54・初心者ってこんなもんでしょ
池袋に空いた巨大な穴『ワームホール』を抜けて、異世界『マルズ星』へ旅立った7人と1匹。
しかし、まずはパーティーが散り散りになってしまう。
薄暗い洞窟へ飛ばされた一二三とベルモットだったが――。
「おい、どうすんだコレ」
「いや、僕が訊きたいんですけど――」
「お前、決めろ」
「責任、押し付けられるのイヤなんで――」
意を決して暗黒のワームホールへ乗り込んだ7人と1匹は、眩しい光と共にのっけから散り散りにされた。
薄暗い洞窟へ飛ばされたのは、沢渡一二三とベルモット・オルウェーズだった。
遥か天空から射す淡い光に浮かび上がる一点を中心に、周囲では大小3つの洞が穴を見せて手招きしている。どれを選んでも『凶』か『大凶』か『最凶』しかなさそうだった。
「オメエ、リーダーの弟子だろ。ってことはサブリーダーだ。だからお前が決めろ。オレは何も文句は言わずについていく」
どうにもふざけていられない状況の中で、ベルモットが口にした。
「じゃあ……。とりあえずそっちで。奥までロウソクみたいなのが続いてるみたいですし。明るくて歩きそうですよ」
「バァッカかオメエは! 見え見えの罠じゃねえか!」
「なんですか! 文句言わないって言ったじゃないですか!」
「いい、灯りならオレが出す」
ベルモットはライターを擦ると、左手のひらに小さく炎を浮かべた。その揺らぎをジッと見つめると、
「背中の穴から、微かに風が吹いてくる。どこかに通じてるはずだ。とにかく何も分からねえ世界なんだ、お前が先を歩いてくれよ。モンスターの突発的な攻撃に対処できるのは、テメエの方なんだからな」
「分かりました――。行きましょう」
足元も岩肌もゴツゴツとした硬い岩石で、ベルモットの炎が一二三の目の前に揺れる影を落とす。道は平たんではなく、突然頭上が低くなっている場所もあり、一二三は3度、頭を打った。背の低いベルモットには難もない。
カメの歩み、手探りの進行は無口に進む。モンスターの気配に怯えながら歩く狭い洞窟は、やがて右に曲がってゆく。
「待てヒフミ。風が強くなってきてる」
「はい、分かってます」
足を止めた2人は息を殺す。ベルモットの手のひらでは、炎が大きく揺らめいていた。陰になった右奥からは、モーターの駆動音のようなモノが聞こえる。
「気ぃ抜くなよ。行動は一瞬で決まるぜ。お前はまず竹刀を構えて前へ出ろ。何かあれば、すかさずオレが後方から追撃する。いいな」
「はい。分かりました――」
いくつかの呼吸のあと、ベルモットを振り返った一二三が小さく頷き、左足から踏み込んだ。すぐに竹刀を構える。その右顔をベルモットの炎が照らす。一二三の表情からすぐに、事態が深刻であることを彼女は感じ取った。
「どうした一二三! 敵か!」
「いいえ! 大丈夫です!」
しかし、そう言いつつも一二三の構えは解けない。何かと対峙しているのは間違いがなかった。ベルモットも慎重に、一二三の背後に回った。瞬時に風の正体が判明する。
「ヒフミ……」
「はい、ベルさん! 扇風機です!」
「いや……なんだ、その」
「しかも、首振りです!」
洞窟の奥は行き止まりで、ただ切なく、古い首振り扇風機がウィーンと風を送っていた。
「おい、戻るぞ……」
軽く侮辱を受けた気分でベルモットが踵を返そうとした時、一二三がそれを止めた。
「待ってくださいベルさん! 明かりを! 何か書いてあります!」
「なんだ! 何かのメッセージか? アイツらのうち誰か、先にここに来てたっていうのか?」
慌てて戻った彼女の目にも、扇風機に何か貼られているのが見えた。急いで照らしてみると、そこには――。
――『夏の風物詩』
そう、書かれてあった。
「おい、マジで戻るぞ――」
「いえ、ベルさん。こういうダンジョン物って、一見つまらないことにも重大な意味があったりするんです」
ベルモットには、一二三が何を言い始めたのか分からない。必死で謎を解こうと考え込んでいる彼には悪かったが、冒険の始まりで、すでにバカバカしくなっていた。
やがて何か閃いた一二三が、しかし謎の行動を取りはじめる。扇風機の前に齧りつき、その首を右手でがっちりと掴んだ。懸命に首を振ろうとする扇風機と、それを阻止したい一二三の、真剣勝負が始まった。
(アホだ……アホについて来ちまった……)
「あああぁぁぁ――。どうですかあぁぁぁ」
扇風機と真剣に向かい合う一二三は、やがて間抜けに声を上げ始めた。剣士などとは名乗っても、ちょっと前まで普通の少年だったのだ。この窮地に混乱するのもよく分かった。分かったが、ベルモットはとりあえず彼の背中を蹴り飛ばした。
「アホか! 扇風機が喋るかあっ!」
「痛っ! 何するんですかベルさん。もうちょっとだったのに」
「何がもうちょっとだ! テメエ、もうちょっとで頭ん中が異世界に飛んでたぞ!」
「いいですから、ベルさんは黙っててください。あああぁぁぁぁ――」
(殺してえ……今すぐ全焼却してえ……)
しかし、無垢で純真な心は時に奇跡を呼ぶ。
一二三は、思い出していた。友達と日が暮れるまで野原を駆け回り、肌を真っ黒に焼いて、宿題なんてまだまだ余裕、そうめんとスイカでも食べて、畳の上でゴロゴロすれば、それだけで満ち足りていた日々。その傍らには必ず扇風機があった。寝転がった身体に満遍なく風が当たるちょうどいい感じの場所へ身体を移動させたり、けれどそうするとタンスの角に頭をぶつけそうになるので仕方なく自ら動いて首振り角度を調整するのだが上手くいかない。そのうち睨めっことなった扇風機の前で彼らは必ず、『それ』をやってしまうのだった。
「あ゛あ゛あ゛あぁぁ――」
ベルモットを、たまらない眠気が襲っていた。彼女もまた知らず知らず、一二三の声に催眠をかけられていた。故郷の古びた片田舎の、まるでおとぎ話に出てきそうなレンガ造りの小さな家。辺りはといえば、どこまでも果てしなく広がる大草原。彼女は草花のベッドに転がり、青い空を流れてゆく綿雲を見上げていた。陽射しの眩しさに目を閉じていれば、たまらない心地よさに負けて、瞼を閉じればいつも思い出す――――。
「う、うわぁあああっ! ヤバ! 寝落ちするとこだった。こんなとこでウカウカ寝てられるかってんだ。それで――」
「あ゛あ゛あ゛あぁぁ――」
(まだ、やってやがった……)
いい加減に無理やりにでも引きずっていこうと決めたところだった。行き止まりと思われた洞窟の先が振動を始めた。
「あ゛あ゛ああああぶぅあああぁぁぁ――」
「……共振してやがる? まさか、この奇妙な声と洞窟が?」
洞窟の行き止まりに、ひびの形で光が漏れてきた。
「おいヒフミ! もういい! 危ねえぞ!」
「あああ――――。いえ、いいんです。これを待ってたんです。ベルさんさえ離れててください。危ないですよ」
しっかりとつかんでいた扇風機から手を離すと、一二三は立ち上がって洞窟の奥へ進んだ。微かに、鈴の音が聞こえた。
「行きますよ。沢渡流――」
ベルモットは、竹刀を握り大きく左足から踏み込んだ彼に、あの大木に見せた巌流の姿を重ねた。そして、その姿が竹刀を素早く突き出した。
「『牙突打』!!」
衝撃が洞窟を揺らした。天井から崩れ落ちるかと思うほどの衝撃に頭を押さえたベルモットがそろそろと目を開けると、その先には穏やかな湖が広がっていた。そこへ、チリン――と、涼やかな風鈴の音色。
「夏の風物詩ですよ。行きましょう」
竹刀を肩に、振り返った少年の顔が笑顔になる。ベルモットはバカのように口を開いたまま感じた。コイツも、化け物だと。




