86・見据える者――
お待たせしました。
宣言通り、年内に再開できました。
(ほお、光ったか――)
ワンダンズグル大陸――。その南端にある標高800メートルの山が連なるスーオット山脈の小さな小屋で酒を飲む痩せぎすの男がいる。名を、伊藤一刀斎という。
誰かの記憶違いという訳ではなく、間違いなく、池袋で死闘を繰り広げた束原卜伝が率いる7人の侍の中の一人だ。巌流たちと別行動を取っていた男子高校生、沢渡一二三たちのもとへ単身でやってきた、つかみどころのない男。それが大陸の岸辺で放たれた光を見つめている。
小屋には彼一人きり。他の侍の姿はなかった。他の侍たちは今頃、地上の根城である花沢氏――徳川時代の幕開けと共に没落した花沢家の系譜を持つ花沢垣江の屋敷に集っているのだから。
一刀斎はまた、酒瓶を口へと運ぶ。小屋といっても朽ち果てた木造の、壁と屋根の一部しか残っていない吹きさらしのあばら家だ。モンスターに囲まれれば逃げ場もない物騒この上ない場所だった。
ではなぜ、一刀斎はまだマルズ星の居残り者になっているのか。それは卜伝の指揮ではなく、彼自身の興味本位からの行動だった。時に集団行動を乱すそんな身勝手な行いへ向かい、堅物の真壁氏幹から口酸っぱく聞かされる小言も、少し上へ尖った彼の耳には意味のない念仏だった。そもそもが、群れる男ではなかった。
(沢渡一二三よ。さて、お前はどうなるものか。俺には、それを見据える必要がある)
一刀斎は、丸く地肌を見せて寂びのある大きな茶色の酒瓶をグビリと呷って、束ねた藁の上へ転ぶ。平均気温14度のワンダンズグル大陸では、浪人然とした気流しの着物が寒々と映る。そこへまた、夜空を刺す緑色の光が細く伸びるのが見えていた。
―――――――――――――――
「ガキ共は寝たのか――」
女性らしからぬ粗暴な姿勢でベルモット・オルウェーズは床に座り込み、目を細めて船の先頭を見据えている。
中世のイングランドから転生してきた錬金術師・ベルモットが強大な練成術で創りあげた全長25メートルのクルーザーは錨を下ろし、操舵室に残ったのは彼女と巌流の2人だ。一二三とユルエは戦場医師である香月・フォーミュラを先頭に、今は気を失った花音が伏せるベッド室に集まっている。
「今は、そうさせておけ」
巌流もまた、その長身と筋肉質の躯体で、どっかりと床に座り込んだ。
「それで酒盛りかよ。のんきなことだ。それより本当に任せてよかったのか、シュルケン一人に」
池袋事件を発端に、シュルケンは本来の気弱さに加えてますます慎重になっていた。侍たちに捉えられて窮地に落ちた彼は、誰かの足を引っ張るような存在だけにはなりたくないと思っている。そんな彼が、まだ見も知らぬ新大陸へ単独で乗り込む勇気を出せたのは、薄れゆく意識の中で花音がこぼした一言に尽きたろう。
――「誰も……助けられない……助けてくれない」
その時だった。兄である一二三の腕の中で崩れ落ちる花音を見た上で、シュルケンが緩々と立ち上がったのだ。
――「拙者は以前に、カノン殿に約束申しました。拙者は力及ばずとも、必ずやカノン殿をお守りしてみせると。なので、参るでござる。ワンダンズグル大陸、まずは一足先に斥候へ向かう所存にござる。これはカノン殿のため、そして、仲間のために」
言うと、決意を固めた目で操舵室を出ていった。出ていったかと思うと、その影が船の舳先から大陸の岸壁へと跳ね飛んで行く姿が巌流とベルモットの目に映った。船の窓の外、真っ暗な魔界の中へと。
ベルモットは大酒くらいの巌流につき合い、自分もまた木製の大きなジョッキで酒を舐めている。
「おいガンリュウ、飲み過ぎだぜ。アイツが無事に帰ってきた時の分くらいは残しとけよ」
「無事に――か。無事ではなくてもいい。生きて帰れさえ、すればな」
「はっ。ひっでえオヤジだ。おい、シュルケンの酒も残しといてやれ。今夜はオレもどうせ、寝ることもねえしな。飲んだくれにつき合ってる時間だけはあるが」
と、そんな酒飲みの二人のもとへ一二三が顔を出した。思わずベルモットが気にかけた。
「おいおい。妹は大丈夫なのか?」
一二三は思い悩む表情を隠しもせず答える。
「フォーミュラさんが一緒ですから任せてます。それに――」
それに、の先を一二三は告げられない。花音がまた覚醒の兆しを見せた。そんな中で、彼の周囲では怪しげな海の妖精が飛び回っているのだから。その様子は一二三以外には見えない。
その妖精、『シース』は蝶の大きさで彼の肩に止まった。それから囁く。
(なーんか、皆して暗いのね)
気づいていない巌流は、左手にジョッキを握ったままで尋ねる。いつもの落ち着いた顔で。
「ヒフミ。ダックスから、あれから何か声はなかったのか」
ダックス――花音を『主』と呼ぶ、大転生者の連れていた犬だ。時に人の言葉を操り、謎めいた導きの言葉だけを残して、一二三ら7人を魔界『マルズ星』へと誘ったダックスフント。今はどこにいるのやら主のもとを離れ、しかし、この魔界のどこかにいるという。花音の右手のひらから眩しい緑色の光が発せられる時にだけ、その存在を示すのみだ。
「ありません……。カノンがうわ言で繰り返しているだけです。あの犬……カノンのことを主なんて呼びながら、こんな大変な時に現れないなんて。当てにならない役立たずですよ」
「ヒフミ。オメエも、あの犬は信じられねえのか」と、ベルモット。
「だって、ダックスが現れる時って、ろくなことがないじゃないですか。池袋のワームホールにしても、ゲートの洞窟にしても……」
「しかし、だ。あのワンコロ、魔界のことを何か知っている。大転生者の飼い犬だっただけあって、オレたちの転生の鍵も握ってるはずだ。妹には悪いが、今は味方につけといた方が利口だろう」
ベルモットは最近の癖なのか、何かを考えこむ時には右手のひらの上にユラユラと小さな炎を揺らす。それが作り出す影が、目深に被ったフードの下の彼女の金髪を照らしては、また影を濃くする。緋色の瞳もそのままに。
トン、とジョッキを床に置いたのは巌流だ。
「とにかくだ。待つしかないだろう、忍びの報せを。アイツもゲートを逆さ潜りした男だ。下手なことでは命も落とすまい」
「だからオヤジ、そういう言い方をするなって言ってんだ。縁起ってヤツも少しは考えろよ」
ベルモットが不満そうに炎を吹き消した。そして、
「何か来る――シュルケンじゃねえ。表のセドールが小さく唸ってやがるぞ」
セドール――何百年も魔界に住むという巨大オオカミ。そのオオカミを、忠実な『騎馬』として巌流は手懐けたのだった。今では船の後方デッキに居座る心強い番犬だ。
巌流が重い腰を上げる。
「ベル、お前はヒフミと一緒に船首に向かえ。俺はセドールの場所へ行く。ことを構えずに済むなら、そうしろ」
口にすると行動の早い巌流が、デッキへの階段を降りた。
「ヒフミ、オレたちも行くぜ。とりあえず、その竹刀は握っておけよ。か弱い女子を守ってくれるのが剣士の役目だろ」
ベルモットが巌流のあとを追う。一二三も急いで続くしかない。
(ベルさんが相手にできない敵とか、俺には到底ムリなんだけど――)
そう思いながら……。
船の外へ出ると意外にも海は凪ぎ、なんらかのモンスターが現れた気配もない。
「時にヒフミよぉ」
ベルモットが船首に立つ一二三に尋ねてくる。
「何ですか?」
「あの空間認識や通信にもなる『ラルシステム』ってヤツは、オレたちの中ではフォーミュラしか使えねえだろ。けど、あの侍たちはどうやら何人かが使ってる。どうにかしてフォーミュラから聞き出せねえのか、覚え方っつうか、システムの構築方法を。俺たちも使えれば通信手段として楽なんだがな」
ベルモットは香月の話になると、いつもの勢いがなくなる。彼女は初顔合わせから香月に対しては冷たかった。それは同じ異能力を持つ者としての身構えだったかもしれない。周囲は本当のことが分からない。最近は多少の歩みよりはあるものの、直接の会話は、まだ苦手らしい。
「僕もよくは理解してないんですけど。フォーミュラさんが言うには、とある機器を通して神経回路とイメージ力との電子的な、脳の中での能力増幅が必要らしいんです。だから、あの侍たちはフォーミュラさんの住んでいた『惑星ユーカスティス』で、その彼女のお父さんから方法を得たんだと思います。その機械がないと、無理なんじゃないですかね」
「そうか――。じゃあ今んとこはアイツに頼るしかねえんだろな。それより、何の変わった空気も感じねえな。さっきは確かにあったんだが」
ベルモットはマントのフードを背中へ回して、聞き耳を立て始めた。
そんな訳で、船首での異変は感じられらなかった。その代わりに、操舵室のある艦橋越しに、セドールの声高い遠吠えが響いた。人の言葉を話せる巨大オオカミだが、その声は野性的で、かなりの切迫感を持った叫びだった。
慌てて一二三が船尾へ呼びかける。
「ガンリュウさん! 何か、あったんですか!」
が、返って当然の声が聞こえない。
ベルモットが大陸側の岸壁を睨む。
「ヒフミ。もしかしたら、せっかく改良したお前の竹刀の出番もねえかもしれないな。セドールは、実体のない何かが近づいてる――って雰囲気の声で吠えてやがる。おいガンリュウ! どんな感じなんだ! こっちからは何も見えねえ!」
一二三はその危機を何も感じ取れない自分に戸惑いつつ、肩先で囁く妖精の声を聞いた。
(来るよー。ガーディアン・ボールだねえ。これがあるからアタシもここには近づけなかったんだよねえ)
(何それ? モンスターなの?)
(んー、人間の感覚でいえば、小魚の大群かなあ。しかも、それは波の形だけでやってくるんだこれが)
妖精・シースの言葉が理解できず、手にした竹刀を構えるだけの一二三に、巌流がひと声大きく叫んだ。
「皆、船に戻れ!!」
声がするかしかしないかのうちに、船がゆっくりと時計回りに回転を始めた。なんらかの渦に巻き込まれるように――。
そこへ、ワンダンズグル大陸への斥候に行っていたシュルケンが戻る。
彼は俊敏な身のこなしで、海面を蹴りながら船へと走ってくる。
「まずいことになり申した!! 上陸はあきらめた方がいいかと!」
――続く――
本当に再開できてよかったです。
それでも年末年始です。なかなか時間は取れないかもしれません。
まず、この物語をご存じない方は1話からをお勧めしますが。それでも、この雰囲気でも読み進められそうな方は、時々、過去に戻りながら読んでくださっても嬉しいです。冒頭に「キャラ設定」も書いてはいます。
とにもかくにも「地上編」「七人の侍編」「異世界突入編」と読んでくださった方が戻ってきてくだされば嬉しいです。
ではまず年内は「再スタート」にて〆て、来年よりまた連載を開始します!!
どうぞよろしくお願いします!!!
2025・12・29 ニーガタ




