3.臨時雇用 ③
結局その日は、帰宅したヴァイスやジニも迎え、相当の量を家族で飲んだ。
そのことに後悔はひとつもないが、エスタが目覚めたのは穏やかな昼の時間である。家族の物音は一切聞こえなかったが、外からは子どものはしゃぎ声は聞こえる。
確認する間でもない。エスタは完全に寝過ごした。
若干の二日酔いに、だるい体を引きずって、部屋を出る。顔がぱんぱんにむくんでいるであろうことは、鏡を見ずともわかる。エスタは無意識のうちに、あご下を親指で押し、鈍い痛みに顔を顰めながら階段を下りた。
誰もいない静かな空間に、かすかにいびきが響いている。どうやら夜勤明けのフォルテは部屋で寝ているらしい。
起こさないように、そろそろと歩く。ふと、テーブルの上に二日酔いに良いとされる穀物粥と、解毒作用があるとされているグランの実が置かれていることに気がついた。
家族の素晴らしさに感謝しつつ、台所へ向かい、喉の渇きを感じていたエスタは、水差しからグラスに水を注ぐと立ったまま飲み干し、もう一度注いでテーブルについて気が付いた。粥の入った食器の下に、紙がはさまっている。
そっと食器を持ち上げて紙を取ると、几帳面なジニの字で『仕事は明日からで』と書かれている。エスタはそっと笑った。
楽しかった。良く飲んだ。血筋なのか、エスタはたしなむ酒よりも盛り上がる酒の方が好きだ。役人として働いていると、なかなか機会がない。
あまり空腹は感じていなかったが、粥を食べ始めてみるとするすると入っていった。脳に響くほど酸っぱいグランの実も、小さいからかあっという間に平らげてしまう。
食器を片付け、テーブルを拭く。さて何をしようかと大きく伸びをしながら考えた。何をしても良い自由な時間というものに、あまり縁がなかったせいか使い方に悩む。
「温泉にでも行けば?」
「わっ!驚かせないでよ」
「はは、おはよ姉ちゃん」
いっそ芸術的ともいえるいきり立った髪に手を突っ込み、ぼりぼり掻きながらフォルテが背中から声をかけてきた。
「いつの間に起きたの?全然気が付かなかった」
「なんか考え込んでたからさー。何したらいいのかわかんないんだろうなって思って」
「フォルテ……まさか心が読めるの?」
「……姉ちゃんさ、こんなわかりやすくてほんとに王都でやっていけてんの?」
単純明快、明朗快活、好きな食べ物は肉、という弟に言われることほど複雑なものはない。
エスタは軽く首を振って言った。
「心配しなくても大丈夫」
「そっか。ならいいんだけど」
なみなみと水の入ったグラスを持ち、フォルテはエスタの方を向きながら隣に座った。
「うちの村自慢の温泉行ってみてよ。村人用の方だったら、この時間はすいてると思うし」
「村人用って、昔よく行ったところであってる?」
「そうそう。最近きれいになったばっかりだからさ」
まだ村で生活しているころによく行った温泉は、良くも悪くも古びていて風情がある。ただ、あの頃はまだ監査役として周りに気を使っていたこともあり、こんなに日の高いうちにいくことは叶わなかった場所だ。
「フォルテはどうするの?」
「俺は、ちょっとやることあるから」
そう言って、五歳下の弟はどことなく大人びた雰囲気で微笑む。これ以上話したくはないという、やんわりとした拒否を感じて、エスタはかすかに頷いた。
「そう…じゃあ、行ってみるね」
「うん。満喫してきなよ」
結果的に、フォルテの言葉通り、エスタは一日かけて満喫することになった。
かつての大衆浴場がただきれいになっただけかと思っていたが、全く違っていたのである。浴槽によって温度が違っていたり、寝ながら入ることができたり、足湯があったりと、時間によって男女が場所を交換し、また別の湯に入浴することができる。さらに食事もとることができる休憩所や、横になることができる仮眠施設も併設されており、飽きずに楽しむことができた。
久しぶりに帰省したエスタに気が付いた村人が、何人か声をかけてくれたのも嬉しかった。立派になって、きれいになって、と言ってくれるのはお世辞でも嬉しい。
二日酔いだった朝のことなんてすっかり忘れて家に戻ると、二人の弟はそれぞれの個性でくつろいでいた。
「あっ、おかえり。どうだった?」
長椅子に寝転がっていたフォルテが半身を起こす。朝の芸術的な髪型は、多少ぼさぼさではあるものの、だいぶ落ち着いていた。
「とってもよかった。こんなにゆっくりお湯に入ったの、久しぶりだったかも」
エスタの感想に、フォルテは微笑んだ。
「よかった!今さ、村人用に試しに作ってみて、評判が良かったら観光客用に展開させる予定なんだ」
テーブルで数枚の書類を読んでいたジニも、顔を上げてエスタに訊ねる。
「どれが一番よかった?」
「寝られるやつがよかったかなぁ…」
「そっか。伝えとく」
そう言ったあと、ジニは言葉を探すように、じっとエスタを見る。居心地の悪さを感じて、エスタは怪訝な顔をした。
「なに…?どうしたの?」
「いや…」
ためらうジニに代わって、口を開いたのはフォルテだった。
「すっごい面倒くさい事、頼んでもいい?」
「その聞き方で、受けてくれる人いるの?」
「いないかぁ」
フォルテはあきらめたように笑っているが、どこか苦しげにも見える。
「姉ちゃんさ、リリストーリア・オーウェン=ウォルスって人に心当たりはある?」
「うん。王都での私の上司だけど…」
たまに聞くと、その名前の長さに舌を噛みそうだと思ってしまうが、大抵の貴族の名前なんてそんなものだ。
「……そういうことか。兄ちゃん、どうしよっか」
渋い顔のジニは、重苦しい雰囲気を醸し出しながら立ち上がり、エスタにきらきらしい封筒を渡してくる。金の箔押しがされた、なめらかなさわり心地の紙は、日常生活の中でも出会うことはそうない質感のものだ。
「明日、夜会を開くから出席してほしいってさ」
ジニの言葉を聞きながら、一言一句漏らさず、エスタは招待状に書かれた文字をひろってゆく。何度読み返しても、貴族と交流のあるエスタに、社交の場に気後れしてしまうであろう村長を紹介してあげてほしいと書かれている。
エスタは首を傾げた。
「私と、アレスってこと…?」
「そ。なかなか社交の場に出てこねぇうちの村長殿を、姉さんが連れて来いってさ」
エスタは思い違いかと自分を疑い、もう一度招待状に目を通したが内容に変化はない。
「…なんていうか、トーリア部長らしくない内容ね」
「貴族なんてこんなもんじゃね?」
「そう…といえば、そうなんだけど。この方は違う…と、思う」
ジニは怪訝な顔で腕を組み、苛立ちを募らせていたが、はぁとひとつため息を吐くと、大きく天を仰いだ。
「考えても答えが出ねぇってことは、行動するしかねぇってことだろ!あーめんどくせ。いつもの、もしお時間ありましたら村長様にご出席いただきたく…って書けよ!監査役の俺が行って適当に飲んで食って帰ってくるのに!」
「今回はアレスが行かないと姉ちゃんの顔をつぶすことになっちゃうからね。しかも上司なんでしょ?俺が護衛で行くのは大丈夫かな…」
長椅子から立ち上がったフォルテが、エスタの持つ招待状をのぞき込む。
「大きな会場を用意することがむずかしく、その他の方のご参加はご遠慮くださいって書いてあるけど…」
と、エスタが該当箇所を指し示すと、フォルテは頷いた。
「それなら行けるね」
「そうだな。来るなとは書いてねぇからな」
「…えっ?来るなって書いてある…よね?」
「いや、俺らは平民だからな。ご遠慮くださいを誤解してるっていう解釈で行くんだよ。あっちが無礼かましてくるんだ、こっちだって大人しく黙ってられるか」
不敵に笑い、ジニは立ち上がる。
「とりあえず、もうちょっと調べとかないとだめだな。夜会なのがまだ救いか…」
ぎらぎらとしたものをみなぎらせる弟に対して、エスタは胸をぎゅっと抑えた。
まさか自分が餌にされるとは思ってもいなかった。村の人々やエスタの家族が、アレスを守ろうとしていることを昨夜理解したばかりだというのに……なんてことだろう。
「……ごめん」
「姉ちゃん、それは何に対しての謝罪なの?姉ちゃんが村に帰ってきたことに対してだったら、俺ら怒るよ」
「ああ。こんな卑怯な誘いをかけてくる方が、どう考えても悪いだろ。まだアレスには伝えてねぇが、これは確実に怒り案件だな」
ぐっとジニに手をつかまれ、エスタは顔を上げた。
「申し訳ないと思うなら、ちょっと手伝ってくれよ。フォルテも…いいか?」
「もちろん。俺は兄ちゃんの使えるものはなんでも使う精神好きだよ」
フォルテは両手を広げ、自分よりも小柄な兄と姉の肩を抱いて、がんばるぞー!と明るく言った。




