表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悟神  作者: 蛍猫
3/7

1-2

 ざわ、ざわ  ざわ

 


 なんだか空気が揺らいでいるような、遠いところでお祭りをやっているような、そんなざわめきが聞こえた気がした。


 山道に近いような、一応舗装された道を走るローカル線のバス車内には綾香以外の人は居ない。一番後ろの席に座った彼女と、ただ運転手が無言でハンドルをきるだけだ。

 

 うららかな青空、世はいつの間にか春の空気の中に微かな夏の気配をにじませるようになっていた。ずっと引きこもっていたせいで自分が浦島太郎になってしまったような錯覚に陥る。たしかついこないだまで厳寒の冬だったはずなのに。四月は何処に行った。


 五月の新緑が日に透ける。そのステンドグラスのような様を窓ガラスごしにぼんやりと見ていると、車内に終点に到着するというアナウンスが流れた。慌てて小銭を用意し下車を知らせるボタンを押す。バスがゆるやかに停車した。


 タラップをリズムよく踏み地に足を着けると、深い山の気配に知らず目を見張る自分が居た。

 






 「弥生さん!!」


 バス停にまるで陽炎のように立っていた、黒い着物を粋に着こなした女性が振り返る。その人がニコリと艶やかに微笑む姿を見て、綾香は持っていた荷物を振り回すようにして走りよった。弥生はそれを見てフワと右手を翳すように持ち上げ――


 ドスリ


 「綾香、遠いところをよく来たわね」


 綾香の眉間に勢いよく叩き落した。


 「いっった!」


 「ところで貴女は何回言えば分かるのかしら?弥生さんじゃなくて叔母さん。でしょう?」


 弥生は額を押さえてうずくまる綾香に目線を合わせ、今度はその両の頬を容赦なく引っ張った。笑顔で。


 「いだだだだだだだだ」


 「あはは、面白いようによく伸びるわねー」


 笑うと一気に幼く見える表情、弥生の頬の辺りで切りそろえた黒髪がサラリと揺れた。


 「……普通は叔母さんって呼ばれるの弥生さんの年なら嫌がるはずなのに……」


 ヒリヒリと痛む頬に両手を当てて恨みを込めて叔母を見ると、彼女は「分かってないのね、私が姉さんと、姉さんの娘とどれだけ会いたかったか」と笑った。


 そう、叔母は若かった。叔母というより従姉妹といった方がまだしっくりくるほどに。そもそもついこの間まで見ず知らずの他人だった人を叔母さんなどとなれなれしく呼べるほど綾香の神経は図太くない。

 

 それでも彼女はこりもせず繰り返し言うのだ。叔母と呼んで、と。


 

***




 厳寒の冬の日、凍て雪に変わる寸前のような冷たい雨の中で、綾香は色々なものを失くした。そのことを知ったのは、桜が咲く頃。長い眠りが覚め目を開けると、綾香の狭い視界の中で真白い部屋を背景に黒髪の女性が覗き込んでいた。母とは何一つとして似ていないというのに、微かに茶色の混じったような黒の瞳だけが母とそっくりで、目が合った、と思った瞬間、何故か「お母さん」と呟いてしまっていた。


女性はその言葉を聞いて、声も無く泣きながら綾香を抱きしめた。


それが、叔母との出会いだった。


 そして二月眠り続けた末に退院した綾香は、彼女に引き取られて此処にいる。


 姓は西村、名は綾香。ようやく皆より約一ヶ月遅れの高校生活が、始まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ