4. 夜会 ①
夜会の会場は、外壁に施された彫刻が美しい建物だった。真新しい白い壁が、月影に照らされて淡く光っており、まるで神秘的な神殿のように見える。
エスタは繊細な刺繍が施された鈍い銀色のドレスを身にまとい、馬車の小窓から建物を眺めていた。まさか村を馬車で移動する日が来るとは夢にも思わなかったが、実際に乗ってみると見知った風景が、まったく違うものに見えて新鮮だった。状況が違えば、もっと楽しめただろうと、少しだけ残念に思った。
馬車が止まり、外のざわめきがエスタにも伝わってくる。ああ、いやだなと思いながら、張り詰めていた気持ちを少しでも解放しようと、エスタはゆっくりと息を吐いた。
「緊張しているのか?」
向かいに座るアレスに問われ、エスタはぎこちなくそちらを見る。全身を黒でまとめた正装で微笑む彼は、やたら迫力があった。
「……しないわけないでしょ」
なげやりに返事をすると、アレスは首を傾げる。
「夜会の経験は?」
「業務の一環としてならある…けど、個人的にはなかった。準備も面倒だし、儀礼的なやり取りも得意じゃなくて」
「そうか。意外だな」
こんこんと馬車の扉が叩かれ、御者が到着を告げる。アレスが短く、開けろ、と応えた。
「……きれいだ。だが、別の機会でもっとゆっくり見たかったな」
ひっそりとした声で囁かれ、エスタは目を逸らす。
「今夜のこれは戦闘服よ」
「そうだな」
開けられた扉からアレスが軽く頷いて先に下りる。そして立ち上がって馬車から降りようとするエスタに向かって手を差し伸べた。
「それでもよく似合ってる」
「……ありがと」
アレスの手を取り、ゆっくりと馬車に掛けられた階段を下ると、エスタは彼にだけ聞こえるように、声を落として言った。
「アレスも似合ってる」
ゆっくりと口角を上げて、アレスが腕を差し出す。こんな風に傅かれるのも、居心地が悪い。これから起こるであろう出来事もひっくるめて、なんだか苦く思いながら、エスタはそっとそこへ手をかけた。
「申し訳ございません、お控えいただきたく…」
「ええ、ですから控えめにいたしまして、私のみ同行ということで…」
フォルテのよく通る声があたりに響く。
「可能でしたらもう数名同行させたいのですが」
追い打ちをかけたジニの声は穏やかで、交渉中の商人のそれに似ていた。
「せめて、彼だけでもお願いできませんか。村長は以前、こういった華やかな場で幾度か薬物を盛られておりまして…ああ、もちろんこちらの警備に問題を呈しているわけではございませんが、もし部外者などに襲撃されるなどの状況になった場合、私の命などでは足りないほどの事態になりますゆえ」
そう言いつつ、ジニがちらりとフォルテに視線をやると、彼は心得たようにぐいと一歩前に進み出る。
「万が一村長に何かあった場合、護衛がいた方がそちらの体面も守られるかと思いますよ」
数段ある階段を上った先、会場の入り口で守衛の男性と揉めている弟たちに、エスタはどきりとしたが、一呼吸おいて、できるだけ冷静にアレスの方を見た。困ったら適当に俺を見ておけばいいと言っていたが、今日はあと何回この顔を見ることになるのか。
「…あの子たち、いったい何をしているの」
低くアレスが笑う。
「私たちを心配して押しかけたか」
「……もう、仕様がありませんね」
「急ごうか?」
「ええ」
アレスとエスタは少しだけ速度を上げて、階段を上る。
先に気がついたのはジニだった。
「村長、姉さん!どうにもこの彼に話が通じなくて…」
「だろうな」
アレスが苦笑する。
「控えるっていうのは、止めてね、って意味なのよ」
エスタは困ったように言った。
「ごめんなさい、田舎者でして…」
守衛を兼ねた受付の男に言うと、彼は助けを求めるようにエスタを見て、結局は眉根を寄せた。エスタと弟たち、特にジニはよく似ている。姉弟だというのが目に見えてわかったのだろう。
「いえ、ですが入場していただくことは…」
この守衛の男よりも、圧倒的にフォルテの方が体格が良く、押し通ることも難しくはなさそうである。もしかすると、この状況は、招待側には想定内だったかもしれないと、エスタは察した。
「主催者の方にご確認いただけます?護衛をひとり、追加しても問題ないかどうか……そうですね、入れていただけない場合は、帰るようだとお伝えください」
守衛は深くため息をついた。
「わかりました。こちらでお待ちください」
すごすごと中に確認に行く守衛の背中を見ながら、ジニがつぶやく。
「姉さん、もっと自然に話さねぇと」
エスタは自分の足元に視線をさまよわせながら、小さくいじけた。
「……むずかしいって、これが限界」
「はぁ…こんな腹芸が下手だとは…」
「まぁできるだけ俺も姉ちゃんの近くにいるようにするからさ!」
抑えた声でフォルテが励まし、エスタは何度もうなずいた。
「ありがと、フォルテ」
と、会場の扉が少しだけ開き、先程の守衛が戻ってくる。
いけそうだな、と笑うアレスの声がするりとエスタの耳に入ってきた。
「わかるの?」
「顔に不承不承と書いてあるだろ」
「……そう?」
エスタには先程との違いはあまりわからない。口を真一文字に結んだ、不満まみれの顔だとは思っているが。
守衛の男は、軽く咳払いをすると片目を細めて告げた。
「許可が下りました。そちらの男性のみですが、どうぞお入りください」
間髪入れずジニが頭を下げる。
「ありがとうございます、無理を言ってしまい申し訳ございません」
兄に倣って弟も深く一礼した。
「できるだけ邪魔にならないよう控えております。お手数おかけいたしました」
心にもない言葉を、これほどそれらしく言えるのかと、弟たちの姿に感心してしまった。
「では行こうか」
「ええ」
気合を入れて背筋を伸ばすと、エスタはゆっくと開かれた扉に向かって歩き出した。




