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104 アッハト砦奪還作戦


 その人物は、一際大きなその天幕の中に設えられた自分の席に、どっかと座り腕組みをしていた。

 赤茶けた髪に太い眉、整えられた口髭を蓄えた、小太りの中年男。

 不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げつつ、その苛立ちを示すかのように、小刻みにつま先が地面を叩いていた。


「遅い」


 軋む歯の隙間から吐き出すように呟いた。


「トルエバ男爵、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか! とうに陽は昇った! なのに何故来ない!」


 ダン! と、力任せにテーブルを叩く。その衝撃でカップが倒れ、テーブルを濡らした。

 男爵をいさめた月神教の女司祭が、濡れぬようにとテーブルに広げられた地図を慌てて退けた。

 零れた茶を、何事もなかったかのように、控えていた侍女が拭き、カップを片付けていく。


 片付けが終わり、女司祭がため息をつきつつ、地図を再び広げた。


 男爵はいまだ苛々と歯を軋ませ、その男爵の様子に、女司祭とディルガエア王国赤羊騎士団副団長は顔を顰めていた。


「やれやれ、随分と苛立っているじゃないか。誰が遅れているんだ?」


 不意に響いた男の声に、天幕内にいた四人が声のしたほうへと一斉に向いた。


 さっきまで空いていた席には、黒革と小豆色の布からなる軽装鎧を身に付けた男が、足を組んで優雅に座っていた。異様な仮面を身に付けた男。

 フードから覗くその仮面は朧気で、はっきりとした意匠が見て取れない。ただ、まるで怨霊のように、真っ黒に塗りつぶされた目と口が開かれているように見えた。


 その得体の知れなさに、背筋に怖気が走る。


「どうした? あと、誰が来るんだ?」


 男が再び訊ねた。


「そ、その、あなたが最後です」

「貴様、遅れてきておきながら、その態度はなんだ!」


 男爵が喚いた。だが仮面の男は全く動じず、男爵にゆっくりと視線を向けた。


「なにを云っているんだ? 俺はあんたが来るよりも大分前からここにいるんだが」

「なんだと? 嘘をつくな!」

「こんなことで嘘をついてどうする? なんなら、証拠を示そうか?」


 朧げな仮面を身に付けた男が、どこか楽し気にも聞こえる口調で答えた。


「例え誰もいなかったとしてもだ、場所は弁えるべきだと思うぞ」

「なんの話だ?」

「大欠伸をするくらいはいいさ。だが、尻を掻きながら訳もなく『畜生め』と悪態をつき、放屁するというのはどうなんだ? 誰も見ていなくとも、こういう場所ですることではないだろう? ここは自室ではないのだし」

「なっ!?」

「それと食事の内容を見直すべきだ。いくらなんでも臭すぎる。いまの食事のままだと、遠からず体を壊すことになるだろうな。健康には気を付けることだ。お前にも家族がいるのだろう?」


 男爵は顔を真っ赤にしたまま口をパクパクとさせていた。その様子に、仮面の男が呆れ果てたように肩を竦めた。


「そこの。俺と信仰を共にする者よ。なぜ俺はここに呼ばれたのだ?」

「は、はい。ここから西に――」

「私を無視するな!」


 喚く男爵に、仮面の男がゆっくりとその顔を彼に向けた。


「なんだ? お前の屁の臭さについて語ればいいのか?」

「そうではない!」

「ならば、なんの問題がある? 時間が押しているのだろう?」


 男爵は立ち上がって髪を掻き毟った。


「落ち着け。なにを怒っているのか知らないが、憤死しかねんぞ」


 仮面の男の不穏な言葉に、男爵の動きが止まった。


「ふん……し?」

「なんだ、知らんのか? あまりに激昂しすぎると、頭の中で何かがプチンと切れて、そのまま死ぬのだよ。気を付けた方がよいぞ。四十過ぎくらいからは簡単に切れるとも聞いたことがあるからな」

「……」


 なにか思い当たるところがあったのか、男爵はそろそろと椅子に座った。


「さて、私と信仰を共にする者よ。俺はなんのために呼ばれたのだ?」


 仮面の男が正面に座る、月神教司祭に再び問う。その声色は、心なしか怒気を孕んでいる様に聞こえた。


「は、はい。では、こちらの地図をご覧ください」


 女司祭が説明を始めた。本来なれば、男爵か、副団長がすべきことであるにも関わらず。




 アッハト砦は、約三百年前に建てられた、魔物の集団暴走(スタンピード)に対するための防衛砦だ。

 小さな町程の規模があり、砦内で数百人が自給自足することも可能である。もっとも、かなり切り詰めた食生活にはなるが。


 魔物の集団暴走。北の森。魔の森からあふれ出した魔物たちが進行ルートにあるものすべてを破壊する災害である。

 飢餓による、食料を求めての暴走、或いは捕食者たる大型の魔物に追われての暴走などと云われているが、その原因は不明である。


 あふれ出した魔物たちは、互いに貪り合うこともあるが、基本的に人の作り上げた建物を目指す。

 そこに餌があると、魔物たちは認識しているのだ。


 当時、アッハト砦をはじめとする七つの砦は、魔の森に対する最前線であった。

 定期的にあふれ出る魔物を砦に集め、殲滅する。そのために多くの軍団兵が砦に駐留し、生活していた。


 だが、それも百五十年程前までの話だ。


 二百年程前、ダンジョンがアリリオによって魔の森から露出させられたことにより、状況が大きく変わった。


 森を抉るように樹々が伐採され、ダンジョンまでの道が切り拓かれた。それに伴い、周囲の開拓も進み、森は十数キロほど北へと後退した。また、アリリオからあふれる魔物を即時討伐。さらにはダンジョン内に入り、魔物を間引くことで、魔物の暴走の起こる頻度が激減したのである。


 そして百五十年前、七つの砦の内の六つが再開発され、砦から町へとその姿を変えた。サンレアンもそのひとつである。街を囲む高い街壁、その北側部分は砦であった当時の名残だ。


 そして現在も残っている最後の砦、アッハト砦は、この天幕から西に約一キロのところに存在している。

 もはや砦としては使われてはいないが、十数人の兵士が常駐し、その管理を行っている。


 いや、行っていた。


 アッハト砦は陥落し、いまでは魔物の、ゴブリン共の根城となっていた。


 メリノ男爵の征伐より逃れたゴブリン勢力が寄り集まり、アッハト砦を強襲したのだ。砦に常駐していた兵士の数は二十二名。対するゴブリンの数は、おそらく百匹は超えていると思われる。


 ゴブリンの強さは、純粋な数の暴力にある。二十二名の兵士が選りすぐりの精鋭であったとしても、五倍近い数のゴブリンを相手には厳しいだろう。


 この状況が判明したのは、交代要員の兵士が砦に向かい、ゴブリンに攻撃を受けたことで発覚した。


 軍団としては大失態である。




「……交代の者が行くまで気が付かないとは、いくらなんでも問題だろう」

「私に云われたところでどうにもならん!」


 男爵が眉間に皺寄せて、そっぽを向いた。

 仮面の男は副団長に向き直った。


「あー、トルエバ男爵は、王国軍第二軍団団長代理補佐という立場なんだよ」


 仮面の男は副団長の説明に、目元を覆うかのように仮面を抑え、天を仰いだ。


「なんだ、そのどうでもいいような役職は」

「責任を押し付けられたんだ!」

「まったくもって軍団の未来が心配だな」


 ずばりと云われ、男爵はがっくりと肩を落とした。

 さすがに少しばかり哀れではある。


「よし。状況は理解した。で?」

「レイヴン殿には、砦の偵察をしてきてもらいたいのです」


 仮面の男の動きが、女司祭を見つめたまま止まった。


「……そんなことの為に俺が呼ばれたのか?」


 あからさまにトーンの下がった声に、女司祭はたじろいだ。


「俺の仕事がなにかは知っているだろう? 神罰執行の代行だ。故に俺は粛清者の名乗りを許されているのだ。その俺に斥候をしろと?」

「……」


 仮面の男が地図から視線を上げ、女司祭をじっと見つめた。その朧げな仮面は、まるで鼻のない髑髏のように見える。

 女司祭はすっかり委縮し、言葉を発することができなかった。


「誰の発案だ?」

「それは……」


 司祭は怯えたように言葉を詰まらせた。詰まらせ、再び沈黙した。

 仮面の男は大仰にため息をつくと、肩を竦めた。


「大方、無神論者の不信心な連中のひとりだろう。どうやらひとりが神罰を受けた程度では、神の威光を理解できんらしい。まったく、嘆かわしいことだ。

 なぁ、司祭殿。そのような輩など、教会には不要だと思わないか?」


 仮面の男の言葉に、女司祭は腰を抜かしたように、ぺたんと椅子に座りこんでしまった。

 神罰代行を担いし粛清者。その名乗りを許された者の言葉だ。彼がなにをせんとするのかなど、簡単に想像できるというものだ。


「いいだろう。砦に巣食うは一級殲滅対象生物の群れ。放置するわけにもいくまい」


 仮面の男はそこで言葉を切ると、副団長に顔を向けた。


「敵の規模、生存者の有無、そして、奴らの警備状況を探ってくればいいわけだな?」

「あ、あぁ。だが、大丈夫なのか?」


 副団長が心配気に問うた。


「問題ない。だが砦の規模が大きいからな、時間が掛かるぞ」

「必要な物を云ってくれ。用意しよう」

「無用だ。必要な物は身に付けている」


 仮面の男は副団長にそう答えると、すたすたと天幕から出ていった。

 その後を慌てて女司祭が追いかけた。


「れ、レイヴン殿、レイヴン殿は、今回の件に関わった者を――」

「ヴァランティーヌ教皇猊下の言葉を嘘であると断定した一派があるのだろう? だから俺をこうして引きずり出した。その存在を確かめる為。

 違うかね?」


 女司祭には答えられない。


「司祭殿は無関係なのだろう? ならば安心すると云い。粛清対象ではないよ」

「対象となっている方がいるのですか?」

「少なくとも、ラクール伯爵は粛清の候補だ」

「こ、殺すのですか?」


 震える女司祭の声に、仮面の男は足を止めた。


「候補にすぎんよ。それに、粛清は俺の独断で行う訳じゃない。それこそ、神の御心のままに成されることだ」


 再び歩みだそうとしたところで、仮面の男は女司祭に振り向いた。


「あぁ、そうだ。司祭殿。ひとつ確認させてもらってもよろしいか?」

「な、なんです? レイヴン殿」

「なに、大したことじゃない。砦にいるゴブリン共だが――」


 答えながら、遠くにうっすらと見える砦を睨む。


「全て始末してしまっても構わないのだろう?」


 仮面の男の言葉に背筋が凍る。


「な、なにを……」

「行ってくる。日没までには戻る」


 軽く手を振って、草原を西に向けて歩き出した仮面の男は、徐々に姿を薄れさせると、やがてその姿を消した。


 ◆ ◇ ◆


「遅い!」


 早朝と同様に、またしても男爵が不機嫌に騒いでいた。


「男爵殿。まだ陽は沈んでおらんよ」


 副団長が云うも、男爵の機嫌はかわらない。

 だが男爵のいうことも理解できる。一時間もせずに日没だ。にもかかわらず、この広い平原の中、いまだ帰って来る様子がないのだ。


 まさかと思うが、ゴブリンに見つかり、捕らえられてしまったのだろうか? それとも――


 悪い方向へと副団長の考えが向かった時、女司祭がひとつ声を上げた。


「あ、あれ?」


 いつの間にか、テーブルの真ん中に、羊皮紙が一枚、ナイフで縫い付けられていた。

 三人が、いや、侍女を含め、四人が顔を見合わせた。


「いつの間に……」

「なんだ?」

「司祭殿?」


 ぐいぐいとナイフを前後に揺すって引き抜き、伏せられていた羊皮紙を手に取った。


 女司祭はそこに血文字で書かれている内容を読み、思わず顔を引き攣らせた。


「司祭殿?」

「よ、読み上げますね。

『任務は完了した。生存者無し。お前たちがやることはひとつだ。堂々と砦の正面から乗り込み、そのまま司令官室へと突き進め。そしてそこでふんぞり返っているゴブリン魔術師を殺すのだ。

 簡単だろう?』」


 読み終えても、女司祭は顔を強張らせたままだった。


「ふざけるな! それができれば苦労などせん! なぜ我々がここで――」

「司祭殿、どうされました?」


 顔を引き攣らせたまま微動だにしない女司祭に、副団長が心配そうに声を掛けた。


「斥候にでるとき、云っていたんです。『全て始末してしまっても構わないのだろう?』って」


 司祭の言葉に、ふたりは顔を見合わせた。


 確認をするのは簡単だ。砦まで行ってみればいい。


 かくして、待機していた部隊を率い、男爵たちは砦へと向かった。


 まず目に入ったもの。それは門の脇で磔になった二匹のゴブリン。いずれも、喉を射ぬかれ、背後の、砦の外壁の石に矢が食い込んでいた。


 門を開け中に入ると、そこにはゴブリンの死体が無造作にゴロゴロと転がっていた。


 はやる気持ちを抑え、居館へと入り、司令官室へと向かう。


 異臭の漂う真っ暗な中、ランタンを片手に進む。

 途中の通路にも、ゴブリンの死体が幾つも転がっていた。


 二階に上がった途端、どこからかガシャン! とけたたましい音が響きわたり、一行は飛び上がる程に驚き、あたりを警戒し、そして、ついに三階の指令室の扉を開ける。


 そこでは、大柄なゴブリンが、椅子にふんぞり返るような恰好で拘束され、ひとり座っていた。丁寧に、目隠しと猿轡を噛まされて。


 常駐していた兵士は全員死亡。そして、討伐されたゴブリンの数は五百二十七体にも上った。




 こうして、アッハト砦奪回戦は終わりを告げたのである。





ご指摘、誤字報告ありがとうございます。助かります。



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― 新着の感想 ―
[一言] 殺してしまってもかまわんのだろう このフラグをへし折ったキャラ初めて見たかもしれない
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