誘拐
「ゆ……ユーカイ⁉︎ それってどういう事……」
突然の言葉に木下は慌てて、目まぐるしく視線が泳ぐ。
「誘拐っていうのは、誰かを攫ってお金とかを要求したりする事よ」
「バカモン! 意味くらいわかっとるわ。なんで俺がお前を誘拐せにゃならんのだ」
冷静に意味を説明する少女に木下は少し怒りが湧き上がる。
「お願い! 訳は後で話すから! 私を誘拐して!」
少女に掴まれ、木下は嬉しいような恐ろしいような複雑な気持ちになる。まるで彼女の意図が読めなかったのだ。なぜ誘拐する必要がある? なぜ自分を選んだ? 疑問が次々と沸いてきた。そしてそれらは答えがわからず、不可思議さが増した。
「とりあえず中に入れて!」
と、少女はズコズコと木下の部屋に入っていった。
マズい!
木下は咄嗟に彼女を追いかけた。今部屋にはあの子の写真が置いてある。今見られたら––––。
あらゆる想像が木下を不安にさせる。しかし、時すでに遅し。少女はアルバムにある自分の写真を一枚ずつ見ていたのだった。
終わった……何もかも。
「すごーい! うまく撮れてるじゃない!」
予想外の反応が出て木下は返答に戸惑い、「え? え?」という事しか出来なかった。
「だってこれ私の写真でしょ? 撮られてること全然気づかなかった」
盗撮だからね。
と、木下は心の中で突っ込んだ。
「で、話を戻そう。誘拐してというのはどういう事かな」
木下は写真の話題はまずいと思い話を切り替えた。
「言葉通りの意味よ。あなたに私を誘拐してめちゃめちゃにして欲しいの。その方がリアリティあるし」
めちゃめちゃ……。
木下はあらぬ妄想をした。それを見抜いているのか、少女は「そういう事」と添えた。頭を振り、その考えを改める。
「でも、どうして僕に?」
「おじさん、いつも私の事見てるから、おじさんならやってくれるって思って、後つけた」
「誘拐して欲しい訳とは?」
「私のお父さん……病気で入院してて手術とか色々な費用があるの。それが、三千万かかるのよ……」
少女は肩を震わしながら途切れ途切れに言った。
「それなら色々な人から借りて工面すればいけるんじゃ……」
「それはできないの! 私のお祖父ちゃん……有名な金融コンツェルンの会長で私のお母さんはお祖父ちゃんの子供だった。私のお父さんがお母さんと付き合ってお祖父ちゃんはそれを許さなかった。そして二人で駆け落ちしたの。だからお祖父ちゃんはお父さんの事許してないの。多分」
なるほど。
理由はわかった。
「要するに君は今すぐ三千万が欲しい訳だ」
「今週中に手術しないと……お父さんが死んじゃうの! うちはお金がないから……」
あまりにも早いタイムリミットに、木下は彼女の気持ちがなんとなく察せられた。そんな時なのに呑気に盗撮して、それを写真にまとめたりなどしている自分が憎らしくなる。下心なしに協力してやりたい気持ちになるが、狂言誘拐だとしても誘拐は誘拐だ。それに三千万は身代金で渡させるにしてもそうした場合は脅迫罪、もし警察に連絡した場合は威力業務妨害罪に当たるかもしれない。警察を呼んだ場合、一番高いリスクは身代金を貰いに来る場面だ。逆を言うとそこさえしっかりすれば成功できるとも言える。さてどうするべきか。
「こんな事おじさんにしか頼めないの! お願い! 私を助けると思って誘拐して!」
「しかし……リスクが……」
「もしこの誘拐が成功したらおじさんと結婚してあげる! それでどう?」
「いや、結婚というのはそうほいほい口にして良いものではないよ」
「なに? おじさん私のストーカーだったんでしょ! その相手から結婚を求められたんだよ! 拒否する理由がどこにあるのよ!」
「いや、僕は考えを改めたよ。君の境遇を聞いたらこんな事をしている自分がバカらしくなってね、今日限りこういう事はやめようと思う」
彼女には悪いがここはキッパリと断るしかない。保身のためには仕方がなかった。
「なら、この写真を警察に渡して被害届出しちゃおうかな」
少女はアルバムから抜き取った写真をピラピラと見せて睨みつけた。
「えっ……いや、それだけは……」
「探したら他にもあるかなぁ。この鍵がついてる机なんかいかにもって感じだしねぇ〜」
少女は机をガタガタと動かした。そして鍵の付いている引き出しの下の引き出しを取り出し、その中から工具を出し上、つまり鍵がついている引き出しの床を叩き出した。
「こういうのって、こうすればポロっと落ちるのよねー」
少女はガンガンと音を響かせながら叩き続けている。
「わかった! 誘拐する! いや、誘拐させてください!」
観念し、木下は少女に土下座した。
「誘拐するにあたり、お互い自己紹介しよう。僕の名前は木下達郎、二〇歳大学二年生だ」
「へー大学生なんだ。フリーターかと思ってた。私は柴田恵里奈、十六歳、高校一年生よ」
「紅茶やコーヒーなどはそこの台所から適当に使って飲んだりしてくれて結構だ」
「了解よ」
こうして、二人の狂言誘拐生活が始まったのである。