77・戦闘船(バトルシップ)
巌流から香月へと、彼女にとって酷な命令が告げられた。相手が魔物であろうと、生命を断ち切る初めての行為の始まりだった。
(ゴメンなさい――!!)
香月は固く目を閉じて、パネルの右手に強く念じた。と共に、船の先端に鈍い輝きを見せる三日月型の刃が持ち上がった。モンスターの影が船の視界をすべて遮る。
ガシュウッ!!
刃が生肉を切り裂く感覚が船を包んだ。その音をかき消すモンスターの大きな呻き声が上がる。
「まだだ! 面舵いっぱい!!」
巌流が、握った舵を勢いよく右へと回した。船内のすべてが大きく左側へと振られる。その遠心力は凄まじく、いっぱいいっぱいに足を踏ん張った香月も容易く壁へと飛ばされた。高いクッション性に守られた壁ですら、彼女の身体中に強い痛みを覚えさせる。
「香月・フォーミュラ! すぐに定位置へ戻れ!」
グラつく頭の中を真っ白にして、香月がふらつきながらパネル前に戻った。そして旋回する船首とモンスターとの距離をカウントする。
「目標、再度補足! 接触まで15……10……4……」
手負いのモンスターが絶命寸前の怒りをあらわに襲いかかってくる。涙を堪えて叫ぶ香月のカウントゼロ目前で、巌流が彼女へ向かって有無を言わさぬ指示を飛ばした。
「『A.E.D.ソード』! 最大出力で放電!!」
香月は、自身の能力を伝達するイマジネーション・パネルへと手のひらを押し付けて、流れてゆく電流をイメージする。巌流がセドールにより託された三日月形の刃がモンスターに突き刺さる瞬間を、彼女はスローモーションで感じていた。
香月はすべてを振り切った大声で答える。
「『A.E.D.』! レベル5にてスパーク!!』
掛け声と共に、船首に伸びた刃へ眩く青い光が走る。高圧電流がバリバリと重い衝撃と共にモンスターを切り裂いてゆく感触を、香月は確かに感じていた。
「ベルモット。出力安定。そのまま待機せよ」
「はいはい――」
伝令管越しに、疲れ切ったベルモットの声が返ってきた。彼女がしばらく動けないことは分かり切っていた。
やがて波の揺れが収まると、巌流がゆっくりと舵を戻し、
「魔界と言えども海は海か。イカの化け物だったな」
満足げにこぼす彼の前方で、香月はうずくまって号泣していた。戦場医師としての誇りが、経験が、すべてが、紅い海へと溶けてゆくようだった――。
「ガンリュウさん!! 今のは何が――」
デッキから操舵室へと駆け上った一二三も、香月の姿を目にすれば黙るしかない。悲壮感というものが形としてそこに見えていたからだ。
「カヅキは自分で戻る。下で待機していろ」
「はい……」
巌流の声は、穏やかさの中に別の何かを含んでいた。それは友を弔う戦士の声でもあった。香月の中で消えてしまったものを悼むような――。
7分間という短い時間ではあったが、その想像を絶する戦いはメンバー内のひっ迫した緊張も生み出した。
「フォーミュらんって、だいじょぶだったの? 上にいたんでしょ? 危なくなかった?」
ユルエはまだ木の椅子を頭に被ってフロアに縮こまっている。一二三には、花音はベッド室で無事だと伝えられた。
「ヒフミ殿。顛末はどうなってござるか。早めの説明がなければ混乱が広がると思うのでござるが――」
一二三には、こう答えるしかない。
「海の上だからといって安心できないってことです。逆に海の上だからこそ逃げ場もなくて危険は多くなると思ってください。今までより、大変になると……」
不安を煽る言葉しか出てこない。
そこに、動力室から引き上げたベルモットが胸を大きくして現れた。キレイな顔が黒い炭で煤けている。
「おいヒフミ。それじゃ怖がらせるだけだ。聞け、この船はオレが造った。耐衝撃性、耐火性、それから戦闘性に特化した、言ってみれば戦闘船だ。たいていの襲撃なら、船内にいた方が安全なようにできてる」
巌流も操舵室から下りてきた。その後ろには香月の姿もあった。うつむいた彼女に、一二三は表情が窺い知れなかった。
「そういうことだ。ムダな戦闘は避けるが、向こうもこちらの都合に合わせてくれる訳じゃない。何かあれば、まず俺が指示を出す。それには従ってもらうからな。この船の船長は、俺が務める」
なんにせよ、戦闘能力ヒエラルキー上位2人の力強い言葉は場を静める。その力を持てない一二三には葛藤するものがある。
(やっぱり、この2人がいないとパーティーはまとまらない……)
そんな一二三の顔をチラリと見て、彼だけを巌流が操舵室へ呼んだ。巌流の背中を見上げて、一二三は暗い顔で階段を上がってゆく。
「事前説明がなくて悪かったな。お前にはこの船の、戦闘隊長になってもらう」
「隊長ですか!? そうは言ってもベルさんが動力担当だったら、戦える人間なんてあとはシュルケンさんだけですし……」
「いや。戦いにはカヅキとカノンも参加してもらう」
耳を疑わざるを得ない言葉だった。
「か……カノンが闘うって!? 無茶ですよ! アイツ子供ですよ? そんなことできません!」
「しかし、カノンはゲートを潜った。そこでカノンに何が起きたかは知らないが、カノン自身は気づいているはずだ。自分がやるべきことをな」
「そんな……」
巌流は舵取りへ向かう。それ以上の話を続けるつもりはないという態度で。
(カノンが戦うなんて。そんなこと、できる訳ない。させられない……)
無言で舵を取り琉づける巌流に問いただす言葉もなく、一二三はせめて、航行の無事を祈るだけだった。
「カノン、いるか?」
一二三は、第二層でいちばん奥に設置された狭いベッドルームへ向かう。男女の仕切りは学校の保健室のように、薄いカーテンが一枚だけだ。
返事がないので、一二三はその薄いカーテンを静かに開けた。覗きこめる程度に。
花音は、思った通りランドセルを抱えてうずくまっているだけだった。ダックスと会話ができるかもしれないと、彼女はいつもランドセルの底をジッと見続けている。
「あの時……元の世界に戻ればよかったのかな……」
乗船前からほとんど口を開かなかった花音が、一二三へ問いかけてきた。後悔の色が見て取れる声で。
「ベルさんが言ってた。この世界には、まだ他にゲートがあるって。だから、その時は迷わず帰れ。誰も止めたりしないから。誰かが止めようとしても、俺が邪魔はさせない」
「兄ちゃん……。本物のダックスはこの世界にしかいないんだ。私の知ってる、私のことを知ってるダックスは、ここにしかいないんだよ? 私、どうしたらいい? 全然、なんにも分かんない……」
小学6年生の少女が背負うには、重すぎる荷物だ。ランドセルに詰め込むには、大き過ぎた。
「大丈夫だ。お前が元の世界に帰っても、兄ちゃんが本物のダックスを連れて帰る。次は悩まなくていい、表からゲートを潜れ。誰にも文句は言わせない。ユルエさんがキッチンで何か作ってくれるみたいだから。もう少ししたら、こっちに来いよな」
船は着実に、目指す大陸へと進んでいる。巌流とベルモットさえ知らない地へと。




