119 キッカの影響
じっと見つめて待つこと数十分。
蒸留された薬剤が容器にぽたりぽたりと溜まり、最後の一雫がとうとう落ちた。
蒸留器内の表面にはまだ薬剤が残ってはいるが、これを取り出すのは無理だろう。傾けて容器に落とそうとしても、途中で乾いてしまう筈だ。
まだ温かい薬剤を、行儀よく並べてある薬壜に慎重に移し替えていく。これは、簡単に薬を入れることのできる専用の器材を作ったほうがいいのかもしれない。漏斗の小さい奴を作り、倒れないように足でも付ければいいだろうか?
まぁ、それはおいおい考えよう。
ラモナは再び集中する。ここで壜を倒して薬を溢してしまったら、全てが無駄になる。
作った薬は回復薬。十本の壜に薬剤を入れ終え、ラモナはキュッと木製の栓を壜に押し込んだ。先日はキッカのレクチャーの下に作り上げたが、今回はひとりで作り上げたものだ。正直なところ、不安な気持ちがある。
壜のひとつを鑑定盤に載せる。
名称:回復薬(下級)
表示された名称にラモナはほっと息をついた。
この一本一本が、稀にダンジョンより発見されるポーションと同等。金額にして金貨十枚の代物だ。
たった今、ラモナは金貨百枚分の薬を作り上げたのだ。
もっとも、そのためにキッカより譲られた素材は使い切ってしまったが。
あとは花壇に植えた青茜が育つのを待たなくてはならない。『雑草に間違われる』というキッカの言から、念のために鉢植えにしたものを自室にふたつほど置いた。もし雑草として処分されてしまったとしても、全滅だけは免れる。
まぁ、そんなことをした奴は減俸になるでしょうけどね。
まさに金の生る木、いや、金の生る草である青茜だ。大切に育てなくては。
「あと薬壜も発注しないとね。
……そういえば、キッカ様はあの薬壜をどうしているんだろう? 硝子製であそこまで形の揃ったものを生産できる工房ってあったかしら?」
ラモナは首を傾いだ。組合が用意した薬壜は、陶器製のものだ。主に酒瓶を作っている窯元に発注したものだ。
確か、石膏型を取り、量産は可能であるようだ。
だが硝子壜となるとどうだろう? 型吹きの製法なら量産もそれなりに可能ではあるだろう。とはいえ、このサイズの壜となると難しいのではないだろうか?
でも実際にあるんだから、生産されているのよね。どこの硝子工房だろう? 組合本部に問い合わせようかしら?
冒険者組合の本部はサンレアンにある。規模としては王都の方が大きいため、王都支部が本部と思われがちだが。
これは傭兵組合、狩人組合、探索者組合が合併する際、もっとも組合員の多い探索者組合を主体とすることで決定したためだ。
もしサンレアンがディルガエアにおいて、王都に次ぐ規模の街でなかったのなら、こうも簡単に決定はしなかっただろうが。それに本部がサンレアンであったところで、組合各支部が行うことに違いがあるわけではないのだ。
酷い云い方をすれば“総組合長が居る場所”という程度でしかない。
キッカが先日納品していった回復薬と、いましがた自分が造った回復薬を並べてみる。
陶器壜と硝子壜の違いでしかないが、印象が大分変わる。壜自体の価値を考えれば、この硝子壜の方が価値が上となるだろう。
ラモナはほんの少し顔を顰めた。
さすがにこの壜が、異世界の神がことのついでに錬金台にくっつけた機能によるものとは、欠片も思いもしない。
しばし睨みつけるようにふたつの壜を見つめていたが、やがて小さくため息をつくと、ラモナは保管用の木箱に薬壜を納めていく。
仕切りの付いた木箱に薬壜を詰め終えると、ラモナは見本に持ってきていたキッカの回復薬を制服の胸ポケットに押し込んだ。
木箱を抱え、調剤室を出、組合長室へと向かう。薬が問題なくできたことの報告だ。薬壜が用意できなかったため、キッカのレクチャーを受けたものの、今日まで調剤できなかったのだ。
そのレクチャー内容もあまりにも簡単であったため、実際にひとりで調剤できるのか、半信半疑であったのだ。
なにしろ、彼女は神子であるのだから。彼女のなにかしらの影響下にあったからこそ、調剤できたのかもしれないと、疑ってもいたのである。
もっとも、今日の結果から、それは単なる杞憂とわかったが。
二種類の素材と、酒精の強い酒。これだけで魔法の効能を持つ薬を作ることができるのだ。
普通の薬を作るような、薬草を煎じる方法でふたつの素材を薬にしたところで効果はでない、と、キッカは断言していた。いずれ、それも確認してみた方がいいのかもしれない。
それにしても、この分だと、受付担当から調剤担当に異動することになりそうだ。
思わずラモナは苦笑する。
組合二階の突き当りの部屋に辿り着き、ノックを三回。
入室許可の声を聞き、ラモナは扉を開けた。
「失礼します」
「こんにちは、ラモナさん」
入室したラモナは、室内にいる人物に目を瞬いた。
ひとりはこの執務室の主である冒険者組合王都支部組合長、カリダード。そしてもうひとりはキッカであった。それも仮面を外している。
ラモナが彼女の素顔を見たのは、先月末の模擬戦騒ぎの時のみだ。その時も緊張したものだが、二回目である今日もさして変わりはない。
「ラモナ、落ち着きなさい。……気持ちはわかるけど」
「やっぱり仮面を着けていた方がいいですね。こういう反応を楽しめるほど、私の神経は太くないです」
キッカがそんなことをいうと、カリダードは苦笑いを浮かべた。
「それで、結果はどうだったの?」
カリダードが扉の前で立ち尽くしているラモナに問うた。
「は、はい。問題なく調剤できました」
ラモナはふたりの着いている応接用のテーブルの所にまでいくと、その上に木箱を置いた。
「あ、なにか新しい薬ができたんですか?」
「いえ。回復薬ですよ。薬壜がやっと搬入されたので、調剤を頼んだのよ」
「あぁ。統一規格の薬壜となると、大変そうですね」
「キッカ様はどうされているのですか?」
ラモナが問うと、キッカの顔があからさまに強張った。
「えーと、その、それは内緒、ということで。すいません」
「内緒、ですか……」
「はい。内緒です」
それはそれは良い笑顔でキッカは答えた。
そこには、絶対に答えないよ! という意思が感じられる。
「それじゃ、錬金台をお借りしますね」
「調剤ですか?」
「えぇ。解毒薬を頼まれまして。
あ、レシピは必要ですか?」
あまりにあっさりと云うキッカに、ふたりはキョトンとした。
薬のレシピ。それは薬師としては財産だ。それをこんなあっさりと伝授しようとするなど、ありえないことだ。
「あ、あの、キッカ様? そんな簡単にレシピを公開すべきではないのでは?」
「キッカ様、レシピは財産ですよ。それを放棄するのは……」
ふたりの言葉に、キッカはにこりと笑った。
そしてさらりとこう云ったのだ。
「私、人の命で金勘定する輩が大っ嫌いなんですよ」
変わらず、キッカはニコニコとしている。
その様子に、カリダードとラモナは顔を引き攣らせた。
なにか、不穏なモノしか感じない。
「それにですね、錬金術が普及すれば、その内、誰かが見つけるでしょうしね。適当にふたつの素材を合わせて薬にすればいいんですから。
まぁ、大抵は失敗するでしょうけれど」
「それだと、毒なども作れるのでは?」
ラモナが問うた。
「できますよ。でも、毒の素材になるようなものは、もとより毒として使われているものですからね。キツネノテブクロとかですし。わざわざ錬金薬にしたところで、効能はさして変わりませんからね。多分、効能としては却って落ちるかもしれませんよ」
ラモナとカリダードが顔を見合わせた。
「あぁ、それと、レシピの公開云々ですけれど、別に私は利益を放棄しているわけではありませんよ」
急にキッカが、ニコニコとした笑顔から、微かにほほ笑むような表情になる。それこそまさに、女神がそこに佇んでいるように見えた。
自然とふたりは居住まいを正した。
「薬は作り手の技量で、その効能には差が大きく出ます。そして鑑定盤は、それらもきっちりと鑑定してくれます。
レシピが知れ渡った。多くの人が薬を作れるようになった。
ならば、それ以上に効能の高いものを作り上げればいいだけですよ。そうすれば価値がでるでしょう? それこそ、千切れた手足を一瞬で復元できるような薬であるならば」
そういうと、キッカは懐から薬壜を一本、テーブルの上に置いた。
「せっかくですから一本進呈しますよ。多分、売るに売れない代物でしょうし」
キッカは立ち上がり、再度、錬金台を借りると云うと、部屋から出ていった。慌ててラモナがその後を追う。
残されたカリダードは、テーブルの上に置かれた薬壜を見つめていた。
それは、キッカが納品する際に使っている薬壜となんら変わらないもの。
回復薬であることを示す円筒形の薬壜だ。だが、問題は中身だ。
カリダードは震える手でその薬壜を手に取ると、執務机にある鑑定盤に載せた。
名称:回復薬(究極)
分類:薬剤(調剤不能)
属性:薬
備考:
この薬に癒せぬ怪我はない。即死直後であるならば、それすらも癒すだろう。彼の神に感謝せよ。
表示された内容に、カリダードの背筋を、なにか冷たいものが走った。
◆ ◇ ◆
それは、宮廷楽師の何気ない一言がきっかけだった。
王女様の楽の音は、まさに魔法の様ですね。
キッカから譲り受けたオカリナ。それはセレステの一番の宝物となったものだ。
その笛の素材を知れば微妙な気持ちになるかも知れないが、少なくとも見た目は銀のオカリナだ。ほんのりと金色がかってはいるが。
先日、再度キッカと話す機会を得た際に謝罪をしたことで、すっかり気分の晴れたセレステは、思うがままにオカリナを吹いていた。
一日。彼女は楽の音に惹かれて、キッカの下へと兄、アレクスと向かった。
ただ、その時は知らなかったのだ。
キッカが、重傷を負い、死にかけた直後であったということを。
たとえ、噂に聞く回復薬で怪我を治したといっても、影響が残らない訳がない。
後にそのことを知り、セレステは真っ青になったのだ。そしていまにも泣き出しそうな顔で、兄のアレクスを見つめ、彼に罪悪感を植え付けたのである。
アレクスとしては、回復薬で完治しているから問題はないだろうと判断し、セレステになにも話していなかったのが問題だった。
だが、その謝罪も済んだ。
晴れて憂いがなくなり、セレステは気の向くままにオカリナを吹いていた。
もとより、音楽好きな少女である。キッカの下へと、王女という立場であるにも関わらず自ら出向いたのも、聞き慣れない軽快な音楽に惹かれたからだ。
キッカが途中でオカリナで吹くことが破綻した『出荷できるものなら出荷してみやがれ』な曲のような楽曲を、セレステ王女は聴いたことがなかったのだ。
アップテンポな曲はある。あるが、ここまで激しい曲となると、宮廷楽師ですら知識になかった。
そのため、キッカの音楽知識に対し、彼が並々ならぬ興味を抱いているのだが、それはまた別の話だ。
セレステの奏でる曲の異常に最初に気が付いたのは、母親であるオクタビアであった。
気持ちの変化が激しすぎる。
今にも曲に合わせ踊りたい気分であったのに、急に穏やかな気持ちになるというのは、さすがにおかしい。
訝しく思っていたところ、セレステが子守唄を演奏している最中に、急に意識を失くして倒れるなどということがあれば、それは確信に変わる。
「その笛を鑑定してみましょう」
オクタビア王妃殿下の言葉に、セレステ王女は頷いた。
さすがに演奏中に寝落ちするというのは、異常である。
かくして、鑑定結果はというと――
名称:魔法のオカリナ
分類:魔笛・効果増幅
属性:楽器・笛
備考:
魔銀と骨の笛。奏者の感情を曲に載せ、増幅する効果をもつ。軽快な曲を吹けば、聞き手は気分が高揚し、穏やかな曲を吹けば、聞き手は和むだろう。この効果は奏者にも及ぶ。故に、悲劇的な曲を吹くことはお勧めしない。本物の悲劇を招くであろうから。
「この笛を頂いた時に、キッカ様から注意を受けましたか?」
「いえ、なにも」
王妃殿下は口元に手を当て、考え込んだ。
これまでのキッカの行動を知る限り、説明をしないとは思えない。
これにはどういった意図があるのだろう?
「母上、思うのですが、キッカ殿も知らないのでは?」
「ご自身で作られたというのに?」
アレクスの言葉に、オクタビアは眉をひそめた。
「この笛自体には、魔法らしい魔法は掛かっていません。楽曲の雰囲気を増幅する笛、ということでしょう?
これは素材に魔銀を使用したことが原因なのでは? 魔銀は『魔力伝導の高い金属』なわけですし」
オクタビアは考え込んだ。
魔銀の加工品というのは、それなりの数が存在している。だがそれらが魔法の物品となったとなど、聞いたことはない。
だが彼女は、七神全てより加護を授かった稀有な存在だ。
そして、先日献上された神剣のこともある。
彼女が神々から愛されていることは間違いない。なればこそ、彼女の知らぬ力も授かっているのかもしれない。
ひとり頷くと、オクタビアはアレクスに答えた。
「そうね。それに、私たちがどうこう話したところで、推測でしかないもの。次にキッカ様が王宮においでになった時に、このことを訊ねてみましょう」
母の言葉に、アレクスとセレステは頷いた。
そしてオクタビアはこう、言葉を続けた。
「それとセレステ。子守唄とか、悲し気な曲を演奏するのは禁止ですよ」
◆ ◇ ◆
余談。
キッカは侯爵邸に戻った後、あることに気が付き頭を抱えていた。
薬が足りない。そして減ったはずの上級回復薬が何故かある。
理由は分かっている。なんてことはない、渡す薬を間違えたのだ。
上級回復薬と思って渡したものが、究極回復薬であったということだけだ。
「どうしよう……」
嘆くもどうにもならない。
先日の騎士による襲撃事件より、懐に究極回復薬も一本持ち歩くことにしていたのが、今回のミスの原因だろう。
懐に入れて置いたことを、すっかり忘れていたのだから。なにしろ、ないはずの上級回復薬があることから、やらかしたと分かったのだから。
問題なのは、あの薬は生産不可能であるということだ。それこそ神の御業の代物である。
「わ、渡す薬を間違えましたって、正直に云うしかないかな」
それはそれで、とんでもなくみっともない。だが、このままだと、遠回しに自分は女神だと云っているようなことに成り兼ねない。
かくして、キッカは頭を抱えるのであった。
感想、誤字報告ありがとうございます。