105 百匹近く始末したんだけれど
『―――――――――』
言音魔法を発動し、時の流れがゆっくりとなる。
この言音魔法はかなり特殊だ。まず、自分と自分以外で、時間の流れの減速の度合いが違うのだ。
自分は四割速度が遅くなるが、それ以外は六割遅くなる、というような感じに。実際はどの程度遅くなっているのかは知らないけど。云い方を変えれば、自分が加速したともいえる。それだったら、自己加速とでもいうべき魔法なのだろうが、もうひとつ効果がある。いや、効果外とされるというのが正しいな。
それは術者の思考速度。これは本来のままなんだ。だから、ゆっくりと流れる時間の中、余裕をもって考え、動くことができるようになる。正直、これはかなりの利点だ。
時間を止めた方が良いだろうって? あぁ、それをやるとね、多分、すべて物が無敵になるよ。変化を起こせないから。というか、自身をその魔法の効果外にしないと、止めた意味がまったくなくなるよね。自分も止まっちゃうから。
そもそもこの魔法、世界の根底そのものに影響を及ぼすものだから、かなりとんでもないものなんじゃないのかな。常盤お兄さんはどうやってこれを実現したんだろ?
時間軸管理者に怒られたりしないんだろうか?
……まぁ、魔法のリストに入っているんだから、大丈夫なんだろう。
いや、考えなしに使っちゃったからね、今。ちょっと不安だよ。
さて、この言音魔法を使ったのには、もちろん理由がある。
それは前方にいる二匹のゴブリン。アッハト砦の門の前で、見張りをしているのだろう。この二匹を、この見張りとして立っている姿勢のまま始末したいのだ。
手早く矢を番え、弓を引き、射る。当たったかどうかも確認せず、もう一匹に向け、矢を射る。
時間が減速しているおかげで、恐らく、傍から見た私の動きは、まるで早回しの映像みたいになっていることだろう。
矢は狙いたがわず、ゴブリンの喉を貫き、その体をすぐ背後の石壁に磔にした。
よし。狙い通り。こいつらには倒れてもらっては困るからね。遠目で見た時に、しっかりと見張りをしていると思われて欲しい。
なにしろ、一番目立つ場所でもあるだろうし。
と、魔氷の弓と鉄の矢はインベントリにしまわないと。こっから先は、攻撃魔法で仕留めていく予定だからね。
今回は手を抜いて、完全にチート仕様の装備で臨んでいる。といっても、この間作った【不可視】の指輪を五つ身に付けているだけだけれど。あとは攻撃魔法の魔力軽減の指輪とペンダント。そして、仮面をララー姉様に作ってもらった幻影(?)の仮面の正式版から、竜司祭の氷仮面に変更している。
鎧関連は暗殺者の鎧だ。
折角なので、攻撃魔法の修行をしようと思うのです。
困ったことに、実際に敵を攻撃して打撃を与えないと、技量が上がらないんだよね。だから魔法の空射ちしても無駄なんだよ。むしろ、空射ちして技量が上がる魔法の方が少ないね。【守護円陣】とかぐらいかな?
それじゃ、砦内に侵入しよう。
身を屈めたまま、膝丈ほどもある草を掻き分け進んでいく。
門を成していたであろう、木製の大扉は焼け落ちていた。門の上部の石が煤で黒くなっているのが酷く目立つ。
ゴブリン共が突入するのに火を点けたのか。どうやったんだろ? 油でもぶっかけないと、木製とはいえ、あんな分厚い扉は燃え上がったりしないよね。
砦に入ると、そこは広まった場所。まぁ、物資とかを搬入するためには馬車を使うだろうから、門の所がこうなっているのは当たり前だ。
でも、解体された人間が串刺しになっているのは当たり前じゃない。頭部と胸部のみの焼かれた人間が、まるでオブジェのように飾られている。胸部は骨のみになっているから、いわゆる肉の部分は喰われたのだろう。そこらに肉のこびりついた骨が転がってるし。
……あぁ、うん。なんというか、真っ黒こげになっているのと、あまりにも現実味がないから、実感というか、いわゆるグロ耐性の限界を突破して吐くとかいうのはないよ。
うわぁ……。と、思って、それで終わり。
本物の人なんだろうけど、なんだか作り物として脳が認識してるみたい。
もしかしたらこれも現実逃避なのかもしれない。
そういや、ヴラド公もこんなことしてたんだっけ? さすがに焼いたりはしなかったと思うけど。
苛烈で残虐な面が強く伝わっているけど、当時の情勢とかを調べると、ヴラド公って君主としては有能だったんだよね。というか、そのおかげで国が存続できたようなものだし。……もっとも、元から残忍な性格だったのかは知る由もないけど。
……現実を見つめようぜ私。いまはこっち。
周囲を見回す。そこらにひっくり返って寝てるゴブリン共は無視して、まずは砦を囲んでいる壁の上に登らなくては。ぐるりと一回りして、壁の上の見張りを片付けていこう。
さて、階段を探すとしよう。
◆ ◇ ◆
「ごめんなさい」
夢の中での、ララー姉様のいきなりの謝罪に私は口元を引き攣らせた。
うん。嫌な予感しかしない。
「え、えーと……今度は何事でしょう?」
「そ、そのー、前に秘密組織の話をしたじゃない」
「あー。月神教のやつですよね。私が勢いでアンララー様の使徒みたいなこと云っちゃったせいで、急遽、設立することになった」
リスリお嬢様を救出する際、私は変装? していたわけだけれど、月神教の信徒ということにしちゃったことで、問題が起きたみたい。
いや、ララー姉様も一緒になって遊んでたようなものだけれど。一番最後に降臨とかしちゃってたから。おかげで即時帰宅出来て楽だったんだけれどさ。
これ、私が月神教の信徒って云わなければ、回避できた案件だよね?
「その節は本当に申し訳ありませんでした」
「問題なかったはずなのよぉ。謝らないといけないのはこっちだわぁ」
互いに頭を下げる。なんだろう、この日本人的なやりとり。
ん? ぶふぅっ!
ララー姉様の背後を見て、私は思わず噴き出した。
ララー姉様の背後。そこではルナ姉様が、なぜか某映画のフィーバーなポーズを取っていた。
腰に手を当て、天を指差している。足はアキレス腱伸ばしみたいな恰好で。
なにをやってるんですか、ルナ姉様。その妙に真面目くさった顔でそのポーズは止めてくださいよ。
私の様子を怪訝に思ったのか、ララー姉様が後ろを確認する。
「……」
「……姉さん。なにしてるの?」
「雷雨のポーズ?」
「……」
ララー姉様は右手で目元を覆うと、疲れ切ったように項垂れた。
ルナ姉様が加わって、事情説明が再開。
「簡単に云うとね。月神教の困った子たちが教皇を追い落とそうとしていてねぇ。そこで例の組織【ブラッドハンド】に所属しているレイヴンを引きずり出そうとしているのよぉ」
ん? どういうこと?
「簡単にいうとねー。そんな組織は存在しない。粛清者など存在しない。妄想に囚われている者に教皇は不適格だってやりたいみたいねー」
あれ? 私がいないことになってる?
「なんでそんなことに?」
「あの誘拐事件はなかったことになってるのよぉ。粛清者にしても、イリアルテ家の問い合わせだけだからねぇ」
んんっ?
「なかったことになっているんですか?」
「ガブリエルがイリアルテ家に配慮したみたいねぇ」
おぉ、それなら、リスリお嬢様の嫁入りとかは問題ないのかな? うん、良かったよ。
「それでねぇ、いまちょっとした事件が起きていてね、連中がレイヴンを事件解決の為に派遣しろって云って来てるのよのねぇ。
だから云われた通りにレイヴンを派遣して、公式に、粛清者が存在していることを連中に示すことにしたのよぉ。それが一番手っ取り早いからねぇ。それで、そのぅ、キッカちゃん、お仕事引き受けてくれないかしらぁ」
「えーと、その無神論派の連中の前に姿を見せて、仕事をしろということですか?」
「そう」
「なにをすればよいのでしょう?」
「ゴブリンの征伐」
は? 征伐? 討伐じゃなくて?
「征伐、ですか?」
「そう。ゴブリンの一部族を滅ぼしてくれないかしらぁ。連中からは、偵察だけしてこいって云われるだろうけど、力を示すのにはそれがいいからねぇ。もちろん、本来の仕事ではないから、連中にはペナルティを与えるつもりよぉ」
なんだか大層なことになってるけど、そもそも、なぜゴブリンの征伐? 粛清者は対不死の怪物ってことになってたんじゃなかったっけ?
私が首を傾げていると、ルナ姉様が説明してくれた。
「以前、ゴブリンたちが戦争していたの聞いてるかしらー?」
「あぁ、リリアナさんが云ってましたね。巻き込まれないように迂回したところ、ゾンビに襲われて私と会ったって」
「その戦争の片割れの【火撃ち族】を征伐して欲しいのよー」
「もうひとつの方は放っておいていいんですか?」
「【骨砕き族】はメリノ男爵が滅ぼしたから大丈夫よぉ。ただ、その生き残りの下っ端が、【火撃ち族】に合流しちゃったけれど」
「はい?」
「ゴブリンは強かだからねー。頭が潰されたら、すぐに強い方へとつくわよー」
それは強かというのですかね? ルナ姉様。
「えーっと、それが月神教と関りがあるのですか?」
「征伐に赤羊騎士団と軍団兵が派遣されているんだけれどー、そこに月神教がしゃしゃり出て来てねー。本当は地神教の司祭なりが同行するものを、上にその話を上げずに勝手に引き受けて勝手に同行したのよー」
「それ、ダメなヤツなんじゃ」
「ダメねー。月神教に抗議がいくわねー。でも連中は気にしないでしょー。抗議を受けるのは教会、すなわち責任者たる教皇ってことになるからねー」
酷い。いや、自分さえよければそれで良しってことかな? 何処の欲まみれの頭の軽い政治屋よ!
「本当、腹立たしいわー。ここはディルガエアだっていうのに、出し抜いてくれたからねー」
……ルナ姉様の笑顔が怖いです。
つまりこうか。
・ゴブリン問題勃発。
↓
・ディルガエア騎士団&軍団出動。
↓
・地神教司祭が同行するところを、月神教がしゃしゃり出る。
↓
・月神教司祭『レイヴン派遣しろや、派遣できるものならな!』と教会に伝達。
って感じ?
なんというか、浅はかというか、何も考えてないんじゃなかろうか?
私もさして後先考えないけど、ここまでアホじゃないぞ。……アホじゃないと思いたい。
「分かりました。お引き受けします。明日ですか?」
「そうよー。もう軍は現場近くに集結してるからねー。朝一で私が現場に送るわねー。キッカちゃんの身代わりは置いておくから、姿の見えない言い訳とかは準備しなくて大丈夫よー」
おぉ、それは助かる。いなかった説明とかどうしようって思ってたからね。
「それでキッカちゃん、体の方は大丈夫?」
「あ、問題ないですよ。あの後、究極回復薬の威力を確かめようと、飲んでみましたから。なので体調は完調ですよ」
究極回復薬。調剤不能のお薬。毎日【白い薬壜】利用して複製をしているから、それなりにストックは溜まっている。ただ、私の生来の貧乏性から、一度も使ったことがなかったんだよ。地味~に、自分で作れないっていうのも響いているんだと思う。複製はできてるのにね。
で、飲んだところ、体調が完全に回復。出血で足りなくなっていた血液が補填……って表現でいいのか? されたみたい。
おかげで元気いっぱいですよ。
「そぉ? それじゃ、明日はお願いするわねぇ。ゆっくり休んでねぇ。おやすみなさい」
ララー姉様のその言葉を聞いたところで、私の意識はプツリと切れた。
◆ ◇ ◆
砦襲撃前の、天幕でのやり取りを思い出す。
あの女司祭は普通に人の良さそうな顔をしていたけれど、私個人の印象としては、かなり胡散臭い感じだった。
あれだ、イメージ的には【開運の壺】とか【赤富士の絵】とかを高値で売りつける人みたいな感じ。買わないと不幸になる云々みたいな?
まさか本当に粛清者が来るとは思っていなかったのだろう。隠密状態で待機して、連中の様子を集まるところからずっと観察していたわけだけれど。残念なのはあの女司祭だけだったからね。
騎士さんは真面目人間だったし。男爵さんは「なんでこんなことになっちまったんだ!」と嘆いてただけだしね。
責任押し付けられたって云ってたけれど、軍団責任者は腐ってたりするんですかね? まぁ、私には関係ないことか。
そして私が姿を現した途端に、顔色を変えた女司祭。
いまにして思うと、あの女司祭は私に仕置かれると思ったから、あんなに慌ててたのか。
でも残念。お仕置きは確定みたいですよ。まぁ、使い走りみたいなものだろうから、そこまで酷いことにはならないと思うけど。
よし。ぐるりと回って、表門まで戻って来たよ。思ったより時間が掛かったよ。
壁上に見張りはあんまりいなかったね。裏門のところで寝てたゴブリンは、また行くのも面倒だから始末してきちゃったし。後は、ここで寝ている連中と、砦の中にいるのだけだね。
それじゃ、こっちもサクッと始末しよう。
広場のほぼ中央に立ってと。……串刺し死体の間に入るのは気が滅入るけど仕方ない。あぁ、亡くなった方々にも魔法が掛かるけれど、そこは、敵をとるから、許して欲しい。
それじゃ、達人級攻撃魔法【暴風雪】を発動。竜司祭の氷仮面の効果で、威力、範囲とも五割増しだ!
たちまち私を中心として、約半径五十メートルの範囲が凍り付いていく。
広場で呑気に寝ていたゴブリン共は、すべてそのまま凍り付き、凍死していく。
範囲から外れたやつは……うん、いないね。
これで外に出ていたゴブリンは全滅。あとは中にいる連中だけだ。基本、ゴブリンは夜行性とのことだから、中のゴブリンはそうそう外に出てくることはないだろう。
私と入れ違いとかになると、面倒なことになりそうだから、表の扉は入ったら【施錠】の魔法を掛けておこう。
よし、それじゃ中に突入だ。
外にいただけで、百匹近く始末したんだけれど、何匹いるんだろ。
こうして私は、ゴブリンを殲滅すべく、砦の屋内へと突入を開始したのです。
誤字報告ありがとうございます。