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3. 臨時雇用①

 エスタがアレスの自宅を出たのは昼前。

 彼の自宅は、村長として執務を行っている役場とは別にあり、母親と共に暮らしてはいるものの、アレス自身は食事以外は主に離れを使っているため、エスタは気まずい思いをせずに済んだ。

 軽く湯を使わせてもらい、身支度をして実家へ向かう。

 エスタは自分の行動のすべてが信じられなかったが、もうすべて事後である。考えても仕方ないので、いったん忘れることにしようと、頭を切り替える。

 民家が多く密集するこのあたりは、昔とあまり変わらぬ風景である。人の往来は多いものの、迷うことなく通りを抜け、実家を目指した。

 変わらない水色のとんがり屋根の郵便役所を目印に、三叉路の左の道を行く。新しくきれいな建物ばかりの村の入り口とは違い、日に焼けた古い家々が建ち並ぶ。エスタは懐かしさにあふれた光景に思わず立ち尽くした。

「ねーちゃん!?はぁ?何してんだよ、仕事は?」

 と、いきなりぐっと肩をつかまれたかと思うと、早口でまくしたてられた。この声、この調子、相変わらず落ち着きがない弟だと、笑みと共にため息を吐く。

「フォルテ、あなたこそ何してるのよ。こんな平日の昼間に」

「いや、姉ちゃんこそだろ!?」

 だいぶ高くなった身長に驚いたが、出てくる言葉は相変わらずだ。

 記憶と変わらないやり取りができることにエスタはほっとした。

「私は休暇を取ったの。しばらくいるわよ」

「はああああああ?言えよ!相変わらず行動が唐突だな!」

 そういって、ばんばん背中をたたかれる。この遠慮のなさ、さすが家族である。

「俺、いまから昼休憩なんだよ。家で飯食おうと思ってたとこ」

 一緒に帰ろう、と自然な仕草でフォルテはエスタの隣に並ぶ。弟の歩幅の広さに、一瞬エスタは眉根を寄せたが、文句を言う前に修正された。

 のど元まで出かかっていた文句が、すべて引っ込むくらいにエスタは驚いたが、当の本人は特別なことだとは思ってないらしい。気にした様子はなく歩き続ける。

 幼いころからとんでもなく活発だった、エスタの下の弟であるフォルテは、三年に渡る厳しい訓練を乗り越え、現在はハルマ村の警備隊に所属している。昔から勘で生きている節はあったが、村のことに熟知し、素直で正義感の強い彼には向いている仕事なのだろう。

「外食をしないのは相変わらずね」

 昔からエスタの家族は可能な限り贅沢をしない。外食など、その最たる例だ。

 今はもう村自体が豊かになってきたのだ、おそらくもう監査役一家の金遣いなど誰も気にしないだろうが、習慣はなかなか変わらないものだ。

「まぁね。別にもう気にしなくていいんだけど、俺は普通の一人前じゃ足りないから」

「あんたは昔からたくさん食べるわよね」

「姉ちゃんが少なすぎるんだよ。俺の世界は俺が基準だからな!」

「はいはい」

 そうこうするうちに、実家に着いてしまった。

 よく知る懐かしい我が家ではあるものの、どことなく違和感もある。エスタがその正体を掴む前に、力強くフォルテが扉を開けた。

「ただいまー!」

 本当に彼は声が大きい。この分だと、近所にもフォルテの帰宅が知られていそうだ。

 中から返ってきた声は、父のものだった。

「おかえり……エスタ?」

 フォルテの背中に隠れていたエスタだが、彼はさっさと上着を置きに自室へ行ってしまった。残されたエスタは、小さな声で、ただいま、と応える。今になって、何の連絡もせずに帰ってきてしまったことを後悔し始めた。

 昔からある、頑丈な一枚板のテーブルで食事をしていたのは、父のヴァイスと母のシィナである。二人は揃って目を丸くしていたが、先に動いたのは母だった。

 勢いよく立ち上がると、娘に駆け寄り軽く抱きしめる。

「どうしたんだい!もう…」

「た、ただいま…ちょっとお休みをもらって……」

「……とりあえず、夕食はエスタの好きなものにしようかね!」

「昼は済んだのか?」

 シィナのはしゃいだ声に被せてヴァイスが尋ねる。

「まだだけど…」

「エスタの分もあるよ!」

 跳ねるようにシィナがキッチンへ向かうと、エスタはとりあえず荷物を置き、椅子を引いて座った。

 ついでに近くにあった茶器を手にすると、中身が入っていたため勝手に淹れた。みずみずしい青い香りがふんわりと広がる。

「飲む?」

 ヴァイスに聞くと、首を振った。

「いや、俺はもう飲んだ」

 それならいただきます、とエスタはゆっくりと口をつける。まろやかな苦味にほっと息をついた。

「どのくらい、いられるんだ?」

「ええとね、お休みを長めにもらったんだ。たぶん冬が終わるころまでいられるよ」

「そうか」

 ヴァイスが少しだけ顔をほころばせたのを見て、エスタはじんわりと嬉しくなった。

「父さん、今日仕事は?」

「ああ、午前中は監査に入っていたからな。食べたら役場で事務作業だ」

「私は家にいるよ」

 明らかに量の違う食事を運びながら、シィナが言った。

「エスタの部屋を準備しようかね」

「ううっ、俺は夜勤だよ…」

 と、泣き真似をしながら、フォルテも食卓につく。そして、エスタの三倍はあろうかという食事に手を付けた。

「ジニは?」

 ここまで家族が揃っているというのに、上の弟だけが不在である。気になってエスタが問うと、めずらしくヴァイスがにやりと笑った。

「ジニはな、貴族の御大にお誘いを受けて食事会だ」

「……えっ、なんで?」

 シィナがあきれたように口をはさんだ。

「もう誰も村から行く人がいないからさ。監査役が行けば向こうも諦めるんだよ」

 エスタはあきれた。

「村で商売でも始めるってこと?貴族が?」

「いや、目的は温泉の権利だろ」

 ヴァイスがやけにはっきりと言った。

「じゃあアレスが招待されるんじゃないの?」

「盛られるからだめだ」

 肩をすくめる父に、エスタは怪訝な顔で食事を運んできた母を見る。

「盛られる…って?」

「もう何回かやられてるからね」

「やられてるって…」

 シィナは怒りを感じさせる声音で応えつつ、配膳をはじめる。

「自白剤とか、筋弛緩剤とか、睡眠薬とかだよ」

「媚薬とかね」

 フォルテも話に加わる。

「それは効かなかったんじゃないか?」

 ヴァイスは薄く笑うが、エスタは笑えない。

「どういうこと。犯人は捕まってないの?」

「姉ちゃん」

 やけにはっきりとフォルテが言う。

「相手は貴族だよ、ただの平民に捕まえられるわけないじゃん。うちの村に騎士はいないんだよ?」

 確かに貴族や王族といった特権階級を取り締まるのは、同じ貴族出身者しか就くことができない騎士だけである。それでも、近年は警備隊にもその権限は与えられているはずだ。

 できないとはいったいどういう了見なのだろう。

「あなたたち警備隊がいるじゃない」

「無理だね。相手は貴族だよ」

「でも、王都では……!」

「ここは王都じゃない。もちろん、凶行に及ぶ貴族を止めることはできる。でもよっぽどじゃない限り捕縛はできないんだよ。ちょっとでも言い逃れできる状況だったら、俺らが悪者になるんだ。無理に押し通せば村に迷惑がかかるんだよ」

 フォルテに冷静に言われ、エスタは言葉を失う。

「………ジニは」

 絞りだした言葉に答えたのはヴァイスだった。

「ジニは大丈夫だ。アレスの何倍も躱し方がうまいし、逃げ足も速い。護衛もいるしな」

「そうそう、兄ちゃんは本当に頼りになるんだよ」

 にこりと笑ってフォルテは言った。

「でかい問題になる前に、対処してくれるからね」

「そうだな。監査役より間者に向いているのかもしれん」

 安心させたいのか、父と弟に諭すように言われて、エスタは不安げに母を見る。

 シィナは大げさに息を吐いて、早く食べな、とだけエスタに告げた。

 はたと隣を見ると、フォルテはすでに食べ終わり、温かいお茶に息を吹きかけて冷ましている。これまでの会話の合間でどうやってあの量を胃に納めていたのか、不思議でならない。

 エスタもどちらかといえば食べるのは早い方だ。急いで懐かしの母の味を口に詰め込むが、感動よりも焦りが勝ってしまう。エスタは我慢ができなかった。

「母さんはジニが心配じゃないの?」

「心配だよ。いつもハラハラしてるよ」

 でもね、とシィナは複雑な表情を見せる。

「危険がないよう、いろいろ配慮はしてもらってるんだ。だからどっちかって言うと、エスタの方が心配だね。この数年でお貴族様とのやり取りが増えて、本当に人種が違うっていうか、考え方とか物の見方が全然違うってことがわかったからね…」

「そうそう、姉ちゃんってどうやってあの人たちと一緒に仕事してるんだろうって思うことあるよ」

 口の中のものを飲み込みながら、エスタは少しだけ首を傾げた。

「さすがに盛られたことはないけど…」

 嫌がらせはあった。ほとんどが貴族という職場において、エスタは平民で、女性で、若くして肩書のある部屋持ちだったのだ。当然のように、エスタにだけ通達が来なかったり、調査の予定が組んでもらえなかったり、逆に重複して組まれていたり、接待まがいの食事会への参加が強制的に決まっていたり、直属の上司であるトーリアが睨みを効かせてくれていても、陰湿なそれはうっかりや勘違いとして根強く残っていた。

 どうして、出自という誰も選べない部分で優遇されている貴族たちに、泥臭く邁進してきたエスタが差別されるのだろうと、苦しんだこともあった。だが、同じような不条理を、王都に進学してからも、その前の監査役一家に生まれたという理由でも、程度の違いはあれど味わうことはあったのだ。落胆はしたが、知らない感情ではなかった。

 それに、同じ平民出身のユグがいた。彼がいつも、圧倒的でなければならないと、自分に言い聞かせているのを知っていた。だからエスタも、さまざまな圧力にめげることなく、努力し続けることができたのだ。

「貴族っていっても、いろんな人がいるからね。嫌なヤツももちろんいるけど、私は上司に恵まれたんだ。あとはね、少ないけど平民の同僚もいたし、なんとかなってたと思う」

 そう答えると、シィナが穏やかな微笑みで頷く。

「よかったよ。便りがないのは元気な証って言うけど、エスタはほんとに連絡を寄越さないからねぇ。心配してたよ」

 フォルテも強く頷く。

「そうそう!姉ちゃん全然帰って来ねーんだもん、変な男に捕まってたらどうしようかと思った」

 なぜかアレスの顔が浮かんだが、エスタはつとめて冷静を装う。

「捕まらないわよ」

「じゃあ捕まえたのかい?」

 楽しそうなシィナには、首を振って否定する。

「捕まえてもいないわよ。もう!からかわないで」

 ふざけて怒ってみせると、明るい笑いが広がる。なんとか平気な顔ができた。

「……まぁ、詰まる話は追々な」

 ヴァイスはそう言うと、立ち上がる。

 昼休みはそろそろ終わりの時間だ。

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