう。
フォークで切り分け、ぱくりと一口。
ん? 酸味が強い? レモンっぽいけど、そこまで酸味は強くない。蜂蜜漬けかな? 蜂蜜の甘みを感じるよ。
十分に美味しいんじゃないかな? 小さい子には酸味が強すぎると思うけれど。
それだけベニートさんに伝え、私はじっとヴィオレッタを見据えた。
さぁ、本題だ。
「それで、どうしてディルガエアに?」
折角だから、気になっていたことも含めて、テスカセベルムの状況をヴィオレッタにいろいろ訊いたよ。
ヴィオレッタがここにいる理由は、王太子のお供のひとりとして来たとのこと。
って、サヴィーノ王太子も来てるんかい。
え、いや、本当、なに?
そう思っていると説明してくれた。
今回の王太子の来訪目的は、ディルガエアとの不可侵条約を結ぶため。そのための交渉、というか打診のために王太子自らが来たそうだ。
ほぼ先触れの為だけに王太子自ら出張っていることから、テスカセベルムの誠実さを示そうとしているのだろう。
ディルガエアとテスカセベルムは、いろいろ因縁があるからね。ほら、昔の戦争騒ぎとかさ。
とはいえ、王太子自らって、いいの?
現在、テスカセベルムは、国王乱心の混乱からようやく落ち着きを取り戻したようだ。王太子がやっとのことで実権を掌握したとのこと。もっとも、まだなんとか掌握した程度で、国王派の者が大勢残っているらしいけれど。
そしてそれに伴い、大規模な人事を行なったとのこと。
軍事大臣が更迭されて、後任が決まるまでバレルトリ辺境伯が軍事大臣の代行をするそうだ。そのまま軍事大臣になっちゃえばいいのにと思ったけれど、ダンジョン(【メルキオッレ】というらしい)の管理があるため、大臣職は断ったらしい。
こんなことになった原因は、もちろん、王様の乱心。
……えぇ、私の悪戯ですよ。【錯乱の罠】が仕事をしたようです。というか、し過ぎたようです。
なんでも、王太子殿下が死にかけたとか。私の渡した回復薬(上級)のおかげで、命を取り留めたとのこと。
あぶね。渡しておいてよかったよ。あの王太子はテスカセベルムの良心だろうからね。死なれては困りますよ。
王様乱心の際、護衛の騎士も乱心し、辺境伯に制圧されたとのこと。ただ、膝蹴りと素手で殴りつけただけなのに、ひとりが死亡、ひとりは重症で今もベッドの上だそうだ。
これ、多分私が『死ぬが良い』をやった騎士だよね? でなきゃ、さすがにこうもさっくり死んじゃったりしないと思うのよ。
私の悪戯は、予想以上の効果を発揮したようだ。
うーむ。とくに『ざまぁ』とも思わないし、もちろん『悪いことをしたな』なんてことは微塵にも思わない。というか、本当にどうでもいい感じだな。
それじゃ、あとのふたり。私と一緒に召喚されたふたりはどうなったんだろ?
「私を襲った男は引き籠っています。なにか、外を出歩くことを恐れているみたいですね。
モリス様は【メルキオッレ】で修業を兼ねた探索をなさっています。怪我が多いようですが、問題はないようです」
あれ?
「問題ないのですか?」
「えぇ。なんでも、怪我がたちどころに治る能力をお持ちだとか。あと、肉体の強度も高く、まさに鋼の肉体だと聞いています」
あぁ、異界の神の祝福というか、餞別的に渡された能力か。というか、あの顎割れ、リジェネレーターなのかよ。おまけに肉体の硬化かな? そんな能力もあるんじゃ、【死の宣告】も効果を弱められてるというか、効果を発揮していてもリカバリーされてるんだろうな、これ。
「殺人とかはしてない?」
「大丈夫なようです。ダンジョンで暴れているので、落ち着いているのではないでしょうか?」
ヴィオレッタの言葉に、私は首を傾いだ。
そうなのかしら? 【女を殴り殺すことに無上の快感を覚える男】って聞いていたんだけれど。
あれかな? 無力な女よりも、強者を殺した方が楽しいとか? まぁ、やらかしたら、あの王太子様がなにか対処するだろう。
あ、そうだ、これを云っておかないと。
「あの者たちを召び寄せた召喚器は、すでにアレカンドラ様の下に封じられています。いまテスカセベルムにある宝珠は偽物ですよ。ですので、あの者たちに対する抑止はもはやありませんから、存分に気を付けるよう」
ヴィオレッタが目をぱちくりとさせた。
「え? 偽物なんですか?」
「偽物ですよ。アレカンドラ様が創ったダミーです。神託により、勇神教会には警告が成されていたようですが、無視したみたいですしね。そうなると神様方も手を出さざるを得ないでしょう? 枢機卿がどうなったのかは、ご存じでしょう?」
私がそういうと、ヴィオレッタは青くなっていた。
◆ ◇ ◆
ヴィオレッタと別れた後、ベニートさんに案内されて木工工房と鍛冶工房を回り、イリアルテ家へと戻って来た。
木材はその場で図面通りに切り分けてもらい、金属部品もその場で作ってもらったよ。といっても、ちっちゃい金属板と細い金属棒だけどね。そうそう、ハンドルとなるクランク部分は、金属ではなく、木製に切り替えた。いや、そっちの方が簡単に作れそうだったからね。
作ったのは私じゃないけれど。
そんなわけで、パーツがそろったので、組み立てです。そうそう、接着剤的なモノはなにを使えばいいのか、木工工房で聞いてきたよ。そうしたら、譲ってもらえた。
琥珀色をした何か。
なにかと思ったら膠。うん。いつものインベントリ鑑定だよ。
というか、そもそも膠とはなんぞや?
奥義書に記載されたかな? と思って、奥義書で確認したところ、要は不純物の混じったゼラチン。
ゼラチンですと!?
動物の骨や皮をぐずぐずになるまで煮込んで固めたもの、らしいけれど。そういやゼラチンって、豚の皮から作るんだっけ?
インベントリの分別機能を使えば、不純物を取り除くことは可能。うん、今度、豚の皮を買ってきて、ゼラチンをつくろう。これでお菓子の幅がひろがる。
……残念ながら、レシピの公開はできないけれどね。
いや、ゼラチンの作り方がね。溶かした奴を、目の細かい布で濾せばなんとかなるのかな? なんとかなれば、レシピの公開もできるけど。
と、その辺の実験は今度にして、今はガラポンを組み立ててしまおう。
最初は釘を使おうと思っていたけれど、基本接着剤で組み立て。形状は八角形。側面に球を入れるための穴は、本体と足の間に噛ます木板で塞ぐ。
これで大丈夫かな?
あとは膠が乾くまで、丸一日放置だ。
上手くできているといいなぁ。
ん? 作った理由? そんなもの、面白半分だよ。
誤字報告ありがとうございます。