2.ヘンタイ捜査線―捜査開始―
1
「ダウト!」
自分の手札の中から一枚選び、数字を言いながら机の上に置くと、すぐさま声が上がった。得意げな顔をした、夏川さやかだった。
「げっ」と里桜は声を上げ、今置いたばかりのカードをめくり上げる。七と宣言したが、それはハートの三だった。
「もう、何でわかったんですか」
顔をしかめながら里桜は折り重なったトランプを手繰り寄せ自分の手札に加える。これで三回連続嘘がバレた。
「里桜さんはわかりやすいんですよ」
涼しげに城ヶ崎雅子が言う。彼女の手札はもはや一枚しかなく、それが尚更里桜の焦燥感を募らせる。
「顔に出ちゃってるんだよねぇ」
北条楓が両手の指で自分の頬を押す。彼女は既にあがりで、楽しそうに勝負の行く手を見物しているところだ。
「緊張すると耳たぶ触る癖」
機械的に北条桐が話した。妹の楓と風貌はそっくりなのに彼女の表情は乏しく、口にすることは全て真実のように里桜は感じてしまうので嘘を追求できない。彼女の手札もたったの二枚。カードを多く抱え込んでいるのは里桜ただ一人だった。
この部屋を最初に訪れてから二日ほど経っていた。今はヘンタイ部を自ら称する面々と里桜は机を囲い、トランプゲームに興じている。
彼女たちはどうやら生徒会に、詳しくは生徒会長に命じられて放課後になるとこの場所に集められているみたいだった。そして里桜は最初にここに来た当日に自分がその生徒会の回し者であり、監視を頼まれたことを話した。てっきり昔見た映画のように縛り上げられ、「他にも何か隠しているだろう」と尋問されるかと緊張していたのだが、彼女らの反応は淡白だった。
「やっぱり、そうでしたか」
雅子が最初に頷き、他の面々も「どうりで普通すぎると思った」と納得した様子を見せた。その後は特に何の追求もなく、「さあ、じゃあアレ、やろうか」とさやかがどこからかボード版のようなものを取り出してきて机の上に広げたのだった。どうやらそれは人生ゲームというボードゲームらしく、自然のままに里桜もプレイヤーに混ぜられた。思ったよりそのゲームが面白く、最終的には里桜が他の誰よりも一番熱中していた。
かくして里桜は今日も放課後になると我が物顔で「こんにちはー」とこの部屋を訪れ、ヘンタイ部の面子と様々なゲームに勤しんでいるのであった。
「じゃあ再開しますよ。一!」
勇ましくそう宣言しながら、里桜はカードを一枚選んで机に置く。
「ダウト」
「げっ」
2
「今日も里桜、どっか行くのー?」
翌日。帰りのホームルームを終えて教科書類をスクールバックに纏めていると、友人の花が声を掛けてきた。もちろん美月も一緒だ。この二人は大体同じ時間同じ場所にいる。例外は部活の時かお互いの家に帰っている時くらいだ。
「うん、まあ」
里桜はにへらと笑って煮え切らない返事をする。実は生徒会からちょっと変わった人たちの監視活動を命じられていて、とは説明しにくいのでとりあえず保留にしている。監視活動と言っても、一緒にただゲームで遊んでいるだけだったが。
「もしかして生徒会関係? 入れたの?」
美月が眼鏡を持ち上げながら、ずばりなことを言ってくる。里桜は苦笑する。
「まあ、その辺りはまだ微妙なラインというか……。とりあえずは、携わらせてもらっているってとこかな」
「ふーん。もしかしたら、里桜が次期生徒会長になっちゃったりしてー」
言って花がふわふわと笑う。里桜はすぐさまあの威圧的で威厳のある生徒会長、神永馨のことを思い浮かべる。ないな、と感じた。自分があの人のようにこの学校をあらゆることを牽引していけそうな風になれるとは到底思えない。そこまで考えたわけではないだろうが、美月も「それはないわ」と言っていた。
中庭に出てテニスコートに向かう花と別れ、特別棟の玄関で文学部に向かう美月と別れた。さて、今日はどんなゲームをするのかなと地下への階段に向かおうとすると、間抜けなチャイム音と共に校内放送が掛かる。
「一年の松下里桜。生徒会長がお呼びだ。至急生徒会室に向かうように」
スピーカーから聞こえた声は、里桜の担任の教師によるものだった。まず自分の名指しで呼び出されたのに里桜は驚いたし、生徒会長とは言え一応は目上の存在であるはずの教員を呼び出すためだけに使っているということにもびっくりした。下手をしたら生徒会長様、とでも言いそうな雰囲気でもあった。
仕方なく里桜は四階までの階段を昇る。そして最初に訪れた時とはあまり格式高さを感じさせない生徒会室の前に立ち、扉を普通にノックして中へ入った。我ながら短期間で手慣れたものだ。
「来たか。遅かったな」
前回と同じように、馨は一人で部屋の中にいて長机についていた。目の前の書類をぱらぱらとめくっており、こちらには見向きもしない。
「お呼びでしょうか、生徒会長殿」
あえて皮肉たっぷりに畏まってそう言ってみる。それは通じなかったらしく「そう固くならなくてもいい」とすぐ返された。
「どうだ、奴らの様子は」
そう言ってきた彼は初めてちらりとこちらを見た。鋭い目線だった。それだけで人を萎縮させる力がある。里桜も僅かに縮こまってしまう。
「奴らって、雅子さんたちのことですか」
尋ねる声に若干憤りが籠もっていることは自分でもわかっていた。しかし生徒会長殿は特に意に介した風もない。
「ああ、そいつらだ。何かをしでかすような様子を見せなかったか。何か企んでいる感じは」
「特にないと思いますけど」
すぐに里桜は答える。
実際、彼女たちは接していると案外普通の人たちなのだと気づいたのだ。最初は蛇の巣に放り込まれたネズミのようだった里桜も、彼女たちが自分のことを迎えてくれているのを知って少しずつ打ち解けていった。生徒会から直々にあなた方の監視を申しつけられましたと言った自分を、まったく邪険に扱わない。
結論。彼女たちはヘンだが、悪人ではない。
それがわかったから今、里桜は彼女たちを「奴ら」呼ばわりして監視を言い渡した馨に、少し腹を立てているのだった。
馨自身もそれを感じ取ったのか、やれやれといった感じでため息をついた。まるでわがままな子供に呆れる親のような仕草だ。ますます腹が立つ。
「今はまだ何もないかもしれないが、これからはわからない。君には是非監視を続けてもらいたい。感情に流されることのない、公平で理性的な監視をね」
「あの人たちが何をしたんですか」
里桜はすかさず言い返している。彼の言う公平で理性的とは既に程遠いと自覚はしていた。
馨はまたため息をつく。やれやれパートツー、である。
「言っただろう。今はまだ何もしていない。しかし将来的に、何かをしでかす危険性は大いにある」
見ろ、と彼は傍らに置いてあったタブレット端末を操作して、里桜の方に差し向けてくる。
そこにはネットニュースが表示されていた。
『春先の街中で、突然通行人に自らの裸体を見せつけた男性を逮捕』
記事にはそうある。今までの話の流れとの関連性が見い出せず、里桜は首を捻った。それを見て馨はまたまたため息をつく。やれやれ、パートスリー。
「わかるだろう。奴らは、ヘンタイだ。放っていたらこれと同じようなことをやらかす可能性があると、俺は言っている」
はっきりと彼はヘンタイを断言した。里桜の毛穴という毛穴から怒りが噴き出し、その熱で世界中を焼き尽くそうとせんばかりになる。
一瞬、「自分だって男なのにスカート履いて、女子校にいるくせに」と罵りたくなったがそこは堪えた。彼が性同一性障害というデリケートな問題を抱えているのは風の噂で聞いていた。目の前で威張っているように見える彼も彼なりの苦労を重ねてきたのだと思うと、軽率なことは言えない。
それに、雅子たちが少なくとも変わり者であることは事実だった。だが彼の言う何かをしでかす危険性などほぼ皆無であるとは断言してもいいだろう。
だから彼女たちの汚名を晴らすために表向きは監視活動を続けようと、里桜は突然使命感が湧いてきたのだった。
「春先は尚更注意が必要だからな。春は人を浮き足立たせる。何かあったら、すぐに報告しろ」
彼はそう言って書類作りに戻った。どうやら話はそれでおしまいのようだった。
里桜はすたすたと部屋を出て、扉が閉まる瞬間に馨に向かって「いーっ」と歯を剥き出してやった。
3
苛立った気持ちを抱えたまま雅子たちの元に直行するのは忍びないので、一階に下りた里桜は気分転換のため外に出ることにした。
とりあえず新鮮な空気を吸って、行き場もなく胸を渦巻くこの怒りを発散したかった。
中庭に出る。それなりに人通りがあり、後者の陰になる場所まで行って里桜は両手を広げ思い切り新鮮な空気を吸い込んだ。
そうしていると段々もやもやしていた思いも晴れていくかのようだ。我ながら単純なものだと里桜は思う。
「ん?」
ふと、声が聞こえてきた。ぼそぼそとした低い話し方は男性によるものだ。女子校では珍しいことなので何となく興味が湧き、声が聞こえる方へ向かってみる。
曲がり角に差し掛かった。ちょうど中庭の裏手だ。人気のない木陰に他校の学ランを着た男子生徒の背中と、その向こうに自分と同じ制服を着た女子生徒の姿が見てとれた。明らかに、告白の現場だ。
あっ、と里桜は思った。男子生徒に見覚えなかったが、女子生徒の方には見覚えがあった。さやかだ。
彼女は特に表情もなく相手の話に耳を傾けているようだった。その後何か一言告げている。それで話は終わったらしく、男子生徒はどこかへ行き、さやかはこちらに向かってくる。さてどうしたものかと逡巡している里桜を、先にさやかが見つけた。
「里桜ちゃんじゃん。どうしたのこんなとこで」
「あっ、さやかさん」
ぽんぽんと肩を叩いて、彼女は気さくに声を掛けてくる。どうやら先ほどの場面をみていたことは気づかれていないようだとほっとした矢先、「覗いてたでしょ?」と直球で言われて里桜はあたふたする。
「いや、あの、別にそんな趣味はなくてですね……」
「いいんだよ、別に。あんなの日常茶飯事だから」
けろっとした顔でさやかは言う。他校の男子生徒からの告白が、日常茶飯事。自分が三回ひっくり返っても口に出来ない台詞だと里桜は思った。
「今みたいに学校に忍び込んできた他校の男子に告られることもあるし、この学校の女の子からも何回かラブレターもらうことあるの。結構モテるんだよね、あたし」
最後の方はおどけた口調になり、さやかは笑う。男子からも女子からも告白を受けるとは。里桜は目の前の存在を眩しく感じる。
「あの、じゃあさっきの人も……」
「ああ、そうみたい。でも即答で断ったよ。だってあたし、恋人いるもん」
流すようにさりげなくさやかは言った。あらゆる人からの告白を日常茶飯事と表現できる彼女を、射止めた人物がいるとは。かつてない衝撃が里桜を襲う。
「だから毎回そう言って断ってんのにね。……時々、何であたしにばっかり期待押しつけてんだろうってムカつくこと、あるよね」
ぼそりとそう呟いた時だけ、彼女の表情に陰が生まれた。「なーんてね」とすぐに笑顔を繕っていたが、やけにそれは里桜の目に焼き付いたのだった。
だがさすがにその真意までは読み取れず、モテる人にはモテる人なりの悩みがあるのだな、とそんなありふれたことしか思い浮かばなかった。
「部室、一緒に行こっか」
先に歩いてこちらに手を振るさやかに、里桜は頷いて付いていく。
4
「あら、さやかさん、里桜さん。ごきげんよう」
第一特別教室に赴くと、まだ雅子しか来ていなかった。彼女は椅子に座ったまま出迎えてくれる。
「雅子さん、どうしたんですかそれは」
聞いていいのかわからなかったが、気になったので里桜は尋ねることにする。
雅子の体には白い縄が巻き付いていた。制服の上から、ある種芸術性さえ匂わせる巻き方で。首には輪っかになった部分がちょうど掛かり、体の前方には綺麗な菱形が縦に並ぶように出来ている。
「これは亀甲縛りと言って、かの業界では基本的な縄の縛り方なんです。今は自分一人で出来るやり方が考案されているので、お手伝いさんたちにやっていただかなくて済みました」
彼女はあくまで涼しげに、専用のティーカップを口に運んでいた。どうして亀甲縛りを。かの業界とは。お手伝いさんがいるということはお嬢様なんですか。っていうか、その格好でもしかして朝から過ごしているんですか。
ツッコミたいことは山ほどあったが、やめた。段々と色々なことに慣れつつあるのだった。
「あれ、北条姉妹は? 今日は遅刻かな」
さやかはまったく普通の感じでそう尋ねている。彼女にはこれもまた、一種の日常茶飯事なのだろう。
「楓さんと桐さんでしたら、ちょっと調べものを。すぐ来ると思いますよ」
雅子が答えたところで、丁度よく廊下から足音が聞こえてきた。そう思えば扉が勢いよく開き、桐が早足で入ってくる。
「また起こった」
彼女はそう言い、自分の席の前でぴたっと止まる。急停止したものだから微かにスカートが浮き上がり、小振りで締まりのあるお尻の側部が生のまま露見したが、里桜は見なかった振りをする。どうせ彼女が下着を両方つけていないことなど前からわかっていた。
「またって、例の事件ですか」
「またって、あれのこと?」
さやかと雅子が同時に反応を示す。何のことかわからないので、里桜は置いてけぼりになる。
「そうそうぅ。また起こったみたいだねぇ」
いつの間にか桐の隣にいた楓が、どこからかタブレット端末を取り出して机の真ん中に置く。全員でそれを覗き込んだ。
『会社員男性、通学中の女子高生にマヨネーズをかける』
表示されていたのはネットニュースで、見出しにはそうあった。どうやらそれはこの街で起こったことらしく、同じようなことが複数回あったので警察では余罪を追求中であると書いてある。
「あの、これは……?」
この記事が何を意味するかわからず、里桜は口を開く。暖かくなってきた春先にはよくあることなのではないか。
「あっ、そっかぁ。里桜っちにはまだ教えてなかったっけぇ」
そう言って楓は、タブレットを操作し始める。
「一つ一つは他愛のないことですが、似たような事件が立て続けに起きているんです」
雅子が言う。彼女は顎に手を当てて何か思案しているらしく、どこか深刻そうな雰囲気である。
「しかも今月に入って四件も。これってちょっと多くない?」
さやかも口を挟む。同様に難しい顔をしていた。
楓が指先を動かすと、タブレットの画面に様々な文字が踊り始める。つい先ほど、生徒会長の馨に見せられたばかりの「露出男」の件を筆頭に、「」女児に声を掛けて体を触った男性」、「」女性宅に押し入りタンスの下着を根こそぎ強盗」などの記事が見られた。確かにどれも今月中に起こった事件のようだ。いくらこの街広しと言えども、どこか不自然な感じを里桜も感じ取っていた。だが一つ一つの事件は小さく、テレビのニュースでも報道されないような事柄ばかりのような気もする。連続的に起きているとは言え、実行犯もばらばらで関連性は特に見られない。
「でも、繋がりはないですよね。起こした人は年齢とか職業も違いますし。偶然じゃないんですか?」
実際に里桜はそう言ってみる。「まあ、そうかもしれないんだけどね」と言ったさやかに続いて意外にも皆があっさりと頷いた。
「まあここからは想像の話でしかないんだけどさ。仮にね、この人たちが無理矢理こういうことをやらされていたとしたら?」
さやかがこちらに向かって人差し指を立てる。無理矢理やらされている? 里桜はいまいちその言葉の真意が呑み込めない。
「つまりこういうことだよねぇ。――この人たちを裏で操っている奴が、もしいたら」
楓が言う。里桜はぽかんとしてしまった。
「……黒幕がいるってことですか?」
そんな陰謀映画じゃあるまいし、という後継の言葉は口に出さないようにした。
「断定は出来ませんよ。あくまで仮定のお話です。でももし、そういうことが起こっているのだとしたら――」
そこで雅子はすうっと息を吸い込んで言った。
「――これは、私たちへの侮辱です」
憤りの籠もった口調だった。里桜はぞくりとした。自分以外のその場にいる全員から、同じような感情が立ちこめているような気がしたのだ。
「調査しよう」
重苦しい沈黙を破ったのは、さやかの芯のある声だった。
「あたしたちが、この一連の事件を調べてみるの。黒幕がいるかいないか、それではっきりするよね。でしょ?」
皆に呼びかける。顔を合わせた面々は、肯定的な空気を見せ始めていた。
「そうですね」
「そうだねぇ」
「同感」
ただ一人、里桜だけは戸惑いを隠せていなかった。どうしてわざわざ、という気持ちが出てくる。
「そういうことは、警察の人がしてくれているんじゃないですか? 私たちがしなくても」
「警察は何もしないんじゃないかなぁ。ただ春先だし、変質者がいっぱいいるなぁって思うくらいで」
楓が口元に指を当てながら言う。
「ど、どうしてですか?」
「無能だから」
しどろむ里桜に答えたのは桐だった。すぱっと断ち切るような、いっそ清々しい言葉だ。
「まあそれは言い過ぎにしても、気づかないでしょうね。黒幕がいたとしたらその人物は、関連性が浮かばないように上手くカモフラージュしているみたいですし」
それに、と雅子は付け足す。
「警察にはなくて、私たちにはあるものがあります」
「何ですか、それは?」
里桜が尋ねると、その場にいる全員が屈託もなく笑った。
「私たちは、エキスパートですから。そういいヘンタイ行為の、専門家です」
言い切られてしまった。対する里桜には大した反論も思い浮かばず、「……さいですか」と返すしか手がなかった。