身代金
恵里奈はイスに座り、ティーバッグをマグカップに入れ、紅茶を飲んでいた。そして少し飲むとマグカップを置き、真面目な顔つきになる。
「さて、ここらで重要な事を打ち合わせないといけないわね」
「重要な事?」
会話の意図がわからず、木下は首を傾げた。
「決まってるじゃない。私の身代金。いくらにするか決めないといけないでしょ」
ようやく意味がわかり「あー」と情けない声を出した。
「まず君が絶対に必要な額は三千万だよね?」
と、木下は恵里奈に確認すると、恵里奈は無言で頷いた。それを見て、木下は「うーん」と唸る。
「身代金ねぇ……こんな事するなんて想像もしてなかったから、考えた事もなかったなぁ……。いくらにするんだろ」
「サラリーマンの生涯賃金は約二.五億って聞いたことあるわ」
「いやいやいやいやいや、二億五千万なんてダメだろ……」
両手を左右に振り、木下は恵里奈の提案を拒否する。そして再び振り出しへ––––。
「ここは間をとって五千万ってとこでどうだ?」
右手を開き、五を形作り、木下は言う。
「五千万? 二千万多いじゃない」
「当たり前だ。俺だって多大なリスク背負ってんだ。分け前くらい当然だろ」
恵里奈は「ちょ、ちょっと待って」と言うとティーカップを持ち紅茶をすすった。フーと息を吐き、一瞬目を閉じる。
「仕方ないわね! まあ私もこんな無茶な頼み事してるんだし、拒否とかはできないよね」
「でも、誘拐沙汰を引き起こしたら君のお母さんは?」
「私のお母さんは私が中学に上がった時心臓病で死んじゃった。それからはお父さんと暮らしてたけどお父さんも病気になったから今はお祖父ちゃんとこで住んでたの。それでいつもお祖父ちゃんのボディーガードを何人か私に回して外出させてたけど、それ振り払っちゃった」
恵里奈の話を聞き、木下は最悪な展開が頭をよぎる。
「ま……まあ、ここまで後つけられてないよな?」
冷や汗をかきながら木下はすがる思いで聞いた。恵里奈は「多分」と小声でつぶやく。
多分って––––。
木下の身体に嫌な何かが絡みついたような悪寒が走った。それはネバっと絡みつき、じわじわと首元まで広がっていくような、嫌な気持ちが。
「つ、つけられてないな、なら、一度練習しよう」
「練習?」
「そう! 練習! ぶっつけ本番って演技ってのはちょっと不安だろ? 僕らでまず練習しよう!」
木下は受話器の横に置いてあるメモ用紙とペンを持ち、セリフを書いた。キと書いてあるのが木下で、オと書いてあるのが恵里奈のお祖父ちゃんの事、エと書いてあるのが恵里奈の事で、とりあえずまとめていった。
オ もしもし
キ ……。
そういえばお祖父ちゃんの名前を聞いてなかったじゃないかっ!
木下はペンを乱暴に置いた。
「君のお祖父ちゃんの名前は?」
「南野。南野源一郎よ」
「よし、わかった」
話を終わらせると、再びセリフ作りに専念する。
その点で、木下はオではなくゲと人物表記を改めた。
ゲ もしもし。
キ 南野源一郎だな?
ゲ 南野源一郎は私だが、どなたかね。
キ おたくの孫娘を誘拐した。
ゲ は?
キ 聞こえなかったか。あんたの孫娘を誘拐したと言ったんだ。解放してほしくば、身代金として五千万を用意しろ。あと、わかっているとは思うが万が一にも警察に通報した場合は二度と孫娘の生きている顔は見られないと思え。その事をゆめゆめ、忘れないように。
ゲ え……恵里奈は! 恵里奈は無事なのか。
キ ええ。無事ですよ。お爺さんの誠意次第ではどうなるかはわかりませんがね。
ゲ 声を聞かせてくれ。
キ 仕方ないな。ほら、話せ。
エ お祖父ちゃん、早く私を助け……。
キ はい、そこまで、早く用意する事ですね。では、また。
ガチャリ……と。うん、我ながら素晴らしい出来だ!
即効で思いついた割にはなかなかうまく悪者臭が出ているような気がした。