練習?アドリブ?
「これでどうだっ!」
出来上がった台本を広げ、それを恵里奈にこれでもかと見せつける。台本を手に取り、頭から読んでいくと、恵里奈は息を吐き台本を返す。
「ふ……不満か?」
恐々と木下は恵里奈に聞いた。
「まるっきり緊張感感じないじゃない! なによ、ゆめゆめ忘れないようにって。そんなの、普通使わないって!」
「バカなっ! これは僕が十分間考えて作り上げたメンミツなストーリーなんだぞ! それをイチからバカにしやがって! じゃあ一度この台本通りに練習してみようじゃないか!」
恵里奈に言うと、無言の拒否。
「絶対バレるって!」
「いいや、案外こういう方がバレないんだって! いいから一度練習だ! いいな?」
有無を言わせず、木下は誘拐の台本の練習を始めた。木下は叔父の南野源一郎と本人との一人二役である。右手を親指と小指だけ立てて電話の形にする。そして口を尖らせ、プルルルと着信音を声に出す。
「もしもし」
「南野源一郎だな?」
「確かに私は南野だが、そちらは誰かな」
既に台本から少し離れ、アドリブになりつつあった。
「おたくの孫娘を預かった」
「は?」
「聞こえなかったか。あんたの孫娘を誘拐したと言ったんだ。解放してほしくば、身代金として五千万を用意しろ。あと、わかっているとは思うが万が一にも警察に通報した場合は二度と孫娘の生きている顔は見られないと思え。その事をゆめゆめ、忘れないように」
「え……恵里奈は! 恵里奈は無事なのか!」
「ええ。無事ですよ。お爺さんの誠意次第ではどうなるかはわかりませんがね」
「声を聞かせてくれ」
「ちっ仕方ないな。ほら、話せ」
練習してみてくれと言わんばかりに視線を恵里奈に送った。
「きゃー。お祖父ちゃん、早く私を助けてー」
恵里奈の演技はほとんど棒読みに近かった。それを聞き、木下は頭を抱える。
「馬鹿野郎! なんだその演技は! それこそ絶対バレるわ! きゃーって、恐怖心などが全く感じんではないか! やり直し!」
「きゃー。お祖父ちゃん、早く私を助けてー」
「ワタシヲタスケテーではなく、私を助けて! だ! もっと感情を込めて!」
いつのまにか木下は監督に成り切っていた。四十分の練習の末、恵里奈はようやく悲哀感、恐怖心もろもろの演技ができるようになった。そしてそれをみて、木下は再びイチからやり直した。
「声を聞かせてくれ」
「ちっ仕方ないな。ほら、話せ」
「お祖父ちゃん! 早く私を助けて! ここは嫌なの! 暗くって身体を縛られてて、怖い……。怖いよお祖父ちゃん……。助けて……」
アドリブ全開だったが、四十分前と比べて遥かにマシだった。自分は指導の才能があるのではなかろうか? 木下は少し自信有り気にニヤついた。
「ええいっ! 恵里奈はまだ見つからんのか!」
さて、木下が恵里奈の演技力を上げる特訓をしている時、南野源一郎は自社のオフィスでせわしなく辺りを徘徊しているところであった。恵里奈のボディーガードはターゲットである恵里奈を見失い、その報告を源一郎にするとマイハリセンを出し思いっきりボディーガードを叩いた。ボディーガードは涙目になり叩かれたところをさすっていた。
「クソッ。恵里奈はどこにおるんじゃ……」
机に座ると、手を組みそれを口元に持っていくとブツブツと独り言を始める。源一郎の思考は悪い方向ばかり傾いていた。
こんな時間まで連絡をよこさんとは……。まさか恵里奈の身に何かが起こったんじゃ……。例えば誘拐とか……。
実際は今や全く別のところでその恵里奈本人は狂言誘拐の台本の練習をしている最中なのだが、そのことを源一郎は知る由もない。源一郎が考えごとをしていると、ボディーガード達がひそひそと話し合いを始めていた。
「なんじゃ! 鬱陶しい!」
「あの、こういうこと言うのはあれなんですけど、お嬢様のスマートホンのGPSを辿ればよろしいのではないでしょうか? 高校生の娘さんです。お持ちでしょう? スマートホンの一つくらい」
「ああ。確かにあの忌々しい父親に買ってもらったと言っておったが、じーぴーえすとはなんじゃ?」
「GPSとは、全地球無線即位システムの略で、簡単に言うと衛星から発射した電波を受信し、その個人の位置情報を把握する電波のことです」
「あああああ! しまった!」
位置情報サービスのことをすっかり忘れており、木下は恵里奈に携帯の電源を切るように指示した。
ボディーガードは源一郎からパソコンを借り、流れるような手つきで位置情報の取得を開始する。
「君、こういう機械には強いのかね?」
と、源一郎は関心して聞いた。
「ええ、高校大学と電子工学を専攻してましたので。あ、出ました」
一瞬パソコンに円が入るが、次の瞬間それは消え去った。
「ダメですね……。電源を切ったのでしょうか」
「なんじゃ! 期待させおって! このバカモンっ!」
源一郎は再びボディーガードにハリセンでお仕置きをした。
「姉さん、どう思います?」
ドア越しに立っていたボディーガードの一人である仙道陸道は姉貴分である南野香久耶に小声で聞いた。
「ま、恵里奈は高校生の女の子じゃん。遊び盛りってだけなんじゃない。爺様はいつも深く考えすぎてるだけじゃん」
「い……言いますね、姉さんも」
冷や汗を流し、顔を引きつらせながら仙道は言った。
「ところで、こんな時にあれなんですけど、あの話どうなったんです?」
「あの話って?」
「先月なんか結婚の話あったじゃないすか」
質問の意味がわかり、香久耶はあー……と頷いた。
「いちお、オッケー出しといた」
「え? マジっすかそれ」
香久耶の返事に仙道は酷く驚愕した。
「まあ、爺様が決めたことだから……」
「でも、アイツは……」
「だからこの話はナシナシ。私だって一人の方がいいけどさ、仕方ないじゃん。こうなったらさ。まあ、顔はそこそこって感じだし、ボディーガードってことでいつも顔合わしてるし実質いっしょに住んでるってのと同じじゃん。まあ、関係ないわよ」
「じゃあ、自分とも一緒に住んでいるという自覚はあるんですか?」
反応を見ながら仙道はボソボソと聞く。
「あるよ」
「本当ですか?」
「なんでこんなことで嘘言わなきゃいけないのよ」
「自分のこと、好きですか?」
仙道は頬を赤らめる。それは、思春期の少年のような顔だった。
「ええ、好きよ。恋愛とかじゃないけどね。人間として好きだよ」
「自分は、姉さんのことは一人の女性として好意を抱いてます。自分は……姉さんと……」
「はい、そこまで。それ以上は絶対に言っちゃならないタブー。わかる? 今や私はもうすぐ一人の人妻になるの。もうこれ以上はだめね」
アイツさえいなければ……。
アイツさえ……。
仙道は強く歯ぎしりをした。