85・ワンダンズグル大陸へ
一二三の滅菌が終わり、香月は彼へしばらくの安静を申しつけた。それからベッド室のドアをゆっくり閉じると食堂へ向かったのだが――。
「あの、シュルケンさん。ちょっと……」
香月が浮かない顔で向かったのは、操舵室へ上がろうとしていたシュルケンのもとだ。
「おお。ヒフミ殿の手当ては終わりましたか。」
「ええ……。ただ、なんだかヘン、というか。ちょっと混乱してるみたいで」
「混乱でござるか? あれだけの戦いでござったからな。どこかで頭でも打ったかもしれんでござるよ。そうであれば、時と共に元に戻るもの。心配はござらんよ」
「そうだといいですけど……」
タイミングもよく人払いとなったベッド室――。
海の妖精・シースへと一二三の質問が続くかと思わせておいて、まずはシースの話が始まっていた。彼女は「合わせてあげる」と告げて、15センチメートルの背丈を人のサイズへ大きさを変えていた。不意打ちのことに、一二三も驚く間がなかった。海の妖精――そんなものなのか、と開き直っていた。
「で、キミたちは異世界の住人なんでしょ? 何で冒険してるの? キミの思考は海の中でだいたい理解した。『記憶』みたいなのが一瞬で流れてきたから。それは普通、死ぬ前に見るモノだから。だから君は死にかけてたのね」
さらりと恐ろしいことを告げられた。
「でさ、アタシも大陸に用事があったから。こりゃいいタイミングだってね。助けることにしたの。じゃなかったら、放っておいたんだけど。それでさ――」
一二三は、それ以上を聞きたくない。どこまでだか分からないものの、自分の心を読まれてしまった相手だ。早く話を変えたかった。
「まあ――助けてもらったのは感謝するよ、ありがとう。それで、シースの用事っていうのは何なの? 用事があるってことは、大陸には行ったことがあるんだよね?」
「ん? ないよ。だから行ってみたいの。山の妖精『グース』にね、会ってみたいの」
「山の妖精? そんな妖精がいるの?」
「何かおかしいことある? 海の妖精がいるんだから、山にも妖精はいるわよ。この星には大昔、海と山の妖精が一緒に作った不思議な宝石があるって。それを手に入れて帰りたいの。助けてやったんだから、それくらい手伝ってよね」
あっけらかんと言ってくれる。
「僕らは、ある目的があって旅をしている。旅っていうか、何でもいいから世界を救う手がかりが欲しくて。それはすごく急がなきゃいけないことで。だから命の恩人のお願いでも、簡単には頷けないんだよ」
一二三がありのままを話すと、彼女は拗ねる。
「やだ。まずは私のお願い聞いてからにして。それが最大優先事項。それと、用事が済んだら海まで返してね? アタシにしても、そんな長い時間は飛べないから」
どこまでも身勝手な願いだ。頭が上の上がらない相手に悩んでいると、不意にベッド室のドアが開いた。顔を出したのは花音だった。
さすがの彼女も、兄の容態が気になっていたのだ。香月には、「ちょっと意味の分からない話とか独り言も言うと思いますが。あんまり気にしなくていいですから」と、そう聞かされていた。
(あのさ、シース。その話はまたあとにするから。少し静かにしててよ)
(あ、そう? 忘れないでね。いいタイミングだから、アタシこの船の中でも見て回る。じゃあ、あとで必ずね)
花音が開けたドアを抜けると、彼女は空中を滑るように出ていった。
花音は早速、兄の独り言の片りんを眺めていたが、
「兄ちゃん、大丈夫だったの? 私も船が壊れるかと思ったくらいだったから」
「見ての通り、フォーミュラさんのお陰で大丈夫だ。それよりユルエさんも大丈夫だったのか? 平気そうな顔してたけど」
どうやら無事だった兄の様子に安心した花音が、表情を緩めた。そしていつもの生意気な顔に戻った。
「ふーん……。やっぱりユルエさんのこと心配なんだ」
一二三は忘れていたが、勘違いが進行している妹には何か言い訳が必要だ。ただ、ユルエに涙を見せた夜のことを思い返して動揺はしている。
「そうじゃなくて。あの人、いろいろ気を遣う人だから。キッチンとか、メチャクチャになってるだろうし」
「へえ。ご飯が心配なんだ」
「だから違うって。船内の様子が気になってるんだ。それだけだ」
目をそらしがちな一二三に納得したのか、その容態に安心したのか、しばらく黙っていた花音だったが、
「あと3時間もしたら大陸に着きそうだって、ガンリュウさんが言ってた。じゃ、それだけだから」
言うと、ドアから出ていった。
一二三が頭を悩ませるのは、一つだけだ。
(なんか大変な仕事が増えたな。シースの目的っていうのが、早く終わってくれればいいんだけど――)
船が『ワンダンズグル』の大陸へ接岸したのは、それから3時間後だった。ベッド室にも、船内に巡らせた伝達管から巌流の報告があった。
――『ワンダンズグル』と思われる大陸への到着を確認した。動ける者から操舵室に集合しろ」
一二三はベッドから上半身を起こすと両肩を回してみた。長旅であちこち強張っていた身体が、不思議と軽い。立ち上がって軽く跳ねてみると、軽快なジャンプは2メートルもない低い天井にぶつかりそうだった。
(なるほど。電気ショックっていうのは、使いようによっては身体にいいのかもしれないな)
ただし、あの身体中を駆け巡る強烈な痛みだけは二度とゴメンだ。そういったモノは香月に任せようと思いつつ、薄いケープ一枚越しで身体を撫でてくれた彼女の指先を思い出した。
そっと背中を撫でる指先はくすぐられるような心地よさで、その時には感じなかった恥ずかしさが急に込み上げてくる。
(いやいや、そういう……妙な気持ちで思い出してちゃダメだろ。あれは戦場医師としての当然の治療。別に僕だけが特別じゃないだろうし、例えばベルさん相手でも同じように振舞うはずだ)
と心で取り繕いながらも、香月がベルモットの身体を優しく撫でまわしている妄想が頭に浮かんで、顔を熱くした。
(バカか僕は! 今はそういう妄想に浸ってる場合じゃないだろ! 緊張しろ! 緊張!)
操舵室には、すでに一二三を除く6人が集まっていた。誰もが背中を見せて、そこに何があるのか、ガラス越しの光景に見入っている。うち1人は、やはり『たまごっぴ』を手放さず。
「遅れました! すみません!」
学校に遅刻しそうになっても走ったことのない彼が、大きく頭を下げて6人の後ろへ立った。そして誰もと同じように眼前の光景に固唾を飲んだ。飲んだあと、息を止めた。
遥か遠く山並みの向こうには、煌々とした明かりが空の雲を幅広く照らしていた。その光景は彼らの過ごしていた世界と同じように、何者かの生活があることを示すものだった。
「モンスターの集落があると、そういうことか」
巌流がいい落とすと、その短い台詞が不安となって周囲へ広がった。
「知的生物の住んでいる可能性が大ってことか」
ベルモットがブロンドの髪に被ったフードの下で目を細める。その瞳にいつもの挑戦的な炎は宿っていない。
「でも、もしかして友好的な種族かもしれませんよ。以前出会ったトケイトさんって人たちは、争いを好む種族じゃありませんでしたし」
根拠の薄い希望的観測で不安を追い払おうとする一二三に、珍しいことに香月が口を挟んだ。
「シュルケンさん。1人に押し付けるようですけど、確かめに行ってもらえませんか。この人数でそのまま向かうのは危険だと思うんです」
だが、いつもならば頷くや否や偵察へ向かうシュルケンの返事はなかった。彼もまた、そこにある何かを恐怖として捉えていたからだ。自分に限って抜かりはないとばかりに単身で池袋へ向かい、侍たちに囚われた過去が今になって甦っていた。
彼の沈黙は、何も分からない大陸へ乗り込むという事態の、事の大きさを物語っていた。
シュルケンへ「探索に出てほしい」という香月の提言は、彼の躊躇いの中で時を止めていた。
パーティーのリーダーである巌流もまた、シュルケンの胸の内は察していた。指揮を取るべきは自分である。だからと言って無駄にパーティーメンバーを危険にさらすのは忍びなかった。
しかし、その会話へ割って入ったのは、驚くべきことに花音だった。
「ガンリュウさん。私たち、前に進むしかないんですよね。じゃなきゃ、私たちの大事な世界が、なくなっちゃうんですよね。でもゴメンなさい、私は地球が消えてなくなるとかより、もう一回ダックスに会いたいんです。あの時、皆を助けてくれたダックスにありがとうって、言いたいんです。だから、進むしかないんです」
彼女が固い決意を口にしたその時だ。花音の手のひらが輝いた。あの日、池袋で縦横無尽に駆け巡った緑のレーザービームが、まさに今、クルーザーの小さな操舵室に溢れ始めた。
池袋の街に凄惨な瓦礫の山を築いた純白のワームの姿を真っ先に思い浮かべたのはベルモットだ。
「おい妹! すぐその手を握れ! 光を押さえろ! こんなとこで出していいモンじゃねえぞ!!」
制止する彼女の声も聞こえない様子で、花音は懐かしい友と再会できた顔で自分の手のひらを真っすぐに見つめている。その瞳は、レーザー光を集めて色濃く染まり始めた――。
【第三章・異世界突入編】終
(応援画像:tikyik様 ありがとうございます!!)
いつもおつき合いありがとうございます。
連載から1か月ちょっとで、だいぶ走り過ぎた感はあったと思います。
それで、この度は書き溜めストックもちょうど終わり、区切りよく新章に突入する前に休載とします。
実際は来年へ向けた文学賞の作品に取り掛かるのですが。
またゆっくり書き溜め準備しておきますので、ブックマークはそのままで!!
それでは【第四章・新大陸上陸編(仮)】にて、お会いしましょう!!




