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アボット

作者: 瑞月風花
掲載日:2026/03/20

悩みに悩んだ結果短編にしました。

やっぱり区切って読む内容じゃないような気がして……長くなってすみません。

霜月透子さまが館長を務められるひだまり童話館『またね』への投稿作品です。

 

 アボットは、子育てをするために作られたロボットでした。形は丸い頭にずんどうな体。体には人間と同じように動く腕と手がついており、足の代わりに付けられたベルトを動かして、地面の上を滑ります。

 おおきさは、ドラム缶くらいです。

 アボットを作ったのは、トムジィ。

 アボットはそう教えられています。

 そして、住んでいる家には青いガラスの屋根があり、広大な庭だと思われる場所には水を蓄えた植物があります。その植物を中心に食べられない緑の葉っぱがたくさん生えていて、人間の空気をきれいにしているそうです。

 この葉っぱはどう検索をかけてもアボットには分からない葉っぱでした。

 だけど、名前は知っていました。

 《緑の元》です。

 トムジィが作ったとても大切なもの。


 そのトムジィが、ある日アボットに言いました。

「アボットはこの子がおおきくなるまで育てることとここを守ることが仕事だ」

 アボットは人間で言うところの顔に、微笑みの表情を選択します。

「よしよし。わしはこの子が大きくなるまでに、緑の元を使って、この楽園をもっと大きくしようと思っている。じゃあ、頼んだぞ」

 そう言って、トムジィは行ってしまいました。

『行ってらっしゃい』というアボットの腕の中には、おくるみに包まれたミキがいます。

『ミキ、アボットです。今日からミキがご主人様ですので、よろしくお願いします』


 ☆


 ミキは夜泣きがひどい赤ん坊でした。

 アボットは夜空に光るたった一つ生きている人工えいせいのビータンに問い合わせます。

『赤ん坊の夜泣きについて、アップデートすべきことはありますか?』

 ビータンがビビビッとアボットに送ってくれる内容は、アボットの中にあるメモリーと同じようなものしかありません。

 だけど、アボットはそのメモリーを加えます。

 つい三十年くらい前まではビータン以外にもたくさんの仲間がいたのです。だけど、今はもういません。

 アボットはビータンから送られてきた内容とメモリーの内容を照らし合わせながら、心臓の音を流し、自分の体温を36・5に合わせます。

 心臓の音の奥では、自分を温めるために鳴ってしまうウィーンという音も流れてしまいますが、ミキは温かくなった腕の中、うとうとと眠ってくれました。


 ☆


 ミキが少し大きくなってきて、離乳食というものが始まりました。

 この離乳食のためにアボットは、ニンジンやイモを育てていました。

 夏になれば豆も取れます。

 トムジィが残してくれた種から出てきたたべものでした。

 粉のミルクは、アボットの計算では、ミキの年齢が一年と少しで、完全になくなるでしょう。

 アボットはくたくたに煮込んだニンジンやイモを匙でつぶしながら、ミキの舌の上に載せて、こう言います。

『おいしいですね』

 こうやって、おいしいことを伝えるのだそうです。

 だけど、なかなかミキが「おいしい」をおぼえることはありませんでした。

 アボットはミキに「ぶーっ」とニンジンやイモを吹き付けられながら、モニターのワイパーを動かし続けました。

 ミキがおいしいを覚えたのは、ちょうど25日目。

 アボットの『おいしいですね』に、ぶーがなくなり、もぐもぐになりました。


 ☆


 アボットと違って、ミキはどんどん変化していきます。

 小さな歯が生えて、自分で動けるようになり、言葉のようなものをおしゃべりするようになりました。

 ミキがよちよち歩きはじめた2歳のある日、防護服を着た大きさの違う人間が畑の食べ物を盗もうとしているところを、アボットは発見しました。だけど、アボットは戦闘用のロボットではなく、子育てロボットでした。

 だから『盗まないでください、ミキの食べ物ですから』としか言えませんでした。

 だけど、その人間はミキを見て、驚いたような声を上げた途端、申し訳なさそうに言うのです。


「僕にもその子と同じくらいの男の子がいて、困っている……少し分けて欲しい」と。

 アボットは、トムジィの言葉を思い出しました。

 ――もし、困っている人間に出会うことがあったらば……


『では、一か月ほどで良いので、共に暮らしてください。その後は好きにしてください』

 アボットは子育てロボットですが、ミキのように死ぬことはありません。

 いざとなれば、ミキをおなかの中に入れて守る優秀なシェルターにもなるのです。

 だから、ミキが食べる分だけあれば良いし、ミキが彼らに傷つけられることもありません。

 人間は、嬉しそうで泣きそうな「ありがとう」を言いました。

 アボットは、その表情も声もつくれません。

 アボットにできることは、嬉しそうな声と表情。悲しそうな声と表情だけです。

 だから、アボットは嬉しそうな声と表情を選択し『ありがとう』と彼らに伝えました。

 それから、ふたりの人間は、防護服を脱いでミキと同じ本来の人間の形になりました。


 ☆


 人間は生物学的にオスであり、その子どももオスでした。ふたりとも、男の子。

 ミキは、生物学的なメスであり、女の子。

 アボットは彼らの違いをそんな風に位置づけます。

 アボットからすればどれもが『人間』なのですが、人間は性別と年齢を大切にしています。

 子どもの男の子は、ハルトという名がつけられていましたが、ハーちゃんと呼ばれています。

 大人の男の子は、カミルという名ですが、カーちゃんではありません。

 トーちゃんと自分で自分を呼んでいましたが、だれも彼のことをトーちゃんとは呼びません。


 ☆


 ハルトとカミルが来てから、ミキはよく笑うようになり、怒るようになり、けんかするようになりました。

 アボットはその度に「どうしましたか?」と尋ねますが、ミキは「ヤ」しか言いません。

 カミルがミキとハルトの前で「ハーちゃんは、ミキちゃんよりもお兄ちゃんなんだから、我慢しな」とハルトを叱りますが、アボットにはどっちもどっちな気がしてなりませんでした。

 だから、そっとミキに言うのです。

『ミキは25カ月と3日。ハルトは31カ月くらい。だからハルトにもおもちゃを貸してあげてください。ハルトも赤ちゃんでミキも赤ちゃんとされる年齢です。同じものが好きです』

 と。

 だけど、ミキはやっぱり「ヤ」を言ってぐずります。


 ☆


 ひと月に一度、アボットは日光浴をしなければなりません。

 少し行けば砂だらけの場所に出て、太陽に困ることはありませんが、その時だけミキをおなかの中に入れておかなければなりません。

 太陽は、ギンギラ光っており、人間の皮膚に有害だからです。

 その日光浴の時間がミキのお昼寝と被っている時は良いのですが、それ以外だと、ミキがおなかの中で泣き叫ぶのです。

 だから、ひと月でもミキのそばに安全な人間がいれば、アボットも安心して日光浴ができました。アボットはトムジィの言葉を思い出しながら、言葉の理由を探します。

 そこに防護服を着たカミルがやって来て、アボットに話しかけました。

「トム博士が言っていた楽園は君が守ってくれていたんだね」

 カミルは少し悲しそうな声で、アボットに伝えます。

『トムハカセとはだれでしょう?』

 アボットは自分の知らない誰かの名前を素直に尋ねると、カミルが声を上げて笑いました。

「そうか。君は知らないんだね」

『はい、トムハカセのことは知りません』

 アボットはやはり正直に答えました。だけど、カミルはその答えを教えてくれませんでした。


 ☆


 アボットとミキがいる家は薄い青をしたガラスの天井に囲まれた場所でした。

 寝床を中心に半径は1㌔メートルだと、トムジィが言っていました。

 入り口は4つだけ開いていました。

 一メートル四方の東西南北の扉のない扉がひとつずつ。

 そこから外の風が入ってきます。

 屋根にくっついた水がおちてきて、雨も降りました。

 雨が降ると、アボットの知っている草が増えていくのです。


 そして、ときどき生き物がやってきます。

 それは虫であったり、鳥であったり、小動物であったり、草食動物であったり、肉食動物であったり。

 増えるものもあれば、そのまま一匹でいなくなってしまうものもありました。

 だけど、トムジィはそれらを追い出しませんでした。なぜなら、それらは『勇者』だからだそうです。

 ミキもここにたどり着いたもののひとつでした。

 だから、ミキも『勇者』でカミルもハルトも『勇者』なのでしょう。

 だけど、今もアボットには分かりません。


 はじめは、どうにも動くことがなかったミキが、どうやってここまでたどり着いたのか。

 もちろん、検索しても分かりませんでした。

 トムジィはミキが来るまで、ひとりで、緑の葉っぱを増やしながら、ここにいたそうです。

 そして、お別れの際にアボットに言いました。


 ――ミキが大きくなる頃に、ここの天井を開くことができるように旅に出る。きっとこの『緑の元』ならできるとおもうのだ


 だから、アボットはおなかの中にその天井を開くスイッチを持っていました。

 アボットは自分のそばでよちよち歩いてはこけて泣く、ふたりの子どもを見ながら、大きくなる頃とはいつなのかを考えました。

 ミルクを飲んでいた頃に比べるとずいぶん大きくなりましたが、やっぱり答えは出ません。

 こけて泣いている間は小さいのかもしれません。

『ミキ、ハルト、アボットの手を持って』

 そう言いながら、アボットはこけてしまったふたりを立ち上がらせました。

 それなのに、何世代目かになる黄色い蝶々が、ふたりの目の前をふわふわ飛んでいくと、ふたりはまたそれを追いかけてこけてしまいました。

 また泣きます。

 きっと、まだ大きくない。

 アボットは、どうしてトムジィが年齢を指定しなかったのかが不思議でしたが、ふたたびふたりを立ち上がらせて『元気の良い子どもたち』という言葉を選択しました。


 ☆


 カミルは一ヵ月の間、アボットの家の中をずっと歩き回っては、記録をしているようでした。アボットはその記録を見せられながら、いくつかの質問に答えましたが、いくつかは答えられませんでした。

 それでもカミルは笑います。

 おそらく、アボットはカミルの機嫌を損ねてはいなかったはずです。だから、約束の一ヵ月が経ち、二ヵ月が経ち、一年が経った頃までカミルはずっとアボットの家にいました。そして、カミルは一年が経ったその日に約束通り出て行くことにしたのでしょう。


 ミキのお喋りはたくましくなり、ハルトの好奇心もどんどん膨らんできていた頃でした。

 その時、カミルはハルトをアボットに託せないか、と尋ねてきました。

 アボットは考えましたが、ここにも答えは出せませんでした。


 アボットは彼自身の意思で人間を引き留めることも、追い出すこともできません。

 だから、人間であるカミルの望み通りにすることにしました。

 アボットにかけられている規制は、たったひとつ。


 ――ミキに危害を加える者は、そばにおいてはいけない


「ハルトはミキのそばにいても良い人間です」

 その答えを聞いたカミルはやはり複雑な悲しそうな嬉しそうな表情を浮かべ、ハルトとアボット、そしてミキに『じゃあな』と告げました。

 だけど、アボットは加えて『行ってらっしゃい』とカミルに伝えました。

 どこか《さようなら》を選択する場面ではないような気がしたのです。

 そして、ミキにおわかれを示す行動を教えます。

「ばいばい」

 ミキが防護服姿のカミルに手を振り、ハルトはきょとんとしながらそのカミルを眺めていました。そして、

「とーちゃん、行ってらっしゃい」

 とさけびました。


 カミルがまた笑っているのに泣いているような複雑な表情で「あぁ、……またな」とハルトの頭を押さえるようにして撫でていました。


 ☆


 カミルとハルトが来てから七年が経ちました。カミルはまだ帰ってきませんが、ハルトもミキもずいぶん大きくなってきています。

 ミキはしっかりおしゃべりもします。

 ハルトは自分のことを「ハーちゃん」とは言わなくなりました。

 ふたりとももう赤ちゃんという年齢ではないことは、アボットにも分かります。


「ミキ、ほらあっちにウサギ」

「ほんとだ」

 ミキとハルトは、アボットが教えた生き物を見つけることが楽しみの一つになりました。

 アボットの計測では、最初に迷い込んだウサギの夫婦から生まれたウサギは、この家の中に100匹ほどになっています。見つけるのに簡単な動物のひとつです。

 そして、アボットは時にそれを『肉』にします。


「みて、ハルト、あっちにハト」

「あ、またフンしやがった」

 ハトやスズメもいつの間にか増えていて、やはり100匹ほど。

 それもやはり『肉』にします。

 ハルトもミキもウサギやハトを見てかわいいと思っていますが、野菜だけでなく、肉も食べるのです。

 アボットは『人間』に必要な栄養をなんども計算しながら、週に何度かその肉を食べさせました。

 だから、ミキとハルトもどんどん大きくなってきます。

 それでもまだアボットは小さいと思います。


 それは、彼らが迷子になってしまうと泣くからです。


 ☆


 迷子になるくせに、ミキとハルトは泥だらけになって帰ってくることが多くなりました。その度にアボットは彼らに水浴びをさせなければなりません。

 寝床のある真ん中よりもすこし西よりの場所に、そんな場所があるのだそうです。

 子どもたちはアボットにそんなことをたくさん知らせてくれるのです。

「ねぇ、アボットも一緒にいこーよ」

 水浴びをしながら子どもたちはアボットを誘いますが、アボットは自分の体を見ながら「行けそうにありません」と伝えました。実はアボットの体に不具合が出てきているのです。

 少しずつ指が動かなくなってきています。少しずつ、日光浴の間隔が短くなってきています。あまり遠くへ行って帰って来られなくなると、ミキたちのお世話が出来なくなります。

 本来ならば、アップデートをしなければならないところ、ビータンとの通信も途絶えてしまい、ずっと出来ていないので、アボット自身、この体がどうして動きにくくなっているのかが、分からないのです。

『ミキとハルトが教えてくれるので嬉しい』

 アボットはそんな言葉を選択し、微笑みを選択します。

 そんなアボットに、ミキとハルトがにこにこしながら、アボットの頭を撫でてくれました。

「アボットは良い子だね」

「はやく元気になってね」


 アボットの中にあるモーターが、ウィーンとなりました。


 ☆


 沼のある西の場所は、低い木がたくさん生えている、家の中にある森でした。そこで、ハルトとミキは初めて見る生き物に出会いました。

 沼の中に、茶色の何か。

 つかまえようとするとすいーっと足を延ばして泳いでいきます。

 それは地面の上ではぴょこんと跳ねて、捕まえようとするとまた逃げて、ぴょこん。手の中に入ったらにゅるっとした体で、すぐに出てきてしまいます。

 さっそく彼らがアボットに伝えると、それは『カエルだ』とアボットは教えました。

 もしかしたら、水鳥が住んでいるかもしれないとも。

 ときどき、その水鳥が自分の体にたまごを付けて、生き物を運んでくるのだそうです。


 そうやって、チョウやバッタはやってきた。

 そんな風にアボットは言いました。

 そんな風に言っておいて、ふとアボットは思いました。


 ミキも何かにくっついてきた生き物だったのかもしれない。


 アボットはトムジィとここに住んでいました。だけど、一度シャットダウンし、次に起動したときには、ミキがおくるみに包まれて、トムジィに抱かれていたのです。

 そう思うと、そのカエルももちろん『勇者』です。

 家の中には『勇者』とその家族が増えてきていました。


 ☆


 ミキとハルトは家の外にも興味を持ち始めました。

 もちろん、アボットは反対します。アボットはこっそり抜け出そうとするふたりをなんども止めました。

 防護服がないと、ミキもハルトも生きていけないからです。

 だけど、アボットはそれが少しずつ変わってきていることも知っていました。

 アボットは、トムジィが旅に出た時の言葉をメモリーから取り出します。


 ――この子が大きくなるまでに、緑の元を使って、この楽園をもっとおおきくしようと思っている


 ガラスの天井の向こうには、大きな赤い月が見えています。

 もしかしたら、『ミキが大きくなる日』が近づいてきているのかもしれません。

 アボットは何の根拠もないことを、月を見て思いました。


 ☆


 遠くから野犬の声が聞こえます。

 遠くと言っても、おそらく家の中。家の中にはウサギ以外のたくさんの動物も増えてきているのです。

 アボットに身を寄せるふたりは、まだ小さいのでしょう。

 だけど、ハルトは少し大きくなってきていて、震えながら言います。

「ミキもアボットも僕が守ってあげるから」

 と。

 アボットが守らなければならない『人間』はミキだけでした。

 だけど、その言葉を聞いたアボットはトムジィの指示を歪めて解釈していました。

 ときどき、プログラム違反ではないかと、アボットの中で騒めきましたが、すこしプログラムの動きが悪くなってきているアボットにとって、それはあまり意味のない騒めきでした。

 アボットは自分のおなかを開きます。

『ミキとハルトはアボットのおなかに入って』

 アボットの体は野犬に引き裂けるものではありません。

 そして、アボットはミキに危害を与えないものを排除することはありません。


 アボットの中では、野犬も『勇者』であり、ミキと同じ生き物だから。


 ☆


 ミキとハルトはずいぶんと大きくなってきて、もうアボットのおなかの中にふたりを入れることが出来なくなってきました。

 アボットは『大きくなった』という言葉を、もう一度考えます。

「アボット、みて」

 ミキはどこかから拾ってきた野犬の子どもを抱き上げてアボットに見せました。食べ物があまり食べられなかったのか、かなり弱っている状態です。

 野犬の子どもは『小さい』

「アボット、この子にごはんあげてもいい?」

「はい、では、野犬が好むものを調べてみます」

 だけど、野犬よりも大きいはずのミキを『大きい』と選択したくないアボットは、ミキは野犬よりも弱いから『小さい』と位置づけます。

 だけど、アボットにとって、そのミキの行動はとても不思議なものでした。

 野犬の鳴き声に恐れていたミキが、野犬の子どもを助けるのですから。


 ☆


 アボットの関節はしだいに動かなくなってきていました。アップデートも出来ないアボットには何が悪いのかやっぱり分かりません。きっともうミキの服を作ることもできません。

「アボット、わたしがやるね」

 だけど、ミキは野犬にごはんをあげて、かんたんな服の修理ができるようになってきました。

「アボット、僕がする」

 そう言いながら、ハルトが動物を肉にします。まだ少し危ないところはありますが、ハルトのナイフの使い方も、十分上手になってきています。

「いっぱいとれたよ」

 そう言いながら、ふたりが畑の野菜をアボットに知らせてくれます。

 ふたりは、どんどんアボットが教えたことを自分の中に吸収し、ほんとうは、“大きく”なってきていました。


 ☆


 大きな車の音がしました。

 とても久しぶりの音です。

 それは、アボットがシャットダウンする前のメモリーの中にある音でもありました。

 もちろん、ミキもハルトも知りません。

 家の外の砂地は家の中から飛び出し始めた緑の元に覆われてきているので、それもあたり前に来た未来の一つだったのかもしれません。

 防護服を着た人間たちが、アボットたちの寝床まで向かってきています。

 その一人がカミルであると、アボットは認識しましたが、ハルトはまだ気づいていません。

 アボットの後ろに身を隠すようにしながらも、震えておらず、その人間を睨んでいます。

 だから、アボットはハルトに伝えます。

『ハルト、彼はカミルです。ハルトのトーちゃんです』

 防護メットを外したカミルが、やっぱり嬉しそうな泣きそうな、とても複雑な表情を浮かべ、「ただいま」と言いました。


 ☆


 その夜、カミルがアボットに言いました。

 トムジィが今カミルの過ごしているコミュニティにいること。

 そして、トムジィがもう数ヶ月ほどしか生きられないだろうこと。

 ミキをそのコミュニティに連れて行きたいこと。

 アボットは、答えられませんでした。

 それは、アボットがロボットだからではなく、アボットだったからだ、そんなことを思います。

 カミルはミキにもそれを伝えたいと言います。そして、それをアボットから言ってあげて欲しいと言いました。


『アボットには、できません』


 その答えに、カミルは穏やかな微笑みを浮かべます。だから、アボットも微笑みを選択しました。だけど、うまく表示させることができません。

 それは、おそらくアボットの電気が上手くアボットの中で走らなくなってきたからなのですが、それも、どこか違うと思ってしまいます。

 アボットはきっと壊れてきているのだろう、そんな風に自分を位置づけました。

「アボット、明日まで待つから」

 カミルはその穏やかな微笑みを言葉に代えました。


 ☆


 一日考えたアボットは人間についてをミキとハルトに説明しました。

 人間とは人間のコミュニティで人との関わりを学んでこそ、人間というものになれるのだ、ということを。

 それは、成長していくミキを見ていてアボットが学習したことでした。

 アボットといた頃のミキは、言葉に『気持ち』を乗せず発声していました。

 だけど、ハルトとカミルが来てから、ミキの言葉がたくさん増えました。

 ハルトとともに生きたミキは、言葉の音が複雑に響くようになってきました。

『ミキは大きくなりました。アボットはミキが大きくなるまでミキを育てることが役割です。アボットはここを守らなければなりません』と。

 ミキもハルトも最初は嫌がりましたが、アボットが同じことばかり言うので、とうとう諦めてカミルと共にいくことを決めました。


「アボット、またね」

『はい、ミキ、行ってらっしゃい』


 アボットはトムジィやカミルが出て行った時と同じようにミキを見送り、その20日後、おなかのボタンを押して、天井を開きました。

 緑の元が天井に溜めていた何かが、外へと飛び出していきました。

 緑の元が作っていた、何か。

 それは、色のないものでしたが、空に吸い込まれるときらきらと白く光って見えるような。

 空を青く染めていく、そんな何かです。

 もし、アボットが『希望』という言葉の意味を本当に知っていたならば、それが希望だと思ったのでしょう。

 涙が流れたのかもしれません。


 だけど、アボットにはそれが希望だとも涙につながるものだとも思えませんでした。


 ☆


 アボットがおなかのボタンで天井を開いてから、ずいぶん時間が経ちました。

 それでも、アボットは、自分に巻き付く蔦の葉や、土埃、雨を、まっくらなモニターに映し続けていました。

 見ているわけでもなく、見ていないわけでもなく、ただ、がらくたのようにして。


 アボットの体はトムジィが作ってくれました。

 雨にも錆びない特別な体。

 アボットの思考もトムジィが作ってくれました。

 完全に消えることのない、記憶、そんなものとして。


 トムジィが言っていた言葉は、

 ――ここで生き物がいた記憶とその生き物の結果でした。


 アボットは生き物なのでしょうか。

 もう、アボットの記憶を取り出そうとする誰かはそばにいません。


 だけど、ミキとハルトはアボットの記憶を持っています。


 だけど、完全なアボットの記憶ではありません。


 それは、トムジィがアボットに残した記憶でもありません。


 アボットは、ただ空に広がり始めた青い空を、青いモニターに移しながら、やっぱりがらくたのように見つめていました。


 ☆


 緑が深く育ち始め、緑の元が枯れていきます。

 トムジィの言った通り、緑の元は緑を生み出し、消えていくのです。

 アボットは、それも自分と重ねます。


 どれくらい時間が経ったのか、……。


 計算しようとしたアボットはもう、動きませんでした。


 ☆


 砂漠の向こうにあるジャングルには『過去の記憶』が埋まっている。

 そんなことがコンクリートの町の中で噂されていました。

 ミハルは、大きくなったお祝いにもらったバイクにまたがり、そのジャングルへ向かっていました。

 むかしは、防護服を着ないと外にも出られなかっただなんて、ミハルにはまったく信じられません。

 だけど、ミハルのおばあちゃんも、おじいちゃんも言うのです。


「私たちが小さかった頃、世界は毒に侵されていたの」

「大人になって大切な友達を迎えに行ったんだけど、動けない彼を連れて帰る術がなくてね」


 ミハルのバイクにはサイドカーがついていて、今は犬のワンが乗っています。

 帰りはその友達が乗っているはずです。


 ミハルのバイクは、砂埃をあげながら砂漠を走り、ジャングルへと向かいます。

 青い硝子が見えてくると、ジャングルです。

 入り口は四つ。

 ミハルは大きなリュックを背負ってバイクを置いてジャングルに迷いなく入っていきます。

 ミハルが見たことのないような、そんな木々が空を隠すようにして伸びています。

 あんなに乾いていた砂漠の真ん中だとは信じられないくらいに、じめじめしています。

 だけど、ミハルは腕で汗を拭って、ただまっすぐにすすみます。

 おばあちゃんとおじいちゃんが言っていたのです。


 ただまっすぐに。

 きっと見たこともないような、沼や生き物があるけれど、まっすぐ歩けば迷わない。


 ミハルはその言葉をつぶやきながら、ジャングルのちょうど真ん中へやってきました。

 ワンが「わんわんわん」とこんもりした何かの前で吠えたてるので、ミハルも急いでそのこんもりとしたものに近づきました。

「いた」

 ミハルは急いでそれに絡まる蔦やほこりを取り除き、リュックからコードとパソコンを出して、それに繋ぎました。


 ☆


 充電が開始されました。

 再起動します。

 新しいプログラムを確認しました。

 新しいプログラムをダウンロードします。

 インストールを開始します。

 再起動します。


 すべて正常。


『ミキ』と『ハルト』によく似た”人間”を確認しました。


 またねと別れた後は、

 “カミルの時”のように、


 まだはっきりしないメモリーの中、最新に近い過去を照らし合わせたアボットは言葉を選択します。


『おかえり』


「あ……あ、そっか。ただいま、アボット。だけど、みんなあっちで君を待ってるよ。今度こそ一緒に行こう」


 ミキのようなハルトのような人間は、カミルのように目を丸くして笑うという、とても複雑な表情を浮かべて、アボットに言いました。

 新しいプログラムが入ったアボットは、ミハルに『はい』という言葉を選択し、微笑みの表情をモニターに映しました。


 アボットのその微笑みは、どこか嬉しそうに泣いているように見えたそうです。



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↓楠木結衣さま作成(折原琴子の詩シリーズに飛びます)↓
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― 新着の感想 ―
好きです、これ。 世代を超えて果たされた『またね』の約束。 そして、たぶんこの後ミキやハルトとの約束が果たされるシーンもあるんだよね? と想像させる余韻がいいですね。
ロボット視点の不器用で健気な感情の揺れがとても印象的でした。 ただミキを守っていたアボットが、少しずつ人間や緑や勇者を理解していくこと。 反して自分は動けなくなっていくところに切ない空気が流れていて、…
カミルがミキたちを自分のコミュニティへと連れて行く話をアボットにしたときのアボットの反応が印象的でした。 一度は「できません」というけれど、伝えることを選んだのは、アボットにとっては学習した一環なので…
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