101 薬の限界
「嬢ちゃん、こいつのレシピは――」
「ごめんなさい。イリアルテ家に売っちゃったので、教える訳にはいきません」
キッカです。ただいま王宮で挨拶回り中です。目の前にいるのは宮廷料理人のみなさんの親分、料理長さんです。
いやぁ、怖かった。やっぱり仕事を、それも見せ場ともいえるような機会を奪われたようなものですからね。そこへ私がのこのこくれば、敵意ある視線をくらいますって。
で、予定通り、ロールケーキの審査をお願いしましたよ。そして無事に合格点を貰えたらしく、レシピを――と、なったわけだ。
「くっ、となると、これだけから研究せねばならんのか」
「あのー、イリアルテ家が王都に出しているお店で、近く販売がはじまりますから、買えると思いますよ。値段がいくらになるのかは知りませんけど」
宣伝したら、なんだか料理人の皆さんで相談がはじまったよ。
シフォンケーキっぽいものとか生まれそう。ディルガエアトップレベルの料理人さんたちだしね。なにしろあれは、いわゆる膨らし粉を使わないからね。さすがに外れ岩塩から重曹の精製なんて思いつかないだろうし。
……シフォンケーキか。今度作ろうかな。なんとか卵を安定して仕入れたいんだよね。ゲームのハウジングの時みたいに、鶏を仕入れて庭で放し飼いにしようかと思ってるんだけど。
いや、ちょっと待て。いま手に入れてる卵って、どうみても鶏卵よりもおっきいよね。あれ、なんの鳥の卵なんだろ? サンレアンに戻ったら調べてみよう。
まだ相談が続いてる。私がいる必要もないだろうし、お暇しよう。
あ、料理人のお姉ーさんと目があった。会釈して退室。手を振ってくれたから、問題はないだろう。
それじゃ厨房にもどろう。
そうそう、近衛隊の皆さんにも差し入れをと思っていたんだけれど、考えてみたら式典の方に駆り出されてるよね。なので、差し入れは式典が終わってからなんとか渡す予定。上手い具合に会えればいいんだけれど。
さて、私が使用している厨房は、侍女さんたちの宿舎の厨房。王宮の厨房はイリアルテ家の料理人さんたちが、まさに戦争中ですからね。デザート担当の私が混じれる状態じゃないのです。
ということで、こちらをお借りしている。ここを引き上げるときに、お礼代わりにロールケーキを置いていくつもりだ。
うん。多めに作っておいて正解だった。
まぁ、仕上げがあっという間に終わっちゃったから、こっちでも六本ほど追加で焼いたけど。だから現状あるストックは、昨夜追加で焼いたものを含めて、二十五本だ。二本はいまさっき宮廷料理人のみなさんへ。三本は昨日、試食で食べちゃったのと、教皇猊下へお土産で渡しちゃったからね。
そうだ。ここの厨房借りちゃったから、侍女さんたちの食事にちょっと問題がでてるよね?
パーティ用の食事と一緒に、賄いも大量につくるみたいだけど。いや、客人と同じくらいいるからね。執事さんに侍女さんに警備の騎士さんたちと。そしてもちろん料理人のみなさん。
とはいえ、仕事終えて帰って来て、食事を作るとなると厳しいだろう。今日の為にここを完全に空けておいたみたいだし。
お礼代わりにスープぐらい作っておこうかな。具沢山の。野菜沢山に、肉団子でも放り込んで。だし昆布もあるし。
よし。それじゃとっとと作ろう。材料はインベントリにあるしね。
◆ ◇ ◆
厨房の片づけを終え、お借りした道具類をピカピカに磨いているとエメリナ様がやってきた。
「あれ? キッカちゃん。もう終わったの?」
「はい。予定数はもうできましたよ。少しばかり多めに作ってあります。もう、会場に持って行った方がいいですか?」
二倍の量を多めとは云わないだろうけど。
「そうね。お願いしようかしら。会場にはリリアナがいるから、配膳場所は訊いて頂戴ね」
「わかりました」
冷蔵庫から出したロールケーキを、バスケットに二本ずつ入れていく。それらバスケット六つを、ワゴンに乗せ。カラカラと押して厨房を出発。
もちろん、厨房の施錠は忘れない。私の荷物と予備のロールケーキを置きっぱなしだしね。
ちなみに、私の今の恰好は侍女スタイル。いわゆるメイドさんだ。胸の所にイリアルテ家の紋章の入ったエプロンドレスを着ている。これは王宮の侍女さんとの区別をつける為。
侍女宿舎を出て、王宮へと入り、パーティ会場へと向かう。
床はピカピカで幾何学模様が描かれている。先日来たときは、緊張しててあんまり周りを見てなかったからな。床まで気にしてなかったよ。すっごい綺麗だ。
これ、大理石とかなのかな。色違いの大理石ってあるの? 白しかないようなイメージなんだけれど。
ゴロゴロとワゴンを押していく。パーティの行われる場所だけは聞いているから、間違えることはない。勲章伝達式は大ホール。いわゆる謁見の間で行われている。私が向かうのは左翼にある多目的ホール。多目的と聞いたけれど、王宮でこういったホールを使うイベントがあるんですかね? ほとんどパーティ用でしかない気がするけれど。
あぁ、舞踏会とかあるのかな? 知識がないからよくわからん。多分、私の認識は晩餐会と舞踏会がごっちゃになってる気がする。
そんなことをぼんやりと考えながら、広い廊下を進んでいく。
人がいないなぁ。準備でパタパタ走り回ってそうなんだけど。
お、騎士さんだ。盾無し、剣無し。となると、客人かな? 王宮で武器を帯びることが許されてるのは、王族と近衛くらいだし。でも珍しいな、黒いマントだ。ディルガエアだと、大抵は黄色系なのに。近衛も金色だからあのドワーフ鎧を発注したんだろうし。
そういや、二領だけ今日までに届くようにって云っていたのは、きっと勲章伝達式で着る為なんだろうなぁ。
騎士とすれ違い、そして、気付く間もなく、私は壁に叩きつけられていた。
体の中から聞こえた嫌な音。腹部と背中に生まれる激痛。けたたましい音を立てて転がるワゴン。
なに? なにが起きたの? なにをされた!?
息が詰まり、足が痺れ、そのまま壁を背に尻餅をつくように座り込む。そして目の前に見えるのは、蹴り上げんとする騎士の足。
思わず護ろうと腕を上げるが間に合わず、私は思い切り顔を、仮面を蹴られた。仰け反り、ガツンと壁に後頭部が当たる。
痛みに気が遠くなる。
「キッカ様!?」
「チッ」
ガチャガチャとした音が遠のいていき、パタパタとした音が近づいてくる。
やっぱり侍女用の靴は、音が出にくいような工夫がしてあるんだなぁ、などと、私は考えていた。
うん。逃避だ。
……痛い。
「キッカ様、大丈夫ですか? キッカ様!?」
この声、リリアナさんだ。
「――」
あ、あれ? 声が出ない?
ちょっ、嘘でしょ?
なんとか声を絞り出す。
「く、くすり。わたしの、かばん」
ポケットから厨房の鍵を取り、差し出す。
「わ、わかりました。あぁ、でも……。誰か! 誰かーっ!」
大げさな。あぁ、でも、この様は見てもらった方が良いな。多分、骨折れたし。
糾弾できる手札は多い方がいいに決まってる。多分、レブロン男爵関係だと思うんだよね。いや、それともイリアルテ家への嫌がらせかな?
「どうした!?」
「キッカ殿!?」
あ、あれ? この声はアレクス殿下とレオナルドさん?
あぁ、この格好は不味いな。起きないと。
「キッカ様、動いてはダメです!」
「何があった!?」
「黒いマントの騎士様に襲われて……。アレクス殿下、レオナルド様、どうかキッカ様をお願い致します。私は薬を取ってまいります」
「あぁ、はやく行くといい」
「任せておけ」
「キッカ殿、動いては傷に障ります!」
アレクス殿下が私の肩を抑えた。
スゥっと、視界の左下に赤いバーが現れた。私の命を示すバーだ。それがじりじりと短くなっていく。
ヤバイ。
ゲームだとちょっとしたダメージでもHPは減る。そしてゼロになったら死亡。ゲームオーバーだ。だがリアルだとちょっと違うみたいなんだ。
命にまったく別状のない怪我程度だったら、このバーが現れることはない。これが現れるのは重症を負った場合か、確実に死に直結するような事態の時のみだ。
最近だと、熊に殴られまくった時とか、蛙の時くらいだ。飛竜ゾンビのブレス? あれは酸欠だからね、それにすぐになんとかできたから、さほど問題はなかったよ。ちょっとパニックになったけど。
げほっ。
咳き込み、耐えられず、喉に詰まったそれを吐き出す。口の中に血の味が広がる。
あぁ、これマジでヤバいな。折れた肋骨が肺に刺さったっぽい。
まぁ、【死の回避】があるから、死にかけたら一気に回復するけど。そうなるとこの怪我が私の狂言にされかねない。
リリアナさん、早く戻ってきて。
「アレクス、どうしたのです? いったいなに――血!?」
女性の声が響いた。新たに誰か来たみたいだ。でも殿下を呼び捨てって……。
なんとか声のした方に視線を向ける。そこに見えたのは、紺色のドレスの女性と侍女。
「母上?」
「キッカ殿が何者かに襲われたのです」
「襲われた? 王宮で? いえ、それよりも、なぜこのままなのです。早くナサニエル医師の元へ運びなさい」
「お待ちください、母上! 今――」
あぁ、なんだか王妃様と殿下の間で口論になりそう。
鈍い思考でどうにか止めようと考え始めたところ、パタパタと走る音が聞こえて来た。
「キッカ様、お待たせしました! 早くこれを!」
リリアナさんが抱えていた鞄から薬を取り出す。
赤い壜がふたつ。ひとつは角瓶だ。
「万病薬から」
げ、掠れた声しかでない。バーの長さはあと六割くらい。
薬が私の口に流し込まれる。ごくりと、なんとか呑み込む。
みしっ。
激痛と共に骨が正常な位置に戻り、繋がった。直後――
げほっ。
再び喀血した。
ヤバ、刺さってた骨が抜けて一気に出血したみたいだ。
あぁ、バーがもの凄い勢いで短くなっていく。
慌てたように薬壜が口にあてがわれる。私はそれをなんとか飲み込んだ。
私の周りを光が躍る。傷が修復される。だけど――
私は倒れ込むように這いつくばると、またも大量の血を吐き出した。
体がだるい。多分これは、軽い酸欠と出血のせいだろう。
「キッカ様!? 大丈夫ですか!? あぁ……血がこんなに……」
「あ、あはは。薬の限界かなぁ。病気や怪我は治せても、肺に溜まった血までは消えないや」
リリアナさんに支えられて、なんとか体を起こした。
ぺきっ。
乾いた音を立てて、仮面が綺麗に真っ二つに割れて顔から落ちた。
「キッカ様、仮面が……」
「あぁ、これ、木製の仮面で、魔法もかけてないから……。でもこれのおかげで助かったんだよ。顔を蹴られたから」
まさか防具として役立つとは思わなかった。
「アンララー……様?」
驚くような女性の声。
「あぁ、王妃様。似ているだけです。私は女神様では――」
「レオナルド、彼女をナサニエル――いえ、私の部屋へ」
「はっ!」
「母上!?」
「マリサ、先に行って準備を!」
「畏まりました。レオナルド様、よろしくお願いします」
「心得た」
侍女さんがパタパタと走って行く。
そして抵抗する間もなく、私はレオナルドさんにひょいと抱えられた。いわゆるお姫様抱っこというやつ。
多分、乙女とかなら狂喜もののシチュエーションなんだろうけど、残念ながら私は基本的に人嫌いだ。正直、人に触れられるのは、結構辛かったりする。男性だと特に。
そして移動が始まる。急がず、ゆっくりと、それもできるだけ揺らさないようにしているのが分かる。
な、なんだか大袈裟になってきたよ。大丈夫だよ? 薬も飲んだし。多分、いまはまだ血がちょっと足りなくてだるいだけだろうから。
あぁ、こうしてみると、ヴィオレッタ凄かったんだな。
テスカセベルムで殺されかけていた辺境伯令嬢を思い出す。あれだけの出血をしていたのに、自分の足で歩いていた。かなりふらふらとはしていたけれど。
ややあって、私は王妃様の私室へと運び込まれた。さすがにベッドに寝かされることだけはどうにか回避したよ。
今は椅子に座って、なんとか落ち着いている。
「リリアナさん、ケーキを持って行かないと。パーティが始まってしまいます」
「キッカ様!?」
「エレミア様に恥をかかせるわけにはいきません。余分に作っておいて正解でした。リリアナさん、お願いします」
「畏まりました、キッカ様」
私のすぐそばで跪いていたリリアナさんが立ち上がった。
「彼女の事は私たちにお任せなさい」
「ありがとうございます。失礼いたします」
リリアナさん、お願いするよ。せっかく頑張って造ったんだから。あぁ、でも、十二本だめにしちゃったんだなぁ。くそぅ。おとしまえは着けてもらわないと。
どうしてくれよう。追跡だけなら、【道標】さんでできるはず。私の顔を蹴ったヤツでやれば引っ掛かるはずだ。
あ、そうだ。ワゴンとか、ダメになったロールケーキとか片付けないと。
「なにをしているのですか! 安静になさってください。本当は寝ていないとダメなのですよ!」
「もう傷は大丈夫です。片付けにいかないと」
立とうとするも、侍女さんに抑え込まれた。力強いな。
「分かりました。私が掃除をしてまいります。
オクタビア様。よろしいでしょうか?」
「えぇ、行ってらっしゃい」
侍女さん、えーっと、マリサさんだっけ? は、一礼すると部屋から出ていった。
「さて、アレクス、こちらの方は?」
「キッカ・ミヤマ殿です。七神より加護を授かりし方です」
「神子様!? いえ、確かその名前は、勲章を授与されるひとりじゃなかった?」
王妃様の質問に、欠席となった理由を説明する。まぁ、この顔だとトラブルを招くから、といっただけだけれど。でもそれで王妃様には納得いただけたよ。
実際、いきなり跪かれて祈られても困るからね。一度、教会でやられたんだ。凄い困る。
「キッカ殿、先日、城下で襲われたと兄上からも聞いています。なにか心当たりはありませんか?」
次いでアレクス殿下が私に問う。
私は困ったように、唇をゆがめるような笑みを浮かべた。
あぁ、どうしようかな。本当は侯爵様たちと帰る時に、バッソルーナで仕返ししようと思っていたんだけど。
あぁ、でも疑惑だけだからなぁ。あの騎士がレブロン男爵の配下かどうかも分からないし。
どうしよう。直感だと『喋っちまえ』なんだよね。でもそうしたら、面白くなくなっちゃいそうなんだよ。でもこの感覚を無視して、ロクな目に遭ったことないからなぁ。
かくして、私は観念してバッソルーナであったことを、包み隠さず話すことにしたのです。