瘴気の原因は東に。しかし…
「ただいま、母さん。って何で起きてるんだよ、まだ寝てないと駄目だろう!」
「おかえりなさい、カイン。息子が久々に帰ってきて、さらに町を救ってくれたっていうのに、これが寝てられますか!」
俺は実家の玄関を入るなり驚いてしまった。昼間まで病院で寝たきりだった筈の母が何やら夕飯の準備に勤しんでいるではないか。そんなの今日はいいから、元気になるまでゆっくり寝ていれば良いのに。
だが母さんがこう!と思ったら一直線であることは俺も心得ているので、まあ仕方無いかぁ。と諦める。取り合えず元気そうだしな。
「まあ、元気なら良いけど、あんまり無理しないでくれよ?父さんは寝室?」
「ええ、父さんは私より症状がひどかったのよ。今日はもう眠ってるわ。」
父さんも衰弱はしてるみたいだけど、ともかく無事で良かった。俺もついこの前まで全く無気力状態だったけど、やっぱりこうして人の役に立つのは嬉しいね。何というか自分が生きる意味を見いだせるって感じがする。大袈裟かも知れないけどな。
「ああ、そうだ、幼馴染のエミリーちゃん、覚えてる?」
「覚えてるよ、ちょうど今朝、エミリーのことをちょっと考えてたところだったんだ。」
「あら、それは奇遇ね。彼女も伝染病にかかってたんだけど、何とか回復が間に合ったみたいでね、ご両親があんたによろしくって言ってたわ。明日にでも、顔を出してあげてくれる?」
是非も無い。エミリー、久しぶりだな。俺は竜騎士を目指してからというもの、殆どここに帰ってきてないし、ホントに顔を合せるのは何年ぶりだろうか?
「ああ、解った。家の場所は、変わってないよな?」
と、言ったものの俺自身がエミリーの家の場所をあんまり覚えていないんだよな。うろ覚えというか。明日ヘクターに案内してもらうか。
明くる日、俺はヘクターに頼んで、エミリーの家へと足を運んだ。ああ、そうそう懐かしい。この独特な平屋ね。確かお父さんが大工さんで、こういう建物のデザインなんかも一緒にやってるんだったか。今はどうしてるのかな。俺は少し緊張しながら玄関の扉をノックする。何しろ子どもの頃以来だ。顔が解ると良いんだけど。
「はい、どなた?」
「カインです。マリーおばさん、お久しぶりです。」
「ああ、カインちゃん、いらっしゃい!直ぐにドアを開けるわね!」
ドア越しに名乗ると、バタバタと中で音がするのが聴こえた。そんなに急がなくてもいいのに。と思うが、小走りに玄関に駆け寄ってくる音が聞こえ、ギィっと音を立ててドアが開け放たれる。
「カインちゃん、娘の命を救ってくれて、有り難う。本当に、何と御礼を言ったらいいか…。」
そう言うと、マリーおばさんは涙を流して、俺の手を両手で包むように握りしめた。いやいや、そんな、俺はルーをたまたま連れてきたから何とかなっただけで。
「ルキフグスのお蔭です。僕は、彼とたまたま出会ったから良かっただけで、御礼だったら彼に。」
「いやいや、そんな、カインちゃんが竜騎士じゃ無かったらそんなこと出来る筈無いだろう?全部カインちゃんのお蔭だよ。」
そう言われると、そうなのかもしれないが。何となくこそばゆいというか、竜騎士首になってからこの方、人から感謝されるなんてことも殆ど無かったから、上手く受け取れないな。それにしてもマリーおばさん、カインちゃんは無いんじゃないか?もう俺25歳だぞ。
「マリーおばさん、その、カインちゃんっていうのは、恥ずかしいというか、僕ももう25歳ですから。」
「あら、ごめんなさいね、小さなころのことしか頭に無かったからねぇ。それより、エミリーにも少し顔を見せてやってくれる?昨日よりは大分良くなっているし、直接御礼が言いたいって言っててね。」
うん、調子が悪くないなら、ホントに久しぶりだけど、ちょっと顔を見せるのもいいだろう。でも、病気で寝込んでた顔なんて、あんまり見られたくないだろうに。いいのかな?
「エミリー、カインちゃんが来たわよ。あら、また私ったらちゃん付けしちゃったわ。」
まあ、それについてはもう癖みたいなものなんだろうな。害があるわけでも無いし、諦めるとするか。俺はノックしてエミリーの部屋へお邪魔する。
「エミリー、久しぶり。大丈夫か?」
「カイン、来て、くれたんだ。」
エミリーは布団を顔の半分まで被って、目だけでこちらを見つめてくる。病気の症状から言って随分やつれてるだろうからな、無理も無いことだ。
「ああ、エミリーが助かって良かったよ。」
ホントにな。
「カイン、その、有り難う。私の命を救ってくれて。」
「ああ、ウン、まあ、たまたまにしても、兎に角タイミングが良くてね、みんなを助けられて、良かったと思ってる。」
「うん、本当に有り難う。」
エミリーは何度もお礼を言ってくれる。やっぱり恥ずかしい。関係ないけど、エミリーってまだ実家暮らしなんだな。俺より少し年下だったと思うけど…。見合いの一つもしないのかな?なんて、大きなお世話だよな。うん。でもちょっと気になるな。
「じゃ、じゃあ、また元気になったらどこか遊びにでも行こう。俺も竜騎士を首になってからなんにもしてなかったから、気晴らしにさ。」
「え?う、うん、良いの?でも、楽しみにしてる。」
なんか、良くわからん約束を取り付けちまったな。まあ良いだろ、俺は暫くは暇なんだし。
俺は、今回の病気の原因について思いを巡らせている。疫病というからにはどこかから運ばれてきたものだと言えるが、何処から?あるいは誰が運んできたのだろうか?取りあえず、その辺りのことが直ぐに解りそうな、病院の院長を訪ねてみることにした。院長のアトリーは、目下の問題が一段落したことを受けて、快く話をしてくれた。
「症状を最初に発症したのは、間違いなく東のシリル村から来た伝令の兵士でした。彼は東の村が疫病で壊滅的な打撃を受けていることをリュミエールまで連絡しに来たわけです。その時は、まだ健康体だったわけですが、潜伏期間中だったのでしょう。町に着いて程なくすると病気を発症し、そこから彼の看病をした看護婦、その家族、と医療従事者から一般家庭へと広がっていったわけです。」
へぇ、じゃあ一応原因は掴めているという訳だ。しかし、根本的にはシリルの漁村が原因かどうかも解らんと。これは、ルキフグスと一緒に行ってみるしかないだろうなぁ。
「また、この町に影響が出るとも限りませんから、私とルキフグスで原因を探りに行ってみます。」
そう言うと、アトリー院長は目を丸くして、俺にまくし立ててきた。
「お願い出来ますか?次にいつまた疫病が再発するか解りません。カインさんには申し訳ありませんが、その原因がわかるのであれば、是非是非、お願いしたい。この病気に立ち向かえるのは、今のところカインさんだけなのです。」
いや、まあ完全にルーのお蔭なんだが、兎に角、町長にも一言伝えて、原因探りに行って来ようかな。
町長の屋敷でも、俺の遠征は是非も無いと太鼓判を押され、俺は早々ルーと一緒にシリルの漁村へ向けて出発した。
「それにしても、ルー、お前足早いなぁ。」
「僕は骨だから飛ぶのはあんまり得意じゃなくてね。地面からエネルギーを貰って、ブーストさせる方が得意なんだ。」
メリーの背中に乗ってる時と相違ないほどのスピードで海岸沿いの森を走るルキフグス。これならシリルまで直ぐ到着してしまうだろう。もしかすると、以外にも早く原因にまで至るかも知れないな。
「うわ、っと。」
そんなことを考えてる俺の横に、沢山の亡霊が現れた。人間の亡霊のようだ。もしかして、シリルの…?
俺の頭に直接響いてくるような声は、どれも苦悶と助けを求めるもの。正直聴いていて辛い。
「かわいそうに。みんな苦しんで亡くなったんだね。ちょっと魂を浄化してあげよう。」
「そ、そんなことが出来るのか?」
おれは驚いて、ルキフグスの背骨に跨りながら、その顔を見やる。彼は大きく首肯する。
「まあ、毒を取り除くのと同じようなものだよ。煉獄と一緒で、魂の不純物を焼き払うのさ。」
おい、それって結構苦しむんじゃないのか?煉獄っつったら、魂を炎で焼くような場所なんだろう?
「このままじゃこの人たちは煉獄に行くまでにも生前の病気の苦しみを味わい続けなきゃいけない。それなら、今すぐ浄化してあげた方がずっと楽なはずだよ。」
言うが早いか、ルキフグスは立ち上がり、目の前に集まって来た人間たちの亡霊を見下ろす。そして、口の中が輝いたかと思うと、巨大な一条の閃光があたりを焼き尽くす。
「うわあ!おい、ルー、何やってんだ!森ごと燃やす気か!」
俺は驚いて声を上げてしまうが、ルキフグスはどこ吹く風。
「この位しなきゃ、彼らは助けられないよ。それに、大丈夫、実態には干渉しないように抑えめにしてあるからさ。」
嘘つけよ。周りの木とか燃えてるだろうが。っとあれ?燃えてたはずの木が元に戻ってるな。本当に、魂だけに干渉したのか。
「生命力があれば魂は焼かれても戻ろうとするから、大丈夫。」
へー、そういうもんなんだな。初めて知った。そりゃそうか、そんなことこの世の人間には解らない事だもんな。それはそうと、俺たちの周りにいた亡霊たちは一人残らずいなくなったみたいだ。成仏してくれたのかな。
「彼らはみんな、天国の門へ向かったと思うよ。後のことは、神様に任せよう。」
「そうか、なら、良かったな。死んで尚苦しむなんてあんまりだ。」
しかし、シリルの村にまだ生きている人だっているだろう。今は彼らを現実の苦しみから救ってやるのが最優先だ。先を急ぐとしよう。
結論から言うと、シリルの村は壊滅状態。村人の8割は亡くなり、残りの2割のうちの半数は既に疫病にかかっていた。ルキフグスの姿を見れば恐怖を露わにしたりするのが普通の筈だが、諦念が蔓延しているのかそんな反応すら見られない。
なんて、酷い状況なんだ。
「ルー、早いところ瘴気を浄化しちまおう。こんな状況、見てらんねえよ。」
「そうだね、生き残った村人の家々を回って、外から瘴気を吸い出していくよ。」
村の中はそこかしこに亡くなった村人のお墓が。もはや村の共同墓地に埋めきれず、村の敷地内に無造作に埋めたのだろう。そこからもかなりの量の瘴気が立ち上っているようで、ルキフグスはそういった場所を逐一周り、浄化していった。
俺は、生き残った村人に話を聴いて回る。
「村人の命を救って頂いて、有難うございます。」
「いや、もっと早く来れれば、まだ助けられる命が増えたかもしれないのに…申し訳ない。」
そう考えると、忸怩たる思いだ。だが、俺がルーに出会ったのは昨日だ。これ以上早く来ることは出来なかったろう。
「いえ、今日来ていただいただけでも、奇跡と言って間違いないでしょう。有り難いことです。」
「こんな状況で、色々聴いてしまって申し訳ないんだが、この疫病はどうやって始まったのか、誰か解る人は居ないか?」
「そう、ですね、恐らくですが、ここから東のミリアムの村から疫病が来たと思います。あちらも大変な被害で、そこから逃げ出してきた村民が何人か居たんですよ。こう、リヤカーに病人を積み込んで取る物も取り敢えず、という雰囲気でしたね。私達も初めは疫病と知らず、看病等していたのですが、あっという間にこの村でも病気が蔓延してしまって…。」
また、東か。ともあれシリルの村の瘴気はあらかた吸い尽くした。こうなれば行ける所まで行ってやろう。
「わかった、大変な中、協力してくれて有り難う。俺は東に向かってみるよ。」
「お気をつけて。この御恩はいつか必ず。」
そこまで気にするような事じゃない、と出かかるが、きっと絶望の淵に立たされていたのだろう。それが生き残れると解ったことがどれほどか、俺には良くわからない。だから、彼の言葉はそのまま受け取っておくことにする。ルーの人助けの価値だって、きちんと受け取ってあげた方が上がってくるというもんだろう。
俺たちは、また急ぎ東へと向かうのだった。
ミリアムの村も大方シリルと似たり寄ったりの状況だった。村を回りながら瘴気を吸い出し、原因を探っていく。生き残った村人の話によれば、この村で初めに病を発症した人間は、よその人間ではなく、この村の村はずれに住んでいる貧しい農夫だったという事だ。
「どうやら、疫病の根っこの部分にかなり近づいたってところか。」
俺はその亡くなった農夫の家の近所までやって来た。特段変わったところは見られないが、この農夫の家が村はずれで、そこから先は川が流れている。エル川だ。王都の上流から流れている川だが…
「なんかこう、臭うな。」
比喩的にも、現実的にも。
「そうだね、カイン。多分、この川が原因なんだと思うよ。」
ルキフグスの言葉に頷く。この家に住んでた農夫は村でもかなり貧しい方で、村の中心には家を持つことが出来ず、この外れに仕方なく住んでいた節があるようだ。食事も食うや食わずで、仕方なく川魚なんかを捕ってた話も出てる。と、するならば…。
「ルー、取りあえず川を浄化するところからかな?」
「うん、やってみるよ。」
そう言うと、ルキフグスは川面を漂う瘴気を集約し始める。何度見ても、神々しいというか、何というか。黄土色の気体と青い息吹がぶつかり合い、光を散らしながら消滅していく。
どのくらいそうしていただろうか?黄土色の気体も、光もあらかた消え去った後で、ルーが俺に向かって話しかけてきた。
「カイン、これじゃらちが明かない。川の上流から、次々瘴気の元が流れてくるよ。僕にとっては住み心地が良い場所だけど、君ら人間にはかなり辛いんじゃないかな。」
なんだって?川の上流から瘴気が流れ出てくる?んなアホな。上流に行けばいくつかの町と、王都が有るんだぞ?
「ルー、河の上流って言ったら王都だぞ?そっち方面から瘴気がやってくるなんて…」
俺は自分で話しながら、途中でハッと気づく。この村の下水が、全部この川に流れ込んでいるのが見えたからだ。今まで下水がどうやって処理されいるかなんて考えたことあまり無かったけど、もし上流の町でも同じことが行われていたら?
そう言えば、王都の酒場の生ごみ、何処に捨ててた?側溝から川に流して無かったか?
「カイン、これは人間が原因かも知れないね。」
ルキフグスも下水のことに気付いたのだろう。だが、これをどうやって解決したらいい?俺は今や無職で、言ってもしがない元竜騎士で、順位も中の下だったんだ。どこの権力者とも繋がっていないし…どうやって町々に、王都に、このことを進言したらいいんだ…。
今頼れるのは、取りあえず救い出すことのできたリュミエールの町長位か。急いで戻って相談してみよう。
‐‐‐‐‐
「なんと、沿岸部で疫病が流行しているだと?」
王都。リュミエールから早馬でやって来た伝令の兵士の情報を受け、大臣は大いに取り乱している。沿岸部は王都で消費する水産物の殆どを引き受けている台所。この沿岸部からの食物流入が途絶えるのは経済的に大きな損失だ。
「原因は解っておらぬのか?」
大臣が問いただす。
「未だ疫病がどこから発生しているのか、それを突き止めることは出来ておりません。」
「何と…急ぎ、査察団を組織し、リュミエールに派遣するのだ。陛下のお耳には私の方から直接申し上げておく。」
「はっ!」
命令を受け、使いの者は一礼して大臣の執務室から離れていく。
「大事に…ならなければいいのだが。」
大臣はしばし遠くを見つめるように虚空を見上げた。
今まで、もっぱら魔王軍に対処してきた王国に、疫病の対応策は殆ど蓄積されていなかった。大臣自身、これをどのように収めるのか、頭に青写真を描けない状況であった。
いつも有難うございます。
内容が思ったよりシリアスになってしまいました。