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「そもそも何処に行こうっていうの。それにまだその不自由な目にも慣れてないんでしょ?一人なんて危ないわ」
大変まっとうな意見に諭され、綾香は言葉に詰まった。打破する論理を探して無意識のうちに右目に触れる。正確には、右目に付けられた眼帯に。
綾香には右目が無い。眼球自体は存在するが事故で右側頭部を大きく損傷し視力を失ってしまった。今はこの眼帯の下で脳裏へ響かぬ空虚を見つめているのだろう。
「……片目の生活にも、もう慣れたよ。それに弥生さんこんな家に住んでるってことはどうせ地主でしょ?貸家とか空家の一つくらいあるんでしょ」
「うーん……あるにはあるけど……来たばかりじゃない。そんなに寂しいこと言わないでよ」
あるのかよ。豪邸に住むのは地主で、地主は土地持ちという偏見に基づいた発言は当たっていたらしい。ならばそこを借りれば良い話だ。
「なんかこの家広くて落ち着かないし、豪華すぎて私には敷居が高い気がするし……」
怖いし。なんだか此処に居たらマズイような気がするし。
「来たばっかだから慣れて無いだけよぉ。そうだ、二階には行った?綾香ちゃんの部屋は見晴らしの良い角ッこよー!お夕飯できるまでまだ時間あるから見てらっしゃいな」
軽くいなされた。
でも確かに叔母の言う通りかもしれない。来たばかりで不安が募っていて、少しネガティブになっているのかもしれない。この言い知れない不安感や嫌な予感も明日になれば消えるのかもしれないのだ。
綾香は言われた通り二階を見物するべく階段を探した。
古びた木の階段は家の中央にあり、一段上がる毎にミシミシと軋んだ音を立てる。長い年月を経て磨耗していったのか一段一段がひどく滑らかで、足を踏み外さないかとヒヤヒヤしてしまった。
手すりがわりに壁に手を付き昇りきったその先の廊下は、一面に取り付けられた窓から差し込む夕陽で真っ赤に染まっていた。
音を無くしたように静まりかえる、一枚の絵のような赤い空間は、どこか郷愁を覚えるような光景だった。
「うわ…真っ赤…」
一歩、廊下な日陰から窓のある場所へ踏み出す足下で、板がギシリと微かに鳴いた。
古びた硝子を通してこの空間を橙に変える斜陽の光の中にヒラリと手を泳がせる。白い服の袖は染め直したかのようだった。きっとこのぶんでは眼帯も真っ赤になっているのだろう。
なんて綺麗な赤だろう。
時が止まったような錯覚の中で、外を吹き抜ける風がカタカタと窓硝子を揺らし、それが唯一この幻想的な空間が現実なのだと知らしめているようだった。