80・海原の激戦① 天敵
――『大型敵影、なおも後方150メートルまで接近中です!』
拡声器を通して香月の声が告げる。
「ガンリュウさん。敵の姿も攻撃方法も分からないんですが。どうやって戦います?」
一二三は竹刀を掲げたまま、セドールに跨る巌流へ問いかけた。ただし視線は、まんじりともせず海へ向けている。
「そんなものは初っ端の一撃を受けてから考えろ。受けきれればな――」
「軽く言いますけど……」
一二三とっては、この海に出て初めての野外戦だ。もちろん巌流の言葉を支えに戦うだけだが、何せ敵は海からやってくる。足場のない海の上で巌流がどういう戦いを示してくれるのか。一二三には「彼と同じように動くだけ」だとしか思い浮かばない。
「さてと。ようやく海のモンスターと手合わせができるって訳だ。オッサン、オレはどうする」
ベルモットがエンジン室を一時的に燃料任せにして、甲板に姿を現した。フードマントを追い風にばたつかせた彼女は好戦的に笑ってみせる。
巌流は笑わない。
「出方次第だ。とにかく一瞬で見極めろ。攻撃と、その防ぎ方をな」
「ああそうか。軽く言いやがる」
そこにシュルケンが一歩前へ出た。
「拙者が行って参りましょう。幸い、相手はゆったりと近づいてござる。偵察ならば任せていただきたい」
「任せろと言うか。なら無傷でとは言わん。まずは行って帰って来い」
「仕った――」
魔界の空に紛れる装束は一度大きく飛び上がり、黒く小さく煙を吐く船の煙突へ足をかけた。
「参る!」
言うなり、シュルケンは声を置き去りに猛スピードで海へ向かった。その足は海面を跳ねる水切り石のようだ。跳ねては着水し、そしてまた跳ねる。方角はまず2時の方向。それが左へと弧を描きながらみるみる船から遠ざかってゆく。
艦橋と呼んだ方がしっくりくる操舵室の屋根には、ベルモットが位置している。
「さっすがニンジャだな。海の上も走れんのか」
最近のベルモットは、シュルケンを見る目が変わりつつある。どこか頼りなさは消えない彼であったが、「誰よりも率先して動く」という行動力は見知らぬ世界での大きな武器になる。もちろん、仇になることもあるが。
シュルケンの帰りを待つ後方デッキで、落ち着かない気分の一二三がどちらにでもなく問いかける。
「コイツを倒せば、あとは大陸まですぐですよね。どんなとこなんですか?」
答えたのはベルモットだ。
「さあな。調べまくりはしたが、分からねえもんは分からねえ。ただし、今からやってくるヤツより手強いのがワンサカいるってことだけは間違いねえだろう」
「まずは……目の前のモンスターを倒すだけってことですね」
「怖いか?」
「ええ。でも引きはしません」
一二三の気構えにベルモットが白い歯を見せる。それから「ああ、なんか冷えてきやがったな」という彼女の身震いがあった。
「シュルケンさん、ちょっと遅くないですか?」
「海の下の話だ。そうそう、探れるモノでもないだろう」
という一二三と巌流の短い会話のあと、海の向こうで盛り上がるものが見えた。香月の伝令が響く。
「敵影、速度と進路を変えました! 80メートル後方から左舷へ回り込むように向かってきます!」
目に見えて異変が起こったのは直後だ。波を切る白い背びれ――人の背丈の倍ほどに尖った魚のヒレが高速で接近してくるのが見えた。しかもそこには、シュルケンのしがみつく姿が見えている。
「なんだなんだ。斥候がもう格闘中かよ。オッサン! 近づくのを待つのか!?」
もう右手を掲げて何かを仕掛ける格好のベルモットが、同じ目の高さで睨んでいる巌流に問いかけた。
「あれは格闘じゃないな。必死で離れようとしているが離れられない――。そう見える」
その通り。シュルケンは、功を焦った自分を後悔していた。ゼロ距離ならば手傷のひとつも負わせることができないかと短刀を一刺ししたものの、そこから手が離れなくなっていた。逆に「捕らえられた」状態になってしまったのだ。
そのシュルケンが、モンスターごと船に近づくと大声を上げた。
「冷気でござる!! この魔物、触れる物を凍りつかせてしまうモンスターかと!!」
彼の言うように、まだ全容の確認はできないがモンスターの進路にはうねった氷の道が続いている。見ればシュルケンの腕も刺した短刀ごと凍りつかされていた。離れられないのも仕方がないようだ。そしてその距離20メートル――。ベルモットが楽しそうに八重歯を光らせた。
「ほお、冷気ね――。おいニンジャ! せいぜい火傷しねえように我慢してろよ! 赤の練成2918!『(ミディアムレア)』!」
振りかぶった彼女の右手から火球が飛ぶ。燃える火の玉は勢いよくシュルケンを標的に向かってゆく。
「ちょ――ベル殿!」
ミディアムレア。そんな食べ頃に調理されては敵わないと冷や汗も凍りつきそうになったシュルケンだったが、その結果には至らなかった。ベルモットの投げた炎は、目標へたどり着く前にかき消されてしまった。勢いを失くして萎んでしまうように消滅したのだ。
(相殺――!?)
冷気が炎を勝った。それだけの現象にも思えたが、ベルモットの脳内では別の理屈が過っていた。
(違う。炎ってヤツは、そういう消え方はしない。冷気に対してならば一瞬のはず)
ただならない危険を感じた彼女は、船のてっぺんから船首までを大きく跳んで、予測できる未来を回避した。船とモンスターの接触まで5メートル――。
「ちぇぇい!!」
迎え撃ったのは、セドールの背中から飛んだ巌流だった。刀を抜いた彼の海面への落下と、モンスターの体当たりが同時に起こった。凄まじい衝撃が、全長25メートルのクルーザーを弾き飛ばす。
「斜斜、雪崩斬り――」
巌流の一太刀は見事だった。斬撃で上空へ跳ね上がったのは、シュルケンを捕えたままの大きな背びれだ。しかし次の瞬間そこにはもう、巌流の姿はなかった。
傾斜70度まで大きく傾いた船の手すりにしがみついた一二三が、ぶら下がるしかない態勢のままで海へ向かって叫ぶ。
「ガンリュウさん!!」
次には香月の悲鳴が拡声器から響く。
――『動力装置が次々に沈黙! バランスが保てません!』
激流に飲まれた木の葉のように踊る船から、セドールが海へ飛んだ。巨体が大波を作れば、船は尚も転覆寸前にまで傾いた。
危機一髪で難を逃れたシュルケンが、氷にしびれ切った指先で一二三と共に手すりへつかまる。
「モンスターの姿形は確認したでござる! 尾の先までこの船と変わらぬ巨体の、エイの姿をしたモンスターでござる!」
「それよりガンリュウさんが海に! 氷漬けにでもされたら――」
「ヒフミ殿! それよりご自分の心配を!」
シュルケンの目線の先に、モンスターの長い尾が迫っていた。確実に2人を狙ったものだ。気づいた一二三が左手に握った竹刀に渾身の力を込めて打ち払う。
「あがあぁっ!」
叫び声を上げたのは一二三だ。攻撃は追い払ったが、身体中を走る衝撃に気を失いそうになった。
「アイツ……。攻撃は冷気だけじゃありません。これって……」
ビリビリと余韻を残す衝撃はまさに電撃だった。そばにいたシュルケンもその煽りを食らったか、
「世にはウナギやナマズ、エレキを発する生き物がおりまする。シビレエイ、というのが此奴の正体ではないかと」
「そんなのムリゲーですよ! だったら、フォーミュラさんの『A.E.D.』でも効かないってことになるじゃないですか!」
船体は大きく揺れ続けている。その間にも、エイのモンスターが悠々と周囲を泳ぎ回っている。巌流も、救出に向かったはずのセドールの姿も見えない。成す術の無い一二三は、船首へ逃げたはずのベルモットへ大声を上げた。
「ベルさん! どうにか手段はないんですか! どうにか本体を海面に出せれば炎で攻撃は――」
という安易な勝利法則を、しかしモンスターは許さなかった。
「まずいな一二三。コイツなんだが、どうやら俺から先に攻撃不能にしたいらしい」
「それはどういう――何が起こってるんですか!? 攻撃を受けたんですか!?」
「攻撃か――そうだな――」
声色だけで伝わる、怯えたベルモットの返答があった。
「コイツ、どうやらオレの炎が効かねえ。相性は最悪、逆にこっちが氷漬けにされそうだ。すまねえが、今回はオメエらで助けてくれ。オレも最大限、手は考えてみる。が……」
そう口にしたのが最後。ベルモットの身体は、足元から船首甲板で凍らされていた。時はすでに遅く、被ったフードの先まで完全に氷に閉ざされた彫像になってしまっていたのだった。
ドザバアッ!! と一二三が大きな滝の音を真下に聞くと、次には真上にモンスターの白い腹が見えた。巨大な三角形の影が、船ごとを押し潰そうとしていた。
(ダメだ……手の打ちようが、ない……)
またもや、一二三のあきらめ癖が顔に浮かんだ。
ちょっと、ベルの画像も雰囲気で載せてみました。
画風が変わったるするんですが、ご容赦ください。




