サワリ。宵の湿った風が木々の間を吹きぬけた。
「ねえ、こういうのはどう?」
少女は大事な秘密をこっそりと打ち明けるように喋り出した。白の和紙で束ねられた、ぬばたまの黒髪がサラリと揺れる。
「この地獄を終わらせてあげる。そのかわり、私の大事な子の長き眠りのために、貴方達の山を寝床に貸して」
少女の前には一人の少年が地に伏していた。やせ細った体にボロボロの破れた着物を纏い、ざんばらに乱れた髪に隠された表情の中で、ただ目線だけが未だギラギラと少女を射抜いている。
彼は力づくで少女に屈服させられてもなお、殺意を失うことなく鋭い爪を少女に向けていた。
「……翡翠を……返せ」
「もー、いいかげん人の話を聞きなさいよっ!アンタの片割れはちゃんと生きてるし、そもそも死にかけてたこの子を助けたの私なんだからね!?」
そう言うと、少女は自分の抱きかかえている、血まみれの娘の顔を覗きこんだ。
血とススに汚れてはいるが、目の前の少年と瓜二つの美しい顔。今は閉ざされている瞳もきっと少年と同じ色をしているのだろう。
「この子はもう大丈夫。本来なら死んでるような傷だけど、私の血を混ぜて塞いでしまったから。ただ精気が足りなくて長い眠りについているだけ」
その言葉に少年は、安堵したような痛みをこらえるような複雑な顔をした。
「もういい加減諦めなさいな。何度やっても私には勝てない、貴方達は私が『調伏』したのだから」
少年を宥めようと伸ばした手は、彼の威嚇により宙に留まった。ややあって、ゆっくりと倒れている彼の隣に彼女を寝かせる。
「ねえ、誓約しよう。むりやり従わせたくなんてないの。誓約があれば、貴方達に正しく対価を用意してあげられる」
一つを奪うのなら、一つを与えよ。
それは古くから伝わる。破る事のできない、重い呪法。
「どのみちこのままじゃ危ないし、私の血が混ざってなお眠り続けるこの子の身も危険だわ。それに、早くしないと、更なる厄災が私達を追ってくる」
ややあって、殺気に濡れていた少年の目が力なく伏せられる。それは彼が誓約を受けた証だった。そうして約定という細い糸が魂に食い込むのを自覚する。
「私の力を貴方達にあげる。貴方には武を、この子には癒を。だからどうか、私のかわいい子を、この山を守って―――」
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移ろい逝き、時は流れる。彼は酷く懐かしい夢を見たと、眉根を寄せた。
「翡翠、巫女が目覚めた」
「……そう」
「じきにこの地へ来るだろう。縁の目印を付けてきた。お前の苦痛も、おしまいだ」
「……それは、嬉しいわ。でもね緑青、少しだけ複雑なの」
彼女は頭上を仰ぎ、蒼穹に飛ぶ鳥に手を伸ばすように掌をかかげた。
「鳥は、籠を出ても結局は戻ってきてしまうのかしら」
「……違う。これは彼女の宿命であって、血の呪いではない。……今はただ、そう願っている」
サワリ。初夏の薫風が木々の間を吹きぬけた。
何がなにやら分からないままに出発進行。いつものようにお先真っ暗見切り発車。目指すはハッピーエンド!