83・開門――その力
「『門扉開放』――!!」
ベルモットは声も高らかに口へすると、両手に練成した炎を重ねて唱え始めた。
不敵な笑みを見せる彼女が炎を乗せた両手をクロスすると、炎は2倍ではなく10倍にも成長してゆく。それはいつか浅川の河原で放った、炎のドラゴン誕生の前触れにも似ていた。
「面白れえな……。身体中の生命力が持ってかれそうになる……」
そんなセリフとは裏腹に、彼女の表情は研ぎ澄まされた戦士の顔つきへと変化してゆく。もちろん、眼前のモンスターが黙っている訳はない。
――キィィィエェェエ!!!
巨大エイの方も、まるで無防備といった格好のベルモットに何らかの攻撃を行っているのだろうが、それが低温化攻撃なのか電撃なのかすら分からない。ただただ、その叫びのあとに『グオン――』と風の鳴る音が聞こえるだけで、呪文を唱え続けるベルモットには何も届いていない様子なのだ。
「ムダだ。一度開いた門は閉じることを許さない。そのまま素直にオレの実験台になるのを待ってな」
それを合図に、膨れ上がった炎の球が急速に彼女の手元へと収束してゆく。もはや炎は赤くもなく黄色でもなく、真っ白に輝く光になった。その光を固体化したように、ベルモットが細く長く伸ばしてゆく。
「オレには不向きな、直接攻撃のための槍だ。それを試してみる――」
彼女はその身を一瞬かがめたかと思うと、次には踏み出した。
「白の練成、その001――『直線の白炎』――」
彼女らしくないと言えば、彼女らしくなかった。いつもの選手宣言のような大きな掛け声はなく、しかも海へ向けて突進しそうだった勢いは船首の縁で辛うじて踏みとどまる。ただし、その勢いは光の槍へと伝わった。槍の穂先がグンと伸びる。
――キ
モンスターが叫ぶ間もなかった。ベルモットの突き出した腕――そこからさらに伸びた光の槍が眼球を貫いた。
――イキィィィッ!!!
「まずはその、いけ好かねえ白目玉を潰した。いちいち氷を溶かすのも手間なんでな。それからついでに言っておく。その目はもう再生できない。お前の目に宿った炎は永遠に消えることはない。テメエの生体細胞が再生しようというエネルギーごと吸収し、燃え続ける。テメエの細胞運動が止まるまで消えねえってことだ」
――イィギィィィッ!!!
痛みという感覚はモンスターにもあり、それは恐らく激痛だったのだろう。
「ついでに、そっちもだ」
伸縮する白い槍がベルモットの手元へ戻ったと思えば、すぐに穂先を伸ばした。
――ギィ! ギィィッ!!!
飛行能力を持つ赤い目玉を突き抜かれたモンスターは大波を立てて、幅広の巨体が後方へと倒れ込んだ。倒れ込みはしたものの、そのままでいる様子は見せない。紅い海に白波を立てるとすぐに距離を取り、今度は青い目玉を光らせた。
光は派手な線香花火よろしく、目玉を核にして稲光を撒き散らしている。なのに攻撃に転じる様子はなく、明らかにベルモットの攻撃に怯えていた。全身を濡らす海水が、焦りを示す脂汗に見えてくる。
「それは電撃だな。臆病者の遠隔攻撃には最適な手段という訳か」
ベルモットの余裕の表情に、モンスターの怯えが全身を震わす憤怒に変わる。青光りする放電現象が空に広がると、空から包み込む網となって彼女へ襲いかかる。香月が侍たちへ見せた、空中の水蒸気と浮遊電子を伝達経路とする電流による攻撃と同じだ。ただ、その規模は巨大だった。
――ギギィ、ギギィィッ!!!
向かいくる電撃はバチバチという細かく弾ける音からバリバリと響く狂暴な音に変わり、空から落ちる雷がそうであるように、轟く雷鳴を置き去りにしてベルモットを撃った。ほとばしる稲妻が一本のいびつな柱となってベ彼女の頭上へと直撃する。衝撃波が船の舳先で暴発を見せれば白煙がもうもうと辺りを包み、残り火のような線香花火が空中に散った。そして沈黙――。
――キ、キキキィッ! キィッ!!!
悠然と勝利の叫びを上げたモンスターに、しかし薄っすらと消えてゆく白煙の中から呟く声が聞こえる。
「『避雷』――」
落雷の白い煙が完全に消えると、そこには無傷のベルモットが勝ち誇るでもなく無表情に立っていた。その細い右腕を空に向けて。
「雷ってのは大気への高電圧放電――『プラズマ』とか呼ぶらしいな。それは勉強済みだ。テメエの攻撃は確かにオレを直撃した。というよりも、オレ自身がそれを誘導しただけだ」
そこでベルモットは、いま一度右の手のひらへ炎を浮かべる。
「オレは瞬時に練成した炎を華氏1170,000℃(摂氏約650,000℃)――まあ、マグマの温度だな。そんな超高温の導電性を以て身に纏い、電流を足元へ流した。単純な能力モンスターの低い知性で理解できるか分からねえが、簡単に説明すればテメエの作った落雷はオレの身体を避雷針として素通りしただけだ。そして行き場を失った電流は足元の船へと向かった訳だが――この船は常にフォーミュラの流す微弱電流で守られている。よって電流は92%の値で、導電性に優れた海水へと滑らかに放電されて霧散した」
大学講義の教壇から見上げる姿勢のベルモットは、言葉の通じないモンスターへと難解な説明を読み上げる。それは学問を説く新任教授の顔ではなかった。眼前の敵へと死をもたらす執行人の表情だった。そしてすぐさま、恐ろしく冷静だった顔がいつもの好戦的な、八重歯剥き出しの笑みに変わる。
「残り一つの目玉の能力も知っておきたいとこだったが。これ以上、船内が撒き散らしたおもちゃ箱みてえになるのも勘弁してもらいたくてよお!」
最悪の危機を察知した巨大エイのモンスターが、その長い尾を持ち上げてムチの形で振り上げた。
「遅いな! 最初っから物理攻撃で向かってくりゃあ、テメエにも勝ち目はあったろうによ!! その能力に自惚れてたテメエの甘さに後悔しな! マーズ! グラーズ! シリウズ! 門扉開放! 極・極大錬金――演舞する炎!『白竜の感悦』!!! 燃えて死にやがれ!!!!!」
ベルモットの手のひらから放たれた炎が彼女の化身となり、暗黒の空へ一直線に立ち昇る。暗黒のマルズ星にあって唯一の太陽となった輝きは、海の紅を影もなく眩く照らした。
天空へ舞う純白に燃えさかるドラゴンが、モンスターへと向かって真っすぐに急降下する。それは神の化身か悪魔の僕か白い落雷となり、モンスターを一飲みにして海中へと消えた。
瞬きほどの出来事、夕凪のように静まった海面には一つだけ陥没した大穴が開いた。
世界が永遠の時とゼロに向かう刹那を描く中、海底からの大噴火が起きた。そこまで要した時間は、彼女の最終通告からたったの2.7秒だった――。
高く昇る水柱は上空に待機していたセドールたちの上で散り散りの雨となり、巌流とシュルケンの身体に降り注いだ。眼下には、船の舳先で前のめりに崩れ落ちるベルモットのマント姿が見えていた。
完全勝利を告げたかったか、右手を突き上げる余裕はあった。
「ベ――ベル殿は大丈夫のようでござるな。では早く、ヒフミ殿の方を!」
「ああ。浮かんでこないところを見ると、さすがに溺れかけているかもしれん」
「巌流殿、大きく構えている場合ではござらぬ! 拙者、すぐに救助へ間りますゆえ!」
胸の前で指を組むとセドールの背を離れて、シュルケンが直立の姿勢で海へ吸い込まれた。
(思ったよりも海流が速いでござるな。ヒフミ殿……いずこまで流されたか――)
鞣した熊の皮で作ったという蛙足袋を上下するシュルケンは、カエルどころかイルカ並みの速度で船の周りを周回する。彼の潜水可能時間は約13分間。が、濁った海では要領が悪すぎた。透明度3メートルの視界では捜索もほぼ不可能な状態だ。しかし忘れてはいけない。彼もまた幼い頃から過酷な特訓を受けた忍び、常人ではないのだ――。
(散れよ、水蜘蛛の糸――)
シュルケンの両指が結ぶ『印』が複雑に絡み合う。小指同士を繋ぎ、他の指を上下四方へ向けた。正確には糸ではない。その指先に全感覚を集中させて、海流の中で瞬時に不自然な動きを見つけた。
(辰の方角、下に三尺――すぐそばに人の形がござる!)
なのに、どうしてもその場所へ近づけない。目の前を阻む早い渦の流れがシュルケンの接近を許さなかった。人の身体が更に深く沈んでゆくのを感じた。
(これでは何とも――ヒフミ殿! 持ちこたえてくだされ!)
願いつつ、両手で水を掻き、蛙足袋を必死に上へ下へと動かした。焦りを見せるシュルケンに、しかしだ――その生体反応が急浮上を始めた。
(自力で泳いでいるのであるか。さすがはヒフミ殿)
それに合わせてシュルケンも急いで浮上を始めた。海上へ顔を出すとすぐに、浮かびあがる一二三の姿を捉えた。
「ヒフミ殿! 無事でござったか!!」
だが、仰向けに浮かび上がった彼の顔は波を被りながら再び沈みかけている。ギリギリまで止めていた呼吸から急激に肺へ酸素を吸い込むと、いわゆるブラックアウトという現象を起こす。意識が飛ぶのだ。一二三の姿が、まさにそれだった。
猛スピードで救出へ向かったシュルケンが一二三の身体を抱きとめた。そして、その頬を何度も強く叩く。
「ヒフミ殿! 起きてくだされ! 敵は倒し申した! 船へ、船へ戻りましょうぞ!
彼の腕の中で、一二三の瞼が微かに動いた。




