118 吸血鬼の影響
トントントントン。
「入れ」
響いたノックの音に、マルコスは事務的な返事をした。
その目は扉には一切向かず、手元の書類から離れることはない。
マルコスは顔を顰めた。
「まったく。前回の嘆願書を文言を変えただけではないですか。国は叩けばお金を吐き出す便利な箱ではないのです。
今後は徐々に取引を減らす方向にしましょう。まさか代替わりでここまで酷くなるとは……」
「閣下? あぁ、モンドリアン商会ですか。あそこは代替わりとは、少々違いますよ。お家騒動的なことがあったみたいですね。先代は新たに商店を興して、再起を図ってます」
入室してきた者の言葉に、マルコスは書類から顔を上げた。
目の前にいるのは、秘書官のアンセルマ。先ほど、とある案件の確認の為、一時退室していたのだ。
「戻りましたか。それで、バスケス子爵の件はどういうことだったのです?」
「綱紀粛正の一環のようですね。兵士達を徹底して鍛え直すそうです。そのために、教官に相応しい人物の紹介をこちらに求めたようですね」
その答えにマルコスは納得した。いきなり老エスパルサ殿の紹介を求めて来たため、何事かと思ったのだ。
エスパルサ公爵家前当主、サロモン殿は黒羊騎士団団長を務めた偉丈夫だ。長きにわたり将軍のひとりとして、軍部の一角を担ってきた。特に部下を厳しく鍛えていたことで有名な人物だ。
「双子の孫が生まれてからは、単なる好々爺になったと聞きますが、また鬼の将軍に戻ってくれますかね?」
「どうでしょうね? 無理でしたら、バレリオ卿に鍛えて貰えばよろしいのでは? 今は組合から離れましたから、多少は時間を取っていただけるのでは?」
「どうでしょうね。いまはキッカ殿の後見をしていますからね」
「あぁ、神子様ですか。私はお会いしたことがありませんので、なんとも意見を云えませんが」
アンセルマが生真面目な表情のまま、僅かに首を傾いだ。
「敵に回すようなことは絶対にしてはならない人、ですね。これは教会云々関係なく。本質がまるで見えません。先日、レブロン男爵に関することで、彼に対する罰則の話をしたわけですが、その際の彼女の意見が本気なのか冗談なのか、判断がつきませんでしたしね」
「神子様はなんと仰ったんです?」
「自分に課した法を徹底させろと」
「? それになんの問題が?」
「町の出入りに金貨二百枚だそうですよ。バッソルーナは」
アンセルマは目をぱちくりとさせた。
「え? 神子様は支払ったんですか?」
「えぇ。白金貨四枚。しっかりと。連中は払えないと思って吹っ掛けたんでしょうけれどね。実際、彼女にだけこれを課したとなると、大問題なのですよ」
「……男爵はなんと?」
「監督不行き届きをさっさと認めて、こちらに謝罪して終わりですよ。現場を切って終わらせるつもりのようです。自身の管理責任を認めたわけですから、返金は最低でもなされるべきなのですが、現状、いまだにされていないようですね」
「問題じゃないですか!」
アンセルマが驚いたように声を上げた。
「芸術祭がすぐですからね。現状、後回しになっているんですよね。ですが、正直なところキッカ殿が大人しくしているのが気が気でないのですよ」
「独自に報復を行うということですか?」
「えぇ。ですが……まぁ、その前に確認を取りにみえるでしょうが」
「……報復をしてもよいかと?」
「えぇ。怖いんですよねぇ。領地間戦争の扱いでお願いしますといわれると、認可することになりそうですからね。なにより、レブロン男爵は嬉々としてそれを受けるでしょう」
「……問題しかありませんね。それにしてもレブロン男爵、ハロン醸造所を買ったあたりから、随分と傲慢な性格になりましたね。それまでは、噂にも上らない、うだつの上がらない人物と評されていたと思いますが」
アンセルマの容赦ない言葉に、マルコスは苦笑いを浮かべた。
「王家に要請書なんてものを送りつける時点で、人が知れます。国王陛下を始め、王家の皆さまはすべて彼を敵認定していますからね。なにかやらかそうものなら、すぐに爵位を剥奪されるでしょう。
それだけに、今回は単なる監督不行き届きで逃げられたのが悔しいのですけれどね」
「それなら、面白い情報を手に入れましたよ、閣下」
不意に聞こえた男の声に、ふたりはビクリと震えた。
すると、いつの間にかアンセルマの隣に、無表情な男がひとり立っていた。全身を黒で統一した服装の青髪の男。
すぐ左隣に現れた彼に気付き、アンセルマは一歩右に移動した。
マルコスは男の姿を確認すると、深く息をついた。
この人物は、男爵領の調査に向かわせた密偵のひとりだ。
「あなたでしたか。驚かせないでください」
「失礼。だが我々は存在しない者。正式な手続きを以て入室するわけにはいきませんからね。
では閣下、報告を。あぁ、いや、その前に鑑定盤をお借りできますか?」
男の言葉に、マルコスは机の端に置いてある鑑定盤を指示した。すると男は鑑定盤の向きを変え、ふたりには見えないように自身の鑑定を行う。
この鑑定盤は、書類の真贋を確認するために置いてあるものだ。稀にだが、偽造された書類などがあがってくることがあるのだ。
自身の状態を確認した男の表情に、一瞬、変化が現れた。
「あぁ、やはり」
「どうしました?」
「状態異常を起こしていますね。【魅了(毒):第一段階】と表示されています」
男の言葉に、マルコスが目を見開いた。
「あなたが毒を盛られたのですか!?」
「あの町で情報収集の際、飲食をしましたからね。盛られたのか、それとももとよりすべてに毒が入っていたのか」
男は鑑定盤の向きを戻すと、再び直立不動の姿勢をとった。
「恐らくですが、調査に関わった者全員がこの状態でしょう」
マルコスが眉根を寄せた。
「あなたがその状態というのも困りますね。しかし『毒』ですか」
「恐らく、閣下が調査を命じられたワインによる状態異常でしょう。第一段階と表記されていることから、蓄積型の毒と思われます。
最終段階になると、いったいどうなるのか。考えたくもありませんね」
「問題はないのですか?」
「現状は、多少、思考に違和感を感じている程度です。段階が進むと、この違和感を感じることもなくなるのでしょう。洗脳されるようなものです」
マルコスは頭を抱えた。まさか王国の精鋭である密偵部隊が、このような状態になるとは思いもしなかったのだ。
いったい、レブロン男爵領はどうなっているのか。
密偵部隊は非公式部隊であるため、この現状を公にすることはできない。
「あの、とにかく解毒はしないといけないのでは?」
「とはいえ、これはただの毒ではないからな。解毒剤を作ることができるのかも不明だ」
彼の言葉に、アンセルマは首を捻り考え込んだ。
「キッカ様に依頼はできないのですか? なんでも、毛生え薬を開発したとか聞きましたし。解毒剤くらい作れそうな気がするんですけれど」
「そうですね。訊いてみる分には問題ないでしょうし。手間を取らせてしまいますが、王宮においで願いましょう。アンセルマ、馬車の手配など頼みますよ」
「畏まりました」
アンセルマは自席につくと、書類の作成に掛かり始めた。
「まずは報告を。我々の対処については、その後でお願いします」
そういうと、彼は調査結果を報告し始めた。
結論からいうと、特に問題は無し。ただ、領都バッソルーナの住人の、男爵に対する忠誠心が異様に高いということ。
次いで、追加で調査命令のあったレブロン・ワイン醸造所について。
こちらも特に問題は無し。だが――
「昨年分のワインの一部が行方不明となっていました。これに関しては、その樽と思われるものを男爵邸………別邸で発見しています。これは男爵家が個人消費するための物とは別の物です。
あと、閣下からの追加調査命令がありましたので、それらの樽から少しばかりくすねてきました」
そう云うと彼は、タグの掛けられた小瓶を四つ机に並べた。
タグには『醸造所』『領邸』『別邸』『酒場』と記してある。
それぞれを鑑定盤に載せ、確認していく。
結果――
醸造所:上質なワイン
領 邸:魂を誘引せし血の酒
別 邸:呪血の混じったワイン
酒 場:魂を誘引せし血の酒
「あぁ、どうやら酒場での情報収集が原因ですね。となると、領民のあの状態は、さらに進んだ段階ということでしょう」
「由々しき事態ですね。とはいえ、酒場の酒が毒入りと分かっただけでも、十分に捜査部隊を出せる案件です」
「別邸のワインは、醸造中のものということなんでしょうか?」
アンセルマの言葉に、マルコスと彼は顔を見合わせた。
「どうなんです?」
「恐らくは。ですが閣下、それよりも問題は混ぜられた『血』がなんであるのかです。一体、なんの血であるのか不明です」
「……おおよそ、推測はついているのでしょう?」
マルコスの言葉の意味が分からず、アンセルマは彼らふたりの顔を交互に見つめた。
「オルボーン伯爵が召びだしたモノの血かと」
彼の言葉に、マルコスは深くため息をついた。
「そうでないことを祈りたいものです。殺すことのできないモノなど、相手にしたくありませんからね」
マルコスはそう答えた。
だが、その翌日。国王陛下の執務室に置かれていた手紙により、その願いは絶たれたと知ることになる。
◆ ◇ ◆
「それで、本当に吸血鬼とはなんの関係もなかったのね?」
「はい、と、云いたいところですが、確証はありません。猊下」
ファウストがビシタシオンに答えた。
ビシタシオンの懸念。それは、現状、何処かで跋扈している吸血鬼の存在だ。
先日の不死の怪物の件も、それに類するものではないのかと考えている。だが、件の不死の怪物は現在、王宮に捕らえられている。
なんでも、意思の疎通が可能であるとのことだ。もっとも、その不死の怪物はまともに話すつもりがないようだが。
そしてキッカを毒牙に掛けようとした治安維持隊の連中。彼らは強姦目的で女性を攫っていたわけだが、その後、彼女たちはどうなったのかだ。
女性たちの処分はリーダー格であったビセンテが行っていたという。
猛獣の巣穴に遺体を放り込んていたとのことだが、ビセンテ以外は誰もその現場を見ていない。そしてビセンテもその場所をかたくなに云おうとしないのだ。
キッカ特製の自白剤を使ったのにもかかわらず。
猛獣の住んでいる場所は確認してある。当たり前のことだが、近寄らないようにするため、住人には知らせてあるのだ。
特に問題のない場所に住みついているのならば、わざわざ討伐をしにいくこともない。
ビセンテが遺体処理に使っていたのは、その何れかだろうと思われていた。だが、一切、その痕跡がないのだ。人を丸呑みにできるような獣でもなければ、なにかしらの痕跡は残るはずだ。だが、それらは確認できなかった。
「考えにくいけれど、土竜の巣穴に放り込んだってことはないわよね?」
土竜。もぐらではなく、竜の近縁種である大型の蜥蜴だ。モグラは、アムルロスでは地鼠と呼ばれている。
「場所が遠すぎます。一応、確認はしましたが、土竜はもういませんでしたよ」
「いない?」
「えぇ」
「えぇ……どこに行っちゃったのよ。あれが消えたと云うのも問題よ」
「注意喚起はしてあります。王宮にも連絡済みです」
抜かりのない仕事に、ビシタシオンは満足したように微笑んだ。
「それなら、後は赤羊騎士団に任せておけばいいかしらね。
……あぁ、エリーズはどうしているか知らないかしら?」
「自室に引き籠っていますね。話に聞いたジョスリーヌ主教と同じことになっているようです」
その言葉を聞き、ビシタシオンの微笑みが冷めたものになる。
地神教を虚仮にしたのだ。しっかり働けというものだ。
「そう。あとは後任が来るのを待つだけね。不良な者はとっとと引き取ってもらわないと」
「月神教からはなんと?」
「詫び状は届いたけれどね。いまは後任の選定中だそうよ。まぁ、主教となると、そう人数もいないものね、時間はかかるわね」
ビシタシオンは肩を竦めた。
地神教を侮辱するような真似をした無駄飯食いを置いておくことは我慢ならないが、かといって、教会から放り出す訳にもいかない。
特に、数日後に行われる芸術祭では、教会は月神教が中心となって参加することになっているのだ。
「と、話が逸れたわね。ビセンテだけれど、件の吸血鬼と繋がりはないのね?」
「確認がとれません。ですが、可能性はあるかと」
「そういえば、確証がないと云っていたわね。どんな懸念があるの?」
執務机に肘をつき、組んだ手の上に顎を載せてビシタシオンが問うた。
「奴の云う猛獣が、吸血鬼である可能性が」
さすがにビシタシオンも、その答えに顔を強張らせた。
「こうなってくると、王宮に捕らえられている不死の怪物に関しても、調べてみたいものね。
お願いしてみようかしらね」
「アキレス王太子であれば、申請すれば問題なくできると思われます」
ファウストの答えを聞き、目を瞑ると眉根を寄せる。
「んー……よし。時期だけにちょっと迷惑を掛けてしまうかもしれないけれど、放置するわけにもいかないしね。
その不死の怪物との面談を王宮に求めましょう」
「了解しました。手はずを整えます。面談は我々が」
さりげなく付け加えるあたり、ビシタシオンは苦笑いをするしかない。
「もう昔みたいに無茶なことはしないわよ。教皇の立場の者が、軽々しく公式に動くわけにはいかないもの」
「……猊下」
「だ、大丈夫よ。お忍びで動くにしても、無茶はもうしないから」
「お願いしますよ。下手をすると殉教者がでますので」
ビシタシオンの口元が引き攣る。
殉教者。といえば、ある意味、聞こえはいいのかもしれないが、この場合は単なる自殺でしかない。それも、教皇の我儘が原因で引き起こされたモノ。
猊下を止められなかった責任を! ということだ。
キッカ様がかたくなに『神子ではありませんよ』という気持ちが分かるわね。
そんなことを思いながら、ビシタシオンは王宮に送る書状を書き始めたのだった。
誤字報告ありがとうございます。