71・花音のタカラ
「ヒフミさん。地図では、ここから先の詳しいことは分かりません」
いかにも怪しげな洞窟の前に、5人で立ちつくしていた。ラルシステムでも調査不能領域らしい。
「進むしかありません! 僕が先頭を歩きます! 皆ついてきてください!」
何らかの火がついた一二三は止められない。リーダーが進むと言えば、従うのみだ。
しかし――。
「真っ暗闇でござるな。拙者は多少、夜目が利きますが」
「そうですね……。手探りだけじゃ、ちょっと怖いです」
「そんな時はコレ! チャララチャッチャラー♪♪」
最後尾のユルエが何か取り出した。
「ユルエ殿? 何でござるか?」
「特性濃縮・ツキヨタケスプレー!」
言うが早いか、まき散らし始めた。ぼんやりとした明かりが洞窟を照らす。
「ユルエさん、いつの間にそんなモノを!? なんだかゾクゾクします!」
「カヅキ殿! 感心している場合じゃないでござる! 毒キノコの毒霧でござるよ! 早く前へ!」
「やだやだ! 死んじゃう!」花音も必死だ。
「ツキヨタケー!」ユルエのスプレーが止まらない。
猛毒から命からがら逃れて行き止まり。洞窟の奥では、ツキヨタケよりも明るく光るものが見えた。
「あれが、宝物――」
実はその場のノリだけ、眉唾でやってきた一二三もゴクリと息を飲んだ。
香月も同じくだったが、観察角度は違った。
「何か、動いてませんか?」
花音も続く。
「あの小さいお爺さん、言ってなかった? 怖い魔物が出るって……」
花音の言葉は静かな予言だった。確かにそこへ、すべてを恐怖のどん底へ突き落す恐ろしい声が響き渡ったのだ。
『僕、どくっぴ! 食べたら死ぬよ!』
踊るキノコに、まずはユルエが飛びついた。
「どくっぴー! 会いたかったよぉー!」
『どくっぴ! どくっぴ!』
ユルエと『どくっぴ』、感動の再会だった。だがもちろん、キノコ狩りの恐怖がよみがえった面々が後ずさりを始める。
「前方も、猛毒! 後方も猛毒! もはや逃れられぬ!」
「ユルエさん! キノコに抱きつかないでください! なんだか胞子みたいなのが飛んでます!」
「ダメだあ。この人たちダメだあ」
「え? なに? これ何なの?」
一二三だけが混乱している。決して、毒にやられた訳ではなかったが。
しかし、余興はそこまでだった。次なる声に、今度こそ5人が黙った。
『主、カノン――』
誰にも忘れられない、深く力強い声はダックスのものだった。
もちろん、慌てんばかりの花音が四方を見回す。
「ダックス!? ダックスなの!? どこ!?」
しかし、声は聞こえるが姿はない。
必死に洞窟をはい回る花音へ、香月が声をかけた。
「カノンさん! そのランドセル!」
声の主は、花音の背負ったランドセルだった。
『主、カノン。そなたの無事を喜ぶ――』
急いでランドセルを下した花音が、その箱を開けた。眩しい、緑色の輝きが洞窟を照らす。
「ダックス……」
信じられないものを見る顔で、彼女はランドセルを覗きこむ。その影が、洞窟の壁にくっきりと映し出された。
『主、カノン。第1のパスワードを唱えよ――』
パスワード? と反応したのは4人。そして花音だけが黙り込んだ。黙り込んだあと、ランドセルを抱いたまま、何かに取り憑かれたようにブツブツと呟き始めた。
「……מן נפלא, יקום נפלא, פתחו את הדלת עכשיו. זמן נפלא, יקום נפלא, פתחו את הדלת עכשיו. …………」
「ど……どうしたカノン? ダックスと話してるのか?」
花音の目は大きく開かれたまま、呪文のような声が終わらない。緑の光は花音の瞳、そのものの色まで染めてゆく。
「אלו השבים לגן עדן ואלו המחפשים כוח נכנסים דרך שער גדול זה.」
奇妙だった。その意味の分からない言葉はもちろんのこと、それは何かを逆再生させたような響きに聞こえていた。
身動きも問いかけも忘れていた4人が気づけば、いつの間にか洞窟は広さを増し、荘厳な石造りの巨大な門が建っていた。
花音がガクリと、その細い身体を倒した。
「カノンさん!」
「ダックス……ダックス…………」
すんでのところで香月の腕に抱えられて、花音はうわ言のようにダックスの名前を呼ぶ。
香月が、見えないダックスに向かって呼びかける。
「ダックスなの!? いるのなら、出てきてあげてください! カノンさん、ずっとあなたのこと心配してたんですよ!?」
しかし、ダックスの声は香月に答えない。その代わりに、こう答えた。
『門は開いた。前世への転生を求める者よ。ゲートを前から潜れ――』
衝撃が走る。前世への転生――ダックスの声は、そう告げた。しかしその直後に、こうも告げた。
『力を求める者よ。ゲートを逆に潜れ――』と。
誰もの理解が及ばない。及ぶはずもない。緑の輝きの中で、巨大な石造りの門に刻まれた複雑な模様が、くっきりと影を見せている。
一二三も堪らず、
「ダックス! どういうことだよ! これを潜れば、元の世界に戻れるのか!?」
『前世への転生を求める者よ、ゲートを前から潜れ。力を求める者よ、ゲートを逆に潜れ――』
ダックスは繰り返すだけだった。




