ちっちゃな実は魔王様
「ふわぁ〜……、キレイ〜……」
その幻想的な景色に、思わずほぅっとため息が漏れる。
男の人に連れて来られたのは大きな扉のお部屋。高さ4、5メートルはあるんじゃないですか? ってぐらいの縦長な扉を開けると、そこは部屋ではなくまさかのお庭だった。いや、部屋の中が庭になっていた。
四方を壁に囲まれていて、入ってきた扉よりも遥かに高い天井。足元には柔らかな苔やら草がビッシリと生えていて、床は全く見えない。その部屋に、ポツンと一本の木が生えていた。
高さは3メートルあるか無いか。幹は私が余裕で腕を回せるぐらいの細く若い木。その木から、私は目を離せなくなった。その木の葉や幹が、白く淡い光を放っていたから。
窓も無く日の光の入らない部屋は、淡く輝く木の光で優しく照らされていた。初めてみるその光景に、私は感動して胸の前でギュッと手を握った。
「すっごくキレイですっ!」
目を輝かせて見つめていると、数歩先にいた男の人が無感動な顔で振り返った。
「突っ立ってないで早く来なさい」
そう言ってスタスタ木まで歩いて行く。
え〜…、なんかこの人冷たい……。
オルトバーンさんも男の人に続いて行ったので、私も渋々後を着いて行く。
男の人は光る木の側まで行くと、その白く光る幹に負けないぐらいの白くほっそりした手を添えた。
「無知なあなたに教えてあげましょう。この樹が我が魔族の王を生み出す、"魔樹"です」
「…まじゅ? イダッ⁈」
ポカンと口を開け首を傾げると、ビシィッ!っとおでこに強力な一撃が入った。
「その馬鹿な顔はやめなさい。イライラします」
ヒイィ〜ッ!! いきなりデコピン喰らいました〜! すっごく痛いんですけど〜ッッ!??
涙目でおでこを抑えながら呻く私を、男の人は冷めた目で見下ろした。
「いつまで悶えてるんですか。さっさと選定の儀を始めますよ」
「へ? うわわっ!?」
ぐいっと腕を引かれ、魔樹の側に立たされた。
「選定の儀とは、あなたが魔王の乳母に相応しいかどうか見定めるもの。あなたはこの魔樹に手を触れ、ただ魔力を流し込めばいい」
そう言って私の手を掴むと、白く光る幹に手を添えさせた。
「ヒャッ、冷た!」
「静かに。そのまま魔力を流しなさい」
冷たさに驚くも、言われた通り魔力を流す。すると、触れた手の平からじんわりと暖かくなってきた。
ドクンッーーー
「えっ?」
突然手の平に鼓動のようなものを感じた。触れた手の平から、規則正しい振動が伝わる。
トクン…トクン…トクン…
確かに感じる鼓動。間違い無く、この樹から鼓動を感じる。キュイは息を呑んで自分の手を見つめていると、魔樹はボウッとその輝きを増した。
「……ふーん。どうやらあなたで決まりのようですね。私としては大変不本意な結果ですが」
「ええっと、どういう…イダッ!」
「上を見なさい」
またしてもデコピンをくらったキュイは、額を押さえながら涙目で魔樹を見上げる。
「あっ!」
見上げると、キュイの丁度頭の上辺りに、小さな桃色の実がついていた。
「わぁっ可愛い! さっきまで無かったのに」
可愛いらしい小さな実を見つけ、はしゃぐキュイを横目に、男は冷めた目で実を見上げた。
「桃色……ね。この色をつけた魔王は始めてです」
「へ〜、そうなんで……えっ! 魔王⁉」
キュイはグルンッと勢いよく振り返った。
「そうです。この桃色の実が、あなたが今から乳母として仕えることになる次期魔王です」
な、ななな何ですとぉぉーー!!
「こ、これが魔王様なんですか!?」
「そうです」
「こんな、こんなちっちゃな実が魔王様なんですか!?」
「だからそうだと言ってるでしょう。何度も言わせないで下さい」
うっ、怖い。無表情だけどあきらかに苛立ってますよこの人。
キュイは思わず数歩距離をとり、あらためて小さな実を見上げた。
「これが、魔王様……」
ちっちゃい…。本当にこんなちっちゃな実が魔王様になるんですね〜。まさか魔王様が木から産まれてくるとは知りませんでした。魔界とは摩訶不思議な所です。
「実をつけたということは、あなたが乳母として選ばれたということです。今からキリキリ働いてもらいますよ」
ああ、そうでした。私は乳母としてここに連れて来られたのでした…。
「うぅ、はい…。でも、乳母って具体的に何をするんですか?」
「…(ギロリッ)」
ヒイィ〜〜ッ! なんかすっごく冷たい目で睨まれました〜っ! いや、実際には目は開いてないから睨まれてないんだけど…。でも、とにかく閉じた目に睨まれたような気がしたんですよぉ。
「魔王に乳を与えるに決まってるでしょう」
あ〜、そうですよね。乳母と言ったらお乳をあげなきゃですよね。そうそうお乳を………ん? お乳?
「ええぇーーっ!! む、ムム無理です!」
「何が」
「う、乳母なんて、キュイには無理です出来ません!」
「なにを今更。選定の儀で選ばれた乳母が今さらやめるなんて出来ませんよ」
「そんなぁ! キュイはまだ子どもなんですっ! お乳なんて出ませんよぉッッ!!」
半泣きになりながら必死に訴えると、男の人は軽く鼻で笑った。
「乳ならその内勝手に出てくるようになります。子どもでもね」
口の端を上げ、ニヤリと笑うその顔に背筋がゾッとした。
な、何っ!? 急に悪寒が…??
「気をつけなさい。魔王の乳母からでる乳には強力な魔力と催淫効果もあります。勿論匂いにもね。一応ここにいるオルトバーンがあなたの警護にあたりますが、もしもの時は自分の身は自分で守るように。でないと」
喰われますよ…と付け足して男の人は去っていく。ええ〜っ!? ちょっと説明不足過ぎやしませんか!?
「レザード様は忙しい身だ。分からない事があれば俺が答える」
今まで気配を消していたオルトバーンさんが急に前に出てきた。え、レザード?
「レザードって、さっきの男の人の事ですか?」
「ああ、レザード様は魔界の宰相を勤めておられる方だ。魔王様が不在の時期は、レザード様が魔界を取り仕切っておられる」
「え、偉い人だったんですね」
どおりで偉そうな態度だった訳だ…と1人で納得する。
「他に質問は?」
「あ……えっと、有りすぎて何から聞いたらいいのか…」
いや、本当に何から聞いたらいいのか分からないぐらい分からない事だらけですよ。
「まぁ、ゆっくり知っていけばいい」
金の瞳がふっと細められ、大きな手で頭をぽんぽんと撫でられた。