49・緊急、池袋集結
雨になった。10月に入り、そういう空模様が増えていた。
「だあっ! だからもう! 絶対にオレが完全個室浴場の練成してやっからよ!! 超特急・特特大練成――」
「やめてぇっベルモっち!! あなたの胸はもう、ホルスタイン以上よ!!」
女性テントが異様に騒々しい。
「あの、なんかケンカしてるんですかね?」
午後1時。そぼ降る雨を受ける男子側テントに一二三が顔を出した。テスト明けの土曜日だった。
「ああ、風呂の話らしい」
巌流は、昼間からビールの空き缶を並べている。テーブルを挟んだシュルケンは暗い表情で口を開かない。
「お風呂ですか? そういえば皆、今までお風呂ってどうしてたんでしたっけ」
「男どもは表で行水。女どもはビニールプールというヤツに湯を張っていたらしい」
「はあ。それがケンカのもとなんですか?」
女子テントから、また大声が響いてくる。
「どこで見てるか分かんねーんだぞ!? いつもどっから入ってきて、どっから出てくのか分かんねえゴキブリみたいなヤツなんだぞ!? 今もどこからか――オラぁ! エロニンジャ!! 見てんじゃねえぞ、コラぁっ!!!」
「ですからベルモットさん。シュルケンさんはそんな人じゃないですって。時には、魔が差すこともあるかもしれませんが」
「ケンケンは盗むの得意だから。フォーミュらんの『エロフィンガーシステム』も、もう盗まれてるかもだねぇ」
言われたい放題だ。
「痛恨の極みでござる……。拙者、決してそのようなことは一度も……」
「そうだな。罪を憎んで人を憎まず、とも言うからな」
「ガンリュウ殿! 拙者は無罪、いや、無実でござるよ!」
どうやら先日の影分身がバレたことが原因だと、一二三にも理解できた。
「シュルケンさん、気にしなくていいですよ。誤解なんですから」
「ううっ。今の拙者には、一二三殿だけが心の拠り所でござるよ」
「でも、この前みたいに僕のスマホ勝手に見ないでくださいよ」
「あ、あれは! あれは……拙者もスマホがあればと思いまして……」
それからはロックをかけた、とも言いだせない一二三だった。
そんな悲壮な空気に満ちた部屋へ、飛び込んできた人物がいた。
「シュルケンさん!」
血相を変えた香月だった。
「か、カヅキ殿まで! 拙者は本当に――」
「よ、よく分からないんですけど――とにかく今からすぐに池袋まで行ってくれませんか!? 他に頼めないんです!」
よほどのことがあったのか、香月の声は何かに怯えていた。
「カヅキ、何があった。落ち着いて話せ」
「それが――ラルシステムが――」
「ああ、それがどうした」
巌流は冷静、というより興味がなさそうだ。まだ風呂騒動の延長だと思っている節がある。
「あの卜伝さんっていうお爺さんから、ラルシステムで直接メッセージが入ったんです!!」
さすがに酔いも醒めた顔で、巌流が目つきを変えた。
「どういう話だ。それは、お前がそいつを盗まれたってことなのか」
「いえ、個人のラルシステムは盗まれたりしません。それは、その人だけが持つイメージの、心の中のシステムなので。ですから重要なのは、あの卜伝さんがラルシステムを持っている事実の方なんです!」
少しだけ話が見えた感じの巌流が、空き缶を指で倒したあと、
「卜伝殿は転生前に、お前の父親に会ったと言った。理由はそれ以外にないだろう。で、それがどうして池袋なんだ。この間も、大きな化け物騒動があった場所じゃないか」
「そ、そうなんです! とにかく大事な話があって、皆で集まってほしいって。私、何が何だか分からなくて。だって、『7人で集まってくれ』って言うんですよ?」
すぐに一二三が反応した。
「7人って、もしかしてカノンもってことですか?」
「ですから私、どう答えていいか分からなくて……。シュルケンさんなら足が速いですし、まずはどういうことか聞いてきて欲しくて」
巌流は、まだ落ち着いている。
「だから、そのシステムで訊ねたらどうなんだ。それとも俺が代ろうか」
「いえ、ラルシステムは個人の意識同調なので、他人は見ることができません。システムを持つ者同士なら情報を共有もできますが。そして、そのメッセージのあとから連絡が取れないんです」
「一方的な矢文のようで、あの卜伝殿らしくないな。分かった。シュルケン、聞いた通りだ。すぐに――」
気づいた時には、その影はもうなかった。
「バカが。だから、よけいな誤解を受けるんだ。女子テント、お前たちも何かあったら動けるようにしておけよ。風呂はそのあとだ」
そこへ、
「今だから安心して入れるんじゃねえか」
顔を出したのは、ベルモットだった。
「ねえねえ、ラリルレロってレンセーできる?」
ユルエも一緒だった。どうやら、5人で会議の始まりの雰囲気が出来上がった。
「分からないですよね。先日の千葉さんが持ってきたっていう手紙には、縄張りがどうとか書いてたんでしょ? 今さら何かあるなら、向こうから来るのが礼儀だと思うんですけど」
「ヒフミの言葉どおりだ。それが侍としての筋だろう。礼儀を欠いているどころか、ある意味で果たし状に近い」
「だとして、どうしてカノンまで? アイツ、剣道とか柔道とか、そういうの一切興味ないですよ? 僕のこと、いつも防具臭いって嫌がってるくらいですし」
巌流と一二三だけが謎解きに没頭する中、突然、香月が悲鳴を上げた。4人が、一斉に彼女に目を向ける。香月はただ、胸の前を見つめて震えている。
「どうした香月、また何か連絡が入ったか」
「シュルケンさんが――」
「それじゃ分からん! 何があった!」
香月は答えず、震えるばかりだ。
そこにユルエがスマホを出した。
「確かね、フォーミュらんのラリルレロが、私のスマホにも入ってるって――。けど、やり方分かんないんだよね」
それを素早く奪ったのは一二三だ。
「貸して!」
「あー、コンプライアンスとかー」
一二三はまず、それらしきアプリから探し始めた。
(ラルシステム。LAL、Ral、ない、どこにも――)
「分かった! これだ!」
一二三がスマホ画面を開くと、不可解な文字や数字と共に映像が映し出された。
「Bluetoothで同期されてたんです! 文字の類は恐らくプライバシー保護なのかジャミングされてて――」
「どうでもいい! ヒフミ、状況を教えろ!」
声も出せず震える香月のそばで、誰もの目がスマホ画面に集まる。同時に、音声も流れ始める。
『か……来ては……来てはなりません……これは罠……カノ……カノン殿が……』
画像は乱れたが、声は弱々しくともシュルケンのものだった。そして、ブラックアウト――。
香月の啜り泣きが止まない。
「ですから……シュルケンさんが……」
「フォーミュラさん! これ! どういうことですか! シュルケンさんに何があったんです! それにカノン……カノン……」
一二三も香月と同じく声を震わせたが、行動は素早かった。スマホを取り出すと、母親に電話を入れた。
「母さん!? カノンは――ダックスはいる!?」
耳に押し当てたスマホを力なく握ったまま、しばらく一二三が黙った。
「ねえヒフミン? ダックスってノンノンとお散歩じゃないの?」
「ち……違います……。だってアイツ、雨の日の散歩は必ずダックスにコートかけてたんです。それが……そのまま家にあるって……」
テントの外に、ダックスの姿はない。
「お前らも立て、行くぞ――」
項垂れる一二三の首根っこを掴むのは巌流だ。立てかけていた刀を一本握ると、もう一度、声を張った。
「池袋だ! 今からは俺に従え! さもなくば、シュルケンよりもカノンが危ない!」
ザワつきさえ消えた小さなテントの中で、まずはベルモットがフードを深く被り、その首筋で固くリボンを縛った。
「オメエら聞いたろ! 急げ! フォーミュラ、テメエもしっかりしろ! 悔しいがお前抜きじゃあ、どうにもならねえ……」
外は、土砂降りに変わった。
1時間後、次話投稿します。