51・D――X――φ(ディー・エックス・ファイ)
本日の集中投下は、ここまでです。
明日からは、21:00の1話更新に戻ります。
突如として疾走を始めたダックスの先に、いくつもの人影が並んでいた。それが近づいてくるのか、それともこちらが近づいているのか、一二三には区別がつかない。ただ間違いなく、足並みを動かしているのは前方の群れだ。
「カノン! いるのか! 大丈夫か!」
答えを耳にする前だった。一二三のわき腹がズクンと痛んだ。頭の中のフィルムが急激に巻き戻される。一種の走馬灯だった。小学生の稽古試合で、初めて面一本を取った時の記憶が目に蘇る。
(なんだ、今の――)
その痛みに思わず足を止めたのは正解だった。気がつけば目の前に屈強な男が刃を抜き、一二三の鼻先三寸に切っ先を突き付けていた。すかさず巌流が横入りする。
眼帯の男がニヤリともせず笑い声を漏らす。
「ガンリュウ……だったか」
「重兵衛――だったな」
「やり合うか」
「それで、友が戻ると言うならな」
一触即発の場に、ふてぶてしくも高笑いが響く。束原卜伝だった。
「まあまあ。重兵衛、刀をおさめよ。そしてガンリュウ殿も」
「卜伝。よもやこれを収めろと言うのか。この仕打ち、何が目的だ」
巌流は刀を握り、上段右斜めの構えから動かない。
卜伝が、答えとも思えない答えを返す。
「マスターキーと、パスワード。それさえ頂ければ、ワシらはそなたらに害は加えませぬ」
遠く侍たちの足元には、無残にもボロ雑巾のように横たわるシュルケンの姿があった。その隣でうずくまり、ダックスを抱きしめる花音がいた。
「知らぬ。お前の言う『害』とは何のことだ。あれを無害と呼べと言うのか」
「おお。あの忍びよのお。ムダな抗いが仇になっただけのこと。ワシらが欲しいのはマスターキーとパスワード。それだけでいいのです。パスワード・沢渡カノンは預かりました。あとは抵抗なくマスターキー・香月・フォーミュラを引き渡してほしい」
卜伝は高笑いの顔も忘れ、しわ深い顔の中で眼光を光らせる。
「知らぬと言っている。ただ、お主らがカノンとカヅキを攫おうと画策していることだけ理解した。ベル、加減無しだ」
「ああ。特大の奴で一発だ」
ベルモットが片手でライターに火を灯した。
「なるほど。力ずくと申しますか。では、パスワードは替わりを探すことにしましょう。おい丸田、その娘、斬れ」
侍が一人、刀を高く掲げた。
「おいおいテメエ……。その役ならオレが引き受ける。だから早いとこ妹を返しな。それとあの、くたばりかけもオマケにな」
「その通りだ、卜伝。お主の言葉はさっぱりだが、カノンに手を出せば、たちまちに殺し合いが始まるのみ。そこには勝者も敗者もない。ベルの炎がすべてを焼き尽くして終わりだ」
その会話の隙に立ち上がった一二三が、カノンのもとへ駆けだそうとする。が、卜伝の振るった棒切れで叩き伏せられた。
「ぐあっ! カノン……!」
届かない腕を伸ばして妹の名を呼ぶ一二三だったが、もう意識すら覚束ない。そして、卜伝の最後通達が下りた。
「おい、丸田」
やめろ!! と誰もが叫ぶ前に、高らかな声が上がった。
「ワーーーム!!」
ダックスの、切ない遠吠えだった。今まさに主の危機。そうせずにはいられなかったのか。
しかし、それは誰も想像の及ばない壮大な反撃の序章だった。その先のやり取りは、ダックスと花音にしか分からない。
首の上に刃を向けられたカノンの腕の中で、ダックスが呟いた。
『主・カノンよ。我が名を呼べ。D――』
「うん分かった。D……D――X――φ――――」
花音の手のひらが、眩しく輝いた。
『承知した。ワ―――――――――ム!!!』
またしても遠吠えだった。
まず、カノンの首に刀を向けた男が、駆け抜けた緑色の光線で打ち抜かれた。何の前触れもなく、光速のレーザーが一直線に走り抜けたのだ。
「ぐぅ、はあっ!」
男が刀を握り落とせば、
『ワ―――――――――ム!!!』
その遠吠えと共に、幾筋の緑のレーザービームが四方八方から、その場を駆け巡り始めた。驚いたのは卜伝だけではない。巌流、ベルモット、一二三、遠く見守る香月もまた、背筋を凍らせるばかりだ。何が起こっているのか理解不能だった。
『ワ――――――――――――ム!!!』
耳をつんざくダックスの雄たけびと共に、レーザーは確実に侍たちの胸を撃っていった。バタバタと人の倒れる音の中、もはや周辺すべてが緑の光線に囲まれていた。触れれば撃たれる、センサー搭載型の抹殺レーザーだ。
その超現実的な光景の中で唯一、状況を理解し始めたのはベルモットだ。
「コイツ、あのマーキングは、このための布石だったのか……」
彼女の予想は、ある程度で正解だった。しかし、ダックスの思惑は次のステップへと移っていた。
「何が、何が起こっている」
巌流ですら、立っているのがやっとの状態だ。
「分からねえ。分からねえが、あの犬コロ――あれもバケモンだってことだ」
「く……くそっ! あの犬、寝返りおったか!」
常に見せていた落ち着きもなくして、取り乱す卜伝をレーザーが打ち抜けば、地上にはベルモットだけに理解の及ぶ図柄が形成されていた。
「マジかよ……魔方陣じゃねえか。やべえ! あの犬、まだ何かやらかすつもりだぞ! ガンリュウ、シュルケンを頼む! オレは妹だ! ヒフミ、いつまでもくたばってんじゃねえ!!」
だがそこへ、とてつもない地鳴りが彼らを襲う。この状態でモンスターが出現するなど狂気の沙汰だった。手の打ちようがないのだ。
「おいダックス! もういいからやめてくれ! カノンは無事だ。今すぐ帰るぞ」
カノンを背負うベルモットがよろけた時だ。またしても最悪が形になった。揺れるアスファルトを突き抜けて、巨大なワームが出現したのだ。真っ白に輝くワームは、そこらじゅう一帯を食い荒らしてゆく。




