4. 夜会 ②
「……すごい」
「この『花鳥』が、村では最高級の会場だからな」
もともとハルマ村に根付いている素朴なかわいらしさという価値観とは無縁の、おそろしく荘厳でため息の出るような内装だった。
板ではなく石が使われた床、えんじ色に金糸と銀糸でびっしりと刺繍が施された絨毯。
エスタははめ込まれた大きな窓のガラスを見上げ、来たる冬の寒さをどう凌ぐのだろうかと心配になる。
さらに、ところどころ壁に掛けられた数点の絵画は、個性的で洗練されているが、どこか親しみのある不思議な雰囲気を放っている。その見覚えのあるタッチに、エスタは思わず二度見してしまった。
「あれって…まさかナナリの作品…じゃないよね?」
「さすが、よく知っているな」
気難しいといえばまず間違いなく名前が挙がる、新進気鋭の作家である。名のある貴族であっても、何かひとつでも気に入らない内容があれば断られるという彼女の絵を、どうやって手に入れたのだろう。
「よく湯治に来ているんだ。頼んだら描いてくれた」
「うそ……!そんな軽い感じで?」
「ああ。お前の弟と気が合うようだぞ」
「……どっちよ」
「意外な方だ」
微笑みをたたえた横顔のまま、アレスは答える。
上の弟にしても下の弟にしても、芸術的な感性は持ち合わせていそうにはない。エスタにとっては、どちらだとしても意外だと思った。
「……村を観光地にすると決めた際に、貴族と平民は分けるべきだと言われて、これを建てることになった。悩んだが、結果的には良かったと思っている」
「そう……ここまでのものは、王都でもなかなかない造りだよ」
いったいどれほどの金額をかけて建設されたのだろう。これは、つい最近まで困窮にあえぐ村をおざなりにしてまで、すべきだったことなのだろうか。
我慢できずに、エスタは瞬時に村の規模からおおよその税収を計算し、やはりどう甘く見積もっても相当な赤字でしかないことに確信を持つ。
「もう完成してるから、今何を言っても仕方ないけど…やりすぎだよ」
彼はこの問答に慣れているのか、静かにエスタの鋭い視線を受け止めて身をかがめ、小さな声で言った。
「花鳥は利用料が高い。とうに元は取れている」
「違う、優遇されているって勘違いする貴族が増えるってことが言いたいの」
「エスタ、ここは観光地だ。羽を伸ばしに来た彼らに不便を強いて、村人に不利益が降りかかるのだけは避けたい」
エスタははっとして、視線を落とす。
そうだ、フォルテも言っていたではないか。ここに貴族を法的に咎めることができる立場の騎士はいないのだと。
「……ごめん」
「いや?エスタの気持ちはわかる。だが、俺もそれなりに貴族という肩書の人間が、どんな思考を持っているのかはわかっているつもりだ」
「……」
「ほら、そろそろ挨拶に行かないと怪しまれる。顔を上げろ」
そうアレスに軽く背中を軽く叩かれ、エスタは頷いた。
王都での夜会よりはぐっと人数は少なくはあるものの、村の規模で考えればこの夜会に参加している貴族は多い。視線はそれなりに感じるものの、主催者が声をかけてからという暗黙のルールを守っているのか、誰も声をかけてはこなかった。
「――来た」
エスタとアレスの背後に立っているフォルテがそっとささやく。エスタはおそるおそる前を見た。
探すまでもなく、数人の集団の先頭に立ち、控えめな装飾の深紅の衣装に美しく髪を結い上げたトーリアが、こちらに向かって艶然と歩いてくる。
エスタがよく知る、トーリアが交渉の場に出る際の雰囲気だった。
「エスタ!突然のお誘いになってしまって、本当に申し訳なかったわ」
「いえ」
「……緊張されているのかしら?」
トーリアからちゃんと返事をしろ、という圧を感じる。エスタは腹を括って口を開いた。
「――はい、このような華やかな場所は久しぶりでして」
「確かにそうね。高貴なる腰かけどもと、あなたは違うもの」
高貴なる腰かけとは、よくトーリアが口にする嫌味のひとつだ。仕事よりも接待や夜会などに積極的な貴族出身の役人を指して使っている。
こんなに貴族が多くいる場所で、平然と口にしてよい言葉ではない。
しかし、トーリアに対して咎めても良いのかどうかわからず、エスタは曖昧に微笑んだ。
「きれいよ。もう少し、化粧を派手にしてもいいんじゃなくて?」
エスタの焦りなど気にも留めず、澄ましている上司を固まったように見つめた。
いったい彼女は何を考えているのだろう。事前に集めた情報が真実かどうかトーリアからは全く読み取れず、エスタは不安になる。
「――エスタ、私を紹介してくれないのか?」
アレスに促され、はっとして口を開く。
「申し訳ございません。普段のお姿も素敵ですが、輪をかけて本日は素晴らしい装いでしたので、見とれてしまったようですわ」
場をつなぐように、エスタは慌てて笑顔を作った。
「こちら、ハルマ村の村長、アレスでございます。――アレス、私の上司の……リリストーリア・オーウェン=ウォルス様」
「はじめまして、アレスと申します。平民のため家名はございませんが、この村の村長を務めております。何卒よろしくお願い申し上げます。私もトーリア様とお呼びしても?」
トーリアはじろりとアレスを頭からつま先までなめるように見ると、ふっと笑った。
「もちろんよ。この度は卑怯な形でお呼びして申し訳なかったわ。今夜だけ付き合ってくださる?」
そう言うと、トーリアは近くの給仕から赤黒い醸造酒の入ったグラスを受け取り、ためらいなくエスタに向かって中身をぶちまけた。
「――エスタ…!」
とっさにアレスがエスタの腕を引き寄せたが、中身のほとんどはエスタのドレスにまだらな模様を作ってしみこんでいく。突然のことに、エスタは言葉が出てこず、アレスの怒気をどこか一歩引いたところで感じていた。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ」
「トーリア様、この中身は?」
アレスはエスタをぐっと引き寄せ、肩に手を回しながら低い声で問いかける。
「ハルマ村で調達した醸造酒よ。見てお分かりにならない?」
「何事も見た目だけでは判断できない性質でして」
アレスは静かに言うと、改めてエスタに視線を向けた。
「すまない、大丈夫か」
「……ええ」
エスタはアレスに薄く笑ってみせる。このやり口は知っていると、自分の中で確信を持ってアレス目を合わせ、軽く頷くとトーリアに向き直った。
「トーリア様ともあろう方が、このような粗相をされるのですね」
「そうかしら?私への評価が高いようで嬉しいわ」
トーリアは頬に手をあてて小首をかしげる。
「エスタは着替えないとだめね。そちらの護衛の分も用意はあるわよ」
指摘されて気が付いたが、フォルテの上衣にも赤黒い飛沫が飛び散っていた。会場に入ってからずっと後ろに付き従っていたというのに、いつの間にエスタよりも前に出ていたのだろう。
「私のことはお構いなく」
フォルテは表情を変えずに慇懃な態度で断った。初めて見る仕事中の弟の姿は、普段とはあまりにも違い、抜き身の刃のようだ。お調子者で明るい、エスタのよく知るフォルテの方が、仮の姿なのかと思えるほどに別人だった。
「エスタは着替えた方がいいな。一度離席したらどうだ」
肩を抱かれたままアレスに見つめられ、反射的にエスタが体を引くが、アレスは逃がさない。エスタはきつくにらみつけたものの、優しい顔で抑え込まれる。
「心配するな、浮気しないから」
ささやかれた声に、エスタはむっとしてすぐに反論した。
「するわけないでしょ…!」
「お、それはよかった。エスタに信頼されているのは嬉しいな」
「ちがっ…そうじゃなくて」
「ん?嫉妬してくれるってことか?」
「……からかわないで…!」
そのやり取りを見ていたトーリアが、一瞬だけ表情を歪める。フォルテはじっとその様子を見ていた。
トーリアとエスタの二人で控室へ向かう間、一言も発することはなかった。足早に目的地へ向かうトーリアに、エスタは履きなれない靴で必死に追いかける。
ようやく控室に到着した途端、トーリアは長椅子に崩れ落ちるように座り込んでしまった。
見たことがないほど疲れた表情の上司に対し、エスタは臆することなく近付いた。
「はぁ…迷惑かけたわね」
「いえ、それより一体何があったんです?旦那様やコントラル様たちはどちらにいらっしゃるんです?」
侍女の一人もいない寒々とした部屋ではあったが、確かに豪奢な濃紺のドレスが用意されている。ここまではトーリア側の思惑通りということか。
「言えない。あなたこそ、ハルマの村長とそういう仲だったの?だから彼はこれまでどんな誘惑にも乗らなかったのかしら?」
「ええと…まあ、そんな感じというか」
腹芸が下手なのは自覚があるが、だからといって開き直るわけにはいかない。エスタは微妙な表情で俯いた。
「どういうこと?はっきり言いなさいよ」
「こちらにも事情があるんです。もういいじゃないですか、着替えてさっさと戻りましょう」
「だめよ」
長椅子に転がったまま、トーリアははっきりと言った。
「あの村長とあなたを離すのが私の仕事だもの」
「……はっきり言いますね」
「あなた相手に取り繕っても仕方ないじゃない」
「それなら、教えてくださいよ」
エスタはトーリアの隣に座る。
「今回の茶番をお考えになられたのは、トーリア部長のお父様ですよね?ご結婚された際に縁は切られたと伺っていましたが、どうしてまたこのようなことになったんです?」
「……あなたね、そこまでわかっているなら察しなさいよ」
エスタは不満そうに言葉を返す。
「どうして頼ってくれなかったんですか」
「あなたと村長の関係性がわからなかったの。っていうか、なんなのあれ?彫像並みに靡かないって聞いてたわりには、あなたのこと大好きじゃない。そのへん教えておいてくれれば、もう少しやりようがあったわよ」
「……いろいろ事情があるんです」
「そればっかり!」
「部長だって」
はぁとため息をついて、エスタはほとんど掴めている全容を話すことにした。おそらく、事態はトーリアが思っている以上に面倒だということを知ってほしかったのだ。




