煉獄の契約と地上への帰還。
こ、これは?俺の周囲は輝きに包まれる。それを見て、何を思ったのか死竜はブレスをいったん引っ込め、こちらを伺っている。そして、何処から声が出てるのか知らないが、また声をかけてくる。
「お主、竜の霊を纏っておるのか。」
「へ、は?」
ようやく肺に空気が入り、何となく声を出してしまったが、いかにもビビってましたって間抜けな声が少し出ただけだった。竜の霊?流石に俺は竜騎士だったけどよ、それは首になったし、そもそも霊なんて竜はおろか人間でも猫でも見たことはねぇよ。
「ふむ、メリーと申すか。どうやら、地上では同族が世話になったようだな。そのことに免じて、お主を手にかけるのはよすとしよう。」
なんだか知らんが、兎に角助かったのか。っていうか、メリー?ここに居るのか?俺は死竜のことも気になったが、それも忘れてメリーの名前を呼ぶ。
「お、おい、メリー、ここに居るのか?返事をしてくれ!」
俺の言葉に、少しだけ周囲の空気が輝く。ぼんやりと、優しい温度を伴って。そ、そうか。メリー、竜騎士をやめた俺に、まだこうして着いて来てくれてんだな。俺がもう少し実力があれば、お前も殺されずに済んだっていうのに…。
「そなたは、随分と心優しい人間のようだな。ふむ、いきなり消してしまわなくて良かったのかもしれん。」
死竜は、なんだか物騒な事を言っている。確かに生きていた賊連中は全員灰にされちまったようだし、まあ同乗していた乗客たちはもう谷に落ちた時点で息をしてなかったようだけど、俺がこうして生きてられんのはホントにこの竜の采配ってわけだもんな。
「あ、貴方は一体?ここは一体どこなのですか?」
恐る恐る、俺は竜に問いかける。
「私は、この冥府の谷を治めるアビス・ドレイクの長、アシュタロス。しかし、人間がこのようなところへ現れるとは稀有な事もあるものよ。」
「め、冥府の谷?アシュタロス…様、ここは王都の近くでは無いのでしょうか?」
「人間どもの都のことか?それはこことは別の層に位置する世界。近くも遠くも無いわ。」
何のことだ?層?じゃあここは?
「冥府の谷は煉獄の出口。我はここで不浄な魂を焼き、地獄へと送り出しておるのだ。」
えー、もう俺はお陀仏だったって事かいな?なんてこった…え?じゃあメリーは何で霊体なんだ?
「お主はどこかで次元を突き抜けてきたんだろう。まだ死んではおらん。」
そ、そうか、ホッとしたというか、何というか。九死に一生、でいいのだろうか?ここは煉獄だから、死んだようなものなのか?いや、まあ細かいことは良い。それより、俺はこっから出られるのか?
「アシュタロス様、私は、この場所から地上へ還ることが出来るのでしょうか?」
俺は質問をしてみる。
「…方法は、無い。」
無いんかい。じゃあ俺はもう死んでるのと一緒じゃないか。いくら何でも酷すぎやしないか。いや、勝手にここに落ちてきたんだから主に俺の運勢が酷すぎるだけなのかもしれないが。
「いや、無いでは無い。お主という人間だからこそ、という事かもしれんがな。」
ん?方法があるのか?何か含みがあるようだが、帰れるならその方法を知らずには居られない。
「本当ですか!?」
「うむ、私と契約することによって、という事になるがな。」
く、雲行きが怪しい。怪しさが半端ない。冥府の谷の長と契約?それって地上に戻っても見た目はスレンダーな骸骨さんですとか、そういう類の…。
「何か、勘違いをしておるようだな?お主の身体はもちろん五体満足で返してやる。何、契約と言っても、少し頼み事というかな。お主は竜との意思の疎通が非常に良く出来るようだ。お主の傍にそうしてついているメリーという飛龍がそのことを私に語って来ておる。聴けば、メリーが死してなお、お主はその魂を案じ続けていたそうではないか。中々に感服する話だ。」
メリーにも俺の声が届いていたのか。それは凄く嬉しいな。とはいえ、ええと、それで、本題的にはどのような感じなのでしょう?あまり持ち上げられると不安ばかりが膨らんでしまう。俺に出来ることなのだろうか?
「実はな、私の孫に当たる者が地上におってな、そやつの面倒を見て欲しいのだ。ボーン・ドレイクという種族なのだが…何分地上で中々友達が出来ないようでな。まあ出自が冥府の魔物はそもそも強力な力を持っておるから、地上の魔物からは敬遠されがちなのだが…お主、我が孫のパートナーになってもらえんか?」
な!こ、ここで好々爺とか!いや、お願いされてるけどこれ断ったらそのまま俺は地上に帰れないとか!色々交渉にもなってないんだが!しかし、奇しくも竜とパートナーとは。竜騎士的な立ち位置か…まあ、どうせ地上に戻っても仕事も無いんだし、ボーン・ドレイク?会いに行ってみるか。
「解りました、引き受けましょう。私もここで自分の命が潰えるに任せるわけにも行きませんし。」
「おお、引き受けてくれるか!これは有り難い。孫も喜ぶだろう。」
爺さん、急に機嫌がよろしくなったようだな。まあ、この位地上に戻れるんだったらいくらでもやるけどさ。
「それで、どうすれば契約は履行になったと判断されるのですか?」
そう聞き返すと、アシュタロスは沈黙した。骨で竜だから、そもそも表情が全く読み取れん。だが、今の俺なら解るぞ、この爺さん何も考えていなかったのだな、と。
「…孫に忠義を立てることで、その証としよう。契約者の変更、という訳だな。自動的に契約が更新されたことが私にもわかるし、孫からの連絡もあるだろうからな。」
厳かに口にする竜。しかし、内心はどうだかな?さっきまでは呼吸できない程のプレッシャーを放っていたくせに、何だか少しお茶目なおじいちゃんに見えてきてしまうのだから、不思議なものだ。
「…では、早速契約に入ろう。私が術式でそなたの左胸に印を施す。その印をもって我が孫の下を訪れるが良い。」
「お孫さんの住処は、どのようにして知れば良いのでしょう?」
「おお、そうであったな、それは契約を結んでおれば自然に解る。お主の連れているメリーにも同じく解るようにしておこう。」
え、メリー?でも俺は地上ではメリーと意思疎通どころか姿を見ることすら出来ないのだが。
「まあ、ただ地上に返すと言っても面白くは無い。霊視の能力と、それから闇魔法も持っていけ。我々程には扱えんだろうが、何かの役には立つだろう。」
色々プレゼントを頂きましたが、何ともダークネスな雰囲気だな。でも地上に戻るのに手ぶらよりは余程助かる。闇魔法が何なのか良くわからんが、そのうち地上で使ったら嫌でも理解するだろ。
「さあ、契約を書き込むぞ!」
言うが早いか、アシュタロスは何がしかの呪文を唱え始める。瞬間俺の周りが青白い光に包まれ、俺の左胸が衣服を通してさえ解るくらいに輝く。その光が表すのは、何かの術が刻まれた六芒星。キラキラと光輝いて、その場所を通じて俺の中に何かが入ってくる。
暖かい。ああ、解放されるようだ、じゃ、無くて、熱い、熱い、アッチイ!どうなってんだ!?
「では、地上へ送還する。孫のことをよろしく頼むぞ。」
俺が悶えるのもお構いなしに、アシュタロスはそう言った。俺の意識は余りの熱量と光で朦朧となり、返事も返すことが出来ない。ああ、こんなに光に包まれているのに、意識が闇に…。
ど、こだ?…ここ。最近、こういう目覚め多すぎないか?俺はいつの間に流浪人になったんだ。全く、ああ、そういえば生きてるみたいだ。ともかく五体満足らしいし、衣服も着ているようだ。
「あー、ここは、街道か。」
俺が盗賊に襲われた幌馬車に乗っていた、最初の街道らしいな。確かにあの獣道じゃ行く先も解らんから、ここに送ってくれたのはアシュタロスの親切だったのかもしれん。それにしても、お金が無いんじゃ馬車にも乗れないしなぁ…
「うおっ!」
俺は思わず声を上げてしまった。俺の目の前に突然、半透明のウサギみてぇのが。こっちを見て、何がしか言っている。俺はそいつをまじまじと見つめる。喋るウサギ?いや、日常言語じゃない様だが…何となく聞き取れる。これ、もしかして霊視ってやつか?それにしてもウサギは何言ってんだ?
「あんたの実家に行きな。取りあえずな。」
「あ、有り難う。」
「歩いてるだけでいいみたいだぜ?…じゃあな。」
「…え?」
ウサギはそれだけ言うと、一瞬にして姿を消した。虫の知らせみたいなものか?ともかく、歩いて実家方面に行けばいいんだな?
俺はそれから街道を港町の実家に向けて歩き始めた。季節がらハイキングに向いているような陽気で、中々に気持ちがいい。お腹が減っているのは仕方ないこととして、まあ歩いてりゃ何とかなると言われちゃそうするほかあるまい。何せ無一文だ。馬車が来たって乗れないし、昼飯を買うことだってできない。
と、路肩の木にフルーツが生っているのを発見。ラッキー、これもウサギ効果かね?エクエクの実、という奴だ。かなり脂肪分が多くハイカロリーで、甘ったるい。タネはボール状に一個、真ん中に着いていて、他の部分は全部食べられる。皮は流石に無理だろうけどな。
腹ごしらえしながら、ひたすら街道を歩く。途中、何体か半透明の鹿だかヤギだかが通り過ぎたりする。こっちに視線を少し送ってくるが、あいつらも霊なんだろうな。霊ってのも基本襲われないだろうから、案外生きてる時より奔放なのかも。それにしても、空気が美味い。王都の喧騒を離れると、やっぱり俺は田舎育ちなんだな、なんて思ってしまう。落葉樹もまだまだ緑が濃く、木漏れ日がチラチラと目に痛い。だが、それも含めてこの陽気はいいね。最近が不運続きだっただけに、こういう日があるとちょっとした幸福の素晴らしさを感じることが出来る。
さらに暫く行くと、綺麗な湧水があり、休憩所にされていた。もともとこの街道は馬車も通るが、徒歩で行き来するために作られたところがあり、こうして湧水が利用されていたりする。井戸の蓋を開け、備え付けの柄杓で頭から水をかぶって、その後グイグイと飲んでいく。あー、生きてるわ。ほんと、ちゃんと生き返ったんだわ。ポタポタと髪の毛から水を垂らしながら、休憩所で座って一休み。旅人はおらず、先ほどから人っ子一人見当たらない。
あ、そういえば、胸に刻まれた印はどうなっているだろうか?と、濡れたシャツを脱いでみてみると、真っ黒い刺青のように胸に六芒星が刻まれていた。あれは焼き入れみたいなもんだったのかな?あ、ついでだからシャツは湧水で洗っておくか。汗を吸ってビタビタになってるしな。どうせなら冷たい水で洗って、干しておくとするか。今日はこの近くに野営かな。どうしよう、何の準備も無いが。
俺は街道沿いから少し離れた空き地に野営することにした。食べ物は、あのエクエクの実以来手に入れてない。火を焚くことも出来ないので、どうしようかと思案していたのだが、不意に思いつく。
「あ、闇魔法で自分を隠してしまえば、安全に寝られるか?」
そも闇魔法が何なのかもわかっていないんだが、何となく左胸から伝わってくる直観を頼りに、自分を囲うように姿をくらますテントをイメージしていく。果たして、俺の周りにはドーム状のテントが拡がっていく。薄暗がりの中で完全に自分の姿を覆い隠してくれているようだ。これなら、取りあえず盗賊の類に襲われなくて済みそうだな。アシュタロスも良い魔法をくれたもんだ。
翌日、その翌日と歩きに歩いて、ついに俺は実家のある港町リュミエールにたどり着いた。たどり着いたのは、良かったのだが…
「カ、カイン!大変なんだ!町が、町がよう!」
俺に気付いて声をかけてきたのは、幼馴染で弟分だったヘクター。なにやら取り乱した様子で、俺の右手の袖を必死に引っ張ってくる。
「おいおい、どうしたよへクター?町が大変?」
「疫病だ!家のおふくろも、お前の両親も、今病院だ!」
「ま、まじか!?」
俺はヘクターに導かれるままに走り出す。行先は町で唯一の病院だ。程無くして病院に着き、エントランスを潜って驚く。何て数の病人だ!ホールがまるで野戦病院みたいになっている。土気色をした患者が無造作に毛布の上に乗せられ、苦しそうにあえいでいる。
「こ、これ、何の病気なんだ…?」
「わからねぇ。医者もお手上げだ。ただ、みんな下痢と嘔吐がひでえんだ。みるみる衰弱しちまって…。」
これは、もしかすると迂闊に触れない方が良いのかもしれん。確か魔王軍の魔物にもそういう毒を使う輩が居たような…仲間だからって不用意に触るとドンドン毒が拡がってくっていう奴。
「ヘクター、一度外に出るぞ!」
「は?なんでだよ?親父さんに会わなくていいのかよ?」
「いや、これは何らかの毒かも知れない。触ると伝わったりするのがあるんだよ。魔物に一度仲間の竜騎士がやられたことがある。」
元仲間、だけどな。今はそんなことはいい。それより、自分が感染しないようにすることだ。俺はヘクターを連れて病院を後にし、取りあえず町の外まで出る。それにしても、これ、どうやって治療したらいいんだ?俺は医学のたしなみは無いし…。
考えようとした矢先、俺の周囲がキラキラと輝き出す。これは…
「カイン、カイン。私です。メリーです。解りますか?」
メリー、なのか?本当に?メリーと意思疎通が出来てるのか?
「メ、メリー?本当にメリーなのか?」
俺は素っ頓狂な声を上げて聞き返す。でも冷静でいられない。長年騎乗してきた愛竜と、言葉を通じた意思疎通が出来るなんて夢のようだ。
「はい、メリーです。貴方の声が聴けて、私はすごく嬉しい。」
「ああ、俺もだよ、メリー。こうして声が聴けて、俺もすごく嬉しいよ。」
メリーとは一緒にいくつもの死線を潜ったもんなぁ。俺のことを救ってくれた場面も、数え切れない位ある。メリーが居なければ、俺はとっくに煉獄とアシュタロスの炎のお世話になってたところだ。
昔話に入っていきそうな俺に、メリーが慌てて声をかける。
「ですが、カイン。今はご両親の病気を一刻も早く治すのが先決です。」
「そ、それはそうだが、メリー、何か方法を知っているのか?」
メリーは竜種で頭は人間よりもいい位なのだが、流石に人間の医学にまで精通しているなんてことがあるだろうか?
「ええ、ボーン・ドレイクに早くお会いになって下さい。彼は、この危機を救うことのできる術を持っています。」
「な、本当か!?」
「アシュタロス様から頂いた情報ですから、間違いありません。彼もあなたの契約の存在に気付き、一昨日からこちらに向かって移動してきています。早く合流すれば、まだ間に合います!」
「わ、解った。どこへ向かえばいい?」
「この港町を見下ろす丘がありますね?あちらで待っていてください。そうすれば、彼の方もあなたの居場所に気付くでしょう。」
よし、そうと解れば善は急げ。幼少の頃によく遊んだ、野草の生い茂る丘がある。あの場所で待っていれば、アシュタロスの孫に会うことが出来るんだな?
走り出そうとした俺に、ヘクターが怪訝そうな顔をして声をかける。
「…な、なあカイン。今、誰と話してたんだ?」
「は?誰って、メリーだろ。」
と、自分で言って気が付いた。これは霊視を持っている俺にしか聴こえていないのか!ヘクターからは完全に頭がおかしくなったと思われたかもしれないな…。
「わ、悪い、これから丘の上に行ってくる。」
「なんでまた?」
「説明は後で、全部解決したら教えてやるよ。さっきの独り言の件も含めてな。」
俺は慌ただしく走り出す。先ずは人目につかない丘の上でボーンドレイクと話をつけて、それから協力をお願いする。それしか方法が無いなら、何としてもその方法を実現するのだ!
いつも有難うございます。
週2位で更新していきたいと思います。