一、少女小説家に愛を込めて♡
「おいしいですか? 先生♡」
「……え、ええ。もちろん」
無邪気に微笑む彼女に対して、私はなぜだか気もそぞろに、まぬけな生返事しか返せなかった。
実際、彼女の料理は絶品であった。
しかし本当に私なぞが、彼女の手料理を味わってもいいものか、はなはだ疑問だったのだ。
「……あのう、三枝さん」
「何です、先生?」
「もう担当者でもないのに、どうして私なんかに、こんなにも親切にしてくれるのかしら」
「いやだわ。先生ったら、水くさい。私は純粋に先生の作品のファンなんです。担当者だったとか、出版社に勤めていたとか、全然関係ありません。それにこれは私が勝手にやっていることなのですから、先生がご負担に思われる必要もないのですよ」
そうなのである。彼女は私がまだ駆け出しの少女小説家だったころからの、熱烈なる大ファンなのであった。
学生時分から毎月のようにファンレターを送ってくれて、卒業後は難関をくぐり抜けて業界随一の少女小説誌の編集部に就職し、念願叶って私の担当となってからは陰になり日向になり多大なる貢献をしてくれて、まさになくてはならない相棒ともなっていたのだ。
しかしかれこれ一年前、あくまでも定例的な人事異動によって、私の担当から外されることが決定するやいなや、彼女が泣きわめきながら辞表を編集長に叩きつけたと聞いた時は、本当に驚いたものだった。
私ごときのために何て早計なことをと当惑しつつも、少なからず責任を感じていたのだが、後に退職の真の理由が『花嫁修業』だったことが判明し、ほっと安心するとともに、何だかちょっぴりがっかりもさせられた。
そんな彼女が半年ほど前から突然、なぜだか仕事の差し迫った時期になると必ず私の家を訪れて、あれこれと家事の面倒を見てくれるようになったのだ。
確かに独身女性小説家の修羅場における生活状況は、とても原稿用紙数枚では語りつくせないほど悲惨極まりない有り様であり、彼女の『ご好意』は心底ありがたかった。
けれども今や何の関係もない彼女に、このままずるずると甘え続けるわけにもいかない。
「三枝さん。せっかく会社を辞めたんだから、もっと自分自身のために時間を有効に使ったら。花嫁修業のほうだって大変なんでしょ?」
「いいんです。これだって、立派な『実地訓練』になっているのですから」
『実地訓練』? そうか、そういうことか。
いくら花嫁修業のためとは言っても、嫁入り前のお嬢さんが実際に男性の住居に赴いて、訓練の成果を試してみるわけにもいかないであろう。
だからこそあくまでテストケースとして、昔なじみの私の面倒を見に来てくれているといったところか。
……まあ。自分で言うのも何だけど、私の生活環境ってどちらかと言うと、『独身男性のわびしい一人暮らし』に近いからなあ。
それにひきかえ彼女ときたら、見た目も内面も女らしさの権化であって、清楚で可憐でつつましく、事細やかに気が利いて、料理上手は言うに及ばず、洗濯も掃除も裁縫も難なくこなし、まさに『理想的なお嫁さん』そのものであり、まったくもって、彼女の未来の旦那様がうらやましいかぎりであった。
自分も女なのに、妙なことを言うようではあるが、自由業の独身女性なら、一度は願ったことがあるだろう。
「私も、お嫁さんが欲しい」──と。
「本当、三枝さんが来てくれて助かるよ。これなら、いつお嫁さんに行っても大丈夫だね」
「やだ。先生ったら、恥ずかしいわ。でもその前に、法律面をクリアしないと……」
なぜだかうれしそうに身をよじりながら、頬を染めていく三枝さん。
ところで、『法律面』て何のことだ? 年齢等に問題はないはずだろ。
その時、つけっぱなしのTVのバラエティ番組が突然途絶え、画面が切り替わった。
『──ここで臨時ニュースをお伝えします。さきほど国会で女性議員等の圧倒的多数により、「スーパー・ジェンダー・フリー法」が可決成立いたしました。これにより、すべての性差別的な法令・社会慣習は撤廃され、完全な男女平等の社会制度となり、同性同士の恋愛や結婚も認められることとなりました。更に特例処置として、少女小説家等の過酷で特殊な職業の方には、性別を問わず「お嫁さん」をもらえる権利を付与することになりました』
呆然とTVを見つめながら、固まってしまった私の横で、三枝さんが居住まいをただし、恥じらうように三つ指をついた。
「──ふつつか者ではございますが、何とぞ末長く、よろしくお願いいたします♡」
BGM: "hurricane" by shonen knife.