108 八ノ月一日の出来事
ディルガエア王アダルベルトはご満悦だった。
勲章伝達式において、目論んでいたことがうまくいったのだ。もともとはアレクス王子付きの護衛である、近衛隊のレオナルドの発案であったのだが、それにアレクスが賛同。その案を聞いたアダルベルトがご機嫌な調子で推し進めたことがうまくいったのだ。
その際に、少々アダルベルトの悪戯心が働いたのは言うまでもない。
元々は勲章伝達式の際、玉座の両脇に控える近衛ふたりが新調した金色の鎧で参加する。というだけのものであった。だがそこでアダルベルト国王陛下はこう云ったのだ。
「絶対に微動だにするな」
近衛隊隊長ヘルマンとエルナンは国王の命に怪訝な顔をした。
「陛下、それはいったいどう云った理由でしょう?」
「そうしておれば、絶対に彫像と勘違いする者がおるだろう?」
ふたりは呆れた。
「陛下、お戯れもほどほどにしないと……」
「また王妃殿下に叱られますよ」
「待て待て、実際的な理由もあるのだ。黄金の彫像と勘違いして、私を諫めるのであれば良き忠臣だろう。だが、ただケチをつけるだけの輩は、今後、注意すべき者、ということだ」
ヘルマンとエルナンは顔を見合わせた。
「陛下。確かにそのような者は問題でしょうが、危険視するようなこともないのでは?」
「だからこそ問題なのだ。己の思い込みだけで、あれこれ引っ掻き回されるのは我慢ならん」
「……あぁ、レブロン男爵ですか」
ふたりは納得した。
このところのレブロン男爵の行動は度を越しているのだ。
先日王家に送り付けられた、陳情書と銘打った要請書など最たるものだ。
しかも厄介なことに、不敬罪に問えるほどには至らないのである。
もし現状で厳罰にでも処そうものなら、自身が暴君と罵られよう。かといって、放置しようものなら無能と嘲られよう。
「どうせなら国家転覆を狙っているとも取れるような暴言を吐かせたい」
アダルベルトは遠い目をしていた。
「へ、陛下、落ち着いてください。彫像のように立つことは致しますから」
「あの鎧の厳めしい面は、確かに彫像と思われるでしょう。人面を模した兜など、少なくとも私はこれまで見たことがありませんでしたから」
こうして、もっともらしい理由をつけた国王陛下の悪戯が始まった。
実際、財務に関わる者たちからは苦言を呈された。そしてその苦言を呈した者にはネタ晴らしをして安心させ、その後、鎧の値段を告げることで頭を抱えさせるという二段構えだ。
いや、鎧が魔鎧であるということを、思い出したように付け加えたことも含めると三段構えか。
彼らの途方に暮れたような顔を見て、まさにアダルベルトはご機嫌だった。
ここ数日で起こった問題が、アダルベルトに過度のストレスを与えていた反動であったのかも知れないが。
王都で起きた事件だけでも、不死の怪物の王宮への侵入。その不死の怪物による、城下でのキッカへの襲撃。王都治安維持隊と聖堂騎士団の衝突。治安維持隊隊員による連続殺人。
いずれも、あってはならないことばかりなのだ。
更には、オルボーン伯爵家とパチェコ子爵家を取り潰しとするため、双方の領地に送る代官の選定もしなくてはならない。
後の、立候補や推薦が多数来ることを考えると、胃が痛くなる思いだ。
とはいえ、勲章伝達式はつつがなく終わった。
懸念していたレブロン男爵による、式典の妨害もなかった。もっとも、終了と同時に男爵は宰相に連行され、別室で長い長い話し合いとなっているようだが。
恐らく、なにかしらしようとしたところを取り押さえられたのだろう。近衛は良い仕事をしている。
宰相の分の料理を取りおくように、侍女に指示しておかなくては。
「陛下、そろそろパーティ会場の方へと移動しましょう」
「ん? そうだな。今年はバレリオ卿に無理を云って頼んだのだ。楽しみだ」
アダルベルトは玉座から立ち上がると、近衛ふたりを従えて会場へと向かって歩き始めた。
◆ ◇ ◆
「アレクス、いったいどういうことなの!?」
ディルガエア王妃オクタビアは、息子の両肩を掴んで問いただした。
キッカをイリアルテ家の控室へと送り届け、今はパーティ会場へと向かっている途中である。
「は、母上、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか! アンララー様が顕現なされているなんて、私は聞いていないわよ!」
「キッカ殿はアンララー様ではありません。少なくとも、当人はそう云っております!」
息子をガクガクと揺する手が止まった。
「……違う?」
「はい。あのかたはキッカ・ミヤマ殿。アレカンドラ様をはじめ、七神全てより加護を受けし方です」
「……」
息子の言葉を聞き、オクタビアは目を瞑り、顔を顰めた。
更には首も捻る。
「待って。ちょっと待って頂戴。いま気が付いたけれど、なぜそのようなお方が侍女の恰好などしていたの!?」
祝福ではなく、加護を受けし者。それも、七神全てからとなると、それこそ神の使いとでもいうべき方ではないのだろうか!?
母に問われ、今更ながらにその事実に気付き、アレクスは顔を引き攣らせた。
「そ、それは、本日のパーティに出されるお菓子をキッカ殿が担当されていたからだと」
「エマはなんてことをしてるの!?」
熱心な月神教信者であるオクタビアにとって、イリアルテ侯爵夫人エメリナのやっていることが信じられなかった。
女神様に料理の準備をさせるなんて!
「ちょっと抗議してくるわ!」
「ちょ、母上!? キッカ殿は普通に接してほしいと――」
ずんずんと突き進んでいく母の姿に、アレクスは慌てて追いかけた。
◆ ◇ ◆
本日のパーティの為に用意された食材の確認に、イリアルテ家の者たちはてんてこまいだった。
食材は最優先で確認し、すでに調理が開始されている。現在調べているのは、デザートとして出される果物。そして酒である。
おかしなものを紛れ込まされでもしたらたまったものではない。ましてそれが毒物ともなれば、大事だ。なにしろ、いまだイリアルテ家には嫌がらせが続いているのだから。
故に、それらの確認作業はしっかりと行われていた。
だが、これらの確認作業はいたって簡単だ。鑑定盤を用いるのである。
おかしなものが紛れ込んでいても、鑑定でそれと分かるのだ。まったくもって便利である。
「お、奥様、大変です!」
血相を変えた侍女の様子に、エメリナは眉をひそめた。
よく訓練された、イリアルテ家の侍女たちである。そう簡単に動揺することなどない。
「どうしたの?」
「ど、毒がお酒に!」
『毒』などという言葉に、エメリナの表情が険しくなった。
鑑定盤には、陶器製の酒瓶が載せられていた。近くに同様のデザインの酒瓶が詰まった木箱がある。
問題の酒は、この葡萄酒に紛れ込んでいたものだった。
エメリナは映し出されている鑑定結果に目を通した。
名称:魂を誘引せし血の酒
分類:呪われた酒
属性:毒[魅了]
備考:
ある人物の血の混ぜ込まれた葡萄酒。飲んだものの寿命を延ばし、老化を抑える効果がある。だが、その代償として自我が薄れ、酒に混ぜ込まれた血の持ち主に服従することになる。あなたは若さを取りますか? それとも、人間、辞めますか?
鑑定結果に、エメリナは言葉を失った。
なんなのこれは!?
得体の知れない酒。それも、何者かの血の混ぜられたものだ。
これまでに受けた嫌がらせから、対策のひとつとして一本一本、葡萄酒の鑑定を指示したことが、功を奏したようだ。
「これは、陛下に注進しないといけないわね」
そう、エメリナがぼそりと呟いた時、バタンと厨房の扉が開いてオクタビア王妃殿下がずかずかと入ってきた。
「エメリナ、いったいなんてことをしているの!」
突然の王妃殿下の登場にもエメリナは動じず、ただ口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「ふふ。手間が省けたわね」
そう呟くと、自分を捜してキョロキョロとしている王妃殿下に手を振った。
◆ ◇ ◆
「やっと戻って来たー」
「つーかーれーたー」
すべての仕事を終え、侍女たちが宿舎に戻って来た。
すでに時刻は夜半に差し掛かっている。
本日のパーティは本当に大変だった。給仕は、貴族の子息の皆さまの仕事であるため、侍女たちの仕事はなかった。だが、厨房から会場へと料理を運び、空いた皿を回収し、洗うのは彼女たちの仕事である。
とくに今年のパーティは、国王陛下の気まぐれであるのか、急遽イリアルテ家に料理を任せたということもあり、王宮付きの侍女たちとの連携に若干のもたつきがあったことも、彼女たちの疲れを増進させたのだろう。
「お腹空いたよー」
「賄い、美味しかったけれど、まともに食べてる時間がなかったね」
「なにかないのー?」
「今日のお菓子作りのために、ここの厨房を貸したのは知っているでしょ。作り置きの料理なんてないわよ。明日まで我慢して」
いまさらながらに厨房を貸し出していたことを思い出し、侍女たちは空きっ腹に手を当て項垂れた。
ふぁっ!?
厨房から聞こえてきた妙な声に、みながぞろぞろと厨房へと入って来た。
ランプの明かりの下、見えた物。それは綺麗に掃除された厨房だった。
「え? ここどこ?」
「なに寝ぼけてるのよ。宿舎の厨房に……え、どこよここ」
「お鍋がみんなピカピカになってる」
「あ、これ、三年前に黒焦げにした鍋だ」
「あぁ、あんたが小火騒ぎ起こした時の。って、なんで捨ててないのよ!」
「ピカピカになってる……」
まるで新築のように綺麗に掃除された厨房。掲げられたピカピカの鍋を見、侍女たちは呆然とした。
「あぁ、さすがキッカ様です。素晴らしいです」
「マリサ、キッカ様って、ここの厨房を使った人?」
「えぇ、そうですよ。そしてここに、キッカ様より頂いた『ろぉるけぇき』なるお菓子があります。本日のパーティにだされたものです。諸事情により少々形が崩れてしまったものですが。ここにいる皆で食べましょう」
マリサがバスケットを皆に見えるように掲げた。
「こ、この時間に甘いものか……」
「数が少ないですからね。少々控えめに切り分けても、いいところ二十数人分しかとれませんよ」
「食べる!」
「みんな静かに。厨房の扉を閉めて。ほかのみんなに知られないように、こっそり食べるわよ!」
テーブルに移動し、その上に載っているものに気が付いた。
「あれ? これなんだろ? 手紙?」
それはキッカの残した礼状だった。
『お仕事お疲れ様です。
本日、ここの厨房を使わせて頂いた者です。使い勝手がよく、手入れの行き届いた厨房で、助かりました。
お礼と云ってはなんですが、スープを作っておきました。よろしければ食べてください。
こんな得体の知れない物! とするならば、お手数ですが処分してください。ただ、その場合は私が悲しみます。
本日はありがとうございました』
「……私たちがお腹を空かせて帰って来るって、わかってたのかな?」
「あ、ちょっとあんた、なにひとりで飲んでるのよ! ちゃんとあっためなさいよ!」
「なにこれ、すっごい美味しいんだけれど。具沢山でシチューみたい」
その声に、皆が大なべの所に集まって来た。やはり食事であるなら、お菓子よりはシチューのほうがいい。お菓子はデザート枠だ。
すでに冷え切ってしまっているため、皆、味見程度に皿で呑んでいるだけだ。
「わ、冷めてるのにおいしい」
「透き通ってるのに塩スープじゃない」
「……マズい」
マリサの言葉に皆の動きが止まった。
「ちょ、マズいって、マリサ。あんた舌がどうかしちゃったの!?」
「え? あ、違うわよ。そうじゃないわ。これ、料理長案件よ。私たちが全部食べちゃったら、へそ曲げるわよ、料理長。さすがにそれはマズいでしょ!」
マリサの言葉に、皆の顔に失望の色が生まれる。
折角の食事なのに、食べられない。
ぐぅ~。
誰かのお腹が鳴った。
「キッカ様は私たちのために作り置いてくださったのです。食べないなんてありえません。とりあえずそのスープは温め直しましょう。それから誰か料理長を呼んで……いえ、副料理長を呼んで来て。料理人の誰かが食べていれば問題ないわ!」
ここは男子禁制の侍女宿舎である以上、男性である料理長を入れる訳にはいかない。なにしろ、ここにいる殆どが貴族の令嬢であるのだ。
「私、呼んでくるね」
侍女のひとりが駆けだしていった。
「ね、ねぇ、マリサ、キッカ……様って、その、何者なの?」
同僚に問われ、マリサは考え込むように頬に右手人差し指を当てて首を傾ぐ。
考えること暫し、そして彼女はこう答えた。
「女神様です」
誤字報告ありがとうございます。