二、三つのお願い。
幼くして両親を一度に亡くし天涯孤独の身となった私は、この地方の御領主様に引き取られることになった。
しかし私は知っている。実は彼が、『吸血鬼』であることを。
かといって他に行く当てもない私は覚悟を決め、御領主様の城の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
「──よく来てくれた。何も恐れることはないんだよ。私は君に頼みたいことがあるだけなのだから」
初対面の御領主様は私の予想に反しいかにも貴公子然とした、若々しく優しげな美貌の持ち主であった。
しかも別に私をとって食らおうとするわけでもなく、これからこの城で面倒を見てくれる代わりに、彼の『お願い』を三つほど叶えて欲しいと言うのだ。
「別に大した願い事でもないんだ。まず手始めとしてこれから君には、私の娘になってもらうことにしよう」
むしろそれこそ、驚きであった。
吸血鬼のお貴族様が、こんな平民のみなしごを娘にしてくれるなんて。
しかし何と、彼は本気であったのだ。
◇ ◇ ◇
私は血を吸われることも使用人として酷使されることもなく、贅沢な暮らしの中で惜しみない愛情を注がれながら、大切に育てられていった。
そして私が年頃となり、貴婦人として社交界にデビューしようとした時、彼はようやく二番目の願い事を口にした。
「まさかこれほどまでに、見目麗しきレディに育ってくれるなんて。吸血鬼でなければ神に感謝したいほどだ。いいかい、これから先私のことは父親ではなく、一人の男として接していくんだよ」
それは私にとっても、まさに望むところであった。
貴族でしかも吸血鬼でありながら、人間の孤児を実の娘以上に大事に慈しみ育ててくれた彼のことを、いつしか私自身も、心から愛し始めていたのである。
◇ ◇ ◇
「いよいよ君に、私の『最後のお願い』を伝えよう。──他でもない、私に君の血を飲ませて欲しいんだ」
ついに、この日がやって来た。
待ちに待っていた、『血の婚姻』の日が。
私自身も吸血鬼となり、永遠に彼の妻となる時が。
父親であり恋人でもある彼から磨き上げられてきた私は、今やすっかり一人前の貴婦人となっており、彼のこの言葉だけを待ち望んでいたのだ。
二人だけの儀式は、初めて入室を許された、絵画の間で執り行われた。
広大なその部屋の四方の壁面には、いつの間に描かれていたのか、私の数々の肖像画が飾られていた。
大勢の『私』たちが見ている前で、彼がうなじへと熱い唇を寄せてくる。
「うっ」
深々と突き立てられる、そそり立った牙。想像以上の激痛にうめき声が漏れ、思わず身をよじらせた。
しかし逃すまいとするかのように、私の華奢な身体を抱きすくめ、さらに奥深く『彼』が押し入ってくる。
「──ああ♡」
痛みが甘美な快感へと変わり、たまらずにあえぎ声がこぼれ落ちた。
その刹那、「──うがあああああああ!」
男が突然雄叫びを上げ、文字通り『果てた』のである。
「お父様⁉」
大量の血を吐きだしながら、床へと崩れ落ちる吸血鬼。
思わずその身体を抱きしめてみれば、すでに虫の息であった。
「お父様、しっかりして!」
「……これでいいんだ。これでやっと、『彼女』の許に行ける」
私の肖像画のほうへと、血だらけの腕を伸ばす男。
──否。
それは、私ではなかった。
古ぼけた油彩の人物画。あたかも数百年の時を経たかのように。
「……誰、この人」
「君の御先祖に当たる、古き『聖女』だよ」
「聖女?」
「我々吸血鬼にとっては毒ともなる『聖なる血』を持った、神に愛された存在さ。彼女も最初は聖女として、私を滅するために近づいてきたのだが、戦い続けるうちに私たちは愛し合うようになり、彼女は私を殺すことができなくなって、聖女の使命との間に悩み苦しんだ末に逃げるようにして、自ら命を絶ってしまったのだ」
「──っ」
「すぐさま彼女の後を追おうとその血をすすってみたが、魔物を愛し自殺の禁を犯した彼女の『聖なる血』はすでに効力を失っており、私を滅ぼすことはできなかった。それから数百年間彼女への尽きせぬ想いだけを胸に、私はただ無様に生き長らえるだけだった。そしてようやく十数年前、君が聖女の力を秘めて生まれてきた時、私がどんなに狂喜したかわかるかい?」
血まみれの手のひらが、私の頬を優しくなでる。
「ありがとう。これでやっと──」
だらりと垂れる、男の腕。
「お父様! お父様! お父様! お父様! お父様あ──!」
至福に満ちた、安らかな笑顔。
──許さない。
つまりあなたは、私自身を愛していたわけではなかったのか。
単なる死んだ想い人の、身代わりだったのか。
あなたはただ永劫の苦しみから逃れるために、娘という名前の『死神』を育てていただけなのか。
それでは、一人残された私はどうなるのだ。
偽りの幸せによって刻み込まれてしまった、あなたへのこの想いは、どこに葬り去ればいいのだ。
もはや動くこともなくなった父親の身体を見下ろしながら、私は誓った。
この身のうちに流れる聖なる血をすべて使い切ってでも、この世から魔物たちを滅ぼしてやると。
──そう。憎くて愛しい裏切り者の、私の『父親』と同じ、吸血鬼たちを。