48・父の形見
香月の使う『ラルフィンガーシステム』。開発者は彼女の父『香月・ユーカスティス』だ。
原理は難しいものではない。難しい理論はあるが、それを省けば結果としては脳内シナプスの微弱電流を拾い、空間に浮遊する電子を媒介にしてイメージをビジュアルとして浮かびあがらせる。それだけのものだ。
システムプログラムの基礎は超高性能の学習成長型AI(現代世界での次々々々々世代にあたる)なので、使用者の知識を越えて様々な機能を作動させることができる。
ただしイメージなので、使用する者それぞれでスクリーン設計には違いが出る。例えば高名な数学者であれば難解な数式とグラフが並び、絵本好きの子どもならば、絵本そのままのイメージでページをめくってゆく楽しい物語のような感じだ。なので、その見かけは成長と共に変化――進化してゆく。使い勝手が良くなるのだ。特に香月の場合、その特殊能力により変わった増幅機能も使える。
そういった意味で、人工衛星の位置情報や天候観測から始まり、この世界にも同期して馴染んできたラルシステムは、やはり彼女の身から手放せない。彼女にとっては、亡き父の形見でもあった。
「フォーミュらーん! お魚、どーおー!?」
早朝の浅川の岸辺。背中から聞こえる伸びやかで自由な声は、もちろんユルエのものだ。彼女の得意な電磁波操作力も、今はただの魚獲りのために特化する。
「はい! 今日はちょっと大きいの狙ってますから!」
銅線を編み込んだ投網は、魚をしびれさせるだけのモノではない。網がソナーとして拾う魚影はラルシステムに浮かび上がり、距離と水深、逐一の動きまで表示してくれる。狙っているのは、遡上からはぐれた大型のサーモンだ。東京多摩川水系には決して現れないはずの魚が泳いでいるのも、地球規模の生態系の崩れだとラルシステムは示している。その信ぴょう性は低くとも、今の香月には目の前の大物の方が重大問題だ。
「来ました! 大きいです! ゾーンに入ったらスパークします! 網で捕えきれないかもしれないので『オペレーション・TTD』へと移行します!」
何やら仰々しい彼女のセリフに応えるのは、
「相仕ったでござる!」
水遁仕様のシュルケンだ。見た目は普段の黒装束と変わらないが、ベルモットに頼んで撥水加工したらしい。
「シュルケンさん! ターゲット補足! ショック発動まで4、3、2――」
投網を握った香月の指先がチリッという音を立てると、青い光が走った。瞬間、穏やかな川面に大きな飛沫が舞った。
「シュルケンさん! 今です!」
香月の声が届くより早く、シュルケンが氷上を滑るアイススケーターのように、華麗な足さばきで水上を奔る。その手にはマグロでも入りそうな大きな捕獲網――。
飛沫の中に一瞬見えた尾の影を見逃さず、シュルケンは腕を精一杯に伸ばして水面下50センチから網をすくい上げた。その中には、勢いよく尾をばたつかせる大型サーモンの姿があった。
「獲ったどおーっ!」
勝利のポーズを取る彼の身体は首まで水に浸かっている。忍者とはいえ、さすがに水面に浮かぶのは無理な話だ。だからこその撥水加工だった。
「おう。朝からイクラ丼か。調理班、気合入ってんじゃねえか」
イングランド生まれのベルモットも、最近では和食メニューにハマり始めている。
「半身は塩を擦り込んで生干しでぇ、切り身も6人分できるし。一斗缶拾ったからスモークサーモンも出来る感じ?」
「なんだよ、燻製か? しばらく贅沢だな」
一二三の早朝練習には、最近では巌流もつき合うようになっている。先日のムカデとネズミ退治の時から、目つきが変わった。
「せいっっ!」
「はあっ!」
竹刀と真剣が空を切る、それぞれの音。時折それが、寸分たがわず重なる瞬間がある。そんな時、向かい合った師弟は目線だけを合わせて軽く微笑みを交わす。そしてまた、剣を振る音――。
「おはよーございまーす!」
「ワムワム!」
河原へ下りてくるのは、紫のランドセルを背負った花音とダックスだ。花音は通学と一緒にダックスを散歩させてテントへ置いてゆく。下校の時間にはランドセルを下ろしてダックスと河原を駆け回り、そのまま自宅へと連れて帰る。
「じゃあ皆、行ってきまーす」
「ノンノン、いってらー」
「ちゃんと理科の勉強してこいよ。また手品くらい教えてやるからよ」
「カノンさん、気をつけて」
そんな声が聞こえれば、一二三の早朝練習も終わる。
「すごいですね。朝からイクラ丼ですか?」
彼は汗を拭いてペットボトルを口にすると、驚いてみせた。
「夜はね、ちゃんちゃん焼き。ヒフミンも食べてくよね?」
「あー、それが。来週から中間試験なんで、夜はそのまま帰ることにします」
「そっか。ヒフミンって高校生だった」
「ユルエさんもでしょ。学校に行かなくていいって羨ましいな。僕も異世界がよかったよ」
そしてお決まりの、
「ベル、ビールだ。冷えたヤツをな」
「おい、低温術は時間がかかるつってんだろ。それとその、亭主みたいな言い方やめろ」
香月は、その光景に目を細める。運命というものを何気なく考えてみた。
大転生者の言葉が、もしも過酷な自分の運命を示したものだったとして、この出会いには感謝していた。その思いを指先に乗せて胸の前で動かしてみれば、
――友達リスト
いつの間にか増えていたタスクにタッチすると、6人と1匹の名前が表示されていた。
1時間後、次話投稿します。