59・魔界の馬
まだ深投稿続行中です。
時間にして、異世界『マルズ星』へ突入して25時間が経っていた。一二三班とユルエ班が合流した頃のことだ。
巌流、香月、そして花音は、岩山の麓にある、廃虚となった古城へたどり着いていた。ただし、花音の体調が芳しくない。
「熱があります。咳き込んでもいますが、ただの感冒とも言えません。慣れない土地でのことですから、不明の病もあると思うんです」
花音は、香月の作り出した隔離スペースに寝せられていた。といっても、
「『簡易病床』――」
汚れた床を応急消毒して、巌流の羽織を丸めて枕にしているだけだ。ただし香月が触れている限りは、花音を中心とした半径2メートルは無菌状態になる。
「外は天候も悪い。まだ魔物に遭遇していないのが幸いだ。今は花音の回復を頼む」
「はい。ラルシステムがこの世界に同期を始めたので、状況を解析中です。カノンさんへの処置も進みます。それと100%とは言えませんが、他の皆さんも無事だと思います」
彼女の胸の前には、『友達リスト』が開かれていた。それぞれの名前の横にパラメーターが設定されている。花音の名前の横に伸びるパラメーターの短さが、皮肉にも他メンバーの無事を伝えていた。
「それで、『亜空間』の展開というのはできたのか」
「はい。さっきガンリュウさんが見たまま、というか見えなかったままです。外へ出たら見えなくなったでしょ? 出入りできるのは私たちだけ。モンスターにも気づかれません。10時間以内は」
「分かった。俺はこの、薄気味悪い城砦を少し見て回る。カノンは頼んだぞ」
「はい――」
香月は右手を花音の額に触れたまま、凛とした面持ちで頷いて見せた。戦場医師の顔というものを取り戻していた。
地上3階建ての古城で、巌流は一つ、地下へと通じる階段が気になっていた。しかし階段はどこまでも果てなく続いているようで、その暗闇へ足を向けることはしなかった。
(君子危うきに、だな)
呟くと、色味もない灰色の廃城の散策に赴く。
定石とは逆に、巌流はまず最上階を目指して朽ちた石段を上ってゆく。
城があり、それが滅び、そして無人の砦になっている。その現実が教えるものは、かつてここに君主があり、戦が起こり、滅されたということだ。
(魔物の世界にも、争いはあったというのか)
3階の、とりわけ広い一室は王室のようだった。長い時、主君を失ったままであろう御影石の玉座には、どのようなものが君臨していたのか。巌流は、その栄華と衰退に思いをはせる。
壁に掛けられた数本の鉄の槍。武具。その中に一つ、巌流の気を引くものがあった。刀身が三日月のように大きく曲がり、かなり厚みもある。
(西洋刀とも、形が違う)
やけに丈夫に止められた革の留め具を外し、抱え上げてみた。
(重い――)
戦場で振り回すにはかなりの無理がありそうな鈍色の刀に、巌流は持ち主を思い浮かべる。筋肉の隆々とした武人。背の丈なら7尺(約210センチ)を越える巨漢。馬一頭の首を軽々とへし折る怪力の持ち主だ。
彼はその刀剣に対しての正式な握り方は知らないものの、まずは大きく横に薙いでみた。
グォン
音に遅れて、8メートル先の壁が砕けた。
(やはり、そういう扱い方だったか)
小さく感心していたその時、遠くに蹄の音を聞いた。
(試してみるか――)
3階のバルコニーへ向かうと、遠方に迫りくる土煙が見えた。それが何者であれ、迎え撃つ気概でなければ生きていけそうにない世界で、彼は巨大な鎌のような刀を肩に乗せて、石の手すりを飛び越えた。
ズズン――という巨石が落ちたかのような音が、巌流の足元で黒い砂埃を上げた。
(カヅキたちを巻き込むのも可哀そうだ)
巌流は大鎌を背負ったまま、向かいくる何者かへ向けて歩き出した。50の軍勢かと思われた土煙は、どうやら影ひとつだった。彼は歩を止めない。むしろ大股に速度を増した。その顔には、一騎討のできる喜びの笑みを浮かべて。
地鳴りがする。それは確実に近づいてくる。
背にした廃城からは200メートル。猪突猛進で向かってくる相手に、巌流は仁王立ちで構えた。仁王立ち、それは彼の殺気が最高潮に達した時の姿だ。「どこからでもかかってくるがいい」という捨て身であり、鞘を投げ、自らを背水の陣に置いて『斬って勝利するのみ』という覚悟の現れだ。
影の正体は分からないままも、巌流は駆けだした。
「ちぇえええぇぇい!!」
まずは、手にしたばかりの大鎌を力いっぱいに横薙ぎした。剣の発した斬撃が刃の形で飛ぶ。そして、それは瞬時に砕け散る音がした。舞い上がる砂煙の中に、ようやく相手の姿かたちを捉えた。
「その方、敵とみなしていいか」
巌流は、仁王立ちだ。
「ソノ剣ヲ、今スグニ置ケ」
目の前では、二つの赤い瞳が睨みつけている。
「犬の次はオオカミが喋るか。何者だ」
暗黒の世界に溶け入る灰色の殺気立った毛並み。耳を立て、四つ足で構えては白い息を吐いている。それをオオカミと呼ぶならば、象ですら馬と呼んでよかっただろう。それほどの大きさだった。
「三度ハ言ワヌ。我ガ友ノ剣ヲ置ケ」
「ふん。友人の物か。なかなか気に入ったんでな、もらうことにした!」
言うか言わずかの間に、巨大なオオカミの前足が巌流の頭上へ落ちてくる。ご丁寧に、蹄鉄を打ちつけた足の裏だった。
ガギィッ! と鈍く重い、金属のぶち当たる音が鳴り響いた。
「何者ダ」
オオカミは、その巨体に任せてのしかかってくる。
「お前を倒してから名乗ろう」
巌流は心から楽しそうに嗤い、畳一枚もある前足を押し返している。
「オ前ニ、ソノ未来ハナイ。死ネ」
オオカミは踏み足を左に跳ねのけ、巌流の身体を30メートルほど弾き飛ばした。と思えば、転がり立ち上がった彼の目前で、もう牙を剥いていた。
(速いな、おもしろい)
巌流は躊躇も何もなく、向かいくる牙へと飛び込んでいく。大鎌が、白い牙を一本、砕き落とした。
ガギギィン!
だからといって状況は何も変わらず、彼は容易くオオカミの顎で咥え込まれてしまった。
「我ガ牙ヲ折レル者。何者ダ」
「噛み砕かれて死ぬ前に、名乗る名はない。殺せ」
巌流はその危機に、なおも嗤う。握った大鎌を片手で振り上げてみせる。どうにも死ぬ気はなさそうだった。
オオカミは、もたげた首を静かに地面へ向けて巌流を吐き出した。
「はん、何の情けだ」
巌流は立ち上がると大鎌を捨てて、腰の刀に指をかけた。
「殺スニ惜シイ。名ヲ名乗レ」
「そういう時は、自分から名乗るものだ」
「我ハ『ジャウズ』ガ持チ馬『セドール』。名ヲ名乗レ」
「俺は巌流、浪人風情だ。強いヤツを探している」
白い霧が立ち込め始めた世界で、剣士とオオカミの睨み合いが続く。
「ジャウズというのは、死んだお前の主か」
刀の柄から指を離した巌流が、今度こそ仁王立ちで問いかけた。オオカミは低い唸りと共に、苦し気にこぼす。
「ジャウズハ滅ビタ……。我ハ飼イ主ヲ失イシ馬」
「そうか。だったら今から俺の馬になれ」
「面白イ。我ガ名ハ『セドール』。ココニ今、巌流ノ馬トナル」
あっさりと言い放ったオオカミは、その巨体を伏せて目を閉じた。
もう一話、イケそうです。




