60・再集結、マルズ星
「馬、ですか?」
亜空間に戻った巌流は、「馬を拾った」とだけ香月に告げた。
「ああ。この世界にも詳しい」
「はあ。それより砂まみれですよ。キレイにしてください。『滅菌』しますから」
香月は花音へ向けていた右手を離し、巌流へ向けた。その身体が、薄い白に包まれる。
「すまんな。これでまた、風呂は1週間先だ」
「カノンさんの容態、少し回復しましたけど。どうしましょう」
「馬に運べ。どうやら俺の馬には、この世界への侵入者が筒抜けらしい。集合できるぞ――」
巌流が花音を抱いて城の外へ出ると、まずは香月が顔色を青くした。
「い……犬は苦手なんです。しかも、こんな大きな……」
「犬じゃない、馬だ。おい、セドール。乗せてくれ、一人は病人の娘だ。もう一人、具合の悪いのが増えそうだが」
セドールは何も言わず、その仕草で答えた。伏せたままで左の足をスッと伸ばすと、背中へ向かう緩やかな傾斜を作った。
「ホントに、乗るんですか? 信用していいんですか?」
「信用や信頼は築くものだ。無礼さえなければいい。乗れ」
その頃、湖のほとり――。
「毒さえ消せば食える。カエルは足がイケるんだぜ」
「そうは言われても、モンスターですよ? てか、ユルエさん。なんでフライパン持ってるんですか?」
「おほほ。料理長ですから」
「主殿、さすがの手捌きにござりまする」
一二三以外は、その異変をすんなりと受け入れていた。ユルエはいつの間にか、フライパンどころか小さなキッチンカーまで用意している。
「だあって異世界でしょ? ドラ●エでもなんでも、職業にはそれなりの武器と防具がお決まりでありんすよ。くるしゅうないぞえ」
ユルエはなぜか、お姫様の衣装でフライパンを振っている。
「キッチンカーは武器でも防具でもないです。馬車ポジションですよ」
「ヒフミ、文句あんなら食わなくていいんだぞ。今後、こういうメシが続くんだからな。耐えられるか?」
ゲテモノが苦手な上に、異世界の毒ガエル。一二三も今回はパスだった。順応力という部分では、その面子を尊敬するしかなかった。
「まあ、なかなかだったな。ユルエ、次はコショウとか用意してくれ。錬金術者はスパイスが力の源なんだからよ」
そんなベルモットがカエルの骨を湖に放った時だった。林の向こうからバキバキと、木々を踏み倒すような激しい音が聞こえてきた。
「なんかデカいのが来るぞ! オメエら、カエル食ってる場合じゃねえ!」
冗談ではないと、一二三が立ち上がって竹刀を構える。威圧感が普通ではない。心なしか重低音の唸り声が聞こえてくるようだ。
ベルモットが臨戦態勢になれば、シュルケンもふざけている場合ではなくなる。当たらない手裏剣を手にした。
ベルモットが慎重に火種を灯す。
「オレが一発、けん制する。その反応で、あとは臨機応変だ」
だが、様相は違った。何者かが接近しているのは確かだったが、人の声が聞こえる。しかも、誰もがよく知った声だった。
「これって――」
「おい――」
「おやまあ、お懐かしい声でありんすなあ」
背の高い草をかき分けて走ってきたのは香月だった。
「皆さん! ご無事で!」
ナース服の彼女が、ホッとした顔で駆けてくる。
「ファーミュラさん! 大丈夫でしたか!? モンスターとか遭遇しませんでしたか!?」
一二三に訊ねられた香月が、微妙な顔を見せる。
「モンスターなら……。もうすぐガンリュウさんが連れて……」
メキメキメキッ、と、目の前の木々が何かに押しつぶされた。灰色の影は眼光も凶暴そうな巨大オオカミだった。思わず炎を打ち出そうとしたベルモットを香月が制する。
「違うんです! あれはガンリュウさんの馬で、その、モンスターじゃない――と思います」
「あれが馬ですか!?」
一二三がオオカミと香月を交互に見比べる。
「ちょっとした成り行きで。ガンリュウさん! 皆さん、ご無事でした!」
見れば、巨大オオカミの上に巌流がまたがっている。その腕には花音の姿も見えた。
「カノン!?」
「はい、一緒です。ただ無事ではあるんですが、体調がよくないようで」
状況が飲み込めないでいると、オオカミの大きな背中から巌流が飛び降りてきた。その背中には、裸の円月刀を背負っていた。
「揃ってるな。馬を調達した。今から事は大きく動く。お前たち、よく聞け」
「事ならもう、すごいのが大きく動いてるじゃないですか! 巌流さん、これ、どういうことなんです!?」
「動じるな。そういう細かいことはあとだ」
どうにも彼には、オオカミは大事ではないらしい。その貫禄に一二三も屈服するだけだ。
湖のほとり。静かに這いつくばっている灰色オオカミを背中に、巌流の話が始まった。
「どうやらこの星は、終わりを迎えようとしているらしい。セドールから聞いたが、俺も上手く説明はできん。カヅキ、あとを頼む」
横たわった花音に手を添えたまま、香月が真剣に話し始めた。
「ここは間違いなく、マルズ星です。しかも未来のマルズ星です。400年前にやってきた何者かが、この星に混乱をもたらしました。魔物の惑星とはいえ、それまでは秩序だった国々が存在したといいます」
額に冷や汗を流す者、訝る顔を見せる者、『たまごっぴ』に集中する者。それぞれだった。そこへ突然、一二三のスマホが鳴った。即座に巌流が話を止めた。
「ヒフミ、すぐに出ろ」
「あ、はい。えっと――渡辺からのチャットが返ってます」
「読め」
と言われて画面を見て、一二三は眉をひそめた。
――『お前 生きてたのか!? 警察が1か月捜索しても見つからなかったのに 早く家族のとこに帰れ! 心配してるぞ!』
1か月――。まずはその意味が理解できなかった。ワームホールを抜けたあと、一二三の体感では3日ほどだ。
そのままを話すと、香月が「憶測ですが」と前置きをして、また話し始めた。
「この世界、恐らく上の世界の時間と流れが違います。もしかすると、こちらの24時間が、あちらでは10日以上に当たるんじゃないかと」
「竜宮城か――」
そう言ったのは、巌流だった。
「カヅキ。それは忘れろ。重要なことだけ伝えてくれ」
「はい。皆さん聞いてください。ガンリュウさんが言ったように、このマルズ星は星としての終わりを迎えつつあります。もう確認できたように、転移した地球は今、このマルズ星を核にして保たれてるんです。ですから、この星がなくなるということは地球が支えを失うということです。空っぽになった地球は重力作用で――壊れてしまいます」
そこに、分かりやすくベルモットが口を挟んだ。
「風船の空気が抜けちまうってことだな。で、オレたちは具体的にどうすりゃいいんだ。何ができるんだ」
香月が一度、巌流の顔を見る。巌流は黙っている。
「この星を『終わらせようとしている何か』、『誰か』を倒すのみです」
そして、巌流が口を開いた。
「戦だ。魔物退治がどうだのという話じゃない。総本山を叩き潰す。もう一度言う。命がけの戦だ。誰が死んでも文句は言うな」
ユルエの『たまごっぴ』が、ピリリン、と音を立てた。それが余計に、不気味さと恐怖を煽るのだった。
今夜の連続投稿は、これにて終了です。




