婚約破棄された令嬢は最強の魔女となり全てを手に入れる
「ジェーン、君との婚約を破棄する」
ジェーンに向かって、皆の注目を浴びる晩餐会の大広間で、王太子のアレキサンダーは声を上げた。人々は息を呑み、ジェーンへと視線が向けられる。
「殿下。それは何故でしょうか?」
ジェーンは淡々とアレキサンダーを見つめ問い掛ける。彼はわずかに顔を紅潮させ、言葉を続けた。
「理由などあげればキリがない。まずその態度だ。何をしても動じず、豪胆で度胸もあり、並々ならぬ胆力。どの立場の者にも公平に接し、そして誰に対しても根底には優しさがある……」
「……いけませんか?」
「っ!? ……いや、私に対しても対等のように接してくる! ふてぶてしいその態度は私の婚約者に相応しくない!! それに、その目つき……」
アレキサンダーはごくりと喉を鳴らし、気合を入れたようにその黄金の目に力を込めた。
「その春に芽吹いた新緑のような瑞々しい色の瞳。濁ることのない、真っ直ぐな眼はいつも真実を写しているかのようだ。伏せ目がちになった折に、長い睫毛の下からのぞくその瞳は物憂げで、心が吸い込まれそうになる……」
「……えっ……えっと……」
「っ!? ……いや、私に対しても媚びることのないその目つきは不遜だ! それでいて多くの者を虜にする深遠さ! その魔性は私の婚約者に相応しくない!! それに、その容姿……」
戸惑うジェーンと周囲の人々の様子に、アレキサンダーは追い詰められたように、言葉を重ねる。
「情熱的な太陽のような赤毛は誰をも振り向かせる。そして高い鼻梁に端正な顔立ち。透き通る白さに天鵞絨のように柔らかな肌。細く引き締まった腰に蠱惑的な肢体……」
「……あの……」
「っ!? ちが……いや、私をも堕落させるような姿はまるで古の淫猥な魔女のようだ! その魅力は私の婚約者に相応しくない!! よって、ここに婚約破棄を宣言する!!」
こうして、ジェーンは婚約破棄をされ、国外追放となったのであった。ジェーンはアレキサンダーと初めて出会った日のことを思い出す。
こっそり子供たちが集められたお茶会を抜け出し、王宮の中庭らしき場所に隠れていた。ジェーンは7つの歳で、婚約者になる王太子と、お茶会で初の顔合わせがあったのだ。
「見つけた」
茂みの下にうずくまっているジェーンに対して、声が掛けられ、見上げると男の子がいた。同じ年頃の金髪金目の眩しいまでの麗しい容姿だ。
「だれ?」
「わ…、僕はアル。君の名前は?」
「わたしはジェーン」
「なぜ、こんな所にいるの?」
「逃げてきたの。婚約の相手から」
「どうして?」
ピカピカの服を着たアルは、気にすることなく地面に座り込んだ。ジェーンの隣に。
「わたしはグリーンフェルデの魔女なの。魔女は必ず王と結婚しないといけないって……」
「結婚したくないの? 相手が嫌い?」
「相手の顔もしらないの。結婚したら王妃となって自由もなくなるわ。わたしは街の屋台で売っているような食べ物やお菓子を食べ歩きするのが好き。それに人々がいっぱいのお祭りで大騒ぎして歌って踊るのも大好きなの。世界を旅してもみたいの。そんなことができなくなるわ」
「……そう。それはとても楽しそうだ。僕も食べてみたいし、行ってみたいな」
見つかってしまったことにすっかり落ち込んで、しょんぼりしていたジェーンは、その言葉にキラキラと緑の眼を輝かせて笑顔を浮かべた。アルは驚いたように息を呑む。
「今度、一緒に行きましょう! 私が案内する。ここから、帰れたらだけど……」
思い出したように、ジェーンはまたしょんぼりと俯いた。ジェーンは7つの誕生日に王太子と婚約すると、その後は王宮の離れにある塔でずっと過ごさねばならないと決められていたのだ。それも嫌で逃げている真っ最中なのであった。
「帰れるようにするよ。ジェーン」
アルは優しくジェーンを見つめて、微笑みを浮かべた。ジェーンは、アルはまるで絵本に出てきた天使様のようだと思う。
「約束しよう。ジェーン。僕は君を囚えたりしないと」
そうして、アル改めアレキサンダーは、ジェーンに一つの約束をした。そして、それは、彼が王家の秘宝であるゴーレム持ち出し、離れの塔を壊したことで果たされたのだった。
「国外追放なのに、こんなに自由で良いの?」
ジェーンは隣を葦毛の馬に乗って闊歩する従姉妹に語りかけた。
「ああ、ジェーン。これは自由への旅だからね」
ラスカは、ジェーンの従姉妹で貴族でありながらも男装した騎士姿をしている。ジェーンも馬に乗っているのでドレスではなく、乗馬服を着ていた。濃緑色の上衣の下には象牙色のシャツに黒茶色の下衣とブーツ。その姿は凛々しくも美しいとラスカは目を細めた。
「自由への旅?」
「そう。アルと私の望みさ。君が自由になることは。もう、ずっと前からね」
ジェーンは、グリーンフェルデを国外追放となり、母の出身国である隣国のタンベルテンへと向かっていた。ポカポカと陽気が温かな日で、森の中を馬を駆けさせていると、遊んでいるように錯覚してしまう。
「君には恩があるからね。私が騎士として生きていけることになったのは、君とアルのおかげだ。君たちが武術大会を開いてくれて、私が優勝したことで力を示すことができた。それにジェーンも出場してライバルを倒してくれたのも大きかったよ」
「後からアルには散々小言を言われたのよ」
「君が男装の騎士として登場したときのアルの顔は見物だったよ」
くっくっと、ラスカはその時を思い出したように、耐えきれずに笑う。
「それでも、私は準決勝で兄に負けてしまったわ。私たちのグラッドストン家はほとんどの者が騎士で、強者ぞろいですもの」
「そう、そして、これまで女性の騎士はいなかった。そもそも女が生まれることはなぜか少ない家系だ。分家の私ですら、久々に生まれた女だった。ジェーンは、それこそ百数十年ぶりだ。本家に生まれた女はグリーンフェルデの魔女と呼ばれ、王との結婚が義務付けられる」
──グリーンフェルデの魔女
この国であるグリーンフェルデと同じ大陸にある7つの国々は一つの盟約を遵守していた。如何なる理由があろうと、互いに戦を行わないという盟約である。それは、数百年前に、グリーンフェルデの魔女により結ばれることとなったという。
「なにが、魔女よ。私は箒の一つも浮かせやしなかったわ」
「これまで、王に嫁ぐことになったグリーンフェルデの魔女と言われた先祖の女性たちも、初代を除いて誰も魔法を使った記録はないようだね」
だからこの事態になっているのだ。かつて盟約を結んだ7つの国の一つ、大国ダングルドバーグが侵略戦争を始めたのだ。他国との圧倒的な軍事力の差から、大陸の覇者となる野心を抱いた。ありもしない魔法を恐れることを止め、他国から奪うことで繁栄を享受するのだと。
「それでも、本当に感謝しているんだ。私には令嬢として嫁ぎ、生きていくことは苦しかった。今は、どこまでも、自由に駆けていける」
「あら、貴方は国外追放された私の監視役となってしまって、貧乏くじを引かされているわ。自由と言えるのかしら?」
「まさか! 心から望んで共に来ているんだよ」
ジェーンによく似た面立ちながらも、小麦色の髪をかき上げ、榛色の瞳を輝かせていたずらっぽく笑う姿は、ラスカを少年のように見せた。
「たとえ死地へでもお供するよ。アルが私を選んだのは、君を男性騎士には任せたくなかったからだろうな」
「なにを……、私は婚約破棄されたのよ」
「分かっているんだろう? アルは君を守りたいんだ。そして自由になって欲しい」
「たとえ役立たずだとしても、私も国のために何かをしたかったわ」
ジェーンは、悲しげにそう呟いた。茜色に染まった光が木々の間から差し込んでくる。日が落ち、月がゆっくりと昇っていく。
「ダングルドバーグとの戦いは熾烈なものとなる。とくに、君はグリーンフェルデの魔女だ。何の力も持たないとしても狙われる。ましてや負けることになれば──」
グリーンフェルデは栄えた豊かな国である。だが、ダングルドバーグと比較すると軍事力は比べものにならない。数百年もの間、この大陸では戦は起きていないのだ。
「今日は私の17の誕生日よ。こんな日に国外追放になるなんて思わなかった。初代のグリーンフェルデの魔女は17の歳に盟約を結ぶ魔法を掛けたと言われているわ。私に箒を浮かせる力があれば、今すぐ飛んでいくのに……」
俯くジェーンの姿を見つめるラスカの瞳に痛みが一瞬走るが、気付かせないように笑顔を浮かべた。
「隣国は食べ物が美味しいというよ。国民性も明るくお祭りが多いらしい。一緒に行こうよ」
「お祭り……そういえば、ラスカとアルと三人で王都のお祭りに行ったことがあったわね」
「うん。とても楽しかったな。アルは初めて食べる屋台の串焼きの謎肉に、目を白黒させてたっけ……」
森をゆっくりと駆けていく2頭の馬は、歩くほどに遅くなった。国外追放であるのに、監視の騎士はラスカのみだ。分かっている。逃がされているのだと。
「私たちの一族はほとんどの者が騎士だわ。きっと、皆、国境の最前線にいるわね」
「グラッドストンの一族は昔から脳筋が多いし、実際にとても強い。それは、きっと……」
「グリーンフェルデの魔女を守るためだったのね」
けれど、隣国へ逃げるのであれば、守る意味などない存在ではないかとジェーンは思った。
「もし、私がグリーンフェルデへ戻ると言ったら、ラスカは止めるの?」
「いや、言っただろう。死地だろうとお供すると。私の望みは君の自由だ。それが君の選択なら尊重する」
少し悲しみの色を浮かべながらも微笑み、ラスカは馬の歩みを完全に止めた。
「さあ、お姫様。君の望みを言ってくれ」
「私は……私はグリーンフェルデへ戻る」
その瞬間、天空の月から一筋の光が降りてきて、ジェーンを刺し貫いたかのように見えた。ふわふわと真っ赤な髪が浮き上がり、緑の瞳は宝石のように煌めく。
「ああ、これが……」
「ジェーン!?」
「第一封印の解放。古の姿へと戻れ」
2頭の馬のその灰色がかった葦毛が絹糸のような光沢のある真っ白な毛並みに変わった。ばさっと大きな翼を生やし、羽ばたきながら空へと浮かび上がっていく。
「うわ~~! ジェーン!! 箒どころじゃないよ!!」
ラスカは浮かび上がる天馬に落とされないように、姿勢を保った。ジェーンは遠くを見つめながら凛とした声を上げる。
「第二封印の解放。遠き地へと行け」
浮かび上がる天馬の足元に複雑な紋様が浮かび上がる。月の光と呼応するかのように銀色に煌めくと、ふっとその場から消えた。
グリーンフェルデの国境線。砦となっている長い城壁に、ずらりと騎士たちが立ち並ぶ。眼下には数十倍の数のダングルドバーグの兵士達が、平原を埋めつくしている。既に辺りは暗くなり、篝火と月の光が冴え冴えと絶望的な光景を照らし出していた。
アレキサンダーは、ジェーンが既に国境をこえることができただろうかと、思いを馳せた。己はここで死ぬことになろうと、彼女が生き延びてくれるのであれば、それは救いだと思う。
ダングルドバーグの野心は、何代にもわたって培われてきたものだと、その軍隊をみて思い知った。奇跡のような和平の盟約も、力のある者にとっては邪魔なものでしかなかったのだ。
アレキサンダーとしても、何もせず敗戦するつもりはない。次は己の番となる他国五国の軍勢も続々と援軍として集まってきている。
それでも、数百年間にわたる平和の期間は、兵士たちに戦いを忘れさせるのには十分だった。自国の兵士からは浮き足立つような焦燥の気配が伝わってくる。一方でダングルドバーグの兵士たちの気勢は十分なようで、荒々しいまでの熱気が渦巻いていた。国として戦のない期間も武力を尊び、増強してきたようだ。
かつて、グリーンフェルデの魔女が盟約の魔法を行使したときも、残虐王と呼ばれたダングルドバーグの王が他国を蹂躙し、大陸を支配しようとしていたという。
──グリーンフェルデの魔女
アレキサンダーは、ジェーンの悲しげな微笑みを思い出す。出会った時から彼女はままならぬ現実に悲しんでいたと思う。
ずっと、自由してやりたかった。ただ、彼女を手放す時は、想像していた以上に胸が張り裂ける思いだった。だが、婚約破棄し、国外追放したことで、ようやく彼女は自由になれたはずだ。
ジェーンは一見大人しそうに口数が少ないが、芯があって決めたことはやり遂げる。大輪の薔薇のような彼女の姿を脳裏に描き出し、アレキサンダーは微笑みを浮かべる。
見下ろすダングルドバーグの軍勢に動きが見られ始めた。夜陰に乗じて攻勢をかけるつもりだろうか。
「みなの者。敵勢に動きが見られる! 気を引き締めよ! 我等は国を護る最後の砦! 己を家族を故郷を護るために戦え!! 蹂躙を許すな!!」
アレキサンダーは、味方を鼓舞するために声を張り上げた。眼下の埋め尽くす敵兵を見て、敵味方を問わず多くの血が流れるだろうと覚悟を決めながら。
『第三封印の解放 言霊よ届け』
凛とした鈴のように軽やかで美しい声が、耳元で囁くように聞こえた。その場にいた兵士たちにも聞こえているようで、辺りは騒然とする。それは、敵兵も同様のようで、眼下でもざわめく気配が伝わってくる。
「上に!!」
「なんだ!? あれは!?」
兵士たちが見上げた空には光輝く天馬が二頭羽ばたいていた。それは、神話の世界の光景のようで、現実感がなく、呆気に取られる。
「ジェーン!!」
アレキサンダーは、遠くに見える姿でも間違いなく彼女だと確信した。天女のような美しさを見間違える訳がないと。
『古の盟約を忘れた者よ。その代償を払う時がきた。第四封印の解放 時の羅針盤よ いでよ』
ジェーンはふわりと天馬から空中に降り立つと、その足元を中心として金色の数多の針が伸びていく。大小さまざまな長さの針の下に、黄金の光の円環が幾重にも描かれる。その羅針盤はとても大きく、眼下を埋め尽くす兵士たちの頭上をすっぽりと覆った。
「あれは、グリーンフェルデの魔女か!!」
「盟約は真実だったのでは!?」
「逃げろ!」
「黙れ!! 矢を射かけろ!! 災いの魔女を射殺せ!!」
ダングルドバーグの軍勢から幾つもの矢が上空に飛ばされるも、黄金の羅針盤に触れると阻まれ、金色の火花となって消え失せた。
『繰り返される愚かな行いを悔い改める機会を与えよう。最終封印の解放 時の羅針盤よ 進め』
ジェーンの声が、地上にいる全ての者たちの耳元に囁かれるように届く。頭上の闇夜に広がる黄金の羅針盤が輝きを増し、大小の数多の針が高速で回転をしだした。
すると、ダングルドバーグの軍勢からうめき声が聞こえ始めた。兵士たちは武器を取り落し、地面に膝をつく。足が萎え、地につく己の手に皺が増えたことに気付く。周囲に目をやると、血気盛んだった兵士たちが今にも老衰であの世に渡りそうな老人へと変化していた。
「な、なんてことだ……」
「お、恐ろしい。やはり盟約を破るべきでは無かったのだ!」
ダングルドバーグの恐慌をきたした兵士たちから悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
『もう一度だけ機会を。今後、他を踏みにじるために他国へ足を踏み入れんことを、永遠に誓え。破れば、命は尽き身体は塵へと変わる』
ジェーンは羅針盤の中心に立ち、宣言した。
『わが名はジェーン・グリーンフェルデ。古の魔女の血を引く今代のグリーンフェルデの魔女。アレキサンダー・グリーンフェルデの伴侶にしてこの大陸を和平の盟約で護る者。今一度、決して忘れることのなきように』
ジェーンはそっと手をダングルドバーグの兵士たちを上空から撫でるように動かすと言った。
『あるべき場所へと戻れ。身体の時は戻そう。再び盟約が守られるならば』
その言葉にダングルドバーグの年老いた兵士たちは咽び泣いた。恐れと失われた時間に震えるばかりで、絶望のあまり地へと崩れ落ちていたが、情けを与えられたことを知ったのだ。平原を覆い尽くすようにいたダングルドバーグの兵士たちは、次の瞬間、ふっと消え失せた。ジェーンの言葉のとおり、元の自国へと転移させられたようだった。
ジェーンは、天馬の手綱を手に取ってゆっくりと空中を滑るように降りてきた。アレキサンダーは、駆け寄ってすくい上げるように抱きとめる。
「アル……ごめんなさい」
「ジェーン。どうして謝るの?」
「何だか頭に血がのぼってとんでもないことをしてしまったような気がするの。それに、婚約破棄をされたのに、それを更に破棄してしまった気がするわ」
おずおずとアレキサンダーの首元から顔を上げたジェーンは、耳の端まで真っ赤に染まっている。それを見てアレキサンダーはごくりと喉を慣らした。
「ああ、ジェーン。言いたいことはいっぱいあるけど、ともかく。私から言わせてくれ。君を愛している。私と結婚してくれ」
アレキサンダーは片膝を地面につき跪くと、ジェーンの手を取って唇を落とした。呆然としていたグリーンフェルデの兵士たちから我に返ったように、轟くような歓声が上がっていく。
こうして、グリーンフェルデの魔女は、大陸の盟約を守るために大魔法を行使し、平和を維持することとなったのであった。人々は救国のグリーンフェルデの魔女を称え、いつまでも仲睦まじい国王夫妻を愛した。
新たな伝説ができ、『グリーンフェルデの魔女と王子』という恋物語は、人々にいつまでも語り継がれたという。




