69・御達者で
「おおっ! 手に入れられましたか!」
トケイト氏の里へ戻ると、バッカスさんが帰還を祝福してくれた。
トケイト氏は一人きりになった気分なのか、庭に立ったままぼんやりとしている。きっと、いつか訪れるカニ隠しを待ち続けるつもりなのだろう。
香月が提案する。
「意外と大きなお花でしたので、もしかすると村の皆さんが元に戻られる量のお茶ができると思いますが。どうでしょう?」
(カヅキ殿、戻りましたな……)
(戻りましたね……)
香月の提案には、奥さんのサルミラさんが悩んで見せる。
「お気持ちはありがたいんですが。この世界では魔物も滅多に現れませんし、平和に暮らせているんです。なので、やはり父の方をこちらに呼びたいんですよ」
「そうですか……。じゃあ、その『スケスケツルムラサキのお茶』というのは、どこにあるんですか?」
香月が訊ねる。
「ええ。家に入って戸棚の上。最上段に祀られた壷の中に入っています」
「家に入って、ですか……」
誰もが小さな小屋を見つめたが、そのドアに入れるサイズの人物が――。
「もう気分は自由帳。アイムインザ・フリーダム」
「ユルエさん! ランドセルに住み着くのやめてってば!」
いた。
「ユルエさん。カノンをイジメるの少し中断して、ちょっと手伝ってください」
「おほほ。くるしゅうないぞよ。なんといたす?」
「そこに入って、お茶の壷を取ってきてほしいんです」
「あい分かりんした。おほほ」
30センチ二頭身の彼女がチョコチョコと小屋へ入ってゆくと、やがて白い壷を持って出てきた。
「これを、お父様に飲んでもらえばいいんですね?」
「どうか、お願いします」
香月が、お茶の用意を始める。『マルミエドクドクアバレンボウスミレ』の花びらを煎じたお茶だ。お湯に浸かった花びらは、どこか幸せそうに見えていた。
「私たちは今から、元の世界に戻ります。そのあとのことは、任せてください。じゃあ皆さん、『マルミエゾクゾク』のお茶を頂きましょう」
(まだ間違えてござるな……)
(もうゾクゾクでいいんじゃないですか……)
そして、5人が同時にお茶を口にした。花音の声が小さく聞こえた。「うわ、苦っ」――。
スッと、誰もの身体が地に足の着いた気分になると、目の前のトケイト氏が驚いて飛び跳ねた。
「なんと! カニ隠しから帰られましたか! もったいなや!」
一二三はスッキリした顔で答える。
「はい。それで、『ディランブランの国』で、ご家族にお会いしました。トケイトさんが早くカニ隠しに会えるようにって、お茶をもらってきたんです。今から僕らと、お茶会にしましょう」
「それで『ディランブランの国』は、どのような場所でございましたか。家族は元気でやっておりましたか」
お茶の準備の間、トケイト氏はワクワク顔で訊ねまわっていた。ユルエは二頭身から戻ったというのに、ランドセルへ片足を突っ込んでは花音を泣かせていた。
「いかにも。それはそれは――美しい花々がウットリとさせる囁きで風にそよぎ、誰もが心穏やかに過ごせる極楽のような場所でござったでありますよ」
「そうですか、そうですか。いやいやめでたいことです。なんとお礼を申し上げていいやら。ああ、ちょっとお待ちになっていてください――」
言うと、トケイト氏は小屋へと小走りに駆けていった。お茶の準備が整った。
「これは、古来から村に伝わる宝の地図なのですが。私共には遠すぎて、とても探しに行くことはできません。なので異世界の皆様、せめてものお礼にお渡しいたします」
「そんな大事な物、いいんですか?」
「ええ、もちろんでございます」
「じゃあ――頂きます」
一二三は小さな小さな地図を受け取ると、ひとまず頭を下げた。
「ですが異世界の方。その道のりには怖い魔物が出るとも聞いています。ただの言い伝えとだけ思ってくだされば、それで構いません」
一二三はもう一度、その地図を見つめて黙った。
「皆さん、お茶の準備ができました。トケイトさん、どうぞ」
別れのお茶会が始まった。トケイト氏はツルツルの頭を何度も撫でながら、
「このような辺鄙な里で、まさか異世界の方にお会いできるとは。長生きはするものです」
香月が小さな小さなカップにお茶を注ぐ。
「何をおっしゃってるんですか。ご家族が待ってるんですから、もっともっと長生きしてください。はい、お茶が入りました」
香月らもそれぞれ、湯飲みを手にした。もちろん中身はただの日本茶だ。
「ではでは異世界の方、この度はお世話になりました。『ディランブランの国』で、またお会いしましょう」
きっと、すぐそばでは彼の家族が待ち遠しく見守っているのだろう。香月はそっと、ラルシステムを覗いていた。
「じゃあいいですか皆さん。不思議な出会いと再会を祝して――」
一二三の音頭に、
「いただくでござるか」
「もう苦くないよね……」
それぞれが、手にしたお茶を口にする。と、トケイト氏が瞼を閉じた。
「なんとも……天にも昇る美味であります……」
言うと、涙の筋がすっと落ちて、彼の姿が薄く消えていった。香月が覗いたラルシステムの中で、黄色い4つの点が忙しく動き回っている。どうやらトケイト氏は、無事に『ディランブランの国』へ旅立ったらしい。
(ユルエちゃん、ばいばいまたね――)
聞こえたのは、空耳だったろうか。
「さて――」
リーダーの威厳を取り戻した一二三が、4人へ向かって話す。
「僕らは、巌流さんとベルさんが戻るまで『凌ぐ』ことだけを言いつかりました。けど、せっかくです。この地図の宝っていうの、探しに行ってみませんか?」
香月とシュルケンが目くばせをした。そして笑みを見せる。
「リーダーの言葉でござる。跳ねのける耳は、持たぬでござるよ」
「どんな宝物なんでしょうね。ゾクゾクします」
「私とりあえず、エビチリ食べたい」
「おほほ。くるしゅうないぞよ」
次は、宝探しに決まった。一二三もまた、ゾクゾクしていた。
そういえば、間に合いませんでしたが前回の話に『香月・フォーミュラの画像』追加しました。
あえて、設定と雰囲気を変えてみました。ちょっと不気味に。




