一、シュレディンガーの亀。
久しぶりに陽の光に当たろうとタロウが家の近くの海岸に向かえば、浜に打ち上げられた海亀が近所の子供たちにいじめられていた。
「こらっ。今どき作品冒頭からこんなんじゃ、動物愛護団体の皆様に叱られるだろうが⁉」
「うわっ、浦島さん家の穀潰し息子だ!」
「引きこもりのニート野郎だ!」
「ロ○コンの社会不適合者だ!」
「「「いたずらされるぞ、みんな逃げろ!」」」
タロウの姿を見るや、一目散に逃げ出す子供たち。結構可愛らしい小学校未就学の女の子もいたのに、惜しいことをしたものだ。
『ありがとうございます。お陰で助かりました。お礼に竜宮城にお連れいたしましょう』
「亀がしゃべっただと⁉ ……ということは、あれか? ショートショートとはいえ一応SF小説であることだし、実はこいつは亀の姿をした超光速宇宙船で、ワープ航法で遠宇宙にある惑星『竜宮城』に連れて行かれて、再び地球に戻ったときには文字通りの『ウラシマ効果』により、すでに数百年の年月が過ぎていたというオチか?」
『失礼な! そんな時代遅れの駄目SFと一緒にしないでください! 私はゼロ年代以降のSF小説界のトレンドを踏まえた、最新式の生体型量子コンピュータなんですからね!』
「生体型量子コンピュータだってえ⁉」
『左様。量子ならではの多世界解釈を体現する量子コンピュータである私は、可能性としては無限に存在し得るすべての世界に内在している自分自身とシンクロすることができ、遠宇宙だろうが遠未来だろうが異世界だろうが、そこに存在する自分自身の目を通して「観測」した瞬間に、そちらの世界のほうをこちらの世界と入れ替わりに唯一本物の現実世界にすることができるのです。つまりその際に私の背中に乗っていれば、ワープ航法やタイムマシンや『なろう作品』お得意のトラック事故なぞまったく必要とせずに、瞬時に遠宇宙にでも遠未来にでも異世界にでも行くことができるのであり、もちろん再びこちらの世界に戻ってきた際にも、ウラシマ効果なぞ起こす心配はないのですよ』
「何と。超光速エンジンもマイクロブラックホールもトラックに轢かれることも無しに、量子論だけでSF的イベントを何でも実現できるなんて、まさしくこれぞ真の量子論SFじゃないか⁉ 量子論であることをむやみやたらと喧伝するだけの凡作はよく見かけるけど、これほどまでに量子論の本質を捉えた作品なんて、『傑作無き傑作選』として定評のある、某創○SF文庫の年刊日本SF傑○選でも読んだことはないぜ!」
『どうやらおわかりいただけたようですね。それではどのような竜宮城にお連れいたしましょうか? 何せ多世界解釈においては一口に「竜宮城」と申しましても、文字通り並行世界的に無数に存在しているのですからね』
「そりゃあもちろん、幼女タイプの乙姫様がおられる竜宮城に決まっているではないか!」
『…………』
「な、何だその、便所虫でも見るような目つきは⁉ まさかそんな竜宮城なんて、存在していないとか言うんじゃないだろうな?」
『……いいえ、ちゃんと存在していますよ。「無限の可能性としての世界」ということは、SF小説やライトノベル等の既存の創作物そのものの世界をも含む、文字通り「すべての世界」ということなのですからね』
「よかった! うふふふふ。これで幼女の乙姫様に思う存分、罵倒されたり足蹴にされたりしてもらえるわけなんだね?」
『ロ○コンであるだけでなく、ドMだと⁉』
「さあ、いざ行かん、夢のパラダイスへ!」
『とほほほほ。何でこんな異常性癖の変質者に助けられてしまったんだろう……』
意気揚々と、今やこの世の無常を噛みしめるばかりの海亀の背中へとまたがる、浦島さん家のタロウさん。
──しかしこの日以来、彼の姿を見た者はいなかった。
それほどまでに、竜宮城での暮らしが素晴らしかったのだろうか。
それとも竜宮城に到着する以前に、彼の存在自体を危険視した海亀によって、次元の狭間にでも放り捨てられてしまったのであろうか。