3
昔々、その昔、ある村に飢饉があった。
山間の小さな村には疫病が流行り、作物は枯れ、雨は降らず人は飢え、村人を守るはずの霊山からは妖が降り人を喰った。怒り、怯えた村人達は手に手に武器持ち山を狩る。
腹が減った。殺される。喰われる前に殺せ。腹が減った。このままでは飢えて死ぬ。
殺し殺され、喰い喰われ。些細な旱魃から始まったはずの飢饉は、もう誰にも止められない泥沼の戦になった。昨日三人死に、今日一匹殺し、今日一匹喰い、明日は何人喰われるだろう。
そうして戦い少しした頃、村の一人の若者に異変が現れた。
沢で仕留めた化け蟹を喰った若者は、次の日には手に鱗が生えてきた。次の日には両足、その次の日には首と顔…………。
妖を殺し、喰い続けた若者は、ある日とうとう人では無くなってしまった。若者は自分の妻を喰い殺し、山へと走る。
村人達は、若者だった妖を見て、そうして気付く。自分たちが飢えと怒りで禁忌を犯したことに。
若者は妖を喰い妖になった。なら自分達が妖になるのも時間の問題なのだと。
自分の隣の人間が明日には襲ってくるかもしれない。次の瞬間にも自分の身体が変質するかもしれない。村人達はお互いを疑い怖がり、とうとう仲間内で殺しあいを始めた。
道も無いような山奥の村に人など来ず、最後の一人になるまで続くと思われた地獄の沙汰は、北より訪れた一人の幼い少女によって鎮められた。
「おやめなさい。そのような愚かなことをしては自ら滅びに行くようなもの」
少女は静かな瞳で言い放つ。村人達は怪しい奴め、妖に違いないと少女に武器を突き付けた。
しかし少女は村人たちに囲まれても、怯えもせず凛と言い放つ。
「私は北の地より流れて来た旅巫女。私の頼みを聞いてくれるのなら、貴方たちの中の妖を封じ、この事態を終焉に導いてあげましょう」
そう言うと少女はちょうど目の前に居た村人の、鍬を構えるその右手に巻かれた包帯をシュルリと解いた。包帯の下から現れた肌にはまばらに青い鱗が生え、一目で村人が妖になりかけているのが知れた。
「こわがらないで。貴方の中の妖を封じてあげる」
そういうと少女は鱗の生えた腕に手を当てながら小さく何かを呟いた。少女が手をはずすともうその肌には異常など見えず、ただの平凡な、人間の腕があった。
村人は驚き、そして喜び少女を敬った。奇跡をもたらしてくれる霊験あらたかな巫女様と。
村人の全員を診た少女は再び告げる。
「私の連れている妖姫をこの霊山に封じさせてほしいのです。それが私の望み。今は封じられて眠っているけれど、仮の封印では長くは持ちません。彼女は無力なのだけれど、莫大な力を宿し、血肉は甘美、そこに居るだけで違う妖を引き寄せ狙われます」
少女は一息ついて村人達の顔をグルリと見回した。
「私は彼女を確実に封じられる場所を探して旅をしてきました。そしてこの霊山の霊気はとても濃く、豊か。彼女をこの山に祀り私の血をもって結界と成せば、封印は完成します。どのみちこの事態を解決するには結界を張り霊山を封じを行わなければなりません、どうか私の望みを聞いてください」
村人達は顔を見合わせた。暫しの後、村長が重々しく頷いた。
「いいでしょう。我らを人へと戻してくれた巫女様の望みのままに」
少女はそれを聞きフワリと花のように微笑んだ。
「ありがとうございます。封じの要であるこの私の血筋が途絶えることがないかぎり、封印は在り続けるでしょう」
そうして巫女は山と妖を封じ、村長の息子と祝言を挙げ幸せに暮らした。
昔、昔の古い話。
山間の村が町になるずうっと前のお話―――。
* ***
「……-」
なんだろう、不思議な夢を見た。まるで精巧に作られた物語のような。
夢の残滓が朝の光に溶けていく、平和な朝だ。窓越しに雀のさえずりが聞こえる。綾香は今の今まで見ていた夢の続きを追うように身じろいだ。と―
「起きたか」
なんだ、今の声。
家の中には自分しか居ないはずだというのに。綾香はビシリと固まり、次いで嫌な汗をかきながらそろそろと声のした方をふり返る。
「ぎゃああ誰あんた!!」
そして叫んだ。
一人暮らし三日目。朝起きたら見知らぬ男が枕元に立っていました。