エピソードZERO【前編】
「柊木監察官、こちらが“異能判定機”になります」
総務省本部から派遣されてきた監察官たちに、私──牧野桐子──は、何の感情も込めずに言った。
「牧野主任、これが異能判定機による噂の異能テストの風景ですかぁ!ボク、実物は初めて見るんですよぉ!いやぁ、スゴいなぁ!こんなに大きいんですねぇ、びっくりです!」
興奮した面持ちで、童顔の監察官・柊木が私にまくしたてる。
「こんな殺風景な機械作業が珍しいですか?」
私は彼女に素っ気なく返答する。
しかし、柊木は天真爛漫な子犬のように瞳をキラキラさせて、首を勢いよく縦に振った。
「はい!いやぁ、スゴいなぁ!ああやって、異能判定機が国民の“異能”をチェックしていくわけですねぇ!」
柊木の熱い視線の先には、特殊ガラス一枚を隔てて、高度にオートメーション化された工場のラインような設備が稼働している。複数のベルトから大量の紙の束が送られ、中間にある大きな平面式の異能判定機でそれらは超高速で通過と同時に仕分けされ、そこを起点に分岐した様々なラインへと流れていく。
私のように見慣れてしまえばどうということのない光景だが、彼女のような部外者には物珍しいのだろう。
「ところで、牧野主任」
無邪気な笑みの柊木が、いつの間にか私に向き合っていた。
「この中に“異能”持ちって、ホントに存在するんですかねぇ?」
一瞬、私は柊木の言動に眉をひそめ、眼鏡のブリッジを軽く押し上げながら答える。
「──質問の意図がわかりません。存在する可能性があるからこそ、ここの設備や私たちに意義があるのでしょう?」
「いや、まぁ…そうなんですけどね!でも牧野主任の立場ならすでに“採点”結果も知ってるんじゃないかなー…なんて思っちゃったりして!」
柊木は、子供っぽくペロッと小さく舌を見せた。
私はそれを無表情で黙殺し、柊木に告げる。
「もう、見学はこの辺りでよろしいでしょうか?あなた方がここに来られた本題は、別室でお伺いいたしますので」
「あれれ、クールなお顔どおりの塩対応ですねー!軽い冗談じゃないですか、冗談ーっ!気を悪くしないでくださいよぉー!」
私の地雷を軽く踏んだことに察したのか、柊木は両手を振って弁解する。
それを無視して私が歩きはじめると「あ、ちょっと待ってくださいよぉ!」と柊木が慌てて追いすがってきた。私は振り返らず言う。
「柊木監察官。こう見えて、この部署は何かと忙しいのです。問題は、手早く片付けていきましょう」
ガラスを隔て、休むことなく稼働する巨大な“異能判定機”。それを横目に、私たちは機械設備の部屋から移動した。
──ここは、総務省・統計局の統計情報システム管理課所属の『国民生活統計係』という、実に長たらしい名称の部署の分室だ。場所は東京の某所、としか言えないが、在職している職員は私も含めすべて国家公務員である。数年ごとの国勢調査などで国民の生活をデータ化し、生活向上に役立てる情報を発信する部署──と、表向きはなっているが、この分室に関しては、本当の役目は大きく違う。
一般の国民に知られることなく、彼らの中に埋もれた“異能持ち”を発掘する役目の、別名『異能係』というのがその実態だ。
“異能”とは何か?と言われると異能係でも定義が曖昧なのだが、要するに『普通の人間が持っていない力』のことだ。例えば100メートルを9秒台で走る人間も、ある意味で“異能”的ではあるが、それでも彼らは人間の能力の限界を超えてはいない。私たちが認識している異能とは、100メートルを9秒どころか一瞬で移動するような、明らかに人間の能力を超えた“異質な”才能を持った人間のことだ。
念動力、透視、念話、空間移動、発火能力……小説や漫画の題材になりそうな単語のオンパレードだが、私たちの部署が発掘しているのは、そういう異能を潜在的に持った人間である。先ほど柊木査察官が興奮していた異能判定機は、世界でただ1台、そういう人間を検知できる能力を搭載した、国家機密の超高性能機械なのだった。
部下を二人連れた柊木監察官と私は、打ち合わせに使うミーティングルームに場を移し、そこで私の上司である西峯課長と合流して、初顔合わせの二人が挨拶を交わした。
私は“異能者”を発掘する仕組みを、あらためて柊木たちへ簡単に説明した。
国は数年ごとの「国税調査」や各種様々な「アンケート」・「公的書類」・「試験」などを利用して、国民が“触れた”ものを回収し、この分室で「異能テスト」を行う。といっても、必要なことはすべて異能判定機がやってくれる。この機械は異能者が紙などに触れた際に発生させる微弱な特殊粒子を拾いあげ、まったく能力がない者、少しでも疑わしい者、異能者とを自動的にふるいにかけ、片っ端からデータ化していくのだ。
大多数の国民に知られることなく、日々淡々と行われている全国民を対象とした“テスト”。それを管理するのがこの部署の役割であり、私の仕事そのものだった。
「異能者と判定されたら、その人たちはその後どうなるんですかぁ?」
柊木が無邪気に質問する。
「存じ上げません」
私は無機質に答えた。
実際、ここでの私たちの業務は『検知』と『データ化』に特化している。私たちの上がその結果をどこに報告して、そういう人たちがその後どういう扱いを受けるのか……それを考えることは、私の業務には含まれていない。そして、異能という判定が出たとしても、異能判定機にはその個人の具体的な能力まで検知するわけではないので、どんな能力者が発掘されたかまでは、私が知ることはない。
「えぇー、そういうものなんですかぁ?」
柊木は大袈裟に驚いてみせたが、やがて身を乗り出して私に言った。
「牧野主任は、過去の異能判定の結果をもちろん知っておられるんですよね?最近の“採点”傾向について、どう思われますぅ?」
「どう、とは?」
柊木は、声を潜めて続けた。
「ちょっと、不自然な感じがしませんかぁ?」
「それは一体、どういう意味ですかな?」
普段温厚な紳士の西峯課長が、私の代わりに聞き返す。珍しく感情的になっている声音だった。
「まぁまぁ、課長さん!落ち着いてくださいよぉ。本日、お忙しいお二人にお時間をとってもらっているのは、まさにその件なんですからぁ♪」
左右に部下を二人従えた柊木が、テーブルに頬杖をつきながら笑う。
何となく癇にさわる笑い方で不快だが、監察官として総務省内で柊木の方が私よりも圧倒的に立場が上である。『監察官』には、組織内部の不正などを調べるために独立した権限を持っているのだ。童顔でヘラヘラしているように見えて、柊木はかなりの『やり手』に違いなかった。
「監察官が不自然と仰る根拠は?」
課長が問い返す。
「またまたぁ!専門外のボクでも持っている詳細なデータを、そちらはとっくにお持ちでしょ?」
柊木がたたみかけるように続けた。
「異能係が設立されて約二十年。当時、初年度の検知件数は異能=72、疑わしい=587。二年度以降は十数年間、おおよそ横ばいの数値が続いたようですね〜?しかし、しかしですよ!!ここ五年程の検知数の結果はいかに?──なんと、異能が3、1、0、1、0。疑わしいが93、31、15、8、7!──なんなんでしょうねぇ、この数値の急激な変化は?」
「………。」
柊木はデータを完璧に把握していたようで、記憶力を誇示するように言い放つ。
「つまるところ、柊木監察官は何が仰りたいのでしょうか?」
課長が黙ったので、私が口を開いた。
半ば予想していた、この監察官たちが異能係にやってきた用件。
「この数値の落ち込みは、明らかに不自然じゃないですかねぇ?」
私が即座に反論しようとすると、今度は課長が無言で制して言った。
「あなた方が何を疑っておられるかわかりませんが、これは異能判定機の異能テストによる厳然たる結果ですよ。我々としては純粋に、我が国に異能者の絶対数が少なくなったのでは、と考えておりますが」
「ふむふむ!なるほどぉ、確かにそれも一理あるかもしれませんねぇ。ただし、その理屈はあくまで『異能判定機とその管理者を絶対とするならば』、という前提付きですけどねぇ」
「どういう意味ですかな?」
「はっきり申し上げますとぉ、ここ五年間の採点結果には何か作為的な疑いがある、ということなんですよねぇ」
「───」
西峯課長が押し黙った。
私も柊木監察官の直球発言に憮然とする。
確かに、彼女が挙げたデータには一つも間違いはなかった。異能係の設立当初に比べ、ここ数年では異能判定の結果に著しい変化があるのも事実だ。そして、総務省付きの監察官である柊木たちが表立って動いているということは、すなわち異能係が疑われているという不愉快な現実であった。
黙っている私たち二人を、柊木はしばらくニヤニヤしながら観察していたが、やがて彼女は新たなボールを投げ寄越した。
「牧野桐子。20xx年、総務省に入省。現在26歳、独身。昨年主任に昇格、射手座のB型。最終学歴は関東の国立大学、極めて優秀な成績で卒業。両親との関係は概ね良好、業務遂行に真面目で模範的職員との評価。将来の幹部候補職員としても期待されている──でしたっけ〜?」
柊木が、獲物を見つけた蛇のように目を細めて嗤っている。私は無言で柊木を見つめていた。
「おっと、まだ続きがありますねぇ。入省直後から異能判定機の管理業務に携わり、そして!牧野主任が入省した五年前から、偶然!、異能検知数が激減!あらら、こんなこと、あるんですねぇー!」
この場にいる人間のすべての視線が、私に集まった。
私はそれら──驚き・猜疑・冷笑、すべての視線を無表情で受け流す。
「──柊木監察官、牧野くんは職務に極めて忠実で優秀な人間です!突然、このような嫌疑がかけられるのは納得いきませんな!」
私を庇うように、課長が激しく抗議した。しかし、童顔の監察官は冷笑をやめず、芝居がかかった仕草でため息をつく。
「課長さん、そんなに怒らないでくださいよぉ♪ボクたちはね、ある筋からの情報提供に沿ってこちらの内情を調べにきてるんですからぁ♪」
情報提供、という言葉を聞いて、私は一瞬目を細めた。
「あぁ、それとですねぇ、先に逃げ道を塞いでおきますが、先月、異能判定機が定期点検を受けた際にあなた方には内密で、実はこちら側で精密検査を実施してましてねぇ!その報告が、もう少しでボクのところに届くんですよ♪あーホント、それが楽しみでしてねぇ♪」
課長が、わずかに顔をしかめた。
監察官たちは、本気で異能テストの採点結果を疑っている。私たち直属の管理者にも内密で、独自に異能判定機を検査するなど、よほどのことだ。
柊木たち監察官は、異能判定機と人間の両方に本気で疑いをかけている。
柊木が薄笑いを浮かべて、私に迫る。
「牧野主任~、いいんですよぉ、追い詰められる前に自ら告白しても!むしろ、ボクとしてはその方が手間が省けて楽ですしぃ♪」
「何のことでしょうか?」
平然と受け流す私に、柊木は爆弾を投げよこした。
「アハハ、惚けなくていいんですよぉ?ご自分でよくわかってるんでしょ?──ここの職員が、何らかの方法を使って異能テストの結果を操作してるってこと。例えば、何らかの異能を使ったりして、ね」
「「────!」」
室内に静かな衝撃が走った。
それもそのはず、柊木はとんでもない可能性を口にしているのだ。
国に存在を知られていない未知の異能者が、総務省で平然と働いて、不正行為を行っている──そんなことは起こり得るはずがないのに。
全国民対象の異能判定機による異能テストもそうだが、国家公務員は、登用前の試験段階でもさらに厳重な身辺調査が行われる。小さな芽でさえも摘まれると噂されるこの調査の目をかい潜って異能者が国家の機関に入り込むのは、限りなく不可能に近いだろう。監察官とはいえ、同じ国家公務員である柊木が知らないはずもない。
課長は絶句し、私も憮然とした。
柊木はその様子を楽しそうに眺めていたが、やがて徐に次のカードを切った。
「西峯真治。総務省統計課・第三課長、45歳、既婚。五年前にこの部署の責任者として赴任、その当初から新人の牧野桐子を異能判定機の管理者にと強く推したとか。──これは、とぉっても興味深いご関係と、事実ですねぇ?」
「な、何を言っている?!下衆の勘繰りのような真似はやめてもらいましょうか!」
課長は激高して、思わず机を両手で叩いていた。バンッ!、という激しい音が室内に鳴り響く。
「──課長、どうぞ落ち着いてください」
私は課長に声をかけつつ、柊木たちから死角になる位置から片手で眼鏡のブリッジを上げるふりをしながら、誰にも気づかれないように、もう一方の手で自分の胸の中央に触れた。できれば、課長にも普段通り冷静に監察官たちに対応してもらいたいのだが…。さり気なく胸から手を離して、私は柊木の様子を伺う。
柊木は課長の猛抗議にもまったく怯んだ様子もなく、冷笑を崩さない。それどころか、さらに追撃を緩めなかった。
「さぁ……どっちが犯人なのかなぁ?それとも、異能係の全員?それだと、かなりの大捕物になりますねぇ?」
柊木は声を殺してくっくっと笑った。
しかし──。私はふと、柊木とは違う自分に向けられた視線を感じて、その元を目で追った。監察官の隣に座る、暗い目をした男が、私と西峯課長を不自然なほど凝視していた。それは見る、といより『観察』と呼ぶべき異様な眼差しだった。
「──柊木監察官、よろしいでしょうか?」
男は私たちから視線を外し、さっと席を立つと柊木の耳元で何事かを短く囁いた。柊木はまったく表情を変えることなく小さく頷き、男も席に戻る。
「ふぅん……。」
柊木が唇に手を当てて、考える仕草をする。
「───っ」
やがて彼女が何か言おうとしたそのタイミングで、小さな電子音が鳴り響いた。彼女の携帯端末からのようだ。柊木は「失礼しまぁす」と私たちに一言断りを入れてから、着信に応答した。
「はい、柊木ですぅ。はい、はい。ふむふむ。なるほどね……、あー、そうなんですかぁ、わかりましたぁ。うんうん、ではそちらの詳細データはまた後で送ってくださーい。はいはい、よろしくお願いしまーす」
柊木はしゃべり終わると、携帯端末をテーブルに置きながらため息をついた。
「──はぁ。お二人に、非~~~常に、残念なお知らせですよぉ」
「?」
訳がわからず、私と課長は顔を見合わせた。課長が私の気持ちも代弁して柊木に訊いた。
「それはどういう意味ですかな」
「ええ、ですからぁ、とても残念なお知らせが届きましてぇ──こちらの精密検査の結果、異能判定機に異常が見つかったそうです」
「──!」
私と課長に新たな衝撃が走る。しかし、お構いなしに柊木は言葉を続けた。
「どうやら、異能判定機のコア部分に設置された精密検知センサーに何らかの問題があったようですねぇ。通常の定期検査では見つけにくい箇所の異常ということですよぉ?このセンサーに異常があると検知に大きな影響が出るそうでして。いつから異常があったかは正確にはわかりませんが、ひょっとしたら五年前からかもしれませんね?──さて、お二人にはお手間をとらせましたが、残念ながら疑いが晴れたので、ここでボクからの聞き取りは終了させてもらいますね。どうも、いろいろお疲れ様でしたぁ☆」
どこまでも軽く、柊木はあっけらかんとした口調で告げた。しかし、当の一人である課長の顔は青ざめていた。
「異能判定機に異常が…?!」
信じられない、という面持ちで課長は声を震わせた。無理もない。異能判定機の異常は、異能係の業務の根幹に関わる最重要事項だ。
すると柊木は、異能係へやってきてから初めてあらたまった顔になって私に言った。
「牧野主任、今すぐ異能判定機を止めると問題があるでしょうから、どこかキリがいいところで稼働を停止させて、後からくる技術の人間と今後のことを詰めてください」
「わかりました」
内心、柊木の豹変に少し驚きながら、他にも今後のことでニ、三の事務的なやりとりをする。その後、彼女は部下たちに目配せして、席を立った。
「では」
先程までの軽薄な印象はなく、柊木はむしろ颯爽とした雰囲気に変貌していた。退出する彼女らを送ろうと私が腰を浮かした瞬間、柊木はまた口許を緩め、私の名をささやくように呼んだ。
「そういえば、牧野主任」
「何でしょうか」
「異能者が“異能”を使う時に『鼻の頭に血管が浮き出る』って話、知ってますぅ?」
柊木は自分の鼻を指して、ニヤリと笑った。
課長はポカンとしている。私は身じろぎもせず、また元のおどけた姿に戻った柊木の目を真っ直ぐ見つめていた。
「……それが何か?初めてお聞きする話ですが」
私と柊木の視線が交錯する。
柊木はしばらく私の一挙一動を注視していたが、やがてふっと自ら視線を外した。
「ん~~、残念!この手には引っかからないかぁ。昔読んだ漫画のオマージュをしてみたのですけどねぇ。さすがは牧野主任だなぁ♪」
「…………」
私は返答をしない。柊木の傍らで、部下の男がまたじっと私を観察している。私は、無言で柊木を見据えていた。
「では、今度こそ失礼しますねぇ。ボクとしてはぜひ、またあなた方にお会いしたいと思ってます♪ふふ、その時を楽しみにしておりますよぉ♪」
「それはどうでしょうな。私どもとしては、もうお会いしないことを切に願いますが」
課長が苦々しげに答えてくれた。監察官に再び会うということは、私たちに何か問題があるからに他ならない。
ヒラヒラと手を振りながら柊木たちが退出していった後、課長は二人だけになった部屋で大きな息を吐きながら言った。
「連中、ようやく帰ってくれたな。まったく、揚げ足取りのようなデータと今の状況を勝手に結びつけてあらぬ疑いをかけてくれたものだ。しかし、異能判定機の異常とは……、この先が思いやられるぞ」
「そうですね」
私は小さく答える。
課長は異能判定機停止による業務の支障を思ってか、暗澹たる表情だったが、私に目を向けると無理に笑顔を作った。
「牧野くん、君も大変だったが、監察官の言ったことは気にするな。君が異能判定機の管理者になれたのは、君自身に適性とこの職務への熱意があったからなんだからな」
「…………」
私は軽く頷いて沈黙する。課長は一瞬だけ満足そうな顔をしたが、すぐに真顔になった。異能判定機のことで技術スタッフがくる前に、こちらでも色々とやるべきことがある。課長とそれを話し合いながら、だが私は、まったく違うことを考えていた。
───危なかった。
私は内心で、ドッと冷や汗をかいた気分だった。
柊木監察官、貴女の疑いは実に正しい。
異能テストの不正疑惑を、課長は単純に異能判定機の故障と信じたようだが、真実は違うことを私だけが知っている。それはなぜかというと──。
私が“異能者”だからだ。
先に、異能者が国家公務員になれる可能性は不可能に近い、と私は言ったが厳密にはそうではない。要は、異能テストを含めた国からの審査と調査にパスすればいいのだ。その方法は、私の“異能”と大きく関わっている。
私は自分の異能を『偽装』──カモフラージュ、と呼んでいた。それは対象に触れることで、その物質の表面をある程度自在に『偽装』することができるのだ。例えば、国民から回収した用紙を異能判定機に引っかからないように紙から特殊粒子を“無”状態に偽装することができるし、色の認識、人体の反応など、かなり様々なことを偽装することができる。それは、物質や生物の表面を、私の能力で別のものに“コーティング”するようなイメージだろうか。
もちろん、この異能にも限界があるので決して万能な力ではないのだが、“異能を持たない人間”と自らを偽装して総務省に入り込むことぐらいは、実際はそう難しいことではなかった。
この世界には、異能者を探しだす異能係のような国家機関が存在する一方、異能者側にも協力・情報交換・自衛のための組織が存在している。
私は元々、幼い頃からその組織にスカウトされた異能者側の人間で、総務省には『異能者を国にこれ以上発見させない』という使命を持って潜入していた。だから、柊木監察官の疑いはまったく正鵠を射ている。異能者の検知数が激減したのは、私が偽装を使って意図的に異能判定機の検知を掻い潜らせているからだ。
だから、先程はかなり危険な瞬間だった。もし柊木監察官の罠に嵌まり、釣られて反射的に鼻に手を当てていたら、彼女は即座に私を異能者と認定しただろう。『鼻の頭に血管が浮き出る』云々自体は柊木の作り話で、私の反応を試すためだけの嘘だと悟ったが、危うく体が反応しそうになって私は肝を冷やした。
そして、実は今回の件にはもう一つ“カラクリ”が存在する。
幸い私が異能者であることは発覚しなかったが、異能テストで異能者がほとんど発見されない状況が続けば、遅かれ早かれ“人”が疑われ、私を含めて徹底的に異能係は調べあげられるだろう。そうならないために、組織と私が打った手は、あらかじめこちら側で『異能判定機を故障させて、それを隠しておく』というものだ。
つまり、異能判定機を意図的に故障させた上で、“故障している”という状況を私の偽装で隠す。そして私の任意で偽装を解いて、国側に故障を発覚させるのだ。そうすることで、私が疑われた際に機械側の問題にすり替える……という策である。
異能判定機を故障させている上に、私の偽装をさらに重ねているので、異能判定など出るはずがないというのも、組織と私にとっては都合がよかった。
ちなみに、柊木監察官に入った異能判定機の故障の報告は、私が異能判定機に施した偽装を事前に解除し、その状態で彼らの精密検査を受けたからこそ成立していることを、念のために言っておこう。
とはいえ、このやり方はおそらく今後も永遠に通じる手段ではない。異能判定機を故障させる作業には大きなリスクが伴う上に、同じことが続けば勘づく者も出てくるだろう。
そして、この真実がいつか発覚すれば当然、私もただでは済まないことも承知している。だが、その時の『覚悟』はとっくにできているし、矛盾しているようだが自分の異能を隠し通すことには自信も持っている。
しかし、これからはもっと気を引き締めねばならない──と、私は自分に言い聞かせた。今日、柊木監察官が連れてきた部下たちは、おそらくただ者ではないと私は確信していた。特に暗い目をした、私たちをじっと観察していた男──。あの男は、何らかの“検知能力”を持った異能者だったのではないだろうか?
おそらく、異能そのものを検知する能力ではない、とは思う。もしそれが可能なら、私は発動中の偽装の異能をあの男に見抜かれて、その場で拘束されていた可能性があったのだから。
あの時、私は瞬時にそう読んで、とっさに自分自身に偽装をかけていた。胸に手を当てたのは、異能を発動させるのに必要な予備動作だったのだ。偽装効果は“血圧・心拍数などの生体反応が一定しているように見える”というコーティング。もし偽装なしの素のままなら、ストレスや緊張による激しい動悸で、あの男の異能に何かを勘づかれていたかもしれない。しかし、結果としては私の異能で何とかやり過ごすことができた──。
私は肩の力を抜いて、小さく安堵の息を吐いた。
「どうした、牧野くん。調子でも悪いのか?」
気づくと、課長が私の顔を覗きこんで心配そうにしている。
──む、何かおかしい。ホッとした顔を、他人から調子が悪いと思われるとは……。普段から、私が無愛想な仏頂面をしているのが原因だろうか?何となく腑に落ちないが、眼鏡のブリッジを上げながら返事をする。
「問題ありません、課長。それより、そろそろ定刻ですので異能判定機の稼働を停止させましょう。」
──大丈夫。私なら、最後までやり遂げられる。
自分に言い聞かせるように、心で呟く。
そうだ。幼い頃に異能に目覚めた時からずっと、私は身内にさえもこの力を隠して生きてきた。その孤独に比べたら、たかが国を相手にした偽装ぐらい、どうということはない。
柊木のような監察官が何人こようとも、何度でも何度でも、煙に巻いてこの秘密を隠し通してみせる。
この国の異能者が、一人でも異能テストに引っかからないように──彼らが普通に生きていくための防衛線が、この私なのだ。
「わかった。牧野くん、これから大変だがよろしく頼むぞ」
「はい」
私は課長に答えながら、ふと考える。
───異能テスト。
私たちが管理しているこの『試験』は、いったい誰が為のテストなのか。
『国が潜在的に危険な異能者を管理するため』
と、もっともらしいことを教わったが、私には何か──もっと違う、深い思惑のようなものがあるように思えてならない。
それが何なのか?
そこまでは、今の私の立場では知る由もないが。
いつか──叶うならばその答えを、『真実』を知ってからこの世を去りたいものだ。
それまでは、異能者組織の偽装使いにして異能者を検知する異能係・主任という、相反する二つの職務を全うしてみせよう。──もっとも、後者は偽装で塗り固めた偽りの身分に過ぎないが──。
私は先に退出しようとする課長の背中で小さく微笑み、彼に続くように立ち上がった。
さぁ、行こう。
今日も異能判定機が待っている。
私は背筋を伸ばしながら歩き、課長の後に続いて部屋を出た──。
追記:
《柊木 視点》
「うふふふ、面白いことになってきたよねー♪」
ボクは異能係から帰る道中の車内で、口笛を吹きたいくらい愉快な気分で、誰にともなく呟いた。
今、ボクは、国から支給された高級外車の後部座席にすっぽり収まっている。フカフカのシートはやたらと豪勢な造りで、先ほどまで座っていた貧相な異能係の来客椅子などとは比べ物にならない。
「──楽しそうですね、監察官」
ボクの隣のシートに座る、根暗そうな目をした男が無表情で言う。この男はボク直属の部下で、名は城田って言うんだ。
「城田はどう思ったのさ?」
固有名詞を指さず、ボクは無造作に訊いてみた。
「──は。ご報告した通り、あの場で牧野桐子の心拍数・体温・血圧等にほとんど変化がありませんでした。あの状況では、むしろ不自然なほどに」
「だよねぇ♪」
ボクは嗤った。
この城田は国家公認の異能者だ。その能力名を、看破、とボクたちは呼んでいる。それは、生物の生体反応を外側から『視る』ことができる力で、別名を『嘘発見器』。城田の前では、どんなに平静を装うとも、動悸などから心の動きがすべて筒抜けになるんだよねぇ。
城田の異能を使って、牧野桐子のあの鉄面皮をひき剥がしてやろうと思っていたんだけど、異能係で牧野桐子を『視させた』答えは『問題なし』。
だけど、城田も言う通り、あの状況ですべてが平常通りというのもおかしいんだよね。監察官のボクに直接疑いをかけられているんだよ?仮に冤罪だとしても、心拍数くらいは上がるはずなんだ。
「──監察官は怪しいとお考えですか?」
城田が控えめに質問する。ボクは「うーーん」と唸った。
「今はまだグレーだね。それだけだと証拠にもならないしさ。だけど──」
ボクは口を閉じた。
牧野桐子。
ボクの勘では、こいつは黒も黒、闇よりもなお濃い、完全に『真っ黒』ってヤツだね。あの女、あれだけ散々カマをかけてやったのに、表面的には小揺るぎもしなかった。なかなかの度胸だが、おそらくそれだけじゃないだろう。
──これは本当に、何かの異能を使っていたのかもしれないなぁ。
つい嬉しくなって、顔がニンマリしてしまう。新しい人材を目にした時の、ボクの悪い癖だ。
「カァーーーーーーン!!!」
ボクは唐突に声をあげた。城田が驚いて目を見張る。ボクは気にせずケタケタと嗤った。
「──監察官、どうなさいましたか?」
しばらくして、城田が遠慮がちに訊いてくる。
「ん?わかんないの?たった今、打ち鳴らしたんだよ!──ゴングをね♪」
「──はっ」
城田は要領を得ない顔をして黙ったが、そんなことは気にしない。
はじまったんだよ、あの鉄面皮との静かな戦いが。これはこの先、かなり楽しめそうな展開だなぁ♪と、ワクワクして仕方がない。
ただ、彼女には悪いけど、最終的に勝つのは間違いなくボクだけどね。これはボクにとっては『後、何手で詰ますか』というだけの“詰め将棋”に過ぎない勝負なんだ。
あっちはおそらく牧野桐子の単独犯、あの手この手で揺さぶりをかけ続ければ、仮に異能持ちだとしても、いつかボロが出るのは目に見えている。そして、牧野桐子の化けの皮を剥いだら、背後関係なんかも徹底的に洗い出すことになるだろう。
すべてが露見し、孤立無援で絶望する時──、あの鉄面皮はどんな顔をするのだろう?
その瞬間を想像するだけで、背中がゾクゾクしてしまう。
ボクは恍惚の表情を浮かべて牧野桐子の末路を夢想した。
城田と運転手の部下は、そんなボクを青ざめた顔で黙って見てみぬ振りをしている。
うん、それが賢明だよ♪
僕の楽しみを邪魔なんかしたら──、どうなるのか、彼らはよく知っているのだから。飼主の責任として、普段からしっかり躾てるからね♪
あー、それにしても次に彼女に会う時が楽しみだなぁ♪
こんな楽しみを与えてくれた、情報提供者には感謝しないといけないなぁ♪
待っててくださいね、牧野主任。
笑いが止まらないボクは、高級車の窓ガラス越しに、クールな知的美人である牧野桐子の顔を思い浮かべた。
「だけど──、あんまり調子に乗ってると──、君もサクッと消しちゃうぞ?」
ボクは、思い描いた彼女の映像を指で弾いて消す真似をして、嗤う。それを見た部下たちが凍りついているのも捨て置いて。
おっと、いけないいけない。
また悪い癖が出そうになったなぁ、人材はすぐに壊れちゃうから、大事に大事に扱わないとね?
──せいぜいボクを楽しませてよね、牧野主任?
今後テストされるのは誰なのか、次に会う時に、よぉくわからせてあげるからさ♪
ボクは両手を頭の後ろで組んで、鼻を鳴らした。
「これから楽しくなりそうだなぁ♪」
そう呟いて、ボクは静かに目を閉じた。牧野桐子の絶望の顔を思い浮かべながら──。
《……to be continued.》
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。(このお話(エピソードZERO)は後編とセットですので、よろしければ続きもどうぞ)